第二十四章 8

 神田宗佑は現在、銀嵐館の当主を名乗る男――桃島弾三に連れられ、牢へと入れられている。


「女は全て売女だ」


 牢屋の天井を見つめながら、何回口にしたかわらかない呟きを漏らす。


 宗佑の母親は借金のカタに売られた女郎で、幼い頃は散々嫌な想いをした。そのうえ十歳にもならぬうちに、母は宗佑を男娼として売り飛ばし、その金で自分を買い取り、遊郭を出て行った。


 四年後、十四歳になった宗佑は遊郭を逃げ出し、一人の女性と恋仲に落ちたが、その女は金持ちに寝取られ、宗佑の下を去ろうとした。激昂した宗佑は、女と金持ちの男の両方を惨殺した。

 その件で、宗佑の女性への不審と、性を忌避する心が決定的となった。女は力も頭も男に劣る分、より金のある男に媚びへつらうだけの卑しい生き物だと思い込むようになり、自分の人生を狂わせた女達に復讐することを決意し、殺人へと走った。


 さらに五年後、偶然知り合った老いた破心流の妖術師に師事し、破心流の妖術を学んだ。老いた妖術師は何の見返りも求めず、事情も一切聞かずに、己が磨いた術を全て宗佑に伝授した。


 術師としての恵まれた才能があったにも関わらず、宗佑は己の欲望と復讐心を満たすためだけに得た力を用い、手当たり次第に女を殺していくことだけに腐心した。


 術を用いて隠蔽し続けてきた宗佑であるが、お上にも術師はいる。宗佑の犯罪は露見し、政府お抱えか、もしくは雇われた妖術師達が、次々と宗佑の前に立ち塞がった。

 宗佑はそれらを全て退けた。複数の妖術師と相対して際どい事もあったが、他の妖術師と命がけで何度も戦って打ち勝った事により、自分が類稀なる力を持っていたということを宗佑は自覚した。


 だがその自分をも上回る力の持ち主の出現により、宗佑は捕縛された。

 相手は術師ですらなかった。いや、術と呼べそうな芸当もしてきたが、結果的には肉弾戦で討ち負けたようなものだ。


 うつらうつらとしながら、宗佑はいつしか眠りにつき、夢を見る。

 昔の夢。何度も何度も見た夢。

 病気で死に掛けた時に、いつも自分を邪魔者扱いしてくれた母親が必死で看病し、峠を越えた時に見せた笑顔が焼きついている。


「うおおおーっ!」


 叫び声と共に、宗佑は夢の中の母親に向かって拳を振り上げ、そこで目を覚ます。


「あの笑顔も全てまやかしだ」


 頭から打ち消さんとして呟く。この台詞も何度呟いたかわからない。それから二年後、母親は自分を捨てていなくなったのだ。


「女は全て売女だ」

 顔に手を当て、滲む涙をぬぐいながら、掠れ声で呟く。


(ところで……ここはどこだ? 牢屋ではあるが、警察とは思えない)


 鉄格子こそあるものの、部屋は壁も床も天上も非常に綺麗で、本棚まで用意してある。ベッドも中々上質なものだ。


(あいつ、俺をどこに連れてきやがったんだ……。俺をどうするつもりだったんだ)


 昨夜のあのやりとりは何だったのか。あまりにも意味不明すぎて、あれは夢だったのではないかと、疑いすらしてしまう。

 自分を捕縛した男のことを、宗佑は恨む気になれなかった。自分でも不思議だった。彼は宗佑の殴打も避けようとせず、全て受けきったうえで殴り返してきた。


(まるで俺の怒りも全て受け入れてくれるようだった)


 その男の目は他の妖術師達と違い、自分を蔑むような視線ではなかった。何の感慨も無い冷徹さとも違った。優しさや温かさすら感じた。それが宗佑には不思議で仕方無い。


(こんなの……俺の妄想なんじゃないのか? 何かにすがりたくて、助けてもらいたくて、そう思い込みたいだけじゃないのか?)


 宗佑は恐怖する。期待して、すがって、しかし結局しっぺがえしを食らう。今までに二回も味わった。勝手に信じた自分が悪いとも言えるが、それでもどうしてもあらぬ期待をしてしまう。


(あの男は何だったんだ……? 特に何でもない男で、俺の妄想でしかないのか? 妄想……だと思うことにしよう。きっと気のせいだ。そういうことにしよう)


 もう何も信じてはいけない。信じて裏切られた時の痛みに耐えられそうに無い。ならば信じない方がいい。宗佑はそう結論づけた。


***


 柘榴豆腐売りを征伐したその翌日、累はいつも通り学校へと通った。


「いよう、雫野。途中まで一緒に帰らないか?」


 下校時、猪園波兵がにこやかな笑顔で声をかけてくる。


「はい」


 累も微笑んで応じる。休み時間も波兵はよく累に話しかけてきた。


「はい、とか他人行儀な返し方だな。何かにつけて、お前行儀良すぎ。どこのいいとこのお坊ちゃんだよ」


 からかう波兵に、戦国時代に大名に拾われて礼儀作法はきっちり叩き込まれた――と、正直に言いはしなかった。


(妖怪達の動きが活性化している……ですか)

 昨日の弦螺の言葉が思い出される。


(この子も妖。しかし僕に対しては害意も無いですし。それどころか、普通に友人関係を築こうとしている。特に警戒の必要も無いか)


