第二十四章 36
累と波兵は山の中を走って帝の後を追うが、道も無い山中の移動は中々キツいものがある。
「着いたら終わってるかもな」
「ええ」
波兵の言葉に、累が頷く。無駄足かもしれないが、黙って待ってもいられない。
(嫌な予感がする……。他はどうでもいいとして、蜜房と綾音にだけは危害が及んで欲しくないです)
累がそう思った矢先、また突風が吹き、巨大な妖気が急接近してくるのを感じる。
空を見上げると、帝が高速飛翔して洞窟へと戻るのが見えた。
「獣之帝だ。もうお帰りか。俺達も戻ろう……どうした?」
呆然としている累を見て、波兵が怪訝な面持ちになって問う。
速すぎて波兵の目には映らなかったようだが、累は確かに見た。獣之帝が、蜜房と綾音を抱えて飛んでいるのを。
***
獣之帝は洞窟の広間へと戻ると、綾音と蜜房をそっと下ろす。
周囲には何人もの娘がほぼ一箇所に固まっている。
「おかえりなさい」
「おかえりー」
「くうぁぁあ」
娘のうち何人かが声をかけ、獣之帝も笑顔で声を発し、何人かの頭を撫でたり頬ずりをしたりしている。
「貴女達は?」
彼女達が何なのか想像はつくが、あえて尋ねる蜜房。
「私達は化け物にさらわれたんです。獣之帝の慰み物にされるため」
「別に慰み物にされているつもりもないけど」
娘の一人が答えると、別の娘が否定する。
「本気で帰りたいとは思わない子しか、ここには残っていないじゃない。本気で帰りたいと思って泣いていた子は、彼がちゃんと帰したようだし」
寝転がった娘が皮肉げに言った。
「きっと貴女達もそうなるわ。病み付きになる……」
娘の一人が蜜房に妖しい視線を這わせて、ねっとりとした声で言った。
蜜房がおぞましさを覚えて顔をしかめていると、獣之帝が蜜房の体を後ろから抱きしめてくる。
「くうぅ……」
「こらこらっ、やめっ……やめなさいっ」
耳元で甘い息と甘い声をかけてくる獣之帝に、目を丸くして声をあげ、じたばたともがく蜜房。
「彼はすごく純粋なの。優しいしね。すぐに心まで虜になるわ」
娘達の言葉を聞いて、蜜房と綾音は、獣之帝に異性を虜にするような能力が備わっているのではないかと勘繰る。
「やめなさいってっ!」
「くううぅ~……」
激しく抵抗して振り払うと、途中で行為を止め、悲しげかつ物欲しげな目で蜜房を見つめ、同様の声を発する帝。
「くぅ」
そっと蜜房の胸に手を伸ばす獣之帝だったが、その手を叩くと、また哀しげな顔になる。
(確かに純粋で……まるで子供)
傍で見ていて、綾音は思う。何となく累とも一脈通じるものを感じる。
すぐにまた蜜房にすりよりだす獣之帝だが、蜜房はそれをひっぺがして拒む。
「その子、拒めば拒むほど執着してしつこいのよ」
わりと歳のいった女性が微笑みながら言った。
「拒めばすぐ引っ込むし、嫌がっているうちは絶対に、無理矢理組み敷くようなことはしないけどね。でもしばらくしたら、貴女達も抵抗しなくなって、受け入れるわ」
からかう響きでもなく、諦めたように言う彼女の言葉を聞き、蜜房と綾音はぞっとしない気分になった。
(でもまあ、嫌いにはなれないわね。子猫がそのまま大きくなった感じみたいだし)
獣之帝の愛らしい顔を見て、蜜房は思う。
蜜房が拒み続けるので、獣之帝は、今度は綾音の方にちょっかいをかけだした。
「ちょっ、ちょっとっ」
抱きついて頬ずりしてくる獣之帝に、綾音は慌てふためく。
「こら、やめなさいって」
獣之帝を後ろから引き剥がす蜜房を見て、自分は蜜房が迫られている時に助けず傍観していたのに、蜜房にはすぐさま助けてもらった事を、綾音は恥ずかしく思う。
「ほら、こっちにおいで」
それだけではなく、蜜房は獣之帝の頭を抱きしめ、胸に押し付ける。
「綾音ちゃん、この子を殺せる?」
獣之帝を完全に隙だらけの状態にして、蜜房が尋ねる。
「やめてくださいっ」
「冗談じゃないわっ。彼が何をしたって言うのっ」
「あんたらは黙れ」
蜜房の言葉を聞き、凍りつき、あるいは抗議の声をあげる娘達。しかし蜜房はそれを、ドスの利いた声で一蹴する。
「できません。相手に敵意も戦意も無く、しかも後ろから狙うような卑怯な行為は」
綾音はきっぱりと言った。娘達が胸を撫で下ろす。
「それに獣之帝は――ただ本能の赴くまま生きているだけのようです。他の妖達とはまるで違う。その力を見込まれて彼等に利用されているだけなら、獣之帝の討伐など行う必要も無いですし」
「私も同感ね。でも一応……ん……意見を……あっ、ちょっ……やめ……」
獣之帝に敏感な部分を巧みにまさぐられ、会話途中に裏声をあげる蜜房を見て、綾音は目を背ける。
「殺したくないならそれでいい。だったら、今のうちに逃げなさい」
「蜜房さんを置いて――いえ、蜜房さんが獣之帝をひきつけているうちにですか? それも出来ません」
きっぱりと告げる綾音。
「じゃあ二人して……あふんっ……、この子の情婦になるの? 貴女が望むのなああっ……望むのなら、止めはしないけど、二人してえっ……はふっ……んっ……こら、そこはやめっ、ひっ、一人助かるのなら助かった方がいいでしょっ」
