第二十三章 エピローグ

 公開討論から五日も過ぎると、すでに世間の感心は別の話題へと向けられていた。


 その日、義久の住居に意外な人物が訪れた。コルネリス・ヴァンダムだ。


「そろそろ私も日本を離れるので、いつぞやの答えを聞きたくてね。それと、この国の裏通りの件に関して、少し話がしたい」


 答えは決まっているが、とりあえず家の中へとあげる。


「私は裏通りそのものがグリムペニスの敵だと思っているので、今後も相対するつもりだ。ルシフェリン・ダストとは……手を切ったが、あの組織が力を取り戻せば、また手を組んでよいとも考えている」


 卓袱台の前で正座して、ヴァンダムは語る。その間に義久は茶の用意をしている。


「裏通りに対しての他国の批難も、この先続くだろう。グリムペニスとしてはそれの乗るつもりでいるし、働きかけもしていく。また機会があったら、戻ってくる予定だ。ただし、サラ・デーモンのようなお粗末な工作はしない」


 どうだかと思いつつ、ヴァンダムの前に湯のみをだし、無言で茶を煎れる義久。


「君はその時、私の傍らで裏通りと戦ってみてはどうか?」


 ヴァンダムの問いに、義久はすぐには答えない。しかし答えは決まっている。


「私はこの国の裏通りと相対する一方で、立場的には、裏通りの中枢と似ている。私が羊飼いである一方、彼等は野犬の群れを放し飼いの飼い犬という扱いで、管理しているという違いだ」


 何も言わない義久にお構いなしに、ヴァンダムは一人でお喋りを続ける。


「あんたが俺をスカウトしたのは、別の狙いがあったからでしょ?」

「ほう? どのような狙いだね」


 やっと口を開いた義久に、ヴァンダムは興味深そうな顔になって小首をかしげた。


「それがわからないようなら、俺は大した人材じゃないよ。まず一つは、雪岡純子へのあてつけかな。雪岡純子のマウスであり、わりと懇意にしている俺があんたの下につけば、あんたが敵視している雪岡純子に対して、大きな精神的優位となる」

「ふむ。他は?」

「もう一つは……一応今回の騒動で取材を独占していた情報屋として、名が知れてしまったこの俺――高田義久が、騒動収束直後にグリムペニスの一員となったとあれば、いろいろと勘繰られるよな? 俺は元々、グリムペニスの息がかかっていたのではないか――とかさ。そしてこの一件は、グリムペニスによって、陰からうまいこと操作されていたんじゃないかとすら疑われる。グリムペニスのイメージダウン防止にも繋がる、と。こちらはこじつけに近いかな」

「ふむ。他は?」

「いや……その二つだけですが」


 義久の言葉を聞いて、溜息をつくヴァンダム。


「甘く見てやっても、55点といったところかな」

「ず、随分低い評価ですね。外れてたのか、それとも見落としがあるのか」


 勝手に評価をつけられることもさることながら、流石にこの点数は口惜しく思う義久であった。


「いや、外れてはいない。しかし君が口にした二つは、後からついてくるようなものだ。それらはそれらで、一応、私も考えていたがね。だがそのためだけにスカウトというのは、いくらなんでも有りえんよ。この先私の下で働いてもらう人材を、私が直に声をかけるにしては、弱すぎる」

「じゃあ……他に何が?」

「君の事を妻に話したら、妻が君をいたく気に入ってね。直属の部下にしてはどうかと提案したのだ。君のような正義感の強い男が側にいて御目付け役していれば、私が悪さをしづらくしようと考えたのだろうな」

「はあっ?」


 全く予想の範疇の外の答えに、義久は面食らう。


「テレンスはちゃんと見抜いていたよ。まあ彼は私も、私のワイフのことも知っているから、当然だが。どうやら君にとっては思いも寄らぬ、意外な真実だったようだね」


(つまり……ヴァンダムの奥さんが、俺とヴァンダムの二人を、純子と真のような間柄にしたかったわけか……。でも……そりゃ流石に想像つかねーって……)


 思いっきり苦笑いを浮かべる義久。


「こうした意外な真実は、時として落とし穴ともなりうる。固定観念や、ありがちな陰謀論や、小賢しい常識の範疇内の計算だけにとらわれないよう、用心したまえ」

「はあ……勉強になります」


 偉そうな口振りのヴァンダムに、義久は素直に感心し、受け入れていた。


「それで、答えは?」

 ヴァンダムが問い、茶に口をつけた。


「誘っていただいたのはとても嬉しいですよ。あんたみたいな大物に認められて、嬉しくないはずがない。しかし――人を家畜と見なしている人の下では、働く気になれません」


 きっぱりと義久は言った。


「人はあくまで人ですよ。ヴァンダムさん、貴方はその考えを出来るだけ早く改めた方がいい。さもなければ貴方の方こそ落とし穴に落ちる。これは今の意趣返しで言ってるわけじゃない。俺は本気でそう思いますよ」

