第二十五章 8

 赤森忠則はしがない地方公務員であった。


 彼が勤める市の特別主張所には、非常に嫌な職員がいた。口が悪く、横柄で威圧的な年配の中年女性。市民に対しても職員に対しても、尊大な対応しかしないが、上司に対してだけはヘコヘコと媚びる。

 彼が雪岡研究所へと赴いた理由は至極単純だ。この糞女をブチ殺したい。たったそれだけ。

 実験台となって、それができる力を手に入れた赤森は、望みをかなえた。散々甚振って殺してやった。惨殺してやった。警察が聞き込みに来て、いろいろと後始末も大変であったが、赤森の仕業であることはバレずに済んだ。


 この話がそれで終われば、それで良かった。だがそれだけでは終わらないから困りものだ。


 赤森を改造したマッドサイエンティスト――雪岡純子は、赤森との関係をそれで切ろうとはしなかった。赤森に裏通りの住人と戦う指示をしたり、他のマウスとも戦わせたりした。最初は従っていたが、三回目からは馬鹿馬鹿しくなって、従わなくなった。契約通り、実験台にはなったのだし、それでもう関係は終わっていいはずだ。


「私の実験台になるってことは、その先もずっと実験台として私に協力してもらうことなんだよー? 言わなかったっけ?」


 純子に文句を言ったら、笑いながらそう言われた。もちろんそんなことは聞いていない。もう従わないときっぱりと告げたら、後日、別のマウスに襲われた。赤森の方が強かったために返り討ちにしたが、この先も刺客が放たれるのは明白だ。


 いずれ隙を見て、あの見た目だけは可愛らしいマッドサイエンティストを殺してやろうと、赤森は考える。しかしそれが容易に行えるとは思えない。

 赤森なりにいろいろ調べてみたところ、雪岡純子は自分と同じ実験台――マウスを量産し、放し飼いのストックとしている。そして気が向いた時に実験の一環として、動かして遊ぶという。

 それに反感を抱いて、純子を殺そうとした者も結構いたという話だが、全て返り討ちにされている。


 自分一人の力では困難だと判断した赤森は、同様のマウスがいないか、必死に調べていた。自分と同じ境遇で、純子に反感を抱いているマウスを何人も集め、数の力で対抗しようと。

 しかし今のところ、そういったマウスは見つかっていない。次の刺客に怯え、焦りながらも、赤森は出張所に勤める日々を送っている。


***


「岸夫君、これから一緒に殺しに行きませんかー?」


 発端は竜二郎のそんな誘いだった。アジトであるアース学園の生徒会長室に六人集結したその日、解散しようとした際に、竜二郎が岸夫に声をかけた。


「誰を?」

 目をばちくりさせながら岸夫が問い返す。


「依頼殺人ではなく、個人でのお遊びの殺人の方ですよ。月何人までと、レベルによって上限が決められている、フリー殺人です」


 そこまで説明されて、岸夫は理解する。


「それなら私も一緒に行きまぁす」

 すると意外な人物が名乗り出た。優である。


「優が行くなら私もーっ」

「あのー、場所に難があって、そんなにぞろぞろ連れてはいけせん。優さんと岸夫君だけで」

「けちー。ちびー」


 冴子が名乗り出たが、竜二郎がやんわりと断る。冴子は頬をふくらませて毒づく。


 校舎の敷地を出て、岸夫と優は竜二郎に連れられていく形で、タクシーに乗る。

 タクシー内では、タクシードライバーを意識して、特に会話も無かったが、岸夫にはわりと聞きたい事が多くあった。


 タクシーから降りたところで、疑問をぶつけてみる。


「優さんと竜二郎さんは、どうして殺人倶楽部に入ったの?」

「そりゃー人を殺したいからですよー」

「そうですよう」


 思い切った質問のつもりであったが、竜二郎と優はあっさり即答した。


「何で人を殺したいの?」


 さらに突っこんで尋ねる岸夫。今度はあっさりと答えが返ってこなかった。優はうつむいてあからさまに躊躇している。竜二郎は思案顔だ。


「聞いてはいけないことだったかな。でもどうしても知りたい。知って……」


 岸夫の言葉は最後まで続かなかった。

 何か言いたいことがあったはずだが、言葉途中で、岸夫は何を言いたかったか忘れてしまったのである。


(まただ。たまに俺の頭、おかしくなる。何でだろ……)


 しかそのことに対する疑問も、沸かなくなってしまう。


(まるで俺の頭、誰かに都合よく操作されていて、途切れるようにできているみたいだ)


