第二十四章 そろそろ大正時代で遊ぼう
第二十四章 プロローグ
獣之帝という名前は、妖術師や呪術師といった超常関係の者であれば、誰もが知っている。
かつて獣之帝なる大妖怪が、日本中から妖怪をかき集め、人間社会に反旗を翻し、日本征服計画を立てたという伝説。
当時、その話は一般人の間にすらも、都市伝説程度に知れ渡ったというが、妖怪の王が人の世を支配しようなど、あまりにも荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい話なので、人々の記憶から廃れてしまうのも早く、後世に伝わることなく消えていった。
だが百六十年以上経った現在でも、日本の超常関係者達の間では口伝により、その存在と動乱は語り継がれている。
***
この世の大半のものは、不純である。様々なものが混ざっている。完全に不純物を排除して、純粋さを維持できるものなど、そう多くは無い。
だが、何処かから垂れてきたかわからぬその雫は、完全なる純粋さを保ち、己以外の物質を中に寄せ付けなかった。
最初それは、透き通った橙色の流動物だった。一本の木の根元に垂れ落ち、陽の光を浴びて煌くそれに、何故か様々な動物達が周囲へとやってきた。肉食動物と草食動物が争うこともなく、その周囲でじっと並んでそれを見つめていた。
動物達の次にそれを見つけたのは、死に掛けた妖の女であった。妖術師によって仲間達を皆殺されて、身重で逃げ出し、住処を失い、山の中を彷徨っているうちに、それを見つけた。
彼女は朦朧たる意識でありながらも、そのどろどろとした美しい塊に惹かれ、それに触れた。すると、触れた部分から引きずり込まれるようにして、彼女の全身が橙色の液体の塊の中へと導かれた。
苦痛から解放され、全身が満たされる。血流が促され、あらゆる快楽物質が頭の中で弾ける。飢えも乾きも無くなり、安らぎに包まれ、瞳を閉じる。
琥珀の中に閉じ込められた蚊のような状態で、彼女は保存された。女の妖はしばらくした後、息を引き取っていたが、液体の中のもう一つの命は、女の体越しに液体をすすりながら、屍の中で育っていた。
その間、動物達は定期的に同じ時刻にこの場を訪れ、しばらくの間じっと見つめ、去っていった。液体の前でじっと佇み、もしくは座り、液体とその中にいる女を見つめては、去っていくのだ。
まるで祈りを捧げに来るかの如く、動物達は毎日それを繰り返した。液体の前では動物達は決して争わず、襲わず、恐れもしなかった。
数年が経ち、その間に動物達は世代交代も経てこの場を訪れた。
女の妖の体は朽ちることなく保存されていたが、変化はあった。腹は次第に膨らみ、彼女を包み込む橙色の塊はわずかにしぼんでいった。
やがて、その日は訪れた。
その日、動物達は立ち去ろうとしなかった。いつもならある程度見守った後に立ち去るはずなのに、何かが起こるのをわかっているかのように、ずっとその場に留まり、待ち続けた。
女の腹を割り、新たな妖が生まれた。
生まれたその瞬間、取り囲んだ動物達がまるで祝福するかのように、一斉に鳴き声をあげた。
生誕したその妖は、人間の子供で言うならその時点ですでに五つか六つほどの大きさに育っている。
体についた橙色の流動物の残滓が、重力に沿って体表を流れ落ちていくが、幾つかは体に付着したままだ。
光沢を帯びたその肌は、淡い桃色である。頭髪は鮮やかに真っ赤であり、短く生えた二本の角は肌と同じく桃色だった。背中からは、透明の小さな翅が、しわくちゃの縮こまった状態で生えている。
やがて目が開かれる。頭髪と同じく赤い。白目の部分は存在せず、全てが赤一色であった。
新たに生まれし命は、幾つもの情報を認識した。世界そのものを。そして己を取り囲み、鳴いている獣や鳥達を。そして己自身を。
「くうぅぅ……うぅ……」
喉の奥から息が漏れるような音が発せられる。獣達を真似て自分も鳴いてみようとした結果がそれだった。
それは望まれて生まれた命。
それは望まれて救われた命。
それは祝われて生まれた命。
それは導かれて救われた命。
運命の高次元パズルがたまたま重なってこの世に誕生した、完全無欠の生命体。
命は感じていた。受け止めていた。受け入れていた。生まれた瞬間、己が祝福されていたことを。
命はまだ何者でもない。命はまだ理解していない。他の多くの命の望みに応え、彼等の上に君臨するために、己が在る事を。
だが命は求めることがない。己に課せられた宿命など、意に介さない。
それが……その命が産まれた時の話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます