第二十三章 22
デーモン一族が実質上支配している金融組織、貸切油田屋。サラ・デーモンはその組織の一員に名を連ねているわけではないが、一族の一員であるが故に、何かあればすぐ支援を受けることが出来るし、組織の要請があればその通りに動かなくてはならない。
血筋だけで権力と財力とコネを得て、血筋故にしがらみを断ち切れない。他者と比べて自分は幸福かと言われれば、素直にイエスとは言えない。
結婚も当然のように政略結婚であった。夫とはベッドを共にしたことすらない。今いる子供は、人工授精によって生まれた。式典でしか顔を合わす事はなく、偽りの笑顔を浮かべて並びあうだけの仲の夫婦。まともに会話をしたことすら無い。
聞いた所によると、夫には幼い頃からの付き合っている恋人がいて、そちらとずっと一緒にいるらしい。夫は自分の家の都合での政略結婚に相当腹を立てているらしく、その怒りは、名ばかりの妻であるサラを徹底無視するという形で発露していた。
しかしサラが今の立場を全て捨てて、自由を得るという選択ができるかといえば、断じてノーだ。結局は権力と財力とコネを手放しがたいし、今以外の生き方を踏み出すのも怖いからこそ、運命に従っている。
サラは密かに、裏通りの住人を羨んでいる。裏通りというアウトローな世界で生きている人間達は、自分が踏み出せない領域に踏み出して、自由を得た強い人間達であると認識しているが故に。
もちろん、やむを得ない事情などがあって裏通りに足を踏み入れた者もいるだろうが、感情的にはどうしても認めがたい。社会の秩序を乱しながら、自由に好き勝手生きているような連中という先入観が、どうしてもある。
それ故、日本の裏通りを批判する文章を書いてブログに挙げたら、それが貸切油田屋とルシフェリン・ダストの双方の目に止まった。
ルシフェリン・ダストからすれば、発足間も無い状態で、猫の手でもいいから借りたい状態であり、協力してくれそうな者には節操無く片っ端から声をかけていた。故に、サラにも声がかかった。
アメリカの実質支配者である貸切油田屋からしてみれば、少しでも他国の弱体はしておきたい。そして日本でルシフェリン・ダストなる組織が発足し、アンチ裏通りを掲げていると知り、これに協力して損は無いと考え、サラに支援者となることを命じた。
その日、サラは朝早くからルシフェリン・ダスト本部ビルへと赴いた。
いよいよ明日、月那美香との公開討論がある。ルシフェリン・ダストの最高幹部の甲府光太郎と、事前に打ち合わせをするために足を運んだのだが、甲府曰く、もう一人最高幹部を同席させると事前通達があった。
ルシフェリン・ダストの最高幹部など、サラは甲府しか知らない。甲府が実質ボスで他の最高幹部などいないのではないかと、疑っていたほどだ。
応接室に待ち受けていたのは、甲府と、首から下をマントで隠した怪しい格好の二人の男だった。
「萩野五鬼です」
「萩野六鬼」
自己紹介する二人。同じ姓と似たような姿、顔も似ている事から、兄弟であることは間違いない。
「この二人は表舞台には立つことはありませんが、組織を作り上げた立役者です。私も詳しいことは知りませんが、似たような名前と格好の者達が、他にもいるようです」
甲府の台詞は、とぼけているのか本気で言っているのか、サラには判別ができなかった。元々一切感情を表に出さない男だ。
「今まで現れなかった重鎮も、流石に今回は姿を現して直接話をしたいということですか?」
そう言ってから、少し皮肉めいた言い方になっていると自分でも思うサラ。
「別に話などしたくない。興味本位で見てみたかっただけだ」
ぶっきらぼうな口調で六鬼。相手の方がさらに無礼であった事に、サラは引け目を感じる必要が無いとして、ほっとした。
「すみません。うちの弟は礼儀というものを知らなくて。俺はサラさんに興味ありましたよ。ブログも拝見しています」
五鬼が軽く会釈して語りかけてくるが、台詞に抑揚がほとんど無い棒読みなうえに、愛想笑いも無く無表情のままだ。言葉だけでの社交辞令はできるようだが、それ以外の気遣いが全く無くて、嫌味のような態度とも取れる。
