第二十四章 14
宗佑と桃島と綾音は、午前中から銀嵐館の屋敷の庭に集い、修行に臨んだ。
どんな修行をするのだろうと気になっていた綾音だが、いきなり宗佑と対峙させられ、組み手という名目で戦うことと相成った。もちろん桃島の強引な決定である。
「どうした? さっさと戦え」
綾音と宗佑の間に立った桃島が腕組みして、二人の組み手を促す。綾音はすでに臨戦体勢であるが、向かい合った宗佑は青ざめた顔で綾音から視線を外している。
「宗佑さん、体調が悪いのではないですか? 無理をなさらぬ方がよろしいかと」
何も言わない宗佑に、綾音が助け舟を出す。
「先程まで何とも無かったが、どういうことだ?」
宗佑を見て、桃島が尋ねる。
「うるせーよ……畜生」
小声で悪態をつく宗佑。
かつての恋人と似ている綾音。会話するだけなら大分抵抗が無くなったが、組み手とはいえ戦う事を意識すると、いろいろ考えてしまう。
今のところ、綾音は自分に好意的であるが、自分の方がおかしな激情にかられて、勢い余って殺しにかかってしまわないかと、そんなことも考えてしまい、あげく、元恋人を殺したときのことを思い出し、様々な感情が呼び起こされた。
『あんた本当甲斐性無しよね。女作る価値無いよ』
『いい暇つぶしにはなったけどさ。あたしに相応しい、金も力もある男が現れたんだし、もういいお払い箱よ?』
『分不相応にこのあたしを抱けたんだから、身の程わきまえてそれだけで満足してよ。あんたは顔とアレしか価値が無いんだから。どうせ生まれも卑しい――』
さらには、自分を罵った言葉の数々まで蘇りだす。負の連鎖が立て続けに起こる。
吐き気すら催し、口元に手をやる。
「女は……全て売女だっ」
桃島と綾音にもはっきりと聞こえる声で、宗佑は吐き捨てた。
「どうしましょう? 無理をせずに宗佑さんには休んでいてもらうか、それとも――」
桃島の方を向いて、綾音が確認を取る。
「いっそ荒療治をしてみるという手もありますが」
「荒療治がいいな。こいつの心の中に貯まっている膿、全て搾り出し、吐き出せたい。出来るか?」
「やってみます」
「おい、お前ら何言ってるんだ……」
勝手に話を進めていく綾音と桃島に、宗佑は険悪な声を発する。
「女性に恨みがあるのでしたら、思う存分私に叩きつけてよいですよという話です」
静かな闘気をまとい、綾音が言い放つ。
「もちろん私は、痛いのは嫌なので、できる限り一方的に攻撃する所存です。それが嫌なら、宗佑さんも精一杯抗ってください」
「ああ、そうかよ。殺していいのかよ。なら……そうさせてもらうわっ!」
宗佑が先に術を唱えると、宗佑の手元からが白い帯が二枚伸び、綾音へと真っ直ぐ飛ぶ。
前回桃島と用いた時より数は少ないが、今回は違いがある。帯の先には真っ黒い鏃のようなものがついている。帯は巻きついた部分から腐蝕をもたらすが、鏃は単純に切り裂くだけだ。しかしただの鏃でもない。
綾音が回避しようと試みたその時、まるで翼を広げるかの如く、鏃が横に大きく刃が広がった。最早鏃とは言えず、刃のついたブーメランのような形状となっていた。
この変化は流石に予期できず、綾音は手傷を負ってしまう。肩口から胸にかけて切り裂かれ、血が滲み出る。
(何が起こるかわからぬのだから、かわそうなどとせず、術でちゃんと防ぐべきでしたね)
相手をみくびっていたと、反省する綾音。
黒い刃のついた帯が二枚、まるで空中で横に振られる振り子のような動きをして、左右から襲い掛かる。
「捻くれ坊主」
綾音が術を発動させる。綾音のいた場所に、とぐろを巻いた巨大な何かが、綾音の足元から物凄い勢いで沸いて出て、綾音の体をとぐろの中に覆い尽くす。二本の刃の切っ先がその何かに突き刺さるが、綾音には届いていない。
よく見るとそれは、僧服を着た非常に長い体の坊主であった。上の方の先っぽには、頭もあるし、手足もちゃんとある。しかし胴体は大蛇の如く長く伸び上がってとぐろを巻くという、異様な姿だ。
坊主に白い帯が巻きつき、腐蝕を開始するが、あまりにも大きな体故に、腐るのにも時間がかかる。その間に綾音が何もしないままということもない。
突然、坊主の体が跳び上がった。まるでバネのような弾け方をして大きく跳んだかと思うと、見上げる宗佑めがけて降り注ぐ。
「うあっ!」
思わず叫び、慌ててかわす宗佑であったが、そのかわす先を読み、綾音はすでに迫っていた。体勢を崩した宗佑を狙い済まし、掌底で顎を斜め下から打ち抜く。
「勝負有り!」
白目で倒れた宗佑を見て、桃島が高らかに宣言する。
綾音がその場に腰を下ろし、正座をすると、宗佑の頭部をその太ももの上に乗せる。
「やめろ……触るな……けがらわしい……」
宗佑はすぐに意識を取り戻し、震えながら、自分を覗き込む綾音に、掠れ声で拒絶の言葉を投げかける。
太ももの柔らかく心地好い感触に――心地好さが確かに有るのに、それが逆に怖気を走らせ、悪寒と吐き気をもたらす。しかもそれが自分を罵って捨てた恋人に似ているとあれば、なおさらだ。
「よほど嫌な想いをなさったようですが、理性で考えてください。貴方と接する者が、全て貴方に害を成すなどということは、有りえません。この世の全ての人間が悪人ということもなく、貴方に対して悪意を向けることもありません。少なくとも私と桃島さんは違います」
顔を寄せ、真摯な口調で訴える綾音に、宗佑の震えが止まった。
理屈で考えれば、確かに簡単な話。当たり前の答えだ。
(ああ、その通りだよ。こいつの言うとおりだよ……。でも……でもさ……)
心の中に撃ちこまれた黒い鏃が、簡単に抜けるはずがない。理性で考えるだけでは、理屈だけでは、どうにもならない。
「そんな簡単にいくかっ。頭でわかっていても、気持ちはどうにもならねえっ。そんな単純に済む話かっ」
「うむ、確かにそうだ」
喚く宗佑に、腕組みした桃島が頷いて同意する。
「ならば体に叩き込んで覚えさせるべし。体が覚えるまで何度でも叩き込む。これしかない。綾音、頼むぞ」
「はい」
「え……?」
綾音が宗佑から離れ、再び構える。
「立て。何度でもと言ったろう。俺が相手でも構わんが、女に抵抗と恨みがあるなら、彼女がいいだろう。恨みと恐怖が消えるまでやるぞ」
倒れたままの宗佑に向かって、桃島が言い放つ。
(とんでもねーことになった……。とんでもねー奴等と関わっちまった……)
青ざめながらも、宗佑は何とか立ち上がる。
(でも……震えは止まったな。それは……確かだ。気のせいじゃない、確かな変化だ……)
立ち上がり、自分の胸、腕、頬を順番に触って確かめて意識して、宗佑は無意識のうちに微笑をこぼしていた。
***
「おい、転校生。お前、上級生に挨拶もせんのか」
唐突に波兵を呼び止めたのは、校内でも評判の悪い生徒だった。親が財界の大物で、いろいろと黒い噂も絶えぬ人物で、その威を借りてやりたい放題で、教師も抑えることができると。
周囲には三人の取り巻き。計四人。しかし彼等にとっては運の悪いことに、他に生徒も教師もいなかったこと。
波兵は自分を抑えることなどせず、本能の赴くままに行動した。蝿を殺すような、そんな感覚で。
「ぷひゅっ?」
おかしな声をあげ、首筋から噴水のように血を迸らせ、波兵に絡んだ生徒が崩れ落ちる。
あまりに常軌を逸した出来事に、取り巻きの三名は呆気に取られて、声もあげられなかった。
その合間に、取り巻きの残り二名も同じ運命を辿る。
「ひいいぃっ!?」
残った一名が事態を把握して、悲鳴をあげて腰を抜かす。彼も同じように喉に深い赤い切れ込みを入れられ、血を撒き散らして果てた。
転がる四つの死体を見下ろし、心地良さそうに笑う。殺害現場は誰にも見られていないし、黙っていればわからないとタカをくくり、全く動じていない。いや、知られた所で別に問題は無い。最悪でも、警察に追われて学校に来られなくなる程度だ。
(でもそうなると、雫野とも会えなくなりそうだ。それはちょっとな……)
そう思っていたら、頭に思い浮かべていた相手が、波兵の目の前に現れた。
「殺気と妖気を……感じたと思ってやってきたら、やはり君ですか……。よりによって学校で人を殺すとは」
溜息混じりに言いつつ、術を唱える累。
