第二十四章 35

 累と波兵は、広間の奥にある穴から山を見下ろしていたが、ここからでは戦いの様子は見えない。妖気の激しいぶつかりあいは感じているが、戦っているのは反対側だ。


「平和だなあ。うん」

 波兵が呟く。


「妖怪も元は人間。心は人間と何も変わらない。人間同様に争いが大好き。結局戦ってる奴等は戦うことが大好き。そうだよな」

「そうでしょうね……」

「戦う目的云々よりも、本当は皆戦いたくて戦ってる気がする。そういう本能があるんじゃないかな。大儀なんて後付けの言い訳みたいなもんでさ」

「そうでしょうね。少なくとも僕は……そんな言い訳はしません。戦いたいから戦うだけです」


 波兵がどうしてこんな話をするのは、累はこの時点では図りかねたが、真面目に聞いていた。


「灰龍が言っていた。二つの気持ちで揺れて、迷っていても、一つの答えに向かうと。俺も正にそうだったけど、答えが出そうだよ」


 累の方を向いて、波兵は照れくさそうに微笑んだ。


「俺、忘れることにする。湧き起こる、この世に対してのこの暗い感情、全部抑えて忘れる努力する。そして……普通に生きる努力してみる。凄く大変だと思うけど、頑張ってみる」

「そうですか……」


 寂しい気分になりながらも、累は励ましの意を込めて微笑んでみせる。


「雫野、お前とは道を違える事になるかもしれないけど、別にお前のこと嫌いになったわけじゃない。俺、もうお前以外には、自分の正体は明かさない。この暗い気持ちも見せない。お前が唯一人、それを知る友だ。お前だけだ。今この事実は、ねじ曲げようがない。そうだろ?」

「そうですよ」


 気の利いた言葉が思い浮かばない累だが、この短い肯定の言葉は、紛れも無い累の本心だ。


(僕が寂しがっていることをわかって、慰めてくれているんですね……。自分が情けないです……)


 そう思い、溜息をつきたくなる累であった。


「くうぅぅぅぅ」


 そこに、先程まで寝ていた獣之帝が、唸りながらやってきた。


「妖気に反応したか」

 波兵が呟く。


「くぅぁあぁ」


 累と波兵を一瞥して、出陣の挨拶でもするように唸ると、獣之帝は風を呼びよせ、翅を広げ、風に乗って飛び立つ。


「これで灰龍達の……思い通りになりますかね」


 あっという間に飛び去っていく獣之帝を見やり、累は呟いた。


***


 足斬り童子の参戦でひっくり返ると思った戦況が、綾音の参戦でさらにひっくり返った。


(ははは……綾音ってこんなに強かったのか……)