 最早質問した意味さえ忘れて、岸夫の頭はそちらへと考えがいっていたが、竜二郎が語りだしたことで、強引に引きずり戻された。


「この世には、法律を破って悪事を働いても、その悪事を財力と権力で揉み消す人達がいます。あるいは法に触れなくても、裏通りに堕ちなくても、悪い事をしている人はいっぱいです。M&Aして吸収した会社の社員を大量リストラ。これは悪ではないですか? ええ、鋭一君のお父さんの話ですけどね。おまけに自殺までしちゃいました。鋭一君の父親の両親が体面を重んじる人で、ひどく責めまして、気の弱いお父さんには耐えられなかったようです。彼の祖父母だったこの二人も悪ではありませんか? もうこの世にはいませんが」


 鋭一のいない所で勝手にそんな話していいのかと、岸夫は呆れる。


「鋭一君の祖父母が他界した理由、知りたいです?」


 いつもの爽やかで朗らかな笑みではなく、思わせぶりな――どこか邪な印象を与える笑みをひろげ、竜二郎は岸夫に尋ねる。

 そんな言い方をした時点で察しはつく。鋭一が殺したのだろう。


「殺したのは鋭一君だと思ったでしょう? 残~念~、殺したのは僕でしたー。僕、お節介焼きだから、つい、ね」


 思わせぶりな笑みから、してやったりといった感じのお茶目な笑みへと変える竜二郎。


「ま、そういうわけでー、僕は世直しという建前で、強くて悪い連中を殺して、そのカタルシスに酔いしれるのが好きなんです。そういう人達を殺すのが大好きっていうだけでーす。正当化された殺人は楽しいですよー」


 にこにこ笑いながら、茶目っ気に満ちた口調で竜二郎は語る。


 そこでようやく、岸夫は何故こんな質問をしたかを思い出した。岸夫自身が知りたいからだ。自分が殺人倶楽部へと入った動機を。動機が何であったかすら、すでに岸夫の記憶にはない。

 他人の動機を聞けば、刺激を受けて思い出すのではないかと考えた岸夫であったが、竜二郎の話を聞いても、何の刺激も受けなかった。


 岸夫は自分が何者であるかがわからない。記憶は断片的に飛んでいるし、突然意識が途切れることがしょっちゅうだ。何か考えていても、その考えていることが急に消えてしまうということも多い。

 自分が殺人倶楽部という場所に入った理由も、すでにわからない。しかしそんなことを彼等の前で口にしたら、どう思われるだろうかと、不安になる。


「優さんは?」


 岸夫が優の方を向いたが、優は申し訳なさそうな顔で、ふるふると首を横に振った。


「で、言いだしっぺの岸夫君は?」


 竜二郎が尋ねる。言い出しっぺだから言うべきという、そんな圧力を感じたが、わからないので言いようが無い。


「わから……」

「言い出しっぺだろうと、言いたくないなら言わなくてもいいですよう」


 わからないという事情を素直に打ち明けようとした岸夫であったが、まるでそれにかぶせるかのように、優が発言する。


「そうですかー。僕だけ損しちゃった気分ですねー」

「ご、ごめんなさい」

「ごめんなさぁい」


 冗談めかして言う竜二郎だが、ひょっとしたら不快にもなっていかもしれないと思い、岸夫と優が謝る。


「さてと、ではまず物色のための手続きをしましょうか」

「物色?」


 指先携帯電話から空中にホログラフィ・ディスプレイを投影し、意味不明な単語を口走る竜二郎に、岸夫が怪訝な声をあげる。

 竜二郎はしばらくディスプレイに指を走らせていたが、やがて画面を反転させて、優と岸夫に開いているサイトを見せた。


「岸夫君と優さんの登録、完了しました。これで、三人で直に標的の物色をしに行けます」


 サイトの名前は『ホルマリン漬け大統領』などという、奇天烈な代物であった。


「裏通りのサイト?」


 優が口にした言葉に、岸夫も納得した。サイトには開催予定のイベントの見出しが並んでいた。処女の集団獣姦キャンペーン、老害薪キャンプファイアー、人身売買で売られた子供の臓器摘出ショー、幼児同士の殺しあい世界選手権トーナメントといった、おぞましいタイトルばかりで、岸夫は顔をしかめる。


「僕達と同じですね。金と権力があれば、人の命を弄ぶ快楽が得られる。僕らはお金を払っていませんし、運がいいだけで殺人倶楽部の会員になれましたが、ここの会員になるには大金が必要です」

「登録したってことは、私達もここの会員になったってことですか?」

「はい。そうでないと、この組織が開催するイベントには出られませんから」


 優の問いに頷く竜二郎。


「こんな組織の会員になって、どうするっての?」

「あれれ? 今までの話の流れから、わかりませんか? この組織のサービスの利用者はみーんな、お金を払って、人の苦痛や死を宴として楽しむ、人の皮を被った鬼畜なんですよー。その鬼畜こそが、悪魔様への供物――僕の獲物なんです。僕はいつもこの組織で、標的を物色しているんです」


 楽しそうに喋ると、竜二郎はすぐ横にあるビルを指す。


「ここがそうです。ホルマリン漬け大統領の支部の一つで、今夜イベントが開催される予定です。獲物が沢山いますよー」

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