第二十四章 25
高尾山。獣之帝の住処とするために掘った人工洞窟。
掘ったのは配下の妖怪達であるが、その後は獣之帝本人が様々な手を加え、見たこともないような快適にして美しい空間が出来上がった。
獣之帝は毎日この洞窟の広間にて、動物達と戯れていたり女達と交わったりしている。妖怪達が来ると、何故か笑顔で攻撃を仕掛けることが多いが、敵意や戦意を示さないと攻撃を止めるし、戦闘になったとしても、相手を殺すまでには至らない。
(普段は穏やかな性格をしておられるが、実の所、闘争心の塊なのであろう。力を持て余し、対等に戦える相手を望んでおられるのだ)
世話係である左京は、そう察する。
(しかし帝と互角に戦える相手など、果たしてこの世にいるのか? そういう意味では、帝にとって不幸と言わざるを得ないが……)
左京は帝を見つめながら、何とかできぬものかと思案する。
「くぅ~?」
狸と戯れていた獣之帝が、左京の視線に気がついて、にっこりと笑い、何の用かと問いかけるように一声発する。
「失礼。武の相手に不自由されていないかと思いまして」
会話は基本的に通じない獣之帝であるが、左京は獣之帝の前では、必ず思うことを口に出して話すことにしている。会話ができなくても、左京は煩わしいとは思わない。今はこちらの言葉が通じなくても、声に出して話しかけることが誠意であり敬意と信じ、また、いつかはこちらの気持ちも通じるかもしれないと、期待している。
「くぁあぁ」
笑顔のまま獣之帝が立ち上がると、翅を広げ、瞬時に左京の目の前まで飛んできた。
意表をつかれ、困惑する左京。両者の間には結構な距離が開いていたつもりだが、一瞬であった。
「くうぅ?」
獣之帝が、左京を指差す。いや、左京が携えている鉈を指差している。
「稽古をつけると……申されるか?」
左京はすぐに察し、二本の鉈を手に取り、立ち上がって構えてみせる。
「くぅあぁ~」
左京に自分の気持ちが伝わった事と、構える左京を見て、満足そうに笑う獣之帝。
「と、とてもかなわぬでしょうが、暇つぶしの戯事としても、全力でお相手し、退屈させぬよう心がける所存っ」
緊張し、震えた声で左京が宣言する。声だけではなく、体も震えている。
「くぁっ」
獣之帝が手招きする。
「でやーっ!」
小さな体で弾かれたように飛びかかる左京。
「くうっ」
そんな決死の左京を無情にも、腕一本振るって、難なく叩き落す獣之帝。もちろん十分に加減はしている。
「も、申し訳ありませぬ、全く相手にならずっ」
「くぅ」
平伏する左京を見下ろし、獣之帝は特に落胆した様子も見せず、微笑んだまま一声発すると、元いた場所に戻り、今度は娘達のうちの一人にじゃれつきはじめる。
ここにさらわれた女達も、さらわれてきたばかりの時に比べると、すっかり落ち着いている。獣之帝の純粋さにあてられたのだろうと左京は判断している。
(強さ、魅力、陛下は上に立つ者に相応しい資質を全て備えておられる)
心酔しきった面持ちで獣之帝を見ながら、左京は思う。会話ができないという難点に関しては、今の左京の頭には無かった。
***
「夜遊びとか、出歩くこと増えたわね。変な友達と付き合っていやしないかと、心配だわ」
学校に出る前の累に、蜜房が微笑みながら冗談めかす。
「僕の友達……ですから、変に決まってるでしょう」
そう言って累は微笑み返す。
「父上が親しい友人を作る事自体、稀なことです。よほど気の合う、大事なお友達なのでしょうから、多少のことは大目に見てあげてください」
大真面目に累のフォローのつもりの綾音であるが、それを聞いて、累は情けなさのあまり絶句し、蜜房は苦笑いを浮かべていた。そして二人の反応が、綾音には理解できなった。自分が何かおかしなことを言ったのかと、戸惑う。
「どっちが親かわからないわよねー」
「うるさいですね……」
「あ……失礼しました」
蜜房の言葉を聞いて、ようやく綾音は察する。
「でもさー、綾音ちゃんはいつだって累ちゃんのことを考えてるのよ? それはちゃんと累ちゃんも頭の中に入れておかないと駄目よぉ~?」
からかうように念押しする蜜房であるが、累は露骨に憮然として無言。
と、そこに三人共、術の気配を感じる。敵意も無く、微かな代物であるが。
蜜房が窓を見ると、連絡用の式神がへばりついている。
「志乃介からだわ。今夜警備にあたってくれってさ」
