第二十三章 29
美香とサラの公開討論がライブ配信されて、三日が経った。
各放送局のテレビ番組でも取り沙汰されて、日本国内は元より、海外でも大勢の目に留まり、この三日間はその反応で持ちきりであった。
世間の反応は概ね裏通りを認める方向へと傾いていた。反対派だった者達も、全てではないが、かなりの数が掌を返した。裏通りと表通りのバランスが崩れ、その結果犯罪多発したり経済が衰えたりしたら、誰が責任を取るのかという責任論へと集約され、それに押し負ける形となった。
また、外圧の材料にされている事もはっきりとわかり、外交カードとして使っている諸外国へ怒りの矛先が向いたこともある。特に国連とアメリカへの反感は強い。
ライブ配信中にサラ・デーモンが仕掛けた事も逆効果となった。国連へ根回しを行った事もあるが、裏通りへの悪印象を強くするために、人通りの多い場所で抗争を起こそうと工作していたことを暴露されたのが、決定的であった。
警視庁がその後も調査し続けて、薬仏市阿片顔町で騒乱を起こしかけた者達から、賄賂を渡されてデマを吹聴していた者が何名かいた者が判明し、抗争させる工作があった事だけは確かなものとされた。遺体で発見されたアルベルト・J・オーチンによる工作かどうかまで、断定できる証拠は、現時点では出てきていない。
ルシフェリン・ダストへの風当たりも強くなり、アンチ裏通り派の勢いは、急速に萎んでいった。右から左、左から右へと、空気が極端にころっと変わる全体主義気質の日本において、一度風向きが極端に変わってしまったら、もう抗うのは難しい。
政府に裏通りの扱いをどうするのかと問いただす声もあがったが、内閣総理大臣は、特に動くプランは無い――少なくとも外圧によって動くことは有り得ないという、無難な回答をしている。
***
毒田桐子、白狐弦螺、エボニーの二人と一匹は、悦楽の十三階段と中枢の幹部だけが利用できる、会員制バーで、顔を合わせていた。
バーのオーナーは弦螺であり、店員も彼が選んだ信用のできる人物だけが選ばれている。ここの情報が外に漏れることは無い。
「もうこれにて一件落着ってことでいいよね? 月那美香ちゃん、僕達が思っている以上に頑張ってくれたねっ」
満足そうに笑って言うと、弦螺はグラスに口をつける。飲んでいるのはソルティ・ドッグだ。
『きにくわねーけどたいしたやつだにゃー。でもやっぱりきにくわないにゃー。悦楽の十三階段のなまえをばらすわ、かってにうらどおりのだいひょうづらするわ、いったいなにさまのつもりにゃー』
「代表であったのは確かでしょう。多少行き過ぎた感はありましたが、私達が彼女を矢面に立たせて戦わせたのですから、その辺は大目に見ましょう」
ぶーたれるエボニーを桐子がなだめる。
「月那さんの評価は鰻登りですが、本人はそれに奢ることもなく、これで表通りの活動にも戻れると、ほっとしているようです」
「美香ちゃんの事務所にデモで押しかけた奴等とか、今頃どんな気分なんだろう。憎い相手に見事に引っくり返されちまってさっ。ざまあ~」
ケラケラと笑う弦螺。
「一件落着は確かですが、今後も同じようなことが起きないとは限りませんし、私達は私達で、ちゃんと対策を立てておいた方がいいでしょうね」
真顔で語る切子に、弦螺の笑い声が止まる。
「そのとーりだにゃー。もうこんなばかさわぎはごめんだにゃー」
「一件落着したとはいっても、今までと全く違うわけでもないよう。表通りにも諸外国にも裏通りの存在をアピールしすぎちゃったもん。例え忘れやすい国民達であろうと、記憶の底には残ってるるる。月那美香の努力を無駄にしないためにも、僕達が裏の裏の影でシコシコ頑張らないとねっ」
「しこしこはよけいだにゃー。おまえはいいかげん、あたまのなかもおとなになるがいいにゃー」
