第二十四章 22

 銀嵐館本家にて、桃島は部下から多摩郡多磨村に妖怪が現れたとの報告を受けた。


「腕斬り童子という妖怪の仕業と思われます。多磨村や府中町で通算四回の被害報告がありましたが、妖怪の仕業など有りえないと、現地の警察官から握りつぶされていたが故、情報が遅れていたようです」


 並んだ二人の部下の一人が、申し訳無さそうに言った。


「うむ」


 意に介さず、いつも通り厳しい面構えで短く頷く桃島。


「この分だと、同様の理由で報告が成されていない件も多そうです。白狐、朽縄、我ら銀嵐館、さらには政府の情報機関が各地で調査してはいますが、帝都全域をくまなくというわけにも行かず……」


 もう一人の部下の報告に、桃島はすぐに頷かず、思案して少し間を空けた。


「うむ。明日にでも、その腕斬りとやらの出た多磨村に足を運ぶ。白狐、朽縄、雫野にも伝えよ」

「共に行くということですか?」


 部下が尋ねる。


「違う。かぶらないようにだ。この件は銀嵐館が引き受けると伝えよ。敵の規模によっては後ほど救援を求むとも。以上」

「承知しました」


 部下二名が頭を垂れ、桃島の前より立ち去る。


「こう言っては失礼ですが……」


 歩きながら、銀嵐館戦士二人のうちの新米の方が、先輩戦士に話しかける。


「当主は結構考えておいでなのですね」

「本当に失礼だな。まあ俺も最初は、何も考えてない人じゃないかと疑っていた時期もあったよ」


 新米の言葉を聞いて、先輩戦士は笑いながら言った。


***


 夜。累と波兵は遠く離れた住宅街へと足を運んだ。


(何やってるんだろう……俺は)


 来る途中、何度も心の中で繰り返した言葉を、また口の中で呟く。


「使いますか?」


 何も無い空間から、突然手の中に一振りの刀剣を鞘ごと出現させ、自分の方に差し出してくる累に、波兵は身を引く。


「いや……得物は俺もある。人の心を読んだり操ったりとかだけじゃなく、念じて人を切り裂くことができるんだ」

「なるほど。殺気を極力抑える努力をすれば、かなり強い能力……ですね」


 念動力による攻撃は、視覚的な予備動作をほとんど見せないのが強みだ。超常の力を持つ者には、力の流れも事前にわかってしまうし、能力の性質によっては抵抗(レジスト)する事も可能なので、力を持たない者相手の話ではあるが。


「来ましたよ」


 声を潜めて、累が言った。正面から道を一人の少年が歩いてくる。年齢は自分達より少し上くらいであろう。気弱そうな顔つきをしている。


 周囲に人はいない。殺すなら絶好の機会だ。


 少年は二人の横を通り過ぎていく。波兵はうつむいたまま、何もしようとしなかった。


 また住宅街の往来で二人きりになった後、波兵は無言で、すがるような視線で累を見やる。


「無理をすることはありませんし……できないのならできないでよかったと……思います。そちらの方が正しいです」


 波兵を労わるつもりで、累が声をかける。


「どうかな。まだわからない。もう一度試してみる」

 そう言って、次の通行人を待つ波兵。


(何やってるんだろう……俺は)


 ここに来る前もここに来てからも、何度も心の中で繰り返した言葉を、また口の中で呟いた。


 数分後、また通行人が現れた。今度は頭がつるつるでぶくぶくに太った、和服姿の中年男だ。爪楊枝で歯をほじくりながら歩いてくる。

 その歩行を遮るかのように、波兵が中年男の前に立ちはだかった。


「何でい、この餓鬼。どかねえか」


 どうやら筋者らしく、威嚇しなれた声を発する。よく見ると爪楊枝をほじる手に小指も無い。


 直後、中年男の口が之横に裂けた。上の歯も全て横に切断されて、切られた歯が口の中や道路へと落ちる。


「あばばばばばっ!?」


 念動力による斬撃で切り裂かれた口を押さえ、パニックを起こす中年男。

 さらにそのでっぷりと突き出た腹を斬るが、浅い。服と脂肪を斬っただけだ。


(その気になればさっさと殺せるはずです。躊躇っている……)


 殺気を微塵も感じさせず、致命傷を外した攻撃しかしない波兵を見て、累は思う。


「うんばばーっ!」


 そのうえとうとう走って逃げ出す中年男を、追おうともとめようともせず、波兵は黙って見送る。

 しかし累が俊足でもって中年男を追い、後ろから追い越し際に刀を抜き、首をはねとばした。中年男の体が滑り込むようにしてうつ伏せになって倒れ、首が道に転がる。


「目撃者を生かして……おくわけには……いきませんから」

 波兵の元へと戻り、累が言った。


「どうしました? 学校では……生徒を殺していたではないですか」

「なはは……あれはいいんだよ。殺せる。俺をムカつかせた奴だからな。重罪人だ。何の躊躇いもなく殺せる悪だ。でも……そうじゃない奴は殺せない。俺をムカつかせたわけでもない――何の罪も無い奴を殺すことは……できない」