 妖達を次から次へと薙ぎ倒していく綾音を見つつ、宗佑は両足の止血をしながら力なく笑う。


「お、おのれえっ!」


 仲間の足斬り童子がどんどん死んでいく様を目の当たりにして、左京は激昂して綾音へと突っこんでいく。

 術ではなく、綾音は刀を一閃させて、左京をあっさりと斬り捨てる。


「左京様っ」

「左京!」


 部下の足斬りと、青葉が声をあげる。


「ぐぬぬぬ……撤退だ!」


 青葉の指示に応じ、腕斬りも足斬りもその場を離れだす。

 しかし撤退を口にした青葉は下がらず、綾音の方へと向かっていく。自分が食い止めている間に、部下を逃がそうという算段だ。


 綾音が青葉に向かって刀を突き出す。青葉はかわせぬと見て、四本の腕と二本の斧で、体を守った。

 手で喉を守っていたため、手が貫かれただけで、致命傷には至らなかった。素早く腕を振り払う青葉。流石に腕力は綾音に勝っていたため、握った刀ごと体勢を崩す綾音。


 青葉の狙いは綾音ではなかった。綾音が隙を見せても、攻撃しようとはしない。


 倒れている左京の体を抱え上げ、走り出す青葉。

 完全に隙を見せて逃げる青葉に、綾音は躊躇する。この時の迷いを、綾音はずっと後悔する事になる。


「食らえ!」


 綾音に切られて意識を失くしていると思われた左京が、突然叫び、青葉に担がれた状態で鉈を投げた。


「ぐふっ……」


 左京の執念が実り、鉈は宗佑の腹部に突き刺さる。


「余計なことをするな!」


 青葉が怒鳴り、そのまま走り去る。これではせっかく敵が見逃してくれていたというのに、怒って追撃されるではないかと。


「宗佑さんっ」


 綾音は青葉達を追わず、宗佑の方へと駆け寄った。


 鉈は宗佑の腹部深くまで突き刺さり、宗佑は口から大量の血を吐き出していた。その顔には、死相が濃く浮きでている

 綾音は宗佑の頭を抱え、その顔を自分の胸へと押し付け、力強く抱きしめた。


「貴方は私とどこか似ています……。愛情に飢えていて……」


 宗佑の耳元で、綾音は涙声で囁く。


「俺の命は……誰かのために使うと決めたんだ……。望みがかなった……。俺の呪われた命でも……最期は……」


 最後は、自分の気持ちを表す言葉が見つからなかった。


(次に生まれる時には……もう少しまともな人生送りたい……。それも無理か? 殺しすぎちまったから……地獄に落ちるか、それとも来世もろくでもないか……。いや、例えろくでもなくても、もう……道を踏み外したくはないもんだ)


 柔らかく温かい感触に包まれながら、最期にそう思うと、宗佑は事切れた。


***


「たっだいまーっ」


 聞きなれた弾んだ声を耳にした時、志乃介は胸を撫で下ろした。


「遅いんだよっ! 早くあれをやっつけろ!」


 灰龍の方に視線を向けたまま、志乃介が弦螺に向かって叫ぶ。


「僕がいないと何もできない大人達、かっこわるーい」


 おどけた口調で言い、弦螺は空間転移する。


「ほう……」


 自分の顔のすぐ真横に転移してきた弦螺を見て、灰龍は感嘆の声を漏らす。

 弦螺の両手から白い光線のようなものが何本も、様々な角度で放たれる。放たれた光線は途中で何度も折れ曲がりながら、上、下、前、後ろ、横、斜め、様々な角度でもって、灰龍の様々な部位を貫く。


「半分は晦まし。半分は本物」


 巨大な顔を弦螺へと向け、涼やかな声で灰龍は言った。


「君の幻術は視覚だけではなく、感覚にも訴えるものか。よく出来ているな。瞬時に見極めるのは中々骨が折れる」


 瞬時に見極め、本物の攻撃だけを最小限の範囲の力場で防いだ灰龍である。全体を力場で覆えば、力が分散され、攻撃を防げないことも、瞬時に見抜いた。


「骨の折れそうな相手で嬉しいなあ」


 嘯く弦螺であったが、彼は悟っていた。同じ龍の妖と言っても、先程の黒牙翁などとは、まるで比べ物にならぬ力の持ち主だと。


「支援、頼むね。僕だけでは確実に仕留められる保障無いと思う。三割くらいの確率で、僕、負けちゃうと思うよう」


 灰龍を間近で見据えたまま、朽縄の三人を意識して言う弦螺。


 灰龍が口を開く、弦螺が転移して逃げるが、灰龍はおかまいなしに、目が眩むような、長く尾を引く光弾を口から吐いた。

 光弾はまるで生き物のような動きで激しく弧を描き、転移先の弦螺に飛来する。


 時間を空けずに連続して転移はできなかったが、弦螺は空間を歪めてこの光弾を逸らす。しかし際どい所だった。弦螺の全身から脂汗が噴き出る。


 さらに灰龍は数発の光弾を追加して吐き出す。最初の光弾もまだ空を舞っている。


 弦螺は地面へと転移して降り立つ。その弦螺めがけて、光弾が降り注ぐ。

 周囲の空間を歪めて光弾を地面へと当てる。これによって光弾を消そうと目論んだが、光弾が大爆発を起こし、弦螺の体が吹き飛んだかのように見えた。


(幻覚だ)


 光弾の爆発は本物だが、弦螺は生きていることを見抜く灰龍。自分の上空に気配を感じる。


 弦螺だけに気をとられてはいない。蛙丘の放った獣符が巨大な雨虎(アメフラシ)となって、灰龍の真下から飛びかかってきた。触れると具体的にどうなるかは不明だが、悪影響があるのは確かだ。力場の盾を作って、雨虎の激突を防ぐ。


