第二十三章 21

 さらに一日が経過し、サラと美香の討論告知があってから二日が経った。


 純子と美香はセットで、とある場所へと呼び出しを食らった。


 呼び出した側から遣わされた闇タクシーに乗り、着いた場所はというと、すぐ近場だ。安楽駅北口のバスターミナルである。雪岡研究所があるカンドービルからは、信号につかまらなければ、車で一分もかからない距離である。美香はともかく、純子からすれば、わざわざタクシーを待つより、歩いて行った方が早いくらいだ。


 バスターミナルの側にある、やたらと横幅のある謎の巨大建造物。バスターミナルと隣接して車の入るシャッターがついているため、バスが入る建物ではないか思っている通行人は多い。実際にバスやタクシーが入る場面も、何度か見かけられている。

 しかしこの建物は、バスやタクシーを収納するためだけの建物ではない。それらの車は、客人を中に招くためのカモフラージュに過ぎない。


 シャッターが開き、純子と美香を乗せたタクシーが、建物の中へと入っていく。中は真っ暗だ。

 タクシーが入った直後、灯りがついてシャッターが下ろされた。


 中は広間になっていて、バスが何台か停車していたが、バスの後ろには、戦車だの軍用ジープだのが置かれている。さらには無数のコンテナ。中にあるものは大体察しがつく。


「何だ!? ここは!?」

「ここは中枢の施設の一つだよー。中枢の召喚を受けた安楽市の裏通りの住人は、大抵ここに来るんだ」


 訝る美香に、純子が答えた。


「おっひさしぶりぶりー、純子」


 バスの陰から白無地の着物姿の浅黒い肌の美少年が現れ、声をかけてくる。さらにその後ろからぞろぞろと、年配の男女が姿を現す。若いのはこの少年だけだ。


(そうそうたる面子だな! これが裏通りの管理者達――いや、実質上の支配者達か!)


 彼等の名と顔は美香も知っていた。知らない者も一人いたが。

 ふと、美香の目を惹いた存在がある。裏通りの支配者達と共に現れた、一匹の黒猫。現れた面子の飼い猫かと思った美香であったが――


「おひさー、弦螺君。『悦楽の十三階段』のメンバーが六人も揃ってお待ちかねとはねえ。こりゃ一大事だー」


 純子が笑いながら挨拶をする。


 純子と美香は、裏通り中枢を取り仕切る『悦楽の十三階段』の召喚を受け、この場に来たのだが、そのメンバーのうちの半数近くが待ち構えていた事に、美香も驚いた。それだけ重要視されているという事だ。


 ふと、美香は純子の言葉に疑問を抱く。目の前にいるのは五人の男女と、一匹の猫だ。


「六人!?」


 まさかあの猫も勘定しているのかと、黒猫を見る美香。その美香に向かって、黒猫がおもいっきりガンを飛ばし返してくる。


「おっと、五人と一匹と言った方がいいかなー」

 と、純子。


『くだらにゃーこといってんじゃねーにゃー』


 ボイスチェンジャーでもかかっているような独特な音声が響く。しかもイントネーションも激しくおかしい。


「腹話術か!?」

「いいや、その子――エボニーが念動力で空気を震わせて声を作っているんだよ。彼女こそ、オーマイレイプの知られざる最高幹部の一人にして、悦楽の十三階段のメンパーの一人、草露エボニーだからねー」


 悦楽の十三階段のメンバーの一人が猫であり、しかもオーマイレイプの最高幹部ということにも驚いたが、純子が珍しく呼び捨てにしていることも気になる美香であった。


「人ではなく猫だと呼び捨てなのか!?」

「いや、ミルクとエボニーはちゃん付けやさん付けを嫌がるからさあ」


 尋ねる美香に、純子が答える。


『ふざけんにゃー。ひとにかわってかってにしょーかいすんにゃー。しかもオーマイレイプのだいかんぶであることや、草露のせいは、しられたくないことなのにかってにばらすとか、しんじられないくそやろーにゃー。いますぐぶっころしてやりたいにゃー』


 おかしなイントネーションで、しかし明らかに不機嫌さを表した声を発するエボニー。おまけに純子に向かって激しく牙を剥いて、シャーッと威嚇の声をあげている。


(同じ語尾にゃー言葉の使い手とはいっても、七号と違って全然可愛くないな!)


 エボニーを見て思う美香。


「とりあえずこちらの自己紹介をさせていただきましょう。純子はともかく、月那さんは初対面の人も多いでしょうし」


 そう言ったのは、安楽市市長毒田桐子である。


「毒田桐子。御存知の通り、安楽市市長を務めています」

「北条斬吉です。現役の警視総監です。月那さん、その節はお世話になりました」


 中年女性と初老の男が続けて自己紹介する。もちろんこの二人は美香も知っているし、面識もある。北条には警視庁のイベントでお呼ばれし、一日警視総監を務めた事があった。その時の北条はまだ副総監ですらない、警視庁裏通り対策部の部長であり、警視長だった。


(薄幸のメガロドンのテロ直後に階級を一気に二つ上げて、警視総監の座に就いたんだったな! 前任の警視総監はあの事件で、警察官を動かそうとしなかったが故に!)


