第二十四章 26

 日が暮れて、あやかし達にとって待望の時間がやってきた。


「ぎゃあああっ!」


 突然現れた赤鹿の妖怪。その口から吹かれた唾液を浴び、焼け付くような痛みと共に顔を溶かされ、悲鳴をあげる男。


「今日は決戦の日じゃ。遠慮なく沢山殺してまわるぞい」


 鹿流という名の鹿の妖怪が、たった今殺害したばかりの男を見下ろし、心地よさそうに笑う。


「よい感じに邪気が満ちてきておる。まだ夜は長いというのに、皆はりきっているようじゃの」


 雲一つない夜空を見上げ、鹿流は呟いた。


***


 夜になり、波兵は適当に住宅街をぶらついていた。

 灰龍の指令により、昨夜から東京中で妖怪達が暴れている。今日は特に大暴れする決戦の日だと言われていたものの、しかし波兵は特に何もしていない。


(あいつらの陰謀に真面目に加担した所でな……。何か益があるわけでもなし)


 何よりも彼等に加担した場合、累と敵対しそうで、それが一番嫌だった。


「波兵」

 その累が突然目の前に現れたので、波兵は驚いた。


「交戦はしていないようですね……。よかった」

「どうしたんだ? まさか俺に会いにきたのか? よく俺の居場所がわかったな」

「波兵の妖気は特徴的ですから、わりと探査が楽……なんです。ついでに言うと、見つけやすいように、こっそりと術で仕掛けもしておきました……」


 雫野流の妖術の極意の一つには、精神世界への干渉もある。相手の精神波を辿って居場所の特定も、ある程度は出来る。ただし先に会って、その人物の精神波を解析しておく必要があるが。


「昨夜からそこら中で妖怪達が暴れていると聞きまして……。帝都にいる大半の術師が、その対処に……当たっています。そういう指令が出ました。波兵もその……彼等の仲間ですから、同じように暴れて、どこかの術師と交戦していないかと思いまして……」

「俺のことを心配して来てくれたのか。ありがとうな。でも大丈夫だ。暴れちゃいない。暴れろって言われたけど、何か気乗りしなくてよ」


 妖達を利用するつもりで彼等と加担していると口にしていたし、腹の立った相手以外は殺す気になれないとも言っていた波兵である。そのような命令に従わぬ自然なことと、累には感じられた。


「いい夜だなあ、晴れ渡っててさ」

 歩きながら、波兵はぽつりと呟く。


「夜空は全てを包み込む優しい癒しの母」


 後ろで発せられた呟きに、驚いたような顔で波兵が振り返り、累の顔を見た。


「随分と詩人じゃないか、雫野。いい表現だ。まさにそれだ」

「いえ……僕ではなく、僕の下宿先の作家の方の作品の題名です……」


 その作品はさっぱりと売れなかったそうだが、累はその題名だけは気に入っていた。


「そんな感じするよ。青空の下では無い感覚だ。包まれている感覚はある。眠らせるための時間だからな。心を落ち着かせる。夜空の魔力が、昼とは異なる心に導く。俺の心も静かに、素直になる……」

「僕は逆……ですね。はしゃぎたくなる心境です」


 累が言った。


「多くの人間が鎮まる時間だからこそ、僕の時間……だと、そう思えるんです……。今は僕にとっての時間……。僕が自由にしていい世界だと……」

「ふーん。そういう捉え方もあるか」

「波兵は……普通に戻りたいと口にしていましたが、僕にとっては、『普通』は敵にも等しいほどに、遠い存在ですから……ね。普通が溢れかえっている昼より、普通が寝静まっている……夜の方が、安心できるんですよ」

「俺は雫野の敵になることを憧れていたのか……。そして俺が普通じゃないから、雫野は俺と付き合っているのか。珍妙にして皮肉だな」


 累の話を聞き、興味深そうな声をあげる波兵。


「気を悪く……しました?」

「いや、そんなことはない。でも複雑だ。それより、あっちから妖気を感じるんだけど」


 大通りを歩きながら喋っていた二人であるが、波兵が狭い裏路地を指す。


「僕も……感じていました。どうも、戦闘が行われているようです。行って……みますか?」

「応、野次馬に行こう。ちょっかいだしてもいいしな」


 人懐っこい笑みをひろげて、波兵は累の提案に賛成し、先に駆け出した。


 累が言った通り、裏路地の奥では、妖術師と妖怪が交戦中だった。妖怪は、二つの頭を持つ人ほどの大きさもある狐で、その上空には四つの青白い鬼火が旋回し、不規則な動きで妖術師に降り注いでは、狐の頭上へと戻る。明らかに妖術師は防戦一方で、押されている。


