第二十三章 28

 公開討論を終えた美香、義久、テレンスの三名は、同じホテルの一階にある喫茶店でくつろいでいた。

 すでに一時間以上も経つが、美香は疲れきった様子でテーブルに突っ伏している。その間、義久とテレンスはネットを閲覧し、先程の討論の反応を見ている。


「ミスター・ヴァンダムはルシフェリン・ダストから手を引くそうです」


 携帯電話のメールを見て、テレンスが言った。


「ヴァンダムさんは、現時点で美香ちゃんが勝つと見なしたのか……」


 意外に思う。義久はまだそうと決まったとは考えていない。


「やっぱりあの脅迫めいた言動に対しては、評価分かれてるな」


 ディスプレイを見つめたまま、三杯目のコーヒーをすすり終える義久。


「でも追い詰められた側が牙を剥く道理は、理解されているみたいですヨ」

「う~ん……美香ちゃんのあの台詞、脅威としては増しただろう。徹底的に叩かれるかもしれないぞ」

「裏通りは表通りを追い詰めているわけでもありません。結局何も変わらずが一番という形に落ち着きそうです」

「そうかなあ……」


 テレンスは危惧していないようだし、ネットの反応も、テレンスと同様の意見は結構有る。しかし義久は、どちらに転ぶかわからないと、懐疑的に捉えていた。裏通りを叩く材料をはっきりと与えてしまったのは事実だ。


「叩く材料を使って、本気で叩きにくるかどうか、そこなんだよ」

「私は……口だけで叩く奴等なら、心配はいらないと思う」


 それまでテーブルに突っ伏したままの美香が、ようやく顔を上げ、口を開く。表情は特に暗くもなく、疲弊している様子もないので、義久は安堵した。


「高田さんの言うとおり、実際に行動する者達が大勢出るかどうかだ。それが警戒すべき脅威だ。そしてそういった人達が大量に出て、無視できないパワーへと膨れ上がったとしたら、私が口にしたことも実現させねばならない。一般人と裏通りとで、武力衝突だ。内戦の幕開けだ」

「大袈裟……でもないか」


 静かに語る美香に、義久は否定しようとして否定しきれない可能性を感じ、言葉を引っ込める。


「とはいえだ! 私のあの脅しに怒りを感じ、実際に立ち向かってくる者達がいたら、敬意を覚えるがな! 口ばかりで『あれはいけないことだー、あの発言は悪いから誰かなんかしろー、みとめられなーい』とほざくだけの腐った輩より、何兆倍、何京倍も好感が持てる!」

「俺はそういう奴等に一切好感もてないから、ゼロに何をかけてもゼロだなあ」


 普段の美香に戻ったのを見て、義久は微笑みをこぼす。


「その理屈だと、裏通りをどんな偽善的な理由で敵視していようと、実際に戦うために立ち上がったルシフェリン・ダストは、偽善者とは言えないことになりますネ」

「実際そうだな!」


 テレンスの言葉を肯定的に捉える美香。


「やらない善よりやる偽善などというおかしな言葉があるが、実行して誰かのためになれば、どんな打算があってもそれは立派な善だろう! やらない善こそ明らかに偽善だ! 何もせずに綺麗事ばかりを口にする輩! 偉そうに他人の批判だけはする輩! 私から言わせればこういう輩こそが、悪党にも劣る最悪の屑であり、本当の偽善者だ!」

「いやあ……実際には、行動力だけありあまってておかしな行動する人は、困りものですけどネ。例えば海チワワの前のボスとか……。口だけの人は害も少ないですから、僕はそっちの方がいいですヨ」


 まくしたてる美香に、テレンスは控えめな口調で異を唱えた。


「普通はそうだろう。私がきっと特異な考えなだけだ。いつものこと」


 つい興奮して持論をぶった事に気恥ずかしさを覚えるように、声をひそめる美香。


「美香ちゃん、一つ聞いていいか?」


 タイミングを見計らって、義久が声をかける。


「応! 一つだけでいいのか!? 聞きにくい聞きたいことはいくらでもあるだろう!?」


 正にその聞きにくいことを聞こうとしていたことを見抜かれ、義久は微苦笑をこぼす。


「もしサラ・デーモンがコソコソと裏で動いて汚い手を使わなかったら、美香ちゃんもそれに合わせて正々堂々と勝負したか?」

「当然だ! そもそも私は防御策を取っただけで、それ以上のことはしてないだろう!? こちらからは何も仕掛けていない!」


 義久の質問に、美香は即答する。


「言われてみりゃそうだな」


 納得し、頭をかく義久。他に言えない何かをしていたとしても、いくら美香でも、義久に教えることもないであろうから、この質問自体ナンセンスであると、尋ねる前から義久もわかっていたが、それでも何か教えてくれることもあるかもしれないと期待し、ぶつけてみた。