 裏通りで流れている噂によると、薄幸のメガロドン教祖が強力な超常の力で、警察庁及び警視庁のトップ複数名を、洗脳していたという話である。そしてそれに対抗すべく、事件の後に警視庁と警察庁のトップの一部を、超常の力を持つ者達に入れ替えたというのだ。

 こんな強引な采配は、普段ならとてもじゃないが実行されないだろうが、当時の警視総監と警察庁長官がテロに加担したという嫌疑までかけられていたため、それを有耶無耶にする事と引き換えに、この入れ替えはスムーズに実行されたという。


「白狐弦螺(はくこげんら)だよう。白狐家当主っ。一応こん中じゃ最年長だよぅ。敬ってもいいんじゃよー?」


 この場で唯一の少年が、妙にくせのある喋り方で名乗り、歯を見せて笑った。初対面ではあるが、美香も白狐の名前と、この少年の顔だけは知っていた。古くからこの国の霊的国防を務める妖術師流派では、朽縄一族と並ぶ名家の当主である。


『エボニーだにゃー。そこのばかたれまっどさいえんてぃすとに、オーマイレイプさいこーかんぶであることをかってにばらされたけど、ほんらいそれは、いうつもりなかったにゃー。雪岡純子は、えいえんにのろわれるがいいにゃー。むしろえいえんにのろってやるにゃー。おまえもこのことをかってにこーがいしたら、のろいころしてやるから、そのつもりでいろにゃー』


 黒猫エボニーが美香を見据え、相変わらず不機嫌そうな声でまくしたてる。


「沖田独楽之介。百七十二代内閣総理大臣を務めました」


 よぼよぼの老人が丁寧に頭を下げる。美香はその名前だけは知っていたが、顔は知らない。それもそのはずで、彼が首相を務めていたのは、美香が生まれる前の話である。


「玉村環。駄菓子屋の店主です。美香ちゃん、お久しぶりね。たまにはうちに遊びにきてね」


 初老の女性が愛想よく笑いかける。最後の一人は、美香が小さい頃から知っている人物だった。絶好町繁華街の駄菓子屋のおばちゃんだ。小さい頃によく通った駄菓子屋だが、最近はすっかり御無沙汰だった。


「応! 通わせてもらう! しかし貴女が悦楽の十三階段の一人だったとは!」

「ありがと。駄菓子屋は元総理大臣と肩を並べるくらい、偉い職業なのよ。あははは」


 冗談をとばして一人で笑う環。


「めんどくさいじこしょーかいもおわったし、とっととよーけんすましてかえるにゃー」


 露骨にウザそうな口調で言うエボニー。お前一人でとっとと帰れと、危うく叫びそうになる美香だったが、思い留まる。


「えっとーねー、冗談抜きで月那美香とサラ・デーモンの公開討論次第で、裏通りの運命も、この国のバランスも、大きく動くかもしれなんだよう」


 緊張感を全く漂わせず、にこにこと愛想よく笑いながら、白狐弦螺が切り出す。純子と似たタイプなのかもしれないと、美香は思う。

 そしてポジションからすると、今いるこの六人の中でリーダー格は、この弦螺であると見受けられた。リーダーでないにしても、地位は最も高いと思われる。


「悪い方に動いてほしくはないのは当然ですが、動くとしたら悪い方に動く可能性が濃厚です」

「ルシフェリン・ダストに多くの賛同者が現れ、裏通りへの風当たりが強くなれば、表と裏のバランスが崩れる可能性は十分にありますね」


 沖田元総理と毒田市長が続け様に言う。


「元々裏通りの存在を忌まわしく思っていた者達はいたからね。財団にも、政府にも、メディアにも、司法にも、活動家達にも、どこにでもいっぱいいるるるー。今回の結果次第で、そいつらが尻馬に乗って、一斉に反旗を翻す可能性があるんだっ。そいつらは現時点ではまだ、果たして今がその機であるかどうか、用心深く伺っているって所なんだと思うー。絶対に勝ち目の見える勝ち戦しかしたくない、安全圏でしか戦いたくない、そんな図々しい連中だけど、そいつらが動き出すと非常に厄介なことになっちゃうよう」


 弦螺が緊張感の無い声と喋り方でまくしたて、美香を指差す。


「あの告知サイトの大袈裟な煽りは、瓢箪から駒になりかねないよう。冗談抜きで、裏通りの運命は、月那美香ちゃんの双肩にかかっていると言っていいのデースっ」


 さらにおどけた口調で言い放つ弦螺。


「この国の運命も、ですね」

 沖田元総理が重々しい声で付け加えた。


 美香は息を飲むこともなく、表情を強張らせることもなく、手に力を入れる事もなく、ただ静かに彼等の言葉を受け入れていた。すでに覚悟は決めているので、緊張することも無い。

