第二十四章 21
「どうしました? 元気がありません……ね」
学校にて。休み時間、累の方から波兵に声をかけた。今日の波兵は朝から浮かない顔で、累は気になっていた。
波兵が浮かない顔の理由は、昨夜の出来事があったからだ。猫爺と狗婆の老夫婦を殺害したこと。その後で灰龍と話した事による、今後への不安。
(やっぱり、こいつとも戦うことになるのか? 妖術師だし、悪霊や妖怪とは敵同士の間柄なんだよなあ)
灰龍が大規模な戦を予見させるようなことを口にしていた。そうなれば累も人間の側に立ち、妖怪と戦うことになりそうだ。
「いやあ……俺、お前とは喧嘩したくないなあって」
「どうしたんです? 突然……」
脈絡の無い台詞を口にする波兵を訝る累。
「今妖怪達が活発に動いていて、徒党を組んで人間と一戦やらかすらしいんだ。そうなると……俺とお前も敵同士になるのかなーと」
「僕の方から波兵とやりあうつもりはありませんよ。そうしなくちゃいけない事情でも……あるのですか?」
「なははは、そっか、それならいいや。俺もそんなつもりは無いから安心だ」
波兵がようやくいつものやんちゃな笑みを見せる。
「人として生活してるけど、俺は人じゃない。それがずっと辛くてさ」
しかしその笑みも一瞬だけで、また元の沈んだ面持ちへ戻った。
「波兵の……望みは人として生きることだからこそ、こうして……学校にも通っているのでしょう?」
累が尋ねる。
「ああ。でもさ……変なこと言うかもしれないけど、体だけの違いとかなら、俺も気にしなかったかもしれない。体は化け物でも、心が人だからって堂々としていられたかもだ。俺そういう性格だし。でもさ……でも……俺、ひょっとしたら体だけじゃなく、心も化け物なんじゃないかって思うんだ……」
波兵の話を聞いて、波兵の自身に対する恐怖と嫌悪が、累の目からは見て取れた。累にも自己嫌悪の念が沸くことはしばしばあるが、自分の中の暗い部分を恐れる気持ちはないので、その辺はいまいち理解しがたい。
「雫野、お前の心の闇の正体は聞いたけどさ……。世の中に復讐してやりたいと思う気持ちは無いのか?」
「凄く……ありますよ?」
聞きづらい質問のつもりで、思いつめたような顔で問う波兵に、しかし累はあっさりと答えた。
「実際ウサ晴らしみたいなことは……沢山やってきました。江戸時代には辻斬りを繰り返しましたし、つい最近まで……手当たり次第に好みの娘を犯して……いました。今は下宿している身ですから、悪事は控えていますけど……」
蜜房にはそれなりに好意を抱いているし、共に生活しているうちは、彼女を哀しませるような事態は引き起こしたくないと、累は思っている。
「雫野がそんなことしている姿が、俺にはとても想像できないよ。でも雫野は、こんな場面で冗談や嘘を口にするような男でもないしなあ」
波兵は、累の心から暗い思念を感じているが、実行に移すほど強い怨念も感じない。
「俺も誰彼構わず殺してやりたいような、そんな衝動に駆られることがある。実際昨日殺してきた。仲間の……妖怪だけどな」
「それで落ち込んでいたのですか」
「人を殺して喜んでいるような奴だから、殺しても罪悪感は無かった。でも気が済んだわけではない。俺の中の闇は消えない。結局俺は、人が妬ましくて憎らしいんだ」
自嘲するように波兵が言う。
「今夜殺しにいきますか? もちろんこっそりとですが。僕も……下宿先の人に迷惑はかけたくありませんし」
「は?」
思いも寄らなかった累の誘いに、波兵はあんぐりと口を開ける。
「誰でもいいから殺してみると……僕の場合はすっきりします」
すっきりする一方で、罪悪感にも蝕まれている累だが、それは意識しないように努めている。
「つまり、俺のこと試そうってわけか? 本当に心まで化け物になれるかどうか」
「はい」
累の意図を察して尋ねる波兵に、累は即答した。
しばらくの間、波兵は沈黙して思案していたが、昼休みの終わりが近づき、口を開く。
「わかった。試してみよう……。今夜、通り魔しに行く」
強張った顔で言う波兵を見て累は、おそらく彼には無理だろうと予感していた。