「メディアは、民衆は、そして政府はどんな反応をするかねえ。何も反応しないのが、一番望ましいが、文句垂れる以外に能の無い国連は必ずケチつけてくるし、政府が無反応決め込むってのも考えにくいぜ。最近就任した外務大臣は中々勇ましい御仁だから、外圧も全てはねのける可能性は十分有る」


 美香がそこまで考慮したのは明白だと、義久も理解している。だからこそ政治屋は腰砕け云々と、あえて煽っていたのだろうと。


「裏通りも政府に干渉するだろうしな! ところで! こそこそと盗聴しているそこの三人!」


 喫茶店内に響き渡るような、一際大きな声をあげる美香。


「せめて気付かれないように盗聴しろ! そもそも盗聴しようとされまいと、人前で聞かれて困るような発言はしない!」


 美香に睨みつけられて叫ばれた客が、居心地悪そうに、こそこそと席を立ち、勘定を済ませにいく。


「見た目はアジア系ですけど、あれはアメリカ人ですヨ」

「ああ、中華系か韓国系だな。あっちの人からは日本人と区別つかないっぽいけど」

「僕はわかりますけどネ」


 テレンスと義久が笑いあう。


***


 美香、義久、テレンスの三名がビルから出て、帰路に着こうとした所で、お馴染みの殺気を感じ取る。


「おいおい、真っ昼間から、こんな人通りの多い場所でか?」


 濃厚な殺気を感じ取り、義久は呆れる。


「ロケットランチャーくらいは撃ってくるかもしれん! 注意されたし!」

「それ、どうやって注意すればいいのさ?」

「私は運命操作術で何とかするから、二人も何とかうまく合わせればいい!」


 無茶振りをする美香であったが、幸いにもロケット弾が飛んでくるような事態にはならないようであった。複数の男達があちこちから沸いて、三人を取り囲む。その数は合計七人。