 空飛ぶ鮫が一体、灰龍の胴に食らいつく。巨大雨虎の影に隠れていたようだ。これによって、灰龍の気が少し削がれた。


 弦螺が灰龍に向かって腕を突き出し、気を集中させる。


 灰龍が残った光弾を操作し、弦螺へと向けて飛来させる。


 そこに、回転しながら空を飛ぶ数匹の大きな亀が飛来し、光弾へと衝突し、全ての光弾を爆発させて無力化した。志乃介の獣符であった。


 弦螺が気で練り上げた長大な針を腕から放つ。灰龍は力場でこれを防ごうとしたが、一転集中された気の針は、灰龍の力場の盾をやすやすと貫き、灰龍の頭部を串刺しにした。


「かわせばよかったのにねえ。でもかわされなくてよかった……」


 ゆっくりと崩れる灰龍を見て、弦螺が荒い息をつきながら呟いたその時――


 強大な妖気の接近と共に、凄まじい突風が吹き荒れ、その場にいる全員の顔色が変わった。


「くあっ」


 声と共に、上から物凄い力で殴りつけられ、弦螺の体が吹き飛ばされ、灰龍の体の上へと叩きつけられる。


「弦螺!」


 志乃介が叫び、弦螺へと視線を向ける。蜜房と蛙丘は、先程まで弦螺がいた場所に制止している、獣之帝へと視線を向けていた。


「くぅうあああああぁあぁぁぁぁぁあぁぁ!」


 まるで灰龍の死を嘆き、悼むかのように、獣之帝が灰龍を見下ろしながら凄まじい音量で咆哮をあげた。

 その咆哮を耳にし、朽縄の妖術師三名はもとより、山中で戦闘中の妖怪と妖術師の多くが、正体不明の恐怖で動きを止めた。


「寒い……?」


 蜜房が呟く。今の咆哮が激しき恐怖を引き起こす効果があるのはわかったが、周囲の気温がひどく下がっている。

 やがて肌が痛むほどの温度へと変わり、きらきらと輝く氷晶――細氷が周囲を覆い尽くした。


「何これ……」


 寒さに身を凍えさせながらも、辺り一帯に煌く氷の粒が舞うその幻想的な光景に、蜜房は呻く。


 蜜房の目の前に、獣之帝が高速飛翔して降り立つ。

 ただでさえ帝の咆哮に恐怖し、さらには急激な体温の低下で、身も心も冷え切っていた蜜房は、さらに恐怖を助長され、歯をかち鳴らして震えていた。


「くぅあぁ」


 そんな蜜房に向けて、優しい笑顔を見せ、ゆっくりと抱きしめる獣之帝。その体温のぬくもりに、蜜房は心がとろけそうになる。


「くうぅぅぅぅ……」


 蜜房を抱えたまま飛翔し、灰龍の亡骸を一瞥して、獣之帝はひどく哀しげな声を発した。


「蜜房さん……」


 身を震わせながら、蜜房を連れて飛び去る獣之帝を、志乃介はどうにもできずに見送った。


***


「今のを聞いたか?」


 逃亡中の青葉が立ち止まる。


「うむ。帝の咆哮だ……全ての者を慄かせる、怒りの咆哮。私が耳にするのはこれで三度目だ。腹の底まで響く……恐ろしくも神々しい怒りよ」


 実際には怒っていたかどうかなど定かではないが、左京は勝手にそう解釈していた。


「帝が来たならば、逃げることはない。勝てるぞ。引き返してもう一度戦うのだ」

『おおっ』


 左京の命に、足斬りも腕斬りも応じた。この判断が大きな間違いであったことを、彼等はすぐに思い知る事になる。


***


 綾音と桃島達も、獣之帝の咆哮を耳にしていた。


「あれは……獣之帝ですね。蜜房さん達のいる方です」

 綾音が言う。


「本陣を急襲した可能性があるな。戻るぞ」

「はい」


 桃島の命に頷き、綾音、桃島の側近、その他妖術師達が走り出す。


 と、その上空を獣之帝が飛び去った。


「今のは、獣之帝か。速かったが、確かに見た。しかも……」

「ええ、蜜房さんを……」


 桃島と綾音が立ち止まって喋っていたその時である。


「くああっ」


 飛び去ったはずの獣之帝が引き返してきて、綾音のすぐ真横に下りてきた。


 一同、硬直する中、綾音が真っ先に反応して刀に手をかけたが、刀が抜かれるより速く、獣之帝が空いている手で、綾音の細い胴を抱きすくめた。


「綾音殿っ、蜜房殿っ」

 桃島が反応して叫ぶ。


「くぅ」


 獣之帝は桃島を一瞥して、まるで挨拶するかのように一声鳴くと、綾音と蜜房を両脇にそれぞれ抱えたまま、飛翔した。


(泣いていた……)


 自分を見た獣之帝の顔に、確かな涙の跡があったのを桃島は見た。おそらく、彼にとって親しい妖が討たれたのだろうと、桃島は察した。

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