 そんな美香の様子を見て、弦螺と環が小さく微笑み、沖田も満足そうに頷く。


『しくじったらそのがんめん、ずたずたにしてやるにゃー。あいどるははいぎょうだにゃー。かくごしとくにゃー』


 一方でエボニーがたっぷりと憎らしい口調で告げる。


「私はアイドルじゃない! アーティストだ!」


 これにはカチンときて、むきになって反応してしまう美香。


『ちがいがわからんにゃー。ちがいのせつめいもいらんのにゃー。しょうじきどうでもいいにゃー』

「たとえズタズタにされた顔でも人前に出て歌うことが出来る者だ! 私がそうだ! 無様な顔だろうと晒して、力いっぱい歌ってやるとも!」

『わかったにゃー。あつくるしいからとっととかえれにゃー』

「いやいや、まだ帰られたら困りますよ。話は終わっていないでしょ」


 言い合う美香とエボニーをなだめるニュアンスも込めて、柔らかい声で告げる環。


「もちろん私達に協力できることがあるなら、出来る限り応じます。あるなら遠慮なく申してください」

『いいや、えんりょしろにゃー。めんどくさいことはぜったいおことわりにゃー』


 毒田市長とエボニーが告げる。


「あるぞ! 中枢にもやってほしいことがある!」

 エボニーは無視して美香は叫んだ。


『えんりょしろといったのがきこえにゃかったのにゃー。こいつはゆるせんにゃー』

「公開討論当日、薬仏市阿片顔町センター街で抗争が起こる可能性がある! CIAの工作員の手引きにより、マフィアと裏通りのドラッグ組織が、多数の市民が賑わう場所で、大規模な銃撃戦が展開され、大勢の表通りの人間が巻き添えにされて殺されるというシナリオだ!」


 エボニーを一瞥する美香。


「オーマイレイプの最高金額コースで掴んだ情報故、間違いは無いだろう! 中枢の兵を出し、事前にそれを阻止してほしい!」

『おかいあげありがとさまままにゃー』

「承知しました。中枢の兵だけではなく、密かに警視庁の機動隊員を動員し、全力で阻止しましょう」


 美香の言葉を受け、エボニーが全く心のこもっていない礼を口にし、北条斬吉警視総監が厳かな声で応じた。

 薬仏市は神奈川県なので、首都が管轄である警視庁に所属する北条にとっては管轄外だが、組織的な犯罪が行われるという名目で、警視庁の介入も出来る。


『それとにゃー。うちからじょうほうをかったことを、いま、にゃーがいるまえでいうのは、まじめにどうかとおもうにゃー。きをつけろにゃー』

「すまなかった! オーマイレイプで買ったから信憑性があるということを伝えたかったのだ!」


 わりと真剣な口調で窘められ、エボニーに向かって頭を下げて美香は謝った。


 実は数日前に、美香はルシフェリン・ダストとアメリカ大使館の動向を調べる依頼を、オーマイレイプに最高金額コースで行っていた。それによって幾つかの情報を仕入れたが、その中で見過ごせないのが、たった今述べた、抗争の手引きである。


「で、その工作員はどうします?」

 北条警視総監が尋ねる。


「その者の処置は、こちらで考えが有るから任せて欲しい!」

「わかりました」


 その処置の内容も聞かず、北条は頷く。大体想像はついている。


「他に無いか!?」

「いや、それはこっちの台詞っ。美香ちゃんにもう要求が無いってんなら、これで終わりでいいよう。頼んだっ」


 尋ねる美香に、弦螺が親指を立てて、歯を見せて笑う。愛想と愛嬌に満ちたこの少年を見ていると、心が落ち着く。


「万難を排して臨む! 大船に乗ったつもりで……否! 宇宙戦艦に乗ったつもりでいろ!」

『うんめいせおって、とっととどこへでもかってにとびたつがいいにゃー。とんだらとんだままで、かえってこなくていいにゃー』


 エボニーの憎まれ口の意味を理解できたのは、発言したエボニー以外では、純子と弦螺だけだった。


「美香ちゃん、うまくいったらお菓子百円分サービスしてタダであげるから、終わったらうちの店に来なさいね」


 タクシーに乗ろうとした所で、環が声をかける。


「さ、サンクス! 楽しみにしている!」


 たった百円かと言いかけた言葉を飲み込んで礼を述べると、美香はタクシーへと乗り込んだ。


「美香ちゃん、凄いねえ。美香ちゃんが詰まったら、私が口添えしようと思って身構えてたけど、私、何も喋らずに済んじゃったよ」


 タクシーが発信した所で、純子が感心を露わにする。


「見くびるな! 私はとっくに覚悟ができているのだ! 悦楽の十三階段のプレッシャーや品定め程度で、オタオタするか! しかしサンクス! 純子が側にいるだけで、心強かったのもまた事実!」


 純子の言葉を笑い飛ばしつつ、礼を口にする美香。


「そうだよねえ、あれはプレッシャー与える意図もあったんだなーと、私も思ったよー」

「思いつく限りの手は打ち、上級運命操作術すら施行した! 絶対に負けん!」

「それは頼もしいですな。私もこの稼業を安心して続けられそうです」


 二人とも顔見知りの、白黒混じった髭面の初老のタクシードライバーが、笑い声で口を挟んだ。

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