爽やかな笑顔でまとめたつもりの弦螺に、エボニーが半眼になって突っこんだ。
***
甲府光太郎の元に、コルネリス・ヴァンダムから電話がかかってきた。
「すでに我々と縁を切った貴方が何かまだ御用で?」
『君もそんな嫌味が言えたんだな。そういう人間臭い部分を見せられるとほっとするよ』
嫌味のつもりは無かった甲府であるが、反論する気力も無かった。
『ただの挨拶と世間話だよ。その余裕すら無いかね? それに、今後どうするかを聞いておきたくてね。ま、よかったらでいいのだが』
「この三日で、ルシフェリン・ダストの組織規模は四分の一未満に縮小した。支援者達も大半が離れてしまった。構成員も、幹部達も抜けていった。隠れて機を伺っていた者達の多くも見放したようだ」
ルシフェリン・ダストからしてみれば、その隠れて機会を伺っていた者達頼りであったが、彼等は何より保身を優先として、危険な役割は全てルシフェリン・ダスト任せであったため、甲府他ルシフェリン・ダストのメンバーの胸中は複雑だ。彼等を引きずり出すためにも、サラと美香の対談には勝利せねばならなかった。
『世論も裏通りを認める方向で落ち着いたしな。その組織を続ける意義があるのかね? いや、君や残った者達にとっては、組織を運営し続けることでしか己の意義を見出せないのか? だとしたら哀れなものだ』
「哀れんでもらう謂われは無い。一度決めた事を通す。それだけだ。その覚悟がある精鋭だけが残ったとも言える」
哀れみどころか嘲りの言葉を投げかけるヴァンダムに、甲府は臆する事も怒る事も無く、淡々と言ってのける。
『表通りの住人の多くも、裏通りへの反感は消え、これまでと同じバランスを望むようになったが? それでもなおしがみつく気かね?』
「機会はいずれまた来る。続けていれば、きっと来る。そう信じている。今後はその時に備えて、出来うる限りのことをしていくつもりだ」
『絶望へ向けての希望か。闇の先に光があると、思いたがっている。異なる道を進めば、本当の意味での光も見えてくるというのにな。しかし……』
ヴァンダムは言葉を切り、思案した。
『もしその時が来たら、また力を貸してやってもいい。ただし、もう少し賢くなっておくのだな。君達のやり方はいろいろとひどかった。負けて当然だ。時間をかけてじっくりと反省するといい』
ひどく上から目線だが、哀れみと温情を込めたうえでの、厳しい指摘をするヴァンダム。
「そうだな。その時間はたっぷり有りそうだ。その時はよろしく」
『ああ、楽しみにしているよ』
甲府の方から電話を切る。
(負けたがしかし、充実した時間だった。私達と全力で戦った彼女に対して、憎しみの念も無い。あの子にはあの子で、確かな信念と守りたいものがあったのだ。それが伝わってしまったせいかな)
そう思いつつ甲府は、ふと気がつく。自分が自然と微笑をこぼしている事に。
***
その日、義久と美香は雪岡研究所へと赴き、三日前の討論の件について話していた。
リビングでテレビをつけると、昼のワイドショーで丁度そのテーマを扱っており、あの上野原上乃助が持論をぶっている所であった。
『ええ、私は目が覚めましたよ。裏通りのことをよく知りもせずに批難していた自分が恥ずかしいっ。あの時の私こそが、国賊そのものですっ。裏通りこそ、この国を支える屋台骨であったというのにっ。そして月那美香さんこそ憂国の士でしたっ。彼女は国を守るために一人戦ってくれたっ。実に恥ずかしい話です。十六歳の女の子に国を背負わせて戦わせたという事実。そんな子をいい歳こいた親父共が批難していたという滑稽な構図っ。ええ、私も含めてですっ』
熱弁を振るう上野原は、今やすっかり掌を返し、裏通りを肯定する立場になっていた。
