第二十四章 27

 東京府全域に突風が吹き荒れる数分前。高尾山。


 獣之帝が住む人工洞窟には、帝専用の出入り口がある。徒歩では辿りつけない、崖に開けられた穴だ。獣之帝がいる広間の奥にある。

 見晴らしの良いこの場所からは、よく獣之帝が外の風景を眺めていたり、娘達を連れて沢に水浴びをしに飛んでいたりしたが、今は左京が一人、外を眺めている。

 視線の先は東の夜空に向けられていた。


「昨日に続き、今日も東より強烈な邪気が立ち上っている。いや、今日は昨日の比ではない。この調子なら……」


 自分の運命操作術も確実に完成するとして、左京はほくそ笑む。

 が、そんな左京の想いを無惨に打ち砕く事態が発生した。


「くぅ~あぁ~」

 獣之帝が左京の隣へとやってきた。


「どうなされました? 帝……」

「くううぅぅ……」


 東の空を見て、獣之帝が低く唸る。目つきもいつもと異なる。


(まさか、東の邪気に反応しておられるのか? いかん。まだ早い。運命の特異点を発動させるためのお膳立ての最中だ。今陛下に出ていかれては、台無しになるやもしれん)


 帝都を畏れで満たして、妖の力が最高潮に及んだ時に、妖の王が降臨し、相対する者を全て滅ぼしつくすという筋書きで、運命を操作する予定の左京である。よって、今獣之帝が動くのは時期尚早というのが、左京の見立てだ。少なくとも運命操作術の準備は不完全である。


「獣之帝よ。どうか御自重してくださいませ。今はまだ……」

「くあぁっ!」


 左京の必死の嘆願も取り合わず、獣之帝が一言叫ぶと、突風が吹き荒れ、左京の小さな体を四歩ほど後退させた。

 それから獣之帝は、ふわりとその体を宙に浮かばせると、驚くべき速度で東の空へと飛翔し、瞬く間に夜の闇へと消えた。


「翅で飛んでいるのではなく、風を吹かせ、風に乗って飛んでおられるのか……」


 呆然として呻く左京。


「こうなっては最早祈るしかない……。陛下、御武運を」


 東の空を見上げ、左京は手を合わせて拝んだ。


***


 鹿流の背中に生えた茸が、一斉に膨らみ、しぼむと同時に大量の胞子を噴出させる。

 胞子を吸い込んだらどうなるかはわからないが、とにかく危険であるとして、綾音は吸い込まないよう呼吸を止め、付着もしないように距離を取る。


「ぼおおうっ!」


 奇怪な叫び声と共に、鹿流の口から透明の液体の塊が、綾音に向けて吐き出される。

 綾音は難なくかわす。綾音は鹿流から視線を外せないために確認できないが、蜜房は、家の塀に付着した液体が、塀を溶かしているのを見た。


「人喰い蛍」

 三日月状の光滅が綾音の周囲に大量に発生する。


「ほおおぉ、これは……。しかしそれは……」


 感心しかけた鹿流であったが、その声音が嘲笑へと変わった。


「相性最悪じゃの」


 光が一斉に解き放たれ、あらゆる軌道、あらゆる角度から鹿流に襲いかかる。

 何発かを被弾し、体を穿たれて血飛沫をあげる鹿流。


 そう――優に百以上はいる人喰い蛍のうち、被弾したのはたった何発かのみ。

 綾音は目を見開いて驚いた。光滅の多くが鹿流の周囲で止まっているのだ。まるで空中に固定されているかのように。


「数が多くて全てを止められなかった。こちらとしても相性は悪い。しかし……そちらにとっても同様。今から起こる事を見れば、次はこの術を使う気にはなれんじゃろ」


 鹿流が綾音を見て、にたりと笑う。鹿の顔が笑う様など、当然初めて見る。


「次があれば――じゃがのう」


 鹿流が告げた刹那、鹿流の周囲で止まっていた人喰い蛍が、一斉に綾音めがけて解き放たれた。

 停止している時点で、綾音はこの攻撃反射という流れも予想していたので、落ち着いて対処する。


「黒いカーテン」


 雫野流妖術の中でも、奥義の一つとされる術を発動させる。

 綾音の前方に、真っ黒い布のようなものが現れる。文字通りそれはカーテンのような形状であった。しかしその形状は横から見ないとわからない。正面から見ると、完全に黒一色の塊のように見える。


 人喰い蛍の光滅は、全て黒いカーテンの中に吸い込まれるように消えた。時間的な余裕があったがために、この術で対処も出来た。もう一度人喰い蛍を用いて相殺させるという手もあったが、それでは確実性に欠ける。

