第二十五章 6

 朝――私立ヴァン学園校門前。


「いようっ、優」


 後ろから何者かが抱きついてきて、柔らかい感触を押し付けてくるが、優は驚きもしない。とっくに慣れた。


「おはようございまぁす。冴子さん」

「たまには乙女っぽいリアクション見せてよねー。何でいつもそう冷静っつーかマイペースっつーか。ちょっとおっぱいもんでみようかな」

「それは嫌ですよう。下着ズレちゃうし痛んじゃいます」


 優に抱きついているのは、背の高い女子生徒だった。今年の身体測定では177あったと、優は聞いている。艶やかな黒髪をセミロングで真っ直ぐに伸ばし、薄化粧をしている。目が大きく、コーカソイドの血が入っているかと思われる顔立ちの持ち主だ。

 彼女の名は橋野冴子。優がヴァン学園の高等部に進学してからできた友人だ。


「そっかー、ブラの中に手を入れてほしいかー。しかも公衆の面前で。優はエロいなー」

「上手い返しを思いつきませんからスルーしますねぇ」


 ガチレズで普段からエロいことばかり口にする冴子だが、優はとっくに慣れている。


 優からしてみれば、冴子のようなちょっとおかしな子の方が、自分とはウマが合うと感じている。普通の子と友人になっても、いまいち噛み合わない。普通の女の子の話題についていきがたい。

 中学時代はオタ集団の中にいた優であったが、進学によって彼女達とも疎遠になってしまい、冴子はその代わりとして、優を十分に飽きさせない友人だった。


「ところで新入りってのはどんな奴よ?」

「それ、昨日も一昨日も電話で聞かれましたが」

「どうも忘れるツボに入ってるみたいなのよねー。多分印象薄いか面白くない答えだったからなんだろうけど。ああ、そうだ。いじめちゃだめとか言われてたね。いじめたくなるタイプなのかな?」

「冴子さんは誰が相手であろうといじめにかかりますから」

「えー、いじってるだけで、いじめちゃいないわー。そいや、竜二郎はレベル15になって、三つ目の能力手に入れたの? どんなのよ?」

「さあ? 正直竜二郎さんは、もう改造する必要無いと思いまぁす」

「確かにねえ。あいつのあれはどう考えても反則でしょ。優もだけどさ」


 話題はいしつか殺人倶楽部の事になっていた。冴子もまた、優達と同じグループに所属する、殺人倶楽部の会員であった。


***


 その日、犬飼一は雪岡研究所を訪れた。

 目的はただの顔見せだ。殺人倶楽部の件で、雪岡純子とは懇意になったし、研究所にはみどりもいる。


「イェアー、相変わらず野菜しか食ってなさそうな体だね、犬飼さん」

「肉も食ってるけど、小食なだけだよ」


 リビングへと通されるなり、片手をあげて声をかけてくるみどりに、犬飼は微笑みながら返す。


「殺人倶楽部の異変、気がついているかい?」


 ソファーに腰を下ろした犬飼は、純子の方を向いて尋ねる。


「フリーの情報屋を総動員して、なるべく会員の動きは倶楽部活動以外でもチェックしてるんだが、何人か消えてるぜ」


 その情報屋を雇う資金は、殺人映像の販売によって賄われている。警察上層部への山吹色の菓子等の工作資金も要るため、殺人倶楽部運営にはかなりの資金がかかる。


「会員が誰かに殺されてるっていうのー?」

 呑気な声で再確認する純子。


「ああ。完全に殺人倶楽部の動きも会員も知ったうえで狙ってるみたいだぞ。これはちょっと脅威だと思うんだが、どうするね?」


 今まで順風満帆な運営を行っていた殺人倶楽部であるが、活動が活動であるが故に、とうとう敵が現れた。いや、元々こんなことをすれば、敵が現れてもおかしくないと思っていたし、犬飼は特に慌てた様子も無いが、放置することもできない。


「純姉……それってひょっとして……」

「んー、あれかもねえ……」


 みどりと純子が互いに苦笑しながら顔を見合わせる。


「おや? 心当たりあるのかい?」

 犬飼が興味深そうに微笑み、尋ねる。


「凄くあるけど……んー……どうしたものかなあ」

 笑顔で頬をかく純子。


「まあ、心当たりそのままだったら、優ちゃんに危険が及ぶことはないと思うから、放っておいていいと思うよー」

「そっかー。それなら別にいいや」


 純子が余裕風を吹かせているし、何より優の安全が保障されるなら、自分が心配することは何も無いとする犬飼であった。


***


 僥倖――彼は宝くじの一等を当て、億単位の金を得るよりもずっと素晴らしい幸運を得たと、信じて疑っていなかった。

 金ではどうにもできない領域が、この世にはある。金では買えない特権を自分は得た。彼はそう思い込んでいた。

 殺人倶楽部なるものに会員応募して、当選した彼は、ルールに従って殺しの快楽に身を投じた。いや、ただ殺すだけではない。むしろ殺しよりも別の行為の方が、彼にとってのメインと言えた。


 もちろん殺しも楽しい。自分は選ばれた者だと、全能感に酔いしれることができる。殺人倶楽部という素晴らしい組織に入れたことへの悦びは、常に意識している。街中ですれ違う他者と、選ばれた自分という存在を意識して、見下し、悦に入っていられる。常に至福の状態。


