第二十四章 15
「えっと……今日は、学友の家にお泊り……してきますね」
帰宅するなり、累は蜜房に断りを入れる。
「うふふ……楽しんでらっしゃい」
「蜜房が想像しているようなことはしませんよ。多分……」
にたにたと笑う蜜房を見て、累は言った。
「せっかく今夜は、必殺のカレーコロッケポークカツレツ三重殺料理しようと思ったのに。ま、いっか」
蜜房が窓の方に歩いていく。
「さくらちゃーん、今夜うちで御飯食べなーい?」
蜜房が窓から顔を出し、道の脇で母親と遊んでいる女の子に向かって叫ぶ。
「食べるーっ」
「いつもいつもすみません」
側にいた母親が深々と頭を垂れる。
「お母さんもよろしければ来てくださーい。うちの下宿している子が、今夜は友達の家に遊びに行くっていうんで、一人分余りますからー」
「ありがとうございます。いただきます」
蜜房のお誘いに、ぺこぺこと何度も頭を下げる母親。
「さくらちゃんの家、苦しいのよ。父親を亡くしてから、お母さんが働いて一人で育ててるしね。だからなるべく声かけてうちで御馳走するようにしてるの」
事情を知らない綾音に向かって、蜜房は言った。
「蜜房さん、優しいんですね」
「あははっ、そうよー、蜜房さんはいつだって優しいのよ~」
綾音の言葉を受け、腰に両手を当ててたわわな胸を張り、得意満面になる蜜房であった。
***
累はタクシーで、指定されていた住所へと向かった。
高級住宅地の中にある、他の邸宅同様に広範囲に高い塀が張り巡らされた、広い庭の邸宅の中に、入っていく。
武家屋敷を模した建物と庭を見て、累は懐かしさを覚える。かつて自分も山奥に同じような家を建てて住んでいた。
「よう」
呼び出す前に玄関の戸が開き、波兵が笑顔で出迎える。
中に入り、廊下を歩いている途中に女給や下男と何人もすれ違い、波兵と累に向かって頭を下げる。
「使用人多いんですね」
累が言った。
「住み心地よいぜ。ここにいる奴、全員俺の言いなりだしな。女給の綺麗なのは全部俺のお手つきだけど、よかったら雫野も抱いてみる?」
「遠慮しておきますよ。僕の好みの子が……いないようなので……」
女給の全てを見たわけではないが、間違いなくいないであろうことはわかっている。
「雫野の好みってどんなの? 結構綺麗な女もいるんだぞ」
「見た目が僕より年下で、背も……僕より低い子です」
「なるほど。そういう好みか。なるほど……うんうん」
顎に手を当て、にやにやと笑う波兵。
「そういう娘を抱いたことあるのか?」
「五桁近くは抱きましたよ」
さらりと答える累に、波兵の笑いが引きつる。
「おいおい。一日に何百人ともやれるのかよ。いや、それ以前にどこから調達したんだよ」
「結構……長生きしているものでして……」
累が冗談を言っているかと思った波兵であったが、累は微笑みながらも、冗談ではない様子だった。
「そっか。雫野は妖術師だからな。それなのに学校通ってるって、何か変だな」
「僕も変だと……思います」
「つーか、雫野、友達いない? 俺以外と喋ってるの見た事無いぞ」
「いませんでした……よ。話が合いませんしね」
そして心が開けない。周囲が子供で、自分が長生きしすぎているからではない。彼等が普通の人間で、自分が普通ではないからだ。
「俺とは話せるじゃないか」
「ええ。波兵が僕を見て……同族のように感じ取ったように、僕も……そういう意識ですから」
「そっか」
照れ笑いをこぼす波兵。
「よし、約束通り面白いものを見せてやるよ。たがらあとで、雫野もよーじゅつ見せてくれよ」
歩きながら波兵が言った。
襖の一つを開くと、本を呼んでいる初老の男性が中にいた。
「これ、俺の飼い主で、俺が飼い主」
男を指す波兵。その言葉の意味を何となく察する累。
「お手っ」
「わんわんっ」
波兵がかけ声をかけると、男は犬の真似をして鳴き、四つんばいになって舌を出してこちらに向かってきて、波兵にお手をする。
「お回り」
「わんわんっ」
「ちんちん」
「わんっ」
波兵の命令に従い、犬の真似をし続ける男を見て、秘密というのはこれのことかと、少々落胆する累。ようするに義父を操り人形にしているのだろう。
「あまりいい趣味とは言えません……よ? 全然面白くもありません」
きっぱりと言う累。波兵の顔色が変わった。
数秒程沈黙し、不貞腐れた顔で無言であったが、波兵の方から口を開く。
「お前って控えめな喋り方のくせに、はっきりと言う奴だね。なはは……。いや、そういう所も気に入ったわ。うん。それに確かに、いい趣味じゃねーな……」
不貞腐れた顔になって累から視線を逸らしつつも、累の指摘を認めた波兵であった。
「はい。改めた方が……いいですよ。そういう行いは。自分自身の価値を貶める事です。ごめんなさいね……はっきりと言って」
穏やかな声で諭す累に、波兵は泣きそうな顔になる。
「ああ、わかってるよ。それもわかってるし、自分が卑しいことしてたのもわかってるよっ」
苦しげな声で吐き捨てる波兵。累が自分の行いを容赦なくきっぱりと否定したことと、それが自分を想うがためである事の両方が、途轍もなく心を痛めつけている。累の指摘を認めているからこそ、余計に痛いし苦しい。