 さらに言うなら、この術は防御のためだけに使ったわけではないし、一瞬しか持続しないわけでもない。

 綾音が鹿流に向かって移動する。黒いカーテンも共についてくる。


「その胞子が、力を止め、留め、別方向へ促す役目があるのではありませんか?」


 歩きながら告げた綾音の言葉に、鹿流の口から笑みが消えた。


「こいつは驚いた。一目で見抜くとは、流石は雫野」

「おそらくこの術に関しては、受け止める事ができないと思われます」


 鹿流にかなり接近した所で、綾音が手を振るうと、黒いカーテンがたなびきながら鹿流の周囲を飛び交う。


「こいつはもっと驚いた……」


 鹿流が呆然として呻く。胞子に触れても、黒いカーテンの動きは止める事もできず、操ることができない。それどころか逆に、黒いカーテンによってかき消されている。


「亜空間に吸い込んでいるの?」


 術の本質を見抜いて蜜房が問うと、綾音は小さくかぶりを振った。


「亜空間ではありません。宇宙空間の――とある暗黒惑星と直結させてあります。光、熱、あらゆるエネルギー、物質も魂さえも、カーテンに触れて、なおかつ術者が認識した者はそちらへ送り込む術です」


 この術を編み出した累の弁では、認識した物のみを吸い込む形にしないと、暗黒惑星と繋げた瞬間、扉自体が空間ごと潰されてしまうということだ。


「ぶええっ」


 鹿流が口から液体を吐き出したが、それも黒いカーテンによって吸い込まれる。

 綾音が黒いカーテンを消す。


「威力はともかく、この術は疲れます。触媒も使用しますし、触媒を作るのも手間ですし」


 ここでその切り札を使うのはどうかと思ったが、鹿流の能力は扱い方によっては厄介であるし、出し惜しみせずに確実に排除した方がよいと、綾音は判断した。


「そうか。光栄なことよ。わしなどにそのような秘術を用いるとは……な!」


 言葉途中に鹿流が綾音に向かって駆け出し、前脚を振り上げる。


「人喰い蛍」


 至近距離から発動された人喰い蛍を食らい、鹿流は穴だらけになって、横向きに倒れて痙攣しだす。


「こいつ、相当とんでもない能力持ってたわねえ。卑下してたけど、勝つ気満々だったようだし」


 痙攣する鹿流を見下ろし、蜜房が言った。そのうえ自分の能力にも自信があったように見えた。


「ええ、年寄りぶった物言いやへりくだった言葉は、真に受けるものではありません。次に行きましょう」


 鹿流の体から生気と魂が抜けたのを確認してから、綾音は言った。


***


 弦螺と志乃介を乗せた車が停まる。

 目の前で鬼達が家屋を破壊している。そのうえ家の中の住人を引きずり出そうとしている。


「こらこら、子供達、亀を放してあげなさ~い」


 車から降りた弦螺が、鬼達に緊張感の無い声をかける。


「何だ……この餓鬼……」

「人と思えぬ妖気……」


 鬼達が慄き、呻く。弦螺が強力な妖術師であることを察していた。


「亀を放しても、君達を許してあげないけどねえ」

「ふざけてないで、まず人助けを優先させろ」


 志乃介も車を降り、獣符を放つ。


「はあっ!?」


 突然目の前に現れた巨大なカマキリの上半身に、家の住人を掴んでいた鬼が仰天する。

 目にも止まらぬ速度で、カマキリが鬼の体を両腕の鎌で捕獲する。そのはずみに掴んでいた家の住人を離す。家の住人は慌てて、まだ家の中の壊れていない部屋へと逃げていく。


 カマキリが鬼の首筋にかぶりつき、食らいだす。


「うおおおーっ!」


 仲間の鬼がカマキリの腕に手刀を振るう。カマキリの細い手はあっさり折れたが、折れた先の鎌はがっちりと鬼の体に食い込み、カマキリは気にせず鬼の捕食を続ける。


「臆するな」


 木島蝶治が現れ、一声発するなり、カマキリの頭部を片手で掴むと、あっさりと握りつぶして粉砕した。


「わぁい、偉そうな強そうなのが出てきたよう。あれ、僕がやるね。他の雑魚は志乃介担当で」

「はいはい」


 場をわきまえずはしゃぐ弦螺に、志乃介は適当に頷く一方で、闘志に満ちた視線で、鬼達を見渡していた。

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