第二十四章 7
「来たかって、僕らが来ることわかってたのお?」
弦螺が興味深そうに尋ねた後、隣の志乃介の方を向く。
「もしかして情報を漏らしていた裏切り者がいたのかな? 僕らが行くこと知っていたのは僕と志乃介だけ。つまり、僕の推理によると、裏切り者は志乃介だあ~」
「アホか……」
茶化す弦螺の頭を軽く小突く志乃介。
「四年前も派手にやっておったからな。四年前は危ういと感じ、一旦終わらせた。そろそろよいかと思ったが、まだほとぼりは冷めていなかった。故に予感していた。今この時期にまた同じことをして、しかも同じ町に留まっていれば、人間共に突き止められると」
柘榴豆腐売りが虚無的な口調で語る。
「わかっていて、何で動かなかったの~?」
対照的に明るく無邪気な声を発する弦螺。
「欲をかいてしまっただけよ。この町はわりと客が多くて、もう少し粘れるかなと。まあ、私がお主らを返り討ちにしたうえで、出れば済むこと」
「そのわりには元気無いよう? ひょっとしてもう、悪いことしたくないんじゃないの?」
弦螺の指摘に、柘榴豆腐売りは小さく笑う。
「私の子も、今のお主と同じくらいの歳だったよ。人間に殺されたがな。妻もな。ずっと復讐のつもりで柘榴豆腐を売り続けていたし、恨みを晴らして良い気分だったぞ。しかし、少し疲れもした――と言った所か。この気持ち、わからんだろうがな」
柘榴豆腐売りが毛布を脱ぎさる。青白い肌には、できもののような小さな膨らみがそこら中にでき、その口は河童を連想させる嘴のようなものがついていた。
「お話はもういい~? 遺言とかあったら聞いておくよ~?」
まるっきり無邪気な笑みを見せたまま、弦螺が声をかける。これから戦いに臨むとは思えぬ気の抜きように、柘榴豆腐売りは啞然としたが、気を引き締めなおす。
「大地よ! 豆腐となれ! ふんぬ!」
声高に叫び、裂帛の気合いと共に、柘榴豆腐売りは地面に右掌を叩きつけた。
「え? このふわふわした感じ、まさか……」
足元の不安定さと柘榴豆腐売りの台詞から、弦螺は地面が本当に豆腐になったのだと実感する。
「ふふふ、誰しも一度は夢想したことがあろう。地面が豆腐になったらどうなるかなと。巨大なる豆腐の上に乗ってみたいなと。これはそれを実現せし術也」
「いや、無いけど」
得意げに笑う柘榴豆腐売りに、笑みを消して無表情に否定する弦螺。
「ふん、これが何だって言うんだ」
志乃介は理解してないようで、刀を構えて柘榴豆腐売りへと駆け出す。
「ダメ! しのす……」
弦螺が制止の声をかけた時には遅かった。志乃介の足元が割れ、悲鳴をあげる間も無く、地面の中に志乃介の体が飲み込まれる。
「あーあ、本当、志乃介は考え無しなんだから~」
地面の中へとあっという間に飲み込まれた志乃介を見て、弦螺は顔の前で両手を広げておどけて笑ってみせる。
「ふふふ、立っているだけならもつが、動けば豆腐故にたちまち崩れ、飲み込まれ落ちていくぞ」
「つーまりー、動かなければ、表面張力の影響で平気なのかなあ」
弦螺が呟くが、柘榴豆腐売りはその単語の意味がわからなかった。
「そして、ほれ」
ぱんと手を叩く柘榴豆腐売り。すると弦螺の足元の浮遊感が無くなった。地面が元に戻ったのだ
「生き埋めよ。なーに、ほんの20メートル掘り返せば済む事よ。それまでに窒息せず――」
「ぷはーっ! 何だ、今のはっ!?」
柘榴豆腐売りの台詞途中に、志乃介が飛び上がるようにして地面の中から復帰した。いや、実際飛び上がっている。
翼の生えた巨大な大蛇が志乃介に巻きつき、空を羽ばたいている。その大蛇が地面を掘り返しながら浮上して、志乃介を救いだした事は、柘榴豆腐売りにも理解できた。
「おのれ……妖を造り、使役する輩か。おぞましい……。そして許せぬ」
志乃介を睨みつける柘榴豆腐売り。
「違うな。妖怪というわけではない」
否定はしたが、説明はするのが面倒なので、それ以上は何も言わない志乃介。
と、その時である。自動車がこちらに近づいてくる音に、三人とも気を取られる。
「み、蜜房様!?」