式に書かれている文章を読み、蜜房は眉をひそめる。
「昨夜の妖怪騒ぎの続きね。敵の狙いは大体わかるけど」
「人々の畏れをかきたて、この地に邪気を撒き散らし、妖の力をさらに強める」
綾音が蜜房の口にした、敵の狙いを言い当てる。
「加えて、邪気が満ちれば、災害の類も……発生しやすくなります……よ」
累が補足した。前にもこのようなことがあった。あの時は、長年かけて念入りな準備がなされ、国中に邪気が満ち溢れ、立て続けに災厄が降り注いだものだ。
「今夜が勝負になるかもだってさ。累ちゃん、綾音ちゃん、頑張ろうね」
「はい」
笑顔ではあるが気合いの入った声で告げる蜜房に、綾音は静かな声と共に、累は無言で頷いた。
***
その日、灰龍は帝国ホテルに泊まっていた。
桃島との戦いで敗走した青葉は、灰龍の前で経緯を語り、謝罪した。
「我ながら情けなや」
「いや、敵の情報を持ち帰っただけでも、収穫と考えよう」
むしろこれは重要な情報を得たとすら、灰龍は考える。かなりの強敵の存在と、その能力を知ることができたのだから。
「銀嵐館か。妖術師だけではなく、実に厄介な連中が敵に回ったものだ」
灰龍もその存在は知っていた。最初は華族の娯楽で作られた私設軍隊のようなものであったが、すぐに本格的な護衛集団へと変わり、数多くの功績をあげて、個人、企業、組織、政府問わず、誰からも依頼を受ける組織だという。
(いずれは軍隊や警察も動くのだ。人間全てが敵と化す。我々だけでは対処できぬが、こちらには切り札が二つある)
一つは左京の運命操作術であり、もう一つは獣之帝である。この二つは連動している。
「左京の運命操作術が完成したら、いよいよ獣之帝を帝都へと招き入れる。東京はほどなくして妖の都となろう」
「どうやって……?」
灰龍の言葉に、青葉が疑問を口にする。
獣之帝を首魁として立ててはいるものの、妖怪達は獣之帝の意思で動いているわけではない。それどころか、獣之帝とは、意思の疎通そのものがろくにとれない。何しろ会話そのものができないのだから。
「邪気、妖気が十分に立ち上れば、獣之帝は動くであろうと、左京が占った。東京で妖達を暴れさせるのは、そのためでもある。左京が運命操作術で後押しし、必ずや陛下が帝都へ向かうように仕向ける。そして敵となるものを陛下の前に誘き寄せる。さすれば……後は自然と戦ってくださるよ。獣之帝は、普段は無垢な小動物のようであるが、戦の気にあてられれば、瞬時に闘神と化す事は知っていよう」
「その理屈はわかるがな……。しかし……まるで本当に動物のような扱いであるな。仮にも我等の帝であるというのに」
青葉からすると、その辺が激しく引っかかる。その気持ちは灰龍にもわかる。
「こちらの都合で動かしてしまうという点に関しては……そう言われても反論できんな。我々の都合でただ利用しているようで、心苦しさはある。しかし崇敬の心も同時にあるぞ」
「何奴だ?」
会話途中、強い妖気を感じて、部屋の入り口を見る青葉。
「せめてノックをしてから尋ねるがいい」
扉を開けて入ってきた黒い和服姿の禿頭の老人が、面白くも無さそうに言う。
「黒牙翁。来てくれたのか」
灰龍の声に歓喜が宿る。
「うむ。七鱗輝坊主の呼び出しとあっては断れん。この命、お主に捧げてくれよう」
黒牙翁と呼ばれた老人が、にこりともせずに言った。ぶっきらぼうな御老体だと、青葉はその点だけに好感を抱く。
「失礼。この御仁は?」
青葉が灰龍の方に向かって尋ねた。
「私の同胞だ。同胞の生き残りと言った方がいいか」
「皆お主に殺されたからの」
椅子にかけようともせず、杖をついている割には腰をピンと伸ばしたまま、黒牙翁は皮肉げに言った。
「ちなみに七鱗輝というのは、灰龍という呼び名が着く前の私の名だ。私は人間を守るために、同族の龍達を殺した。その後、守った人間からも裏切られたがな。よくある話だ」
「よくあるのか?」
灰龍の言い草を聞いて、思わず苦笑いをこぼしてしまう青葉だった。
「そしてわしだけ、七鱗輝に賛同したからこうして生き延びておる。ま、そのやくたいもない命も、ここいらで一つ、燃やし尽くすとしよう」
そう言って黒牙翁は初めて笑ってみせた。枯れた――寂しい笑みのように、青葉の目には映った。
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