 その彼にとって、今日は待ちに待った殺人解禁の日。

 フリー殺人は、一ヶ月に殺せる人数が定められている。彼は二人までしか殺せない。早く会員レベルを上げて、殺人上限数を上げたいと思うが、殺人経験値が多く入る依頼殺人は、中々巡ってこない。


 オーナーの非公式に存在する、殺人倶楽部会員同士のコミュニティサイトで知った話によると、殺人倶楽部会員の中には、何人かで集ってグループを結成している者達がいるという。そういったグループは複数存在し、依頼殺人はグループに優先される傾向にあるのではないかと、言われていた。

 他人とつるむなど、彼にはできない。例え殺人倶楽部の会員相手であろうと、自分の性癖を他人に知られたくも無い。もっとも、自分の殺人を揉み消してくれている警察には、知られてしまっているだろうが。


 殺人許可の申請も通り、彼はいざ殺人の実行へと向かう。

 とある小学校の校門前にて、彼は標的が出てくるのを張りこむ。彼の姿は、通行人には見えていない。そういう能力を雪岡研究所で授かった。


 標的の少女が現れ、彼はその脂肪まみれのぶくぶくの顔に、にんまりと不気味な笑みをひろげる。


 少女が一人で下校しているのを確認し、彼は能力の効果が及ぶ範囲を広げる。

 少女にも自分の能力が及んだのを確認し、彼は少女の前に立ち塞がった。


 突然目の前に現れた薄気味悪い肥満体の男に、少女は固まった。自分を見下ろし、汚い歯を見せ、目をいやらしく細めて、にやにやと笑っている。


「さあて、今月のお楽しみ第一号だぁ。光栄に思えよぉ~」


 ネチっこい声で言い、彼はズボンとトランクスを一気に下ろして、少女の眼前に、戦闘体勢の己をさらけ出した。


 息を飲む少女に、彼は体重120キロ越えの体で覆いかぶさる。


「きゃーっ!」

「ははは、泣き叫べっ。誰も助けてはくれないけどなあぁぁっ」

「助けてーっ!」


 すぐ横を歩く通行人に向かって叫ぶが、まるで自分達が見えていないかのように、通り過ぎていく。


 彼が能力を発動させると、発動前に誰にも認識されていない状態であれば、視覚的にも聴覚的にも一切認識されなくなるというものである。これは自分にも他人にも使える。

 ただし、誰かに認識されている最中では発動しないし、他人へ干渉する際は、自分にも他人にも同じ能力を用いておかなければならない。相手に能力がかかっていないと、他人に触れただけで能力は解けてしまう。


 他にも、臭いは消せない。三分間しかもたない。能力を他者に用いた場合、その対象からは認識される。鋭敏で勘のいい人間や霊感が優れた人間には悟られてしまい――悟られた瞬間に能力が解ける等、欠点も多々ある。

 三分しかもたないという欠点は、彼にとって問題はない。一分ももたない早漏であるが故。


 彼が少女の服をひきちぎろうとしたその刹那、何かが弾けた音が響き、彼の肩から血が噴き出し、少女の顔に少しかかった。


「はあっ!?」


 後ろから肩を銃で撃たれたという事実を、彼は飲み込めなかった。


「こんな奴も会員にするとか……人選を完全に放棄して……」


 後ろから声がかかり、彼が振り返ると、銃を手にした制服姿の小柄な美少年が佇んでいた。


 そしてこの時点でようやく彼は、凶暴とも呼べる凄まじい殺気が、自分へと向けられている事に気がつく。殺気を放っているのは、今、自分を撃った少年だ。


「殺人倶楽部なんかに入ったのが運のつきだ。大人しく一般ぴーぷるしてればよかったんだ」


 淡々と告げ、少年――真はさらに引き金を引く。


「あぎいっ!」

 今度は腹部を撃たれ、少女の横に崩れ落ちる。


「しかもいかにも犯罪しやすい能力を与えるとか……。まあ、弱点も多いようだし、超常の能力者は元より、裏通りの住人にさえ効かなさそうだが」


 その台詞に彼は愕然とする。自分が殺人倶楽部の会員であることも知っている。自分の行いも知っている。それどころか自分の能力さえ知っているような口振り。


「な、何で……」

「お前のような特にタチの悪い奴は、見過ごさないことにしている」


 そう言って、さらに何発も銃弾を打ち込む真。趣味ではないが、嬲り殺しだ。この男がこれまでしてきたことを考えれば、楽に死なせてやるより、たっぷりと恐怖と苦痛と絶望を味あわせた方がよい。

 やがて彼は動かなくなる。


「地獄へ落ちろ」


 死体を見下ろし、真が陰にこもった声で言った。滅多にこんなストレートな毒は吐かない真であるが、この男がこれまでにどれだけの娘を陵辱して殺したか、そしてその遺族を哀しませたかを、つい意識してしまったが故に。


(僕がもう少し早く気がついていればな。殺人倶楽部会員の数が増えすぎて、動きを追うのも一苦労だ)


 震えて自分を見上げる少女を一瞥し、声はかけることなく、真は背を向けて歩き出した。通りがかった通行人が、死体を見て悲鳴をあげていたようだが、それも意に介さない。


 純子の手前ではそろそろ妨害しようかなどと口にしていたが、実際にはもう大分前から、殺人倶楽部の会員の殺害を継続的に行っている真であった。

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