すると死体の横に、異形の存在が現れる。それは、血で真っ赤に染まったような肌をした、赤ん坊の頭部だけが無数に連なり重った代物であった。いずれの赤ん坊の顔も不気味に笑っている。
「うお、凄いな。何だよ、この気持ち悪いものは」
「赤団子です」
「なるほど、確かに団子っぽいが……」
答える累に、波兵が納得していると、赤ん坊が一斉に口を開けて、死体の一人に食らいつく。
死体から赤ん坊に体液が吸われているのがわかった。みるみるうちに干からびたミイラへと変わる。
「これなら処分もしやすいでしょう。骨もカサカサになっていますから、服ごと折りたたんで、焼却炉に入れてしまいましょう」
累が促し、しゃがみこんで干からびたミイラをたたみ始める。赤団子は別の死体の体液を吸いだしている。
「おっ、おお、わかった。しかしすげーな、お前。こんな化け物を呼ぶなんて」
波兵が感心しながら、二体目のミイラを服ごと折りたたんでいく。
「ありがとうなあ、雫野。おかげで力仕事せず済んだわ」
「血……ついてます」
笑顔で礼を述べる波兵に、累が近寄り、ハンカチで頬の返り血をぬぐう。
「なはは、何から何まで悪いね」
鼻の下をこすり、波兵の笑顔が照れ笑いへと変わる。
「いくら頭にきたとはいえ、場所と……相手は考えましょう。学び舎で事件を起こすなど……もってのほかです」
「俺に指図すん……いや、お前の言うとおりだな。すまね」
脊髄反射的に反発しようとした波兵であったが、間近でじっと累に見つめられ、すぐに言葉を引っ込めて謝罪した。
「こんなこと言っちゃ悪いが、俺なんよりお前の方がずっと化け物っぽいよ」
二つの服とミイラを抱えて歩き、波兵は隣を歩く累に話しかける。累も二体分、ミイラを服でくるんで抱えている。
「この前も言いましたが、僕は……妖怪ではありませんよ。妖術師です。もしかしたら……君の敵……かもしれません」
「そうか。それにしてはどろどろした邪念が感じられるんだけどな。敵ねえ……どうして敵になる? 俺みたいに誰かとつるんでいるのか? 立場に縛られているのか?」
「立場というか、しがらみというか……」
本来累は、誰にも何にも縛られたくない性分であったはずだ。しかし人付きあいをしていると、どうしてもそうした関係を無視はしきれない。
「そのしがらみは大事なものか? 俺は特に……大事でもないな。一人が寂しくて、それで何となく……って感じだったけど、正直あいつらにはいまいち心が許せない」
灰龍達のことを思い浮かべる波兵。
「雫野、お前は不思議だな。相性いいのがすぐわかった。会って、喋ってすぐに、通じるものを感じた」
「一目惚れですか」
「おいおい、薄気味悪いこと言うなよ。俺は男色の趣味は無いからな」
「僕はありますけど……」
「えっ?」
累の一言に、波兵は引きつった笑みを浮かべ、そのまま硬直する。
「ありますよ。でも誰にでもというわけでは……ありませんし。そういう仲になるとも……限りません……。ついでに言うと、両刀使いです」
「そ、そうか。まあ俺に惚れるのは構わないが、俺にそういう趣味は無いことは頭に入れておいて、諦めてくれよ」
少し怖そうに自分を見る波兵に、累は少々残念に思う。
(まあ、恋仲にならずとも、ただの友人でも別に構わないのですが)
そう思い、累は小さく笑った。
「俺の家に泊まりに来ないか? いや、来い」
焼却炉まで来て、中にミイラと制服を入れながら、波兵が累に向かって言った。
「面白いものを見せてやる。ていうか、お前の術も、よかったらいろいろ見せてくれよ。詳しく知りたい」
「術や能力など、そうほいほいと……人に明かすものでは……ないですよ」
「それでもお前、今、俺の手助けのため見せてくれたじゃないか。こないだだって、緑の炎みたいなの見せてくれたしさ。んじゃあ、あと二つだけってのはどうだ?」
「一つだけではなく、二つ……ですか。欲張りですね……。いいですよ」
元々秘匿しているわけでもないし、交流を深めるために用いるのも構わないとする。それに、波兵の誘い自体も、累は嬉しかった。彼の秘密とやらにも興味がある。
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