第二十四章 24
それは六年半ほど昔の話だった。
時代が激しく動いていく中、累は人里から離れた所に家を建ててひっそりと住み、相変わらず妖術と剣術の修練に励み、新たな術の作成の研究に明け暮れ、行き詰ると町へ降りていって、辻斬りや強姦をして暮らしていた。
強姦の方はともかく、辻斬りに関してはよほど苛々しない限り、行わなくなっていた。江戸時代初期の頃に比べて、大分憎悪の念は和らいできた。死者も生者も、怨念は一定量で持続するものではない。時間と共に薄れていく。
だが累の中には未だ負の念が残っている。薄まってきたとしても、消え去ったわけではない。
その日、累は性欲が溜まってきたので、解き放つために町へと降りた。
見た目が自分と同じか少し下くらいの組み敷きやすい年齢限定で、できれば好みの娘を繁華街で探す。
一応、顔が知られても面倒なので、行為を行う際は仮面をつけるつもりでいるが、町の中では素顔のままだ。しかし素顔でも目立つ。金髪翠眼の白人の子など、滅多にいるものではない。
和服姿でミルクホールの前を掃除している少女を発見し、累はその娘に決めた。
少女の前に行って一枚の絵をかざして見せる累。突然すぎる怪しい行為であるが、好奇心に勝る感情は無く、少女は絵を見てしまう。
「え? 何? どうしたのこれ?」
絵の中の亜空間に魂と肉体の両方を引きずり込まれ、周囲の風景が一変したことに、混乱と恐怖をきたす少女。
少女は森の中にいた。鬱蒼とした木々が生い茂り、そこかしこに様々な動物がいる。鳥もいる。鹿、リス、名前のわからぬ鳥、猿、それに熊までも。
それらの動物全てが、交尾の真っ最中であった。
木々を見ると、どの木も幹の一部が、大きく掘り込まれている。人間の男女が様々な体位でもって裸で交わっている形で、彫られている。
そして奇妙な香が立ち込めている。明らかにその香のせいで、体が火照っておかしくなっていると、少女にもわかる。吸い込む度に、体が急激に熱くなるのだ。
しばらく一人で放置した所で、累が少女の前に現れる。
「貴方は? ここ、どこなの?」
鬼の仮面をつけた怪しさ全開の累にも関わらず、少女はこれが襲ってくるとは考えもせず、警戒せずに尋ねる。呑気な性格のようだと、累は小さく息を吐いた。
「え? ちょっとっ。何っ? 嫌だっ!」
無言で少女を押し倒し、組み敷きにかかる累。いつも通りの行為。行為が済んだら少し呪術の触媒や魔道具の製作のためにも利用させてもらうが、基本的には強姦以外の事はせずに生かして帰してやる事に決めている。
いつも通りかと思いきや、累は異変が起こったことに気がつき、少女から離れて身構えた。
自分の造った亜空間に、侵入者があったのだ。亜空間の存在を察知するだけなら、行為の妖術師であれば可能であろう。しかし、そこに強引に外から入り込むなど、ただごとではない。
「気付くのが早いわね」
累の築いた亜空間の中に入ってきたのは、二十代前半と思しき女性だった。眼鏡をかけた、中々の美人だ。服の上からでも、豊満な体つきをしている事がわかる。
「貴女は……何者ですか? そして何用ですか?」
「街中でこれだけよく出来た亜空間を作っておきながら、何をするかと思ったら、こんな小さな子を手込めにするためだなんて、呆れたわ。術師の名折れめ」
累の質問を無視して、その女性は厳しい口調で言い放つ。
空間が揺らぐ。少女の足元に扉が開き、亜空間の外へと追い出される。累の仕業ではない。この女性の仕業だ。
(他人の空間で、平然とこんな好き勝手ができる……なんて、只者では……ありませんね)
たまたま歩いていた義憤に駆られた高位妖術師が、見かねてちょっかいをかけてきたと、累は判断する。
(久しぶりに……歯応えのある敵と戦えそうです)
強姦などより、そちらの方が余程興奮した。強敵との戦いは、望む所だ。
「えっ?」
累が鬼の仮面を外すと、女性が驚きの声をあげる。
「あなた、名は?」
「雫野累……です」
「ああ、あの悪名高い……こんな可愛い子だったのね。私は朽縄蜜房」
まさか少女を強姦するような者の容姿が、このような美少年だったとは思わず、戸惑ってしまった女性――蜜房である。
「朽縄流の縁の者ですか」
「こう見えても当主の継承の儀も終わらせたわ。さて、やる気なら相手してあげるわよ」
蜜房の言葉を聞いて、累は納得した。この国で最高峰の一角とも言える、名高い妖術流派の頭とあれば、他人が作った亜空間に強引に干渉するという離れ業をやっても、不思議ではない。
累が刀を抜き、蜜房に向かって駆け出す。蜜房は獣符を取り出し、術を発動させる。
自分と蜜房を遮る形で蜜房の前に現れたものを見て、さすがの累も目を大きく見開いた。それは巨大な鮫であった。
鮫が空を泳ぎ、累めがけて大口を開いて襲いかかる。累は身をかがめてこの攻撃をかわす。刀で斬りつける事も考えたが、無難にかわしておいた。血が毒だとか酸だとか、そういう罠があるかもしれない。鮫が空を泳いでいる時点で、常識から外れているし、何が起こるかわからない。
蜜房が獣符を三枚追加する。一匹は同様の空飛ぶ鮫。一匹は鼻の先が蛇の頭となっている巨大な像。一匹は人の背より高い巨大なヤドカリ。
空中を左右に回り込むようにして旋回する飛泳鮫。正面からは地響きを響かせて迫る蛇鼻象。巨大ヤドカリは動こうとせず、蜜房の前で待機している。
「人喰蛍」
無数の小さな光が乱舞し、蛇鼻象の巨体を穴だらけにする。像の動きは完全に動きが止まった。
その間に、二匹の飛泳鮫が左右から大口を開けて迫る。
「水子囃子」
二体の水子霊が累の両側に出現し、平面状の体を大きく伸ばして広げる。そこに飛泳鮫が突っ込んでくるが、水子霊は鮫の頭部から全身を包み込んでしまう。
鮫は空中でもがくが、どうにもならない。口もしっかりと包まれてしまって、開くことすらかなわない。
「悪因悪果大怨礼」
累が最後のヤドカリめがけて手をかざすと、真っ黒にも関わらず透けて輝いている光のようなものが、太い光線状に放たれ、ヤドカリを直撃して粉砕した。
四枚の獣符をあっさりと破られ、蜜房は流石に動揺を禁じえなかった。
累が刀を携えたまま、ゆっくりとした足取りで蜜房に近づいていく。
(ある意味挑発ね)
累の動きを見て、蜜房は思った。まだ攻撃手段があるなら、さっさと仕掛けて来いと、動きで煽っている。その隙をたっぷりと与えている。
まだ手が無いわけではない。切り札が無いわけではない。だが、使っても無駄だと思うし、切り札は使いたくない。
「私の負け、降参」
両手を上げる蜜房。累の動きが止まり、刀を鞘に納める。
「もう少し……粘ってくださいよ」
あっさりと敗北宣言した蜜房に、不満そうな口振りで言う累。せっかく上質な戦いが出来るかと思ったら、あまりにも早く開いてが降参してしまって、落胆していた。
「それはそうと、私は殺そうが犯そうが好きにしていいから、他の子を襲うのはやめなさい。それもあんな小さな子を……」
降参した後にも関わらず、先程同様に責めるような声で言う蜜房。
「貴女にこれ以上危害を加えるつもりは……ありません」
累が言った。その言葉に嘘は無いように、蜜房には聞こえた。それどころか今の累からは、まるで邪気を感じない。とても年端も行かぬ少女に乱暴しようとした者とは思えない。それが蜜房には不思議でならなかった。
「私じゃあ好みに合わない?」
「好みではありませんね。でも……今の子は貴女の勇敢さと優しさに免じて、見逃しておきます……」
実際、蜜房のせいで、毒気を抜かれてしまった累である。
「今の子だけじゃない。ずっとやめて」
しかしなおも蜜房は要求する。
「口でそんなこと言われて、はいやめますと言うようなら、最初から……こんなことしません」
呆れる累。
「どうかしら? 案外あなた、聞き分け良さそうな気がする。完全に悪い子ってわけでもないからこそ、こうして話に応じてくれているんでしょ?」
「そ、それは……でも……その……」
蜜房の、眼鏡の奥にある大きな目でじっと見つめられて、累は口ごもる。
「累ちゃん、うちに来なさい。面倒みてあげる。気に入らないのなら私を傷つけてもいいし、殺してもいいし、犯してもいいから、他の人には手を出さないで」
「るいちゃん……いや、どうしてそうなるんですか」
「他に思いつくいい方法が無いからよ。私じゃあなたにも勝てないし、私にできること全て捧げるから、やめて。で、話せばわかってくれる相手だとも思ったし……」
非常に強引な形で話を進める蜜房に、累は呆れる一方で、惹かれてもいた。蜜房に対して魅力を感じていたし、自分に興味を抱いて認めてもらえることが嬉しくもあった。
「異性としては……好みではありません」
「あれま、そりゃあ残念。私は好みなんだけどねえ。うふふふ」
にやにやと笑う蜜房。何となくこの女性の性格がわかったような気がする累。
「でも、その話に乗ってあげます。様々な経験をするのも……修行の一つと考えて……」
累にしてみれば精一杯の負け惜しみというか、自分への言い訳がこれだった。
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