第二十四章 20
夜。波兵は猫爺と共に、人気のつかない場所へと足を運んだ。
建物と建物の間に潜む二人。
「静かにしておれよ」
口元に人差し指をあてる猫爺に、波兵は無言で頷く。
猫爺の尻尾の先にいる猫が、建物の間から出て行き、誰もいない夜道を歩く。
しばらくすると、夜道に波兵より二つか三つほど年上の、背の高い少年が歩いてきて、猫の姿を見て、嬉しそうにしゃがみこみ、猫を撫で始めた。
「ほ~れ、かかりおったぞ」
猫爺が波兵の方を見て、嬉しそうな声を漏らす。
いつもの通り、少年がやたらと長い尻尾に気がつき、尻尾の先である猫爺の潜んでいる方へと歩いてくる。それを見て、尻尾をビンと立てる猫爺。しかし立った尻尾は途中で折れて垂れ下がっている。
「は? う、うわあああぁぁぁあっっ!」
尻尾の先に行きつき、建物の間にいる猫爺と遭遇して、悲鳴をあげる少年。
猫爺が腕を振るい、たちまち少年を切り刻み、惨殺する。
「ほーれ、今のを見たかっ? 実にいい顔しとったじゃろうっ? 実に傑作じゃっ! うひゃひゃひゃひゃ。猫を撫でて御機嫌だったのが、恐怖に引きつっ!?」
御機嫌で笑っていた猫爺の顔が、恐怖に引きつった。
「ああ、確かに傑作だよ。浮かれていい気になってる馬鹿が、一転して絶望するのはさ」
自分の両腕の肘から先が切り落とされ、切断面から血が噴き出している様を見て、愕然とする猫爺。そんな猫爺の顔を見て、波兵は心地良さそうに笑う。
「ふんぎゃああああっ!?」
絶叫する猫爺。今の少年のそれに加え、猫爺まで大声をあげて、人が集ってこないかと心配しかけた波兵だが、見られても構わないかとも思った。
念動力による不可視の刃を走らせ、猫爺の首を切断する。射程範囲が短いのが難点な能力であり、1メートル程度先にしか届かない。しかし逆を言えば、接近さえすれば回避困難な必殺の一撃を瞬時に浴びせることができる。
「あとは……と」
この後やることは、ちゃんと予定して決めてある。
***
自宅にて、うつらうつらと寝かけていた狗婆だが、嗅ぎ慣れた二つの臭いと、先程まであったもう一つの臭いで、意識が覚醒する。
「お帰り、爺さん、それに波兵」
盲目の狗婆は、臭いで二人の帰宅を察知し、声をかけた。猫爺の臭い、人の血の臭い、波兵の臭いの計三つ。
「いや、俺だけだよ」
ところが家にあがった波兵が、自分一人だと告げた。
「はい、これ」
狗婆の前に、猫爺の服でくるんだ、血まみれの肉を無造作に置く。
「爺さんは用事があるから、先に帰ってこの肉を届けて、婆さんに食わせるようにってさ。夕食は食ったけど、夜食ってことでもう一食くらい食えるよねえ?」
「きっ……」
笑顔で喋る波兵であったが、唐突に狗婆の形相が一変して、怒りに歪んだ。
「きっさまあぁぁぁっ! その肉は爺様の肉でねえがあっ! 爺様を殺したな! そいで私に食わそうとするとは! この糞餓鬼があああっ!」
飛びかかってくる狗婆をあっさりとかわし、波兵はへらへらと笑い続ける。
「なははは、失敗失敗。犬だから鼻がいいわけか」
波兵が不可視の刃を走らせる。
「ふぬっ!?」
目が見えない部分、第六感も含めて他の感覚が鋭い狗婆は、この攻撃を読み取り、回避を試みようとしたが――いくら攻撃を事前に察知しても、身体能力が大したこと無い狗婆には避けることができず、両脚を切断され、血を撒き散らしながら転倒した。
「あおおっ!? あおっ!? あおおおおーんっ! きゃいんきゃいんっ!」
「爺も婆も悲鳴の時は動物になるのな」
のたうちまわる狗婆をおかしそうに見下ろすと、波兵は床に置かれた血まみれの肉の塊を手に取った。
「好き嫌いはよくないな。せっかく爺が身を張って御馳走になってくれたんだ。口に詰めこんで食わせてやるよ」
宣言通り、婆の口をこじあけて、猫爺の肉を無理矢理詰め込む波兵。
「あごごごっ! あおご!」
「ほら、ちゃーんと味わって食えよ。せっかく俺が時間割いて手間かけて、御馳走用意してやったんだからよ」
肉を口の奥に詰めると、上から足で口を踏みつけて吐き出させないようにする。
「ふごごごっ!」
「おら、食えっての。飲み込めっての。爺さんも泣いて喜ぶぜ」
「ふごっ! ふごっ!」
ただ踏みつけ続けていても仕方ないので、何度も何度も力を込めて踏みつけ、狗婆に痛みを味合わせてやる。
「飽きた。馬鹿らしい」
波兵が吐き捨てると、不可視の刃で、狗婆の首を切断する。
「何やってるんだろうなあ、俺」
狗婆の死体を見下ろし、波兵はニヒルな口調で呟いた。
「自分でもよくわからないけど、すごく腹が立ったんだ……。嗚呼……自分で自分がわからねえ……」
頭をかきながら、妖怪夫婦の家を出る。
「いくら人間を殺した化け物に腹立てたってさ、俺だって人間じゃない、化け物なのにさ……。本当、俺って道化だよな。なあ?」
外に出た所で、曇った夜空を見上げながら、誰かに語りかけるように独り言を呟く波兵であった。
***
自宅に帰った波兵はぎょっとした。自宅の中の玄関に、灰龍がいたのだ。
「遅かったな。悪いが上がらせてもらった」
灰龍の言葉を聞いて、気を落ち着かせる波兵。驚きはしたが、あの二人を殺したことが、自分が帰宅する前にバレているわけもないし、それで先回りされるなど、有りうるはずが無い。緊張した自分が嫌になる。
「人ん家に勝手に上がりこんで、何の用だ」
「人か……」
灰龍がぽつりと呟いた言葉に、波兵は苛立ちを覚える。
「表現の問題で、いちいち言葉尻捉えてんじゃねえよ。他にどう言えってんだ」
「そうだな。所詮多くの妖怪は、元を辿れば人なのだ。人が人を無理に術で変えて人ならざるものにしただけで」
暗い面持ちで灰龍が告げる。
「俺は柘榴豆腐売りという妖怪に変えられたんだぞ」
「それとて元はといえば人の責任だ。奴を恨んだだけで完結することではない。柘榴豆腐売りという存在を作ったのも、人なのだ。だから奴だけを憎むな。我々を憎むな」
波兵の中にある憎悪を見抜いて、灰龍が諭す。
「わかってるよ。だから俺はお前らに与した」
これは本当だった。波兵からすれば、自分を妖怪へと変えて家族を死に追いやった灰龍達が憎いが、彼等もまた、自分達と同様の闇を抱えている事も知っている。憎しみの連鎖が続いているだけだと。
(そして、俺一人の力じゃこいつらに復讐できるわけもないし、それなら憎しみの矛先を、こいつらの言うとおり、俺やこいつらを生み出した人そのものに向けた方がいいと、あの時はそんな計算をしたんだ……。この選択も、我ながら馬鹿馬鹿しいし情けない)
自虐的に思う波兵。
「で、何の用だってばよ」
「最近顔を見せにこないから、こちらから指令を伝えにきたのだ。我々は本格的に始動し始めた。帝都に妖の被害を増やし、人々に畏れを植えつけろ。畏れが蔓延すれば、我々の力も増す。そして左京が現在行おうとしている、上級運命操作術の後押しにもなる」
運命操作術どうこうはともかくとして、波兵は左京のことが、灰龍以上に嫌いであった。獣之帝とやらを盲信し、積極的に人間を殺してまわる。左京も柘榴豆腐によって人から妖怪に変えられた身でありながら、人を憎み、人を見下し、そのうえ同じ妖であっても力の無い者は見下している節がある。
猫爺達に関してもそうだが、人を積極的に殺す妖に対し、どうしても怒りや不快感が湧き起こる。自分もかなり人を殺しているにも関わらず、だ。
(そんな奴の協力なんか誰がするか)
口の中で毒づく波兵。人に、世の中に、恨みを抱いているのは波兵も同じだが、左京は恨みどうこうではなく、選民意識のようなもので人を殺している。それがまた、嫌悪感をもよおす。
「それと、不味いことになった。獣之帝の存在が明らかになりそうだ。知られれば、場所も突き止められるだろう」
「どういう間抜けないきさつがあったんだろうね。お前らも案外抜けてるんだな。それで人類撲滅して妖の世界作るとか、本気かよ」
嫌味たっぷりに言う波兵に、灰龍は小さく溜息をつく。
「失敗は必ず犯す。小さな失敗が崩壊を起こす事もある。私はお前よりずっと長生きしているし、いろんな体験をしてきた。それでもなお、全く想像できないような事態に幾度となく直面してきた。今回もそんないきさつだ」
獣之帝の性質を理解していなかったが故の失態であったが、それにしても灰龍の予想の範疇を超えた行動であった。灰龍は獣之帝が、本能と欲望で動くばかりの者として見ていたからだ。
「具体的にどう協力すりゃいいのかわからん。通り魔でもすればいいのかい?」
「妖怪らしく、闇夜に紛れて人を恐怖させ、殺すといい。猫爺が最近特に頑張っている。彼のやり方を見物させてもらってもいい」
ついさっき見物させてもらったうえで殺した者の名が挙がったので、思わず波兵は噴き出してしまう。
「ん? もう見たのか?」
「ああ、猫を囮にするあれだろ。見たことあるよ。まあ……考えておく」
歪んだ笑みを張り付かせて告げる波兵に、灰龍は何の疑念も抱くことは無かった。
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