第二十四章 6

 蜜房の家で世話になるようになってからというもの、蜜房に半ば命令されるような形で、累は学校へと通うようになった。

 本来は学校など通いたくなかったが、長生きしているなら時代にもっと触れた方がよい、そのためには人と多く触れ合う学校に通う方がよいと、蜜房に勧められたのである。学業そのものは二の次でもよいと。


 蜜房の手続きで、去年一年のみ高等小学校に通い、今年からは中学に通いだしたので、今はもうすっかりこの生活にも慣れた。

 高等科(高等小学校の略)までは男女共学であったが、中学からは男子は男子のみになり、女子が進学する際は高等女学校へと通う。いずれも進学率は低いし、この時代においては、中学に入っている時点で十分高学歴と見られる。特に男子は働き手として進学させてもらえないケースが多い。また、女子で高女に通えるのは富裕層か、せいぜい中流の上くらいの家庭の子までだ。


 その日は授業前に、教師が見覚えの無い生徒を連れて現れた。おそらく転校生だろうと皆判断する。


「はーい、ド田舎から転向してきた猪園波兵ですよ。よろしくー」

「こらっ、もっとしっかり自己紹介せんかっ。それに背筋をちゃんと伸ばせっ。猫背がひどすぎるぞっ」


 猫背の転校生が、軽い口振りで挨拶するのを、教師が見咎めて注意する。表情がだらしなく緩んでいて、それが愛嬌に繋がっている少年だが、しっかりと顔を引き締めれば、それなりに悪くない、端正な顔立ちの持ち主だ。


 だがそれよりも累は別なことに、気を引いた。猪園波兵からは、濃い妖気が感じられたのだ。術師か、それとも妖怪の類かのいずれであることは、違いない。

 さらに波兵の方も、累から放たれる妖気を察知して、ずっと累に視線を向けている。敵意は無いようだが、明らかに自分に興味を持たれたと、累は意識した。


「お前、俺の仲間?」


 休み時間になってから、波兵の方から累に親しげに声をかけてきた。

 波兵のにやつき笑いを見ていると、累はある人物を思い出し、懐かしい気分になる。累が人生の中で最も愛した人物と、笑顔がよく似ている。


「何か同じ物を感じるよ。病気になって、変な豆腐を食って治ったとか、そんな経験無い?」


 波兵の言葉に、累ははっとする。


(柘榴豆腐のことですか。この子は食したのでしょうか。そして……)


 何となく縁を感じる累。


「柘榴豆腐……ですか? 噂になっていますね。どんな病でも……治すと」


 とぼける必要も無いので、知っていることをそのまま口にする。互いの素性は不明だが、波兵の方に敵意は無いようであるし、第一印象も悪くないので、警戒することもない。


「化け物になるって噂もあるよねー。噂は本当だぜー。俺も化け物になっちゃったから。なははは」


 普通なら突拍子も無いと思われることを口にして、あっけらかんと笑う波兵。


「篤志家の政治家を操って寄生してるんだけどねー。養子やら書生やらをいっぱい囲っていたよ。善人気取りで虫唾の走る奴だわ。俺以外の養子や書生は、鬱陶しいから金もたせて追い出しちまった」


 超常の領域に及ぶ話をあけすけに口にする波兵に、累はますます好意を抱く。


(御頭によく……似ていますね)


 かつて累を拾い、妖術を授け、共に戦場を駆け巡った男も、唯我独尊、大胆不敵、豪放磊落な男であった。


「どうして……そんな話を僕にするのです……?」

「またまたとぼけちゃってー。お前も俺の仲間だろぉー? 妖気も狂気も感じるよ。俺の目は誤魔化せないぞ」


 妖気はともかく、狂気という単語を出され、累は半眼になって波兵を睨む。それまでの好意が、その一言でひっくり返ろうとしていた。


「何怖い顔してるのさ。あ、ちょっと馴れ馴れしすぎたあ? 仲間に会えて嬉しくて、ついはしゃいじゃった。いや、他にも仲間がいるんだけどね。同い年で仲間とか嬉しいし。他の仲間、紹介しよっか? 俺はそいつら嫌いだけど」