獣之帝の愛撫を受けながらも、綾音を逃がすためになるべく拒まず、行為を受け入れているうちに、蜜房も段々と変な気分になってくる。
「理屈ではそうです。でも、できません。もしその考えが正しいのでしたら、私がこの子と目合いますから、その間に蜜房さんが逃げてください」
「馬鹿ね……本当に……」
蜜房が獣符を出した。
「くぅ……」
闘気を感じ取り、素早く蜜房から離れ、身構える獣之帝。
戦闘体勢に入った帝の体からは、見ただけで圧倒されそうなほどの闘気で漲っている。
「純粋だろうと何だろうと、女の子を手込めにする妖のいいようにはさせないわ」
服の乱れそのままで立ち上がり、蜜房は術を発動させる。
「愚媚人葬」
それを見て綾音も戦闘に入ることを決意し、先に仕掛ける。
赤い花びらが大量に舞い、獣之帝に付着する。
この術を用いるのは、分の悪い賭けであると、綾音は思う。通じればそれで平和的に終わる。精神の鎮静作用がある術だが、その効果は負の念を抱く者ほど大きい。しかし純粋無垢な獣之帝に果たして効果があるのか、かなり疑問だ。
「くううぅぁ……」
しかし闘争心を抑える効果はちゃんと働いたようで、獣之帝は穏やかな一声と共に、その場にへたりこむ。
「蜜房さんも落ち着いてください。そのまま戦う気でいれば、術の効果はすぐ解除されてしまうと思います」
本当に一時的な鎮静化にしかならないと、術のかかり具合を見て、綾音は判断した。
正直、綾音は蜜房が戦って勝てるとは思えない。自分が加わり、とっておきの封印術である『黒いカーテン』も用いれば、勝てる見込みもあるかもしれないが、それでもなお、勝機は薄い気がする。
「もし戦うことを考慮するなら、獣之帝にさらわれた父上の到着を待った方がよいでしょう。何故姿が見えないのか、謎ですが」
「言われてみればそうね。すっかり忘れてた」
綾音に言われ、蜜房はようやく累の存在を思い出す。
「貴女達、ここに金色の髪と緑の目をした子が……」
女達に話しかけようとしたら、女達が数人がかりで飛びかかってきて、蜜房を押さえ込んだ。
同様に綾音にも飛びかかったが、こちらはかわす。
「動かないでっ! この人がどうなってもいいのっ!?」
蜜房の上に乗った女が、綾音の方を向いて威嚇する。
「貴女達に獣之帝を傷つけさせはしない。獣之帝の虜になって、逆らう気なんて失くしてもらうわ」
蜜房の右腕をおさえている少女が言うと、蜜房の服を脱がしにかかった。
綾音が制止しようとしたが、手の空いた女達が立ち塞がる。
「いい。綾音ちゃん、手を出さないで。この子達を傷つけることもない。私が犠牲になればいい」
半裸になった蜜房が制止する。
「綾音ちゃん、今度こそ逃げて。これが……」
言いかけた言葉が止まる。獣之帝がいつしか移動し、蜜房に覆いかぶさってきたからだ。
(手荒なことはしたくありませんでしたが、致し方ない)
綾音が女達の首筋に手刀を振るい、気絶させ、蜜房の方へと向かう。
「くあぁっ」
それを見て、獣之帝が咎めるような声をあげると、蜜房から離れ、綾音の前まで一気に跳躍した。
空中ですれ違い様、獣之帝は、綾音が女達にしたように首筋に手刀を入れて、綾音を気絶させる。
「綾音ちゃんっ」
女達に仰向けに押さえつけられたまま、首だけ持ち上げて綾音の方を見る蜜房。
その蜜房に、獣之帝がゆっくりと歩みよる。
「くうぅ……」
咎めるように一声鳴き、蜜房を押さえている女達を睨んで威嚇する獣之帝。女達がそそくさと離れる。
蜜房の側に腰を下ろすと、顔を寄せて頬ずりして、同時に頭も手で撫でる。
(いじめられていたと思って、慰めてくれているの?)
獣之帝の気持ちが通じ、蜜房は胸がときめくのを感じていた。
これまでずっと蜜房も、弱い立場にある者に目をかけるように心がけて生きていた。そうするようにと、朽縄の家ではしつこく教えられてきたし、それを自然と受け入れた。
だが自分がそのような立場と見られて、かばわれて守られるという体験は、生まれて初めての事だった。
自分のやってきた事と同じ事を自分に向けられ、蜜房は獣之帝に対して、何もかも許して投げ出してしまいたいような、そんな気持ちに陥っていた。
***
累が洞窟へと戻る。累は未だ涼しい顔をしているが、波兵は険しい山道の上り下りが堪えて、途中で息を切らして立ち止まり、一休みしてから行くという事になった。
(この声は……)
まだ広間まで距離があるが、よく音の響く洞窟であるが故、広間の声がここまで届く。
女の喘ぎ声だ。ここにいれば珍しいことではない。獣之帝はしょっちゅうやっている。
しかしその声に累は聞き覚えがあった。
ここに来る前に蜜房と綾音が獣之帝に抱えられていたのも目撃している。猛烈に嫌な予感がして、累は総毛立つ。
広間に駆け足で戻り、目に入った光景に、累の頭の中は真っ白になった。
累が見たのは、半裸の状態でうつ伏せに倒れ、草の上に涎を垂らして満ち足りた顔をしている蜜房と、綾音に覆いかぶさっている獣之帝という構図であった。
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