「それはどうもありがとうございます」
さっさと帰りたい衝動に駆られながら、サラは礼を述べる。
「あんた、月那美香をどう思う?」
六鬼がストレートに尋ねてくる。
「月那美香という人物には好感が持てます。安易な暴力に訴えずに、あくまで対話で決着をつけようという所がね」
「安易な暴力に訴えることが常の、どこかの国の人間に、聞かせてやりたい言葉ですな」
五鬼があからさまな嫌味を棒読みで言い放つ。
「それ以前に、私達はすでに水面下で暴力手段に訴えていますよ。しかし月那美香は自衛をしても、こちらに攻めてくるような真似はしていません。今は、ね。それでその質問の意図は何ですか?」
いい加減うんざりしてきたサラが、ストレートに尋ねる。
「あんたが月那に同調するかもしれないと疑っている」
六鬼から返ってきたこの言葉には、サラも面食らった。
「あんたのブログを見て、大体あんたの性格は見えているが、冷静なようで随分と情熱家だ。いや、情熱に憧れているのか? 裏通りを批判し、否定しているが、その心の奥底では裏通りへの憧れも見受けられる。ともすれば、思想がひっくり返るんじゃないか?」
「危惧は理解できますが、ありえません。私にも色々としがらみがあります故」
自分の内面を見抜かれていた事に、少なからず動揺していたサラであるが、きっぱりと否定した。
「それならいい。俺の心配はその程度だ」
「俺は別の心配があります」
六鬼が引き下がった直後、五鬼が挙手して発言する。
「サラさん一人に任せて、上手くいく保障は全く無いですよね。以前の討論番組ではこちらが優勢だったし、世論を沸き立たせる威力もありました。ですが、今度はそれが逆転される可能性もありますね? 月那美香もきっとリヴェンジに燃えているでしょうし」
「そんなことを言っていたら、あの番組とて危なかったでしょう」
五鬼の言葉に対し、甲府が口を挟んで異を唱えた。
「あれは番組プロデューサーとディレクターもこちら側だった。だから反裏通りのパネリストを揃え、月那美香一人をつるし上げることで、上手く反裏通りの空気を作り上げることができました。しかし今回は一対一です。そのうえテレビによる放送ではなく、個人によるネット配信という形です。そうした関与もできません」
「テレビほどの威力は無いと思いますが」
なおも食いつく甲府であったが、五鬼は無視してサラへの確認を求める。
「日本政府も裏通りを保持しておきたいのが本音でありますし、結果次第では宣伝に利用しまくるはずです。結果次第で、世の中の空気が大きく入れ替わるかもしれないでしょ? サラさん、敗北した際はどうなされますか? サラさんが負けると、これまで積み上げてきた労力が全てパーです。そういう盛り上り方になってしまっていますよ?」
五鬼の確認は非常にナンセンスだと、サラは呆れた。敗れた時の確認などして一体何の意味があるというのか。
「それは負けた時にどう責任を取るか、問うているのですか?」
「半分はそうです。もう半分は、危険な博打に挑まなくてもいいのではないかということです」
「責任はこちらで勝手に取ります。私はルシフェリン・ダストの一員ではありませんから。リスクが跳ね上がりすぎているのは分かりますが、その分リターンも大きくなっています。ローリスクローリターンの方が良かったと言いたいのですか?」
「本音はそうです。しかしこれは俺だけの考えでありますし、六鬼や甲府さん、他のルシフェリン・ダストのメンバーがどう思っているかは知りません」
ようやく相手の真意がわかり、サラは溜息をつきたくなる。
「今ここで、貴方個人に納得できる答えを返す必要はありません」
こういうタイプはどこの国でもいるものだと、サラは呆れていた。極めて無意味で個人的な問いかけをぶつけないと、気がすまないタイプ。どこでも嫌われるタイプだが、恐らく自分が嫌われている自覚は無く、気付く事もないから、どこに行っても誰と会っても、同じことを繰り返し、煙たがられる。