***
東京府北多摩郡多磨村――合併前は押立村と呼ばれていた地域。
開けた田園地帯の中にて、農作業を終えた農夫達三名が談笑しながら歩いている。
そんな彼等の前に、全身をボロ布で隠した背の高い不審な者達が七名ほど、どこからともなく現れて、正面から近づいて行き、取り囲んだ。
「なっ、何だい、あんたらっ」
皆揃って長身で顔まで布で隠しているという、あまりにも怪しい風体の集団が、明らかに自分達を意識して取り囲んでいるという異常な状況に直面し、農夫達は激しく狼狽した。
申し合わせたような動きで、長身の怪人達が一斉に顔と体に巻き着付けた布を脱ぎ捨てる。
「ひぃやぁああぁっ!」
「ば、化け物だーっ!」
「お、鬼ッ!?」
額から角が一本生え、全身の肌が青白く、腕が四本も有る、妖の姿を露わにした腕斬り童子達に、農夫達は恐怖する。しかもその手には二本の斧まで携えられている。
「我等は腕斬り童子。人の腕を斬るのが何よりも好きな妖である」
頭目である青葉が、わざわざ解説して宣言する。
一人の農夫が逃げようとしたが、取り囲まれていて逃げ場など無い。たちまち腕斬り童子の一人に取り押さえられる。
他の二人も同様に掴まった。腕斬り同時達は斧を持っていない二本の腕で、農夫のそれぞれの手首を掴んで、大きく横に伸ばしている。そう、斬りやすいように。
「皆斬る必要は無い。死なせるのではなく、畏れを植え付ければよい。二人斬って、残りの一人には治療させろ」
配下に指示をする青葉。実の所、すでにこの地で人を襲うのは四回目であるが、今青葉が引き連れている腕斬り童子達は、人を襲うのが初めての新米であった。
「うぎゃああああっ!」
「ひぎぃぃぃぃっ!」
斧が振り下ろされ、農夫二名の両腕が切断される。
悲鳴をあげ、血を撒き散らす友人を目の当たりにして、残った一人が青ざめ、震えながら失禁していた。
「お前は治療してやるがよい。離せ」
青葉が残りの一人を離すように命じる。すると――
「オガーヂャーーーーン!」
無事だった農夫は友人達を堂々と見捨てて、泣きながら全力疾走で逃げていった。
「すみません。逃がしました」
側にいた腕斬り童子が謝る。あんなに早く逃げ出すとは思っていなかった。ついでに仲間を見捨てるとも。
「仕方ないからお前達で止血してやれ。無益な殺生は好まん。畏れを植えつけるには、生かしておいた方がよいしな」
予想外の展開に、渋面になって命じる青葉だった。
***
東京市某所。灰龍は部下の一人から、青葉が同じ村で派手に暴れているとの報を受け、溜息をついた。
「やれやれ、青葉め……。暴れるのはいいが、同じ場所で暴れ続けてどうする」
溜息をつく灰龍。まるで敵を誘き寄せているかのようだ。
「暴れろと申したのはお主だろう」
高尾山から戻り、傘下に加わる旨を伝えた木島蝶治が訝る。
「今は無闇に交戦する時期ではない。畏れを蔓延させる時期だというのに。場所を移して暴れないと、政府お抱えの術師共の標的になるだけだ」
「なるほど」
灰龍の言葉に納得する蝶治。
「敵の戦力がどれほどか探るという意図で、それも有りでいいのではないか?」
そう言ったのは、人の姿からはかけ離れた姿の妖であった。一見して巨大な鹿であるが、その体は赤く、頭からは四本の角、背中から無数の茸を生やしている。鹿の頭部である顎からは、地に着きそうなほどの長い白髭が伸びていた。
この妖怪の名は鹿流(しかる)と言う。灰龍の元に集った妖の中では古株であり、柘榴豆腐で転生した者でもない。灰龍とも長い付き合いだ。
「わしらも同時に暴れた方がいいかの。しかし真っ昼間に堂々と暴れる青葉には笑ってしまうの。わしは夜にしておくよ。町の中でこの姿は目立つからの」
鹿流はその風貌故、都市部での移動はもっぱら深夜に行っている。そもそも都会に訪れる事など、今回の件で生まれて初めてだ。
「一族の者に、場所を変えつつばらばらに暴れるよう命じておく」
「よろしく頼む」
先程の灰龍の話を意識して蝶治が告げ、灰龍が会釈した。
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