 その中でも異彩を放っていたのは、首から下をすっぽりとマントで覆った男だ。立ち位置や殺気の質からして、この男がリーダー格のようであった。


「サラの刺客か!?」

「違う。単にお前達が気に入らない者だ」


 誰何する美香に、マントの男――荻野五鬼が険悪な声で答える。


「ルシフェリン・ダストの人達かねえ。あるいはその賛同者か」

 義久が呟く。


「海チワワのボスであるお前は、何でそいつら仲良くしてるんだ? ヴァンダムを裏切ったのか?」


 テレンスに視線を向けて問う五鬼。


「裏切ったとかではなく、義久さんの護衛ですヨ。ヴァンダムさんも襲われていますし、彼が襲われる可能性も当然あるとして、護衛によこしたのです」


 柔和な口調で答えるテレンス。


「そして今の台詞からすると、こいつは明らかにルシフェリン・ダストの関係者か」


 指摘する義久だが、五鬼は無反応。


「お前達は裏通りを批難する一方で、やることは裏通りと全く変わらんのだな!」

「それが何だ? 偽善者だと批難でもしたいか? 形だけの正義を抱え、裏ではどんな手段でも用いる。それが戦争の基本だろ?」


 叫ぶ美香に向かって傲然と言い放つと、五鬼は手で合図する。六人の男達が一斉に得物を抜く。

 否、六人のうち、得物を抜けたのは四人だった。そのうち二人は得物を抜く前に銃弾を受け、崩れ落ちた。

 撃ったのは美香ではないし、義久でも無い。テレンスだった。両手にすでに銃を二挺構えている。


 銃声が立て続けに鳴り響く。


 突然始まった銃撃戦に、通行人達は仰天する。ここは暗黒都市ではない。銃撃戦の発生に慣れている安楽市市民達とは、わけが違う。


 あまり荒事に馴れてはいない義久でも、殺気くらいは感じ取れるし、戦闘力の違いくらいしわかる。テレンスにあっさり二人殺された時点で、この襲撃者は大したことが無い。


 だがリーダー格の五鬼だけは違った。銃を持つテレンスに猛スピードで堂々と接近をかます。テレンスの至近距離からの銃撃もかわし、手が届きそうな距離まで迫る。


 テレンスの持つ銃のグリップから刃が飛び出す。そのまま銃を振るおうとしたテレンスが、手を引っ込めて大きく横に跳んだ。


 五鬼のマントが開き、大きく湾曲した無数の刃が、内から外に向けて、上下左右斜めに振られたのである。

 どういう仕掛けなのかは不明だが、刃はすぐにマントの内側へと収められ、五鬼の体は再びマントで覆われる。


「ふーん、面白いですネ」


 左手に刃の出た銃。右手は銃からナイフに持ち替えて、テレンスは五鬼を見ながら不敵に笑う。

 一方で美香は他の雑魚連中を相手にしていたが、四人のうちの一人をすでに戦闘不能においやっていた。


(時間の問題だ)


 美香が全ての敵を倒す前に目の前のテレンスを倒さねばならないと思い、五鬼は一気に決着をつけんとして、テレンスに再び飛びかかる。


 マントが大きくまくれあがり、刃が振るわれる。テレンスがバックステップしてそれをかわした直後、テレンスはマントの中の仕掛けを見た。胴体に巻かれた、刃がスプリングで飛び出る仕掛け。そして仕掛けは刃が収納されているだけではない。五つの穴が開いている。


 五つの穴から一斉に銃弾が発射される。横に跳べば、まだその勢いでさらに回避もできたであろうが、後ろにとんだ直後を撃たれてしまった。急に横っ跳びにかわすこともかなわないタイミングで。


「やりますネ」


 両腕を自らの胸部と腹部の前に揃え、銃弾を全て腕で受け止めたテレンスが、腕から血を流しながら不敵に笑った。そのうちの二発は防弾繊維を貫いていたが、胴に届いた弾は一つも無い。


「しかし銃口の向きと位置がわかりやすすぎですヨ」


 テレンスが銃口を五鬼に向ける。


 五鬼は回避を試みたが、テレンスは五鬼の動きを完全に読んでいて、一発撃っただけで、五鬼の額の中央を撃ちぬいていた。


 その間に美香はもう一人減らして、敵は残り二人。五鬼を屠ったテレンスがそこに加勢したため、たちまち残る二人も斃された。


 戦闘が終わった絶妙のタイミングを見計らったかのように、呼んでおいた闇タクシーが三人の前に現れる。


「あ、そう言えば、僕の仕事はもう終わりでしたネ。ミスター・ヴァンダムはルシフェリン・ダストから手を引くと言ってましたから」


 にっこりと笑いながらテレンスが言う。


「なら何故加勢した!? うっかりか!?」


 美香も笑みをこぼし、銃を懐に収める。


「うっかりもありましたけど、負けた後で見苦しく足掻いてくるような奴、気に食わないからです。僕が個人的に、助けたかった気持ちもありましたけど。これっておかしいことですか?」

「無いな!」

「うん、ないない」


 美香とテレンスにつられるようにして、義久も破顔する。周囲には血だまりの中に死体が転がっている状況で、笑顔の三人という状況なので、遠巻きに見ている一般人は怖がっているが、堂々と撮影している者もいる。何しろ三人の中には美香もいる。


「じゃ、名残惜しいですけど、僕はこの辺でおいとましますヨ。安楽市に戻るよりも、ここからの方がグリムペニスのビルも近いですし、あそこの施設で治療します。美香さん、義久さん、御達者で」


 そう言ってテレンスは、義久のお株を奪うかのようにして――いや、実際意識して、ウィンクしてみせた。


「応! またな!」


 美香が別れの挨拶を告げた直後――


「お前、ウィンク下手だな」

「ええええっ!?」


 義久の指摘を受け、思わず素っ頓狂な声をあげるテレンス。


「義久さんには言われたくないです……」

「だよな! 高田さんよりはずっと上手い!」

「えー、何それ……」


 テレンスと美香二人に言われ、肩を落とす義久であった。

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