「私からも質問してよろしいですか? 貴方方二人は何者です? ルシフェリン・ダストの創設者と聞いても、いまいちピンとこないのですが」
サラから見ると、五鬼も六鬼もそういうタイプには見えない。少なくとも、手足にはなっても、頭や顔になれるタイプではない。
「私もよく知らないな。正体不明の立役者だ」
甲府が興味無さそうに言った。
「ルシフェリン・ダストという、比較的大きめの組織が創設する結構前から、実は反裏通りを訴える集団は幾つかいた。規模が小さすぎて、誰も気に留めなかったがな」
六鬼が語りだす。
「そのまま気に留められる事無く、少しずつ少しずつ手を広げていった。同志をこっそりと増やしていった。そして準備が整ったとみて、この組織を立ち上げた。俺達萩野が黒幕というわけではない。他にもいるんだ。いろんな所に潜んでいる。財界、政界、法曹界はもちろんのこと、警察内部にもいるし、裏通りの住人の中にさえいる。もちろん一般人にもな。その多くは、我が身可愛さに全く表に出ようとしないし、陰の動きに徹している。しかしルシフェリン・ダストの勢いがさらに増せば――明日、月那美香を完膚無きまでに打ちのめし、こちらの言い分を世に通せば、一気に火がつき、潜んでいた連中もおおっぴらに動き出すのは間違いない」
六鬼の話を聞き終えて、サラは五鬼を一瞥する。
この話が真実であれば、確かに明日の結果次第で、彼等が長年をかけて積み上げてきたものが実を結ぶか、水泡に帰すかという、そういう次元になる。五鬼の確認の仕方は非常に不器用であったが、彼の心配もわからないでもないと、サラは考えを改めた。
「それが実現できるよう、全身全霊で臨みます」
静かに言い放つと、サラは六鬼と五鬼に向かって深く頭を垂れた。
(手は打ってある。オーチンはすでにミッションを終えている。裏通りがオーチンの動きに気付かない限り、こちらの勝利は揺るがない。いや、例え気付いたとしても、もう仕掛けは出来上がっているから、対応は極めて困難)
己の切り札を思い浮かべ、サラは勝利を確信していた。
***
依頼も無いので、麗魅は事務所で一人だらけていたが、思わぬ人物から電話があった。
裏通りの仕事用の携帯電話。盗聴防止仕様の特殊電波を用いている。側にいて聞かれない限り、仕事内容を電話で話してもらっても、問題は無い。
『緊急の仕事を依頼したい! 期限は明日の公開討論が始まる前まで! できれば今日のうちがいい!』
依頼者は美香だった。彼女の今置かれている状況を考えれば、このタイミングで緊急の依頼ということは、相当に重要な依頼であろうと察する。
「そいつは当然、例の討論絡みなんだよね?」
公開討論が始まる前までと口にしているので、間違いないだろうが、念のために確認した。
『そうだが詮索は無用! いや、どうせ当日になれば判明する!』
質問にしっかり答えておきながら詮索無用と言う美香に、麗魅は笑ってしまう。
『ある人物を事故に見せかけて殺してほしい!』
依頼内容は、おおよそ美香には相応しからぬ内容であった。
「なははは、穏やかじゃなくて面白そうじゃん。ていうか、あんたが殺しの依頼をするっていうんだから、余程なんだろうね」
『応! 相手は外道故、情けは不要! とは言っても、そいつも命令に従っているだけの話だがな!』
「で、ターゲットは?」
『アルベルト・J・オーチン! CIAの職員であり、大使館職員でもある! こいつが薬仏市で二つの組織を煽り、抗争をけしかけている! いや、もうその煽動は終えている可能性が高いが、それでも構わん! 始末してくれ!』
名を聞き、即座に情報組織にその人物の詳細と、居場所を問い合わせる麗魅。
「時間も内容も問題無さそうよ。ちょっと今からひとっ走り行って殺ってくる」
『サンクス!』
電話を切って立ち上がると、麗魅は椅子に無造作にかけてあったジャケットを着て、事務所を出た。
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