 そう思う累であるが、妖怪繋がりで波兵が何か知っていないかとも考える。探りを入れるにしても、そういうのはどうにも苦手で、どんな言葉をかけたらいいかわからない。

 もっとも、波兵は柘榴豆腐を食して妖怪になったと、堂々と言って笑っていた。聞き出せば、案外あっさりと答えてくれそうな気もする。


「お前本当綺麗な顔してるよなあ。髪の毛とかすげー。何よりその緑の目。もう何から何まで奇跡的な美だよ。いつまでも眺めていたい」


 不意に顔を間近に寄せてきて、波兵がそんなことを口にする。


「最後のは冗談だぞ。俺には男色の気は無いからな」


 顔を離して、けらけらと笑う波兵。自分は衆道もよく嗜んだ――と口にしたらどんな反応が返ってくるだろうかと、累は考えてしまう。そして口では否定するが、実は波兵にもそういった嗜好があるのではないかとも勘繰る。そうでなければ、こんな思わせぶりなことを口にしてくる男はいない。


「無口だなー。何で黙ってるんだ。俺のこと嫌いなの?」

 心配げな表情になって、波兵が尋ねる。


「まさか」


 馴れ馴れしいとは思うし、馴れ馴れしい人間か苦手な累だが、この少年に対してはそういう気持ちが不思議と湧かない。いや、初めは抵抗を感じたが、今は無くなった。


「そんなこと……ありません。ただ、喋るのは苦手でして……」

「そっかー、恥ずかしがりやさんかあ。難儀だねえ」


 累の言葉に、波兵は一瞬視線を外して頭をかく。


「まあ別に言葉で喋らなくても、俺はお前の心の声が聞こえるからいいんだ。憎しみが渦巻いてやがった。全く俺と同じで笑えた。お人形みたいな綺麗なお顔なのに、中味はドロドロに腐って爛れてるってのが、余計に笑えた」


 再び顔を寄せ、瞳に妖しい輝きを宿し、波兵は累を心底驚かせる発言を口にした。


「出会った時から聞こえてた。魂の声が。お前も俺の声、聞こえたろ? 理屈じゃなくて、感じただろ? 伝わったろ? 口で答えなくても構わんぜ。全部わかってるって」


 顔を寄せたまま、波兵は笑いながらも真剣な口調で喋る。魂の声云々はともかくとして、その声音と口調が、からかっているわけでも弄んでいるわけでもないと、伝えようとしているのが、累にもわかる。


「俺とお前は同族だ。そうだろ? 互いに一目見ただけでわかったろ。嬉しいよ。やっとそんな奴と会えたことが、凄く嬉しいよ」


 波兵の言葉を累は否定しない。概ね正しいからだ。そこに不快感も無い。拒む気持ちすらない。


「言葉はいらないと言いつつ……よく喋りますね……」

「なはは、心で繋がりあおうとも、何も声に出さんで黙ったままってのも寂しいだろー。お前は無口だから、特に俺が喋らないとさ」


 累の指摘に波兵は破顔して、もっともなことを口にした。

 おかしな子とは思いつつ、累も波兵のことを気に入っている。


「でも……僕の心を全て見抜いたような言い方は、正直やめて欲しいです。それは気に入りません」

「そっか。そこまでは見抜けなかった。悪い。でもそうはっきり言ってくれると助かるな。俺も何もかもわかるわけじゃないからさ」


 累に拒まれ、波兵は素直に引いて謝った。その際も全く気を悪くした雰囲気を見せない。実に快活な少年だ。


 だがその一方で累は、波兵本人が口にするように、確かに波兵の中に負の念が渦巻いているのを、感じていた。


(僕とは質の違う……激しく焼きつくような憎悪が、確かに波兵の心の奥から、感じられます。そして彼は、僕とは違い……孤独だった……?)


 累はかつて自ら孤独に浸り、怒りと憎しみを募らせ、悪事にいそしんでいた。が、年月が経ち、結局は綾音と定期的に会うようになり、蜜房も含め、自然と友人も作っていくと、少しずつ自分の心の中の闇が薄れていくのがわかった。また、悪事もしつこく繰り返すと、次第に飽きていった。

 まだ累の中にはやるせない怒りと憎しみが、微かに残っている。破壊衝動に捉われる事もある。だがそれを闇雲に発散させようという気力が、今の累にはもう無い。


(いつまで蜜房の所で下宿しているのでしょうかね……。居心地良くて中々離れがたい感はありますが)


 頃合を見て出て行くべきだと訴える気持ちが、累の中にはある。しかし今は、平穏を貪っていたいと言う気持ちの方が強い。


***


 波兵が帰宅すると、猪園邸前に一人の男が波兵を待っていた。


「やあ灰龍、久しぶり~」


 累の前で見せていたのとは全く異なる作り笑いで、波兵は男に声をかける。


「柘榴豆腐売りが殺された」

 男――妖達を仕切る大妖怪――灰龍が、短く報告する。


「へえ、そいつは目出度いな。で、誰に?」

 波兵の作り笑いが歪んだ笑みへと変わる。


「わからぬが、いつかこうなるとは覚悟していた。私も、奴もな。手広くやりすぎていたからな」

「はっ、俺はあいつのせいで人じゃなくなったし、家族も失った。ざまーみろだぜ。あいつは相当しんどい地獄に落ちておいてほしいもんだね」

「彼はすでに家族を人間に奪われ、地獄を見ていたのさ。柘榴豆腐を売るのは、その復讐のつもりだったようだ」


 毒づく波兵であったが、灰龍の言葉を聞いて、顔色が変わる。


「俺はあいつの……そんなお門違いな復讐の的にされたってのか? 俺は奴に何もしてないのに。畜生……俺が殺してやればよかった。でも……もう殺されているし、地獄も見た後とか……何だかもう……何がなんだか……」


 混乱しながら、波兵は屋敷の門をくぐる。

 余計なことを言って波兵を苦悩させてしまったと思い、灰龍は小さく息を吐いて、用件は告げずに保留して立ち去った。

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