「どうする……? 妖術師の方は助けなくていいのか?」


 人間側につく立場であるこそを示唆し、波兵が累に伺う。


「それは君も同じことでしょう。でも、君は腹の立った相手でないと、殺す気になれないと……言ってましたし、無理そうでしょう」


 そう言って累は刀を呼び出し、交戦している妖術師と二頭狐の方へと歩いていった。


「助太刀します」

「何?」


 突然現れた累に向かって、荒い息をつきながら、怪訝な表情になる妖術師。


 二頭狐が累に攻撃の矛先を変え、累めがけて鬼火を放つ。

 累は刀で鬼火を打ち払い、一気に二頭狐の懐まで突っこむと、首の下辺りを刀で貫いていた。


「クキェーッ!」


 断末魔の悲鳴をあげ、四つの恨めしげな視線を累に浴びせ、二頭狐は果てた。


「余計なことをするなっ、童っ。せっかくワシが手柄をあげようとしていたものをっ」


 どう見ても劣勢だった妖術師が激昂して、累に噛み付く。

 馬鹿馬鹿しいので累は相手にせず立ち去ろうとしたが、その態度が余計に妖術師の癇に障った。


「貴様どこの者だ! 西洋人ではないかっ。西洋魔術師が我が国の術理を盗みにきたのか? いや、そうに違いないっ。妖を討てなかった手柄の代わりに、この小僧を……」


 妖術師の言葉は最後まで継げられなかった。

 いつの間にかすぐ側まで迫った波兵が、念動力による斬撃で、その首を切断していた。


「我ながら、案外あっさり腹が立って殺せるもんだ」


 呟いた直後、突風が吹く。腹さえ立てば、殺人を躊躇しない波兵であった。


「これでお互い、一応役目は最低限果たしたわけだ。って……急に風が強くなったな」


 吹き荒れる突風に、波兵は片目を瞑って少し身をかがめる。


「先程までそよ風すら無かったのですが……」


 その風も邪気の影響ではないかと勘繰る累であったが、よもや妖怪一個体の仕業とは、考えもしなかった。


***


 弦螺と志乃介は車で夜の東京市内を移動していた。


 あちらこちらに妖怪が出没して、暴れまわっている。昨日も中々にひどかったが、今日は昨日の比ではない。そこら中に妖怪の出現による妖気が発生し、畏れと死の絶望から発生する邪念が、都市に溢れかえっている。


「わりと妖怪の居場所、見つかるもんだな」

 運転席の志乃介が言う。


 帝都とその周辺のあちこちで一斉に暴れている妖怪であるが、車という足で移動しているので、彼等の居場所に辿り着くのも、思っていたより難しくなかった。


「すでに戦闘していたり、戦闘終わっていたりした所もあったしね~。僕らはまだ一度も戦ってないけど。あはは」

「笑っている場合じゃないだろう」


 たしなめつつも、こんな状況でもけらけら笑っているからこその弦螺だと、志乃介は思う。


***


 綾音と蜜房も、弦螺と志乃介と同様に車で移動し、妖気のある場所へと向かっていた。こちらは弦螺と志乃介の二人とは異なり、もう二度も戦闘している。


「もー、こんな時に累ちゃん、どこ行っちゃったのやら」

「すみません」

「綾音ちゃんが謝ることはないわよー。おっと、少し手強そうなのがいるわね」


 車の速度を上げる蜜房。

 着いた場所には、背中から茸を大量に生やし、長い白髭を顎から伸ばした、巨大な赤い鹿の妖怪であった。


「おほっ、手強そうなのが来たと思ったら、別嬪さんが二人かい」

 鹿の妖怪が嬉しそうな声をあげる。


「わしは鹿流という。こらーっと叱るではないぞ。鹿という字に流とか書く。よろしくな」

「朽縄蜜房よ。互いに過ごす時間は短いでしょうけど、こちらこそよろしく」

「雫野綾音」


 一応名乗りに応じる蜜房と綾音。例え妖が相手であろうと、殺しあう者同士で、相手が名乗ったのであれば、こちらも名乗るのが最低限の礼儀という心得であった。


「朽縄に雫野か。強者だとは思っておったが、こりゃとてもかなわん相手じゃのう。そろそろわしの命運も尽きたか」


 卑屈な言葉を口にして笑いながらも、鹿流は闘志に満ちている。だがその言葉に嘘も無い。戦えば負けると言う事もわかっている。


「逃げるという選択肢もありますよ。無益な戦いは望みませんし」

 綾音が告げる。


「何を言っておるかね。互いに立場があろう。それにの、わしはもう数多くの人間を殺してしまっておる。そんなわしが、いざ自分の命が惜しくなったら逃げ出すなど、そんな恥ずかしい真似はできんよ」

「別に恥ずかしくも無いと思うけどね。まあ……そういう不器用な潔さも、嫌いじゃないわ」


 鹿流の言葉を真に受けることは出来ないが、一応は相手に合わせる蜜房。


 その時、辺りに突風が吹き荒れ、三人の会話が止まる。

 今まで風一つ無かったというのに、文字通りの突然の風に、三人は顔をしかめて数秒沈黙したが、特に疑問に思うことも無かった。


「では、私が一人でお相手しましょう。それなら多少勝機があるかもしれませんよ?」


 そう言って綾音が前に進み出る。


「無い無い。お嬢ちゃん一人でも、余裕で負けるよ。しかし、ただで命をくれてやる気も……無いがの」


 それまでおどけた口調であった鹿流であったが、最後の言葉は真剣な声音に変わっていた。

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