「下に威張りちらし、上には尻尾を振る犬のような男が国士気取りか! 虫唾が走る!」
テレビの中で自分を褒めちぎる上野原に、美香は腕組みしながら、怒りを露わにする。
「常に強い方になびく風見鶏なスタイルを保守しているんだろ。ある意味皮肉だよ」
「でもこういうタイプの人って、しぶとく生き残るものだし、わりと出世するものだよー」
義久と純子がそれぞれ言う。
「こずるく立ち回る輩は好かん!」
「だからといって、絶対ブレないとかいって、他人の意見を聞く耳持たずの頭カチンコチンな頑固スタイルは、もっと困りものだけどねえ」
「だなー。ブレない自分が格好いいとか言っちゃう奴とかな。それに比べれば、みっともなくても、上野原はまだマシだったんじゃないかと、俺は思うよ」
「んぐっ! そ、そうだな……」
純子と義久の二人がかりで諭され、美香は気恥ずかしそうに口ごもる。
「とはいっても、美香姉的にはこのおっさんは許しがたいだろうさァ。そこで許すのが大人なんだろうけど、あたしは、美香姉はそんな大人にならなくてもいいと思うんだわさ」
「この人は許す必要ないでしょう。憎めないキャラではありますが、信ずるには値しない輩です。美香が怒るのも当然です」
「そ、そうだよなっ!」
みどりと累に言われ、美香は表情を輝かせる。
「まあ上野原のことはどうでもいいとして、美香ちゃんあれから露出してないけど、テレビ局や雑誌からオファー殺到してないの?」
「してる! 全部断っている! 元々私は音楽関係しか顔を出してないし、今回は特別だっただけだ! まずは音楽活動の再開だ! 裏通りの危機を救う件に関しては、もうやれることは全てやったし、語る事も何も無い!」
義久に尋ねられ、美香は曖昧な笑みを浮かべて言う。
「今の状況を利用して、もっとビッグになろうとかは、考えないわけ~?」
「無いな! それは絶対にやってはいけないことだ!」
みどりの言葉に、真顔になる美香。
「私のことを英雄扱いまでする者もいるが、断じて私一人の力だけで成しえたことではないからなっ! 大勢の支えがあってのこと! その支えてくれた者全員での勝利だと私は思っている! なのに、私の功績として、私の宣伝やギャラのために利用するなど、私には絶対にできん! 故にこの件に関してはもう封印だ! いつもの私に戻る! それでいい!」
美香の主張を聞いて、義久はこの少女に尊敬の念すら覚えた。謙虚ぶっているわけではなく、心底謙虚であり、自分以外の周囲もちゃんと見ている。
「だったら自分のブログでも罪ッターでもいいから、それだけはしっかりと表明しておいた方がいいんじゃないか?」
真が言う。
「世の中には下衆な奴がいて、変な勘繰りもするからな。終息宣言と、今お前が口にした理由だけでも書いて、世間に自分の考えを示した方がいい。それに、お前のファン達が心配していただろうに、お前はブログも罪ッターも更新せず、そっちの方にはずっとだんまりのままじゃないか」
「そ、そうだな! 必死すぎてそこまで気が回らなかった!」
真の指摘を受けて、美香は気恥ずかしそうな面持ちになる。
「つまり真は美香ちゃんのブログとかSNS、ちゃんとチェックしてたってことか」
「ああ」
義久の指摘をあっさり認める真。美香がますます恥ずかしそうな顔へと変わり、最早赤面までしている。
「友人として、一応チェックしてやってる感じだな。それでなくてもこいつ、気を許せる友達が僕達くらいしかいないんだし。ああ……今はクローンがいるかな」
続いて言い放った真の言葉に、美香の表情が劇的に固まった後、諦めきったような視線で天を仰ぎ始めた。
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