「でもさ……俺、何もかもにムカついて、どこかでそれを発散してぶつけないと、気がすまないんだよ。この気持ち、雫野にはわかるだろ」
「痛いほど……よくわかります」
自分もずっとそういうことをしていた累である。波兵などと比較にならないほどに。
「わかるけど、こういう悪趣味な形は……やめた方がいいです。どうせ悪事を働くなら、もっと美しい形で……行いましょう。辻斬りとか」
「辻斬りはいいのかよっ」
真面目に語る累に、波兵は吹いてしまう。
「悪事だからこそ、美しくあれ。それが……僕の持論です」
「だから辻斬りは美しいのかって」
「美しいですよ。突然訪れた死神への恐怖……そして理不尽に命を絶たれる絶望と怨恨……。これが美しくないわけがないでしょう?」
「う、うん……まあ、わかった……。取りあえず、こういうことはやめておくさ。心のどこかで、引っかかってもいた。雫野がどんな反応するか、見てみたくもあって、見せたのかも……」
未だ四つんばいで犬の真似をしている義父に視線を向け、波兵は大きく息を吐く。
「僕が何も言わなかったら……どうしました?」
「どうもしなかったかなあ。もしかしたら雫野も楽しんでいると思って、そのままかもな」
「何も言わないというのは、表面上は合わせても、実は心の中では軽蔑していた……という可能性もありますよ」
「そうだな……」
うなだれる波兵を見て、言いすぎたかなと思う累。
(もう十分伝わったようですし、これ以上は触れない方がよいでしょうか)
無言で波兵の肩を小さく叩くと、波兵も笑顔が戻る。立ち直りは早いようだ。
「じゃ、雫野の術も見せてくれよ」
「戦闘用の……妖術が多いので、あまり見ても……面白くはないですよ」
「何だよ、そりゃ逆に面白そうじゃないか。ま、俺の方は面白くなかったから、例え面白くなくてもおあいこだ」
波兵が表情を輝かせる。
「何か壊してよいものは……ありますか?」
「んーと……」
累に尋ねられ、波兵は義父のいた部屋に上がり、表の戸を開ける。
「そこの石灯篭とかどうかな」
波兵が庭を指す。
「人喰い蛍」
累が術を唱えると、部屋中に三日月状に点滅する小さな光が出現する。直後――それらが一斉に庭へと向かって飛び、石灯篭を穴だらけにしていき、最後には石灯籠が崩れ落ちた。
「凄いな……確かに戦闘用という感じだし、食らったらひとたまりも無い」
驚嘆する波兵。
「もう一個は?」
「こんなので……どうです?」
累がアポートで、一枚の絵を呼び出す。絵には赤い空と黒い大地が広がっている。
「絵……? って、何だあっ!?」
周囲の空間が一変したのを見て、波兵は仰天した。絵と同じく空は真っ赤で、地面は真っ黒だ。そして延々と黒い大地が続き、どこを見ても地平線が見える、空と大地だけで他に何も無い、異様なる空間。
「亜空間ですよ……。ちょっと次元がズレた、違う世界を創ったとでも言いますか……。絵の中の世界に引きずり込んだとでも言いましょうか」
うまい説明の仕方ができない累。
「雫野は何者なの?」
「妖術師だと……言いませんでした? その道では、わりと知られている者です」
「そんな妖術師様が何で学業?」
「知り合いの妖術師の家で厄介になっていますが……ちゃんと学も身につけるようにと、勧められて……」
「そうか……。俺は……普通になりたいんだけど、やっぱり無理かなあ。学校で気に入らない奴を殺したり下宿先の宿主を操ったりする『普通』なんて、いないよなあ」
累は言葉に詰まった。憎悪の炎を心に宿す者同士で共感できるかと思ったが、決定的に自分と違うものが、波兵に見えてしまった気がして。
「何とも言えません……。僕は……普通に憧れたことがありませんから」
これは嘘である。自分とは異なるが故に、眩しくて憧れたこともある。しかし憧れを抱きつつも、普通になろうとは思わない。思えない。
「僕は……戦国の世に生まれましたから……ね。僕にとっての普通は……あれでした。あの時代、あの生き方が……一番いいものでしたから」
「何百年生きてるんだよ。しかしなるほど、わかった。また通じた。雫野の暗い感情の正体はそれか。その戦国の世への未練。平和が嫌いなんだな」
波兵に見透かされ、累は自虐的な笑みをこぼす。
「一方で……平和も甘受してしまって……いますけどね。時代の移り変わり、文化の変化、そういったものを……楽しんでもいます。特に江戸の世の終わり以降は、変化が激しくて……楽しかったです」
「嘘をついてないのはわかるけど、わかってしまう力がある俺だけど、それでも信じられないなあ。そんなに長生きしているのに、雫野の心は、あまり俺と歳が変わらないように思えるんだ」
「心の成長が……ほぼ止まっているのだと……思います」
そのおかげで、心が老いずに済んでいるという側面もある。過ぎたる命を持つことができたのはそのためだ。不老不死の適正を持つ者は、どこかで心が歪んでいる。
「ほぼってことは、完全に止まってるってわけでもないんだろ。それに、さっき俺に説教だってしたし、あの時は何か凄く年長者っぽかったぞ」
「そうですね……。偉そうな言い方だったら、ごめんなさいね」
笑顔で冗談めかして蒸し返す波兵に、累も小さく笑った。
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