車を運転している女性を見て、驚きの声をあげたのは志乃介だった。同じ朽縄一族の同門であり、長らく顔を合わせていなかった一族の長が、突然現れたのだ。
「あれは……白狐家の弦螺ちゃんじゃない。うちの師範代もいるし」
「ほう、白狐家の者……ですか」
「あそこにいるのが柘榴豆腐売りのようですね。あの様子だと、交戦していた模様です」
車の中で、蜜房、累、綾音がそれぞれ喋る。
弦螺のすぐ脇で車が止まり、三人が車から降りる
「おおおおおおっ、働かない朽縄一族のみっちゃんと、雫野流の開祖の雫野累が来たあっ。凄い顔ぶれになったよう」
現れた面子を見て歓声をあげる弦螺。
「相当な才を……持ち合わせているようです……ね」
弦螺を一目見て、累は妖術師としての秘めたる実力を見抜く。
「白狐家の麒麟児とか呼ばれて浮かれてるらしいわ」
「浮かれてるは余計だよう」
顔馴染みである蜜房の言葉に、やんちゃな笑みを広げて突っこむ弦螺。
「でも否定はしないんだな」
言いつつ志乃介が地面に降り立った。翼の生えた大蛇は相変わらず飛んでいる。
「こいつがひょっとして柘榴豆腐売り?」
「うん。今、僕らがやっつける所だったんだー」
尋ねる蜜房に、弦螺が答える。見た目の年齢よりずっと幼い喋り方をする弦螺に、累も綾音も奇異の視線を向ける。
「人を化け物に変えるって聞いたけど、どんな術か興味あるわね。生け捕りにしていろいろ聞きだしたい所だけど、難しいかしら」
「大した術ではないぞ。教えてやってもよい」
蜜房の方を見て、柘榴豆腐売りは言った。
「人に討たれし妖の屍の粉と、妖である私に殺された人の粒の混じった豆腐、それを人に食わせる。数多の絶望が入り混じり、育まれし呪術よ」
そして得意気に語りだす柘榴豆腐売り。
「人に討たれし妖の絶望。殺されて切り刻まれて豆腐に入れられて、同じ人に食われるという絶望。死病に犯されし者が、柘榴豆腐で一時的に助かったと思ったら、少しずつ体も心も人ならざる者へと取って代わっていく絶望。柘榴豆腐を食した者はいずれ、人への恨みを受け継ぎ、力のある妖へと変貌を遂げる。それがこの呪術」
柘榴豆腐売りの話を聞き、蜜房と志乃介は不快を露わにする。綾音も表情に変化こそ無かったが、微かに怒りを帯びているのが、累にはわかった。
「悲しい話よの。せっかく死病から救われたと思ったのに、狂える妖になって人を襲い始める。しかも真っ先に襲われるのは、身近な者じゃ。おお、悲しい悲しい。その悲しさがたまらなくよい。その光景、その恐怖と絶望、想像しただけで涎が垂れるほど昂ぶる」
陶酔した口振りで、そこまで語ったところで、柘榴豆腐売りは自分に怒りの視線が向けられている事に、やっと気がついた。
「ぬわははははっ、お前達の怒りを感じるぞ。この話を多くの人間に語るがよい。広めるがよい。怒り、嘆くがよかろう。そして我の悲しみと怒りを知れ」
「何でこの人、得意げに……べらべらと真相を……喋ってるのでしょうか……?」
「きっと一人で寂しかったんだよ。ずーっと一人でしこしこ悪事にいそしんでたからさあ。その反動だよっ。僕がこの人の立場でも、同じことしそう」
高笑いする柘榴豆腐売りであったが、冷めた口調で言う累と、からかうように言う弦螺の二人に、その笑いが止まった。
「蜜房さん、もういいよね? さっさと始末つけるよ」
志乃介が一歩前に進み出て、蜜房の答えも待たずに、翼の生えた大蛇を柘榴豆腐売りめがけて放つ。
志乃介の翼つき大蛇が迫り、柘榴豆腐売りの首筋に噛みつこうとした刹那――
「秘術! 豆腐転生!」
柘榴豆腐売りが叫び、大蛇の頭部を掌で叩く。すると、大蛇の頭から尻尾にかけて、あっという間に真っ白な豆腐へと変わっていき、そのまま地面へと落下して潰れた。
「ふははははっ、我が手に触れしもの一切合切、豆腐へと変わるぞっ」
両手を鉤爪状にして顔の横で構え、再び哄笑をあげる柘榴豆腐売り。
「さっきも地面を豆腐に変えてたしね。わりと凄い力だよう」
感心する弦螺。
「でも、ようするに手に触れられなければいいのよね」