 累の問いに、波兵は力なく笑いながら答える。


「お前は違うんだな。簡単に殺せるんだな。すげえよ。きっと俺のこと、情けない奴だと思ってるんだろうな」

「そんなこと全然思っていませんよ」


 累は優しく微笑み、否定した。


「僕も……これは誰にも言ったこと、ありませんが、僕も人を殺す時……躊躇うことがあります。良心の呵責が疼く時……あるんです。知り合いのことを思い出すと、特に……そうなります。僕がこんなことしていると……知らぬ者も……僕が鬱憤晴らしで人を殺めていると知れば、哀しむと……そう意識すると……心が痛みます」


 波兵の気を落ち着かせるための慰めではない。今まで誰にも喋ったことのない、累の本心だ。


「俺がこんな風に混乱しているのは、俺が普通の子じゃなくなったからだ」

 波兵が静かに語りだす。


「俺はもう普通じゃない。それ以前に人間でもない。気がついたら、父ちゃんと母ちゃんを殺してた。父ちゃんと母ちゃん、どんな気持ちで俺に殺されてたんだろ……。どんな気持ちで俺に食われてたんだろ。あの世で俺のことどう思ってるんだろ。なあ、俺が死んだら、父ちゃんと母ちゃんは、俺に何て言う? 俺のことを化け物って罵る? よくも殺してくれたなって怒る?」


 途中から涙声になっていた。


「俺は、俺が化け物になった理由も知ったよ。柘榴豆腐売りとかいう化け物の仕業だって。そいつらはつるんでいて、日本中に妖怪を増やしているらしい。俺もその仲間になった。俺をこんな風にして、俺の家族を奪った奴等だけど、奴等から奪えるものは全て奪おうと思ってさ。奴等には力がある。その力をせいぜい利用してやるんだ」

「その奴等とやらが……来たようですよ」


 累の言葉に、波兵がはっとする。確かに妖気が漂いだしている。


「血の臭いと微かな妖気に引かれて来てみたが……お前らも灰龍の配下か?」


 三人の男が現れ、そう問いかけてくる。いずれもがっちりとした体格の、屈強そうな男達だ。いずれも波兵の見覚えの無い顔であったが、今の言葉を聞いた限り、灰龍の配下なのであろう。


「なははは、丁度いい所に来たな。こいつらなら躊躇うこともないや」


 凶暴な笑みを浮かべ、波兵が男達へと近づいていく。1メートル以内の距離でないと使えないため、近づくしかない。

 射程範囲に入った瞬間、殺意と共に不可視の斬撃を放つ波兵であったが、標的となった男はあっさりと後に跳んでかわた。


「ええ……?」


 避けられると思っていなかった波兵は呆気に取られる。


「殺気も、力の動きも……見えすぎです。そして……その者達は、戦い慣れています」


 いつの間にか波兵の横に立った累が声をかけ、真っ黒い刀身の刀を構える。


「君には……少し荷の重い相手かもしれません。下がって……」

「あ、ああ……」


 静かではあるが有無を言わせぬ口調の累の言葉に、波兵は素直に従った。


「用心しろ。その異人の童、できるぞ」


 男のうちの一人が言い、その姿が変貌する。暗くて見づらいが、肌の色が赤く変わり、口が裂けて牙が覗き、額からは角が生える。


「鬼か……」


 波兵が唸る。波兵とは面識が無いが、相手は木島一族の者だった。


「用心しようと……結果は同じです」


 累が駆け出す。最初に変身した鬼が、突っこんでくる累めがけて腕を振るったが、累の突き出した刀剣が、胸の中心――心臓を貫き、鬼の太い腕は空を切った。

 累が刀を抜くと、他の二匹の鬼が左右から迫る。


「水子囃子」


 累が術を唱えると、鬼二人と累の合間に、薄く平べったく伸びた顔のようなものが現れ、鬼達をぎょっとさせる。

 警戒し、鬼の一人は攻撃を中断して横に跳んだが、もう一人はそのまま突っこもうとした。それが彼の命取りとなった。


「ふもおぉぉぉ!?」


 布状に大きく拡がった水子の霊体が、物理的な作用も伴って、鬼を包み込み、その動きを遮る。

 霊に絡められた鬼の首を難なくはねる累。残るは一人となった。


 逃亡するかと警戒していた累であったが、果敢にも向かってくる。

 実力の違いを目の当たりにしても、死を覚悟したうえでの勇敢なる鬼の振る舞いに敬意を込めつつ、累は鬼の喉を刀で貫いた。


「強いんだな、雫野」

 感心の声をあげる波兵


「ええ、多分この国では一番強い……ですよ。多分ね」


 この国では――と言う所に、累は謙遜を意識した。本当は世界最強だと思っているが、あえてそういうことにしておいた。


(強くなりすぎて、強敵と戦う悦びに浸れないこと……。それもまた、今の僕の不幸です……)


 戦いこそが累の本分であったが、それに釣り合う相手がいない。そういう敵が自分の前に出てくれないものかと、心の底でずっと待ちわびているが、もう期待できないような気もしている。それが虚しくもあり、寂しくもある。


「今夜はもうお開きにしましょう……。気持ちが落ち着かないなら……僕も君の家に行って、また一緒に……寝て、抱きしめてあげますが?」

「いや、それはいい」


 累の気遣いを、波兵はきっぱりと断った。

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