「ふむ。その忠告、一応は心に留めておくよ」


 真剣な眼差しで語る義久に、ヴァンダムは目を細めて小さく微笑んだ。


「正直言えば、最近フリーの辛さも身に染みていた所ですし、自分の気持ちと立ち位置のズレも悩んでいた所なんですけどね。それでもやれる分だけ、フリーの裏の情報屋として頑張ってみますよ」

「そうか。気が変わったらいつでも来たまえ。ただし――」


 そこでもう一度湯のみに口をつけ、ヴァンダムは一気に茶を飲み干して立ち上がった。


「私が、また裏通りや、君と仲のいい雪岡純子と喧嘩をする前にね」

「一応ではなく、ちゃんと心に留めておきますよ」


 義久は座ったまま、出て行くヴァンダムを見送った。


***


 中央本線の各駅停車が高尾駅に停車する。

 この先は山の景色が多くなり、以前テレンスがこの鉄道に乗った際、ここから甲府駅辺りまでの景色に見とれ、もう一度乗ってみたいと思っていた。そして前回は甲府駅で降りて宿泊して東京へと戻ったが、今回はその先まで行こうと考えていた。


「おや? 奇遇ね」


 そこに、釣り道具一式を抱えた上野原梅子が乗車し、テレンスに声をかける。


「今日は。足は大丈夫ですか?」

「足? ああ、そういえばこないだ蚊にさされたような気がするね。もう歳だから忘れっぽいし、そんなこといちいち覚えていないよ」


 テレンスの言葉に、にっこりと愛想よく笑って答えると、梅子はテレンスと向かい合って座る。


「こんな所で何をしているの?」

「ただの旅ですヨ。僕は電車で旅して外の風景を眺めるのが趣味です。これまで世界中の電車に乗って、いろんな風景を見てきました」

「ほお~、若いのに渋い趣味だねえ」


 電車が発車する。


「写真は撮らないの?」


 窓からただ景色を眺め続けるテレンスに、梅子が尋ねる。


「いりません。生で見るものこと価値がありますネ。記憶に焼き付ければそれでオッケーなのです」

「いや、写真や日記ってのはね、とっておくといいものだよ。私は歳をとってからそう思って後悔したよ」

「そういうものですか。うーん、考えてみます」

「うん。年寄りの言うことは、耳傾けておいて損は無いね」


 その後、会話は途切れ、テレンスはそのままただじっと外の景色を眺め続けていた。


(電車――私の人生そのものね。自分の足以外のものに運ばれながら、そこから見える景色をただ漠然と見やる日々)


 ふと、そんなフレーズが、梅子の脳裏に思い浮かんだ。


***


 その人物から電話がかかってきて、美香は少なからず驚いた。


『サラ・デーモンです。その節はどうも。ご機嫌はいかが?』

「すこぶる普通!」


 微かに動揺しながらも、美香はマイペースを保つ。何に動揺したかと言えば、サラから電話がかかってきたことではない。サラの声が、極めてダークな響きを帯びていたからだ。


『私は一族から、敗北の責任を取らされることとなりました。貴女の虚言が、私の身で実現します。逃げることはかないません。私には七つになる息子がいますからね。この子を連れて逃げおおせるとは思えません』


 挨拶もそこそこに、サラは本題に入った。声音の暗い理由がすぐに理解できる内容だった。


『身の潔白の証明という名目です。しかしそれは私自身の気持ちでもある。無理かもしれませんが、汚名を少しでも雪ぎたい。日本では信じてもらえなくても、祖国の人達は信じてくれるかもしれない。一族の親しい人は信じてくれるかもしれない。そして、貴女へ一矢報いる事に繋がるかもしれません』

「どういうことだ!?」

『ふふふ……私はこの事実を全て日記に書き記し、息子へと渡しました。私の意志――無念は、きっと息子が引き継いでくれることでしょう』


 笑い声で告げられたサラの言葉に、美香の背筋に寒いものが走る。


「子に憎悪の継承をさせるつもりか!?」

『はい。私が残した贈り物は、いずれ成長し、私の仇を討ってくれると信じています。楽しみにしていてください』


 悪びれることもなく、楽しそうにサラは言い放つ。


『ただ敗北しただけでは、このような結末にはならなかったのですけどね。貴女がオーチンを殺したから……いえ、私がオーチンにあのような命令をして失敗したから、このような結果となりました。それでは――』


 電話の向こうから銃声が響いたのを確認してから、美香は通話を切った。


 しばらく美香は天を仰いで瞑目していたが、やがて意を決したかのように目を大きく見開き、すでにこの世にいないサラを意識して、力を込めて叫んだ。


「ああ、楽しみにしておく! 私の前に立ち塞がるなら、その子も貴女の元へ送ってやるまでだ!」


第二十三章 悪い人達を懲らしめて遊ぼう 終

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