第二十三章 23
その日の午前、義久はテレンスを無理矢理病院に連れていって、昨日の負傷の診察と治療を済まし、午後は明日の公開討論に向けて、様々なチェックを行っていた。
肋骨が一本折れていたテレンスであるが、動くには支障が無いからそのまま護衛を続けると言い張り、今日も義久の住処にいる。
例の告知によって、世間は想像以上に盛り上っている。テレビでもネットでも新聞でも話題に取り上げられまくっているし、注目が高まっている。
「んー……」
その仕掛け人として、本来なら喜んでもいいはずの義久が、浮かない顔でディスプレイを眺めている。チェックしなくてはならないことは沢山あるのに、それも捗らない。
「ミスター・ヴァンダムに言われたこと、気にしているんですか? 裏通りのジャーナリストであることに、迷いや不満、ありますか?」
義久がどうしてテンションが低いのかを見抜いて、テレンスが声をかける。
「不満は無いよ。でも迷いはあるかな。かつて裏通りが憎かった俺、今でも裏通りの存在に疑念を抱いている俺がいるのも確かなんだ。そのせいで揺れてるって感じさ。情けない話だけどね」
照れ笑いを浮かべながら、心情を吐露する義久。
「僕の目からは、義久さん、今のお仕事がすごくマッチしているように見えますヨ。生き甲斐になっているでしょー?」
「生き甲斐か……。うーん、確かにのめりこんではいるな」
「僕もそうしたのめりこめるものが欲しくて、ずっと探しているんです」
義久と同様に照れ笑いを浮かべるテレンス。
「電車の旅が好きだと言ってたじゃないか」
「あれはただの趣味です。そうではなくて、自分にとって使命感みたいな感覚で、胸を張って没頭できるジョブにつきたいんです。もしそれが見つからないままなら、いつまでも海チワワにいるか、下手すれば戦場に戻ってしまいそうです。戦場に戻る夢、よく見ますネ。戻りたくないと思う一方で、もう一人の戦場に戻りたい自分もいますネ。僕は小さい頃からずっと戦場にいましたからネ」
「そうか……複雑だなあ」
間違いなく自分より過酷な環境で育ったにも関わらず、テレンスがいつも朗らかで、その場にいるだけでこちらの気分も落ち着くような、そんな人間性の持ち主であることが、義久には不思議だった。
「裏通りを非否定しつつ、裏通りにいることは……別に不自然ではないです……ヨ」
急に何故か躊躇いがちな口調になって喋りだすテレンスを、義久は怪訝な目で見る。
「僕は昔、とあるきっかけで海チワワに入りました。最初はただの用心棒みたいなものでしたけどネ。しかしこの組織のひどいテロ活動を見て、すぐに関わりたくなくなりました」
やっぱり……と、義久は納得する一方で、それなら何故そのテロ組織にいて、あまつさえボスを勤めているか、その理由がますますわからない。
「しかしそれで逃げていいのかとも思いました。こんなひどい組織と一度関わり、手を貸して、後は嫌だからと見て見ぬ振りして逃げていいのかなと思いました。いくらなんでも僕一人の力で組織を潰すのも無理だと感じましたから、僕はこの組織の中で力をつけ、いずれ乗っ取ろうと思いました。幸いにも海チワワ内にも、今の海チワワの在り方を気に入っていない人間がわりといたので、彼等と協力しあいながら、組織内で力をつけ、人脈を広げていきました。外部からもまともそうな人を呼びいれて、組織の浄化の機会を伺っていました」
そこまで聞いてやっと義久は、何故テレンスのような男が、海チワワにいるのか、理解できた。
「で、ようやく組織をのっとったってわけか」
海チワワのボスがテレンス・ムーアという男になった情報は、義久も彼と会う前から知っている。わりとつい最近の話だ。そういえばあれ以来は、海チワワがテロを行ったという話は聞かない。
「正確には先代ボスが殺されたんですけどネ。僕がボスになったからには、もう一般ピープルを巻き添えテロで殺すような真似、させませんヨ。ミスター・ヴァンダムとも、その辺、きっちりと話、つけましたネ。僕の考えに賛同してくれる幹部で固めましたし、反対する人には出ていってもらいましたヨ」
「なるほど……そういう戦い方もあるか」
感心して微笑み、義久ははっとする。
「そうだな。俺も裏通りにいながら、裏通りに不満や疑問を抱いている。でもそれは矛盾しちゃあいない。その環境で、テレンスを見習って戦えばいいわけだ」
「そうですネ。僕を見習ってください」
茶目っ気たっぷりに笑うテレンス。
「何か、ずっとつっかえてた気持ちがすっきりしたよ。目から鱗ってこういうもんなのか。ありがとさん、テレンス」
たっぷり感謝の気持ちをこめてウィンクする義久に、テレンスの笑顔が引きつる。
「んんん? 何か俺おかしなこと言った?」
「い、いえ……別に……」
不審がる義久だが、テレンスはあからさまに視線をそらして誤魔化す。
「いや、言ってくれよ。気になるだろ」
「いえいえ、気にしないでくださいナ」
引きつった顔のまま、テレンスはぶんぶんと首を横に振った。
***
短い期間内で時間制限つきの大変な任務ではあったが、アルベルト・J・オーチンはどうにか無事ミッションを達成した。
彼の働きはほぼ完璧だった。薬仏市において対立する組織同士の中でも、最も規模が大きく、そして火がつきやすい組織を選び、双方の組織に金を渡し、強請り、デマを吹聴し、煽りまくって、対立構図を作り上げた。
しかも組織同士が衝突する時間まで、指定されている任務である。明日の月那美香とサラ・デーモンの討論が行われている最中に人通りの多い場所に発生させ、大勢の市民を巻き添えにしての大抗争にしないといけない。
短期間内に上手いこと双方の組織を騙し、抗争を発生させる時間と場所まで指定して誘導したオーチンが、工作員としては極めて優秀であることは疑いようが無い。
ただ一つ、致命的な落ち度があったものの、それはオーチンの責任とも言いがたい。いくら優秀とはいえ、大使館職員でもある人物を起用したサラの失態だ。
世界最高峰の情報組織オーマイレイプは、サラが動かせる人物をずっとチェックしていた。日本に滞在する米国軍人や工作員、その全てを。あるいはサラが完全な外部の者とコンタクトを取ったのであれば、抗争の発生の成否はともかくとして、サラの動きは悟られなかったかもしれない。
任務を終えたオーチンは、大使館職員宿舎テンプルタウンハウスへと戻り、自室にて待機するつもりであった。
「面白い建物だなー。一種のアートなのかねえ」
厳重にロックしてあったにも関わらず、室内に侵入者がいたので、オーチンは仰天して報告を試みる。携帯電話に仕掛けられた非常信号のボタンを押すだけで済む話だ。
しかしオーチンは押すことが出来なかった。侵入者はオーチンの動きを見てとり、目にも止まらぬ