 別に馴れ馴れしいのは構わないが、相手の心の中まで覗いて、悟った風な口振りは、正直かなり不快な累である。


「先生、転校生が雫野君に絡んで、雫野君が困っています」

「こらーっ、猪園!」


 同級生が告げ口してくれたおかげで、教師が注意してくる。


「あいつ、告げ口しやがった。嫌な奴だなー。隙見たら食い殺してやろうかな」


 冗談とも本気ともつかぬ口振りの波兵。


「雫野っていうのか。じゃあねー、雫野」

 手をひらひらとさせて、その場を離れる波兵。


(気になりますね。おかしな発言ばかりしていましたし。勝手に仲間だと思ってぺらぺらと喋ってくれましたが……)


 波兵が術師で無いのは明らかだ。本人の言うとおり妖であるか、あるいは生来の超常の能力者であろうと、累は判断する。


(本当に彼は柘榴豆腐を食して妖になったのでしょうか……)


 詳しく聞きたいと思う。おそらくあの性格なら、質問すれば包み隠さず答えてくれそうな気もする。


***


 下校し、蜜房の家へと帰宅する累。


 家では蜜房と綾音が、術の知識について熱心に語り合っていた。互いに隠す事無く、己の妖術流派の知識や術理を明かしている。

 流派によっては、術理は秘匿するものであるが、雫野にはそうした掟は無い。個人の裁量で他人に自由に教えてよいとしているし、累の考えからしてみても、秘匿する理由がそもそも無い。


「おっかえりー、今日の勉学は捗ったー?」

 累の姿を見て、明るい声をあげる蜜房。


「まあまあ……です。それより、変な転校生と……出会いました。自分を妖だと言い、確かに妖気もまとわりつかせていて……」


 累は蜜房と綾音に、転校生の話をした。


「柘榴豆腐売りの話まで出てくるとは、不思議な縁ですね」

 と、綾音。


「むしろ縁に引かれた……のかもしれませんね」


 縁というものは確かに存在する。例えば輪廻転生においては前世で関わった者同士は非常に高い確率で転生後も引かれあうという。転生せずに生き永らえている累には、その縁の働きが鈍いようであるが。


「これから柘榴豆腐売りに会いに行こうって時に、そんなのが都合よく現れるなんてね。で、累ちゃん、その子に柘榴豆腐売りのことや、どんな妖怪になったかとか、仲間ってのが何かは、まだ聞いてないのかしら?」

「いや……何も聞いていません。変な子ですし……」


 蜜房の問いに、思わずそんな答えを返す累。


 確かに波兵は変ではある。しかしだからこそ気になる。惹かれるものがある。


「じゃ、行きましょうか。久しぶりに車出すわよー」

 うきうき顔で、蜜房が外に出る。


 蜜房が用意したのは、少し古めのT型フォード車だった。

 車の前のクランクレバーを掴み、力を入れて一気に上へと上げることで、エンジンをかける。


「セルフスターターがついていませんね。随分使っていない古いタイプのようですが、大丈夫でしょうか?」


 綾音がチェックして尋ねてきたことに、蜜房が目を丸くする。


「綾音ちゃんも車詳しいの? 女の子なのにっ」

「仕事で使う機会がありまして、少し……」


 何故か顔の横で手を合わせて喜ぶ蜜房に、綾音は何故か照れくさそうに俯いた。ついつい知識をひけらかしてしまったような、そんなはしたなさを覚えてしまったのだ。


***


 柘榴豆腐売りが現れたという噂がある、北豊島郡王子町。

 白狐弦螺と倉田志乃介の二人は、車でこの町へと向かい、到着するなり聞き込みを開始した。


 聞き込みを行った人の多くからは、柘榴豆腐売りを見たという反応が返ってきたが、目撃された場所はあちこちでばらばらだ。町には留まっているようだが、町の一箇所に留まって現れているわけではないようだ。


「今日現れた場所について掴めないな。もう町を出ていったのかな」


 二時間ほど聞き込みを続けてから、志乃介が呟く。


「それだとすごーく不運だね。だって昨日は見かけたって人いるもん」

「確かに……」


 弦螺の言葉に、苦笑する志乃介。


 しかしその直後の聞き込みで、つい先程柘榴豆腐売りの姿を見かけたという人がいて、場所も教えてもらった。


 車に乗って教えられた場所まで走ると、畑の前にて、全身を毛布にくるんだ怪しい人物の姿があった。


「おお、いたいたっ」


 弦螺が嬉しそうな声をあげる。志乃介は安堵の吐息を漏らす。


 柘榴豆腐売りの近くで、車から降りる。互いに妖気を感じあう。


「来たか……」


 弦螺と志乃介の姿を見て、柘榴豆腐売りは諦観した面持ちで、ぽつりと一声発した。

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