蜜房が慌てる事無く言い、短い呪文を唱え、術を発動する。
蜜房の手より一枚の呪符が放たれ、柘榴豆腐売りめがけて飛んでいく。
身構える柘榴豆腐売り。自分の前まで飛来してきた時点で、呪符には呪文や呪紋の他に、墨で絵が描かれているのを見た。狼の頭の絵が。
直後、呪符が消失し、巨大な狼の頭部が柘榴豆腐売りの前方に現れ、大口を開く。
触って豆腐にする暇も与えず、巨大な口が閉じ、柘榴豆腐売りの上半身がすっぽりと口の中に納まり、胴と腕がまとめて噛み砕かれた。
これこそ朽縄一族が得意とする妖術――『獣符』である。獣という形で力を投影する術であるが、志乃介の翼を持つ大蛇のように二つの生命を混ぜることもできれば、蜜房の巨大狼の頭部のように、獣の体の一部だけを出したり拡大したりすることもできる。また、本物の獣には有り得ない動きも多少はできる。
「あーあ、殺しちゃったあ。聞き出したい情報があれやこれやいっぱいあったのにぃ」
無惨な屍となって果てている柘榴豆腐売りを見下ろし、弦螺が腕を頭の後ろで組んで笑う。すでに狼の頭部は消えている。
「ねね、みっちゃん、何しにきたの? 国の指令でもあったの?」
「いや、暇だから興味本位」
弦螺の質問に、あっさりと答える蜜房。
「暇なら働いてよう。白狐家はちゃんと日頃から妖怪退治もしてるし、他の流派とも交流して術試しもしてるってのにぃ、朽縄は理由つけてサボることばかりじゃないか~」
「私だって見ての通り雫野流と交流してるじゃない」
遠慮の無い弦螺の物言いに、蜜房は笑顔で言ってのけた。
「雫野流と仲良くしちゃ駄目だろ~。今までどんだけ害悪振りまいてきたと思ってるんだよう」
「最近は……大人しくしてますよ……」
弦螺はふざけているだけだとわかっているが、一応は弁解しておく累。
「主が大人しくしてても、才能さえあれば、善人悪人おかまいなく誰にでも妖術ほいほい教えちゃうから、破心流と並ぶ迷惑流派って言われてるるる」
「耳が痛いですが……改める気はありません」
弦螺の指摘に、澄ました顔で累は言ってのける。
「そういや騒がれていた破心流の妖術師、捕まったみたいだね。捕まえたのは銀嵐館の者だとか」
志乃介が話題を変える。
「それは朗報ですね」
綾音が微笑む。実はその妖術師があまりにも野放しになっているようなら、綾音が捕まえにいこうかと思っていた所だ。
「じゃ、帰りましょうか」
蜜房が車に乗り込む。
「あー、ちょっと待って、雫野さん。聞きたい事があるるるあるあるるる」
弦螺が、車に乗ろうとする累を呼び止める。
「雫野の開祖ともあろう御方が、書生などに身をやつしておられるとはね。それも修行の一環なのかなあ?」
「書生の……つもりはありませんが、白狐家の者が僕などに何用……ですか」
白狐家は、朽縄一族と並ぶ、国に召し仕えられた妖術師一門名家であるが、累は先程弦螺にからかわれたように、世に災いを振りまくことも多い流派であり、相対した事もある。
「いや、書生でしょ。蜜房さんの所で衣食住わせてもらって、学校まで通わせてもらってるんだからさあ。中学で書生とか珍しいけど」
呼び止めておきながら、話を脱線させまくる弦螺であった。
「僕の方からも……術の手ほどきをする等して、切磋琢磨……している間柄ですし、学校には蜜房に無理矢理……通わされているようなもの……ですよ」
「ま、それは置いといて。どうも妖怪達の動きが活性化しているようなんだけど、何か知らないかなあ。そこの柘榴豆腐売りなんか、あからさまに人を妖にしていたしね」
弦螺が蜜房ではなく自分を名指しで呼び止めて聞いた事が、少し気になる累であった。ひょっとして自分を疑っているのではないかと。
「正直何も……。ここに来たのは、蜜房に誘われて……ですし」
「雫野さんもただの興味本位?」
「はい。累……で、いいですよ。他に質問は……ありますか?」
「はい。ないですよう」
顔の横で両手を広げておどける弦螺を尻目に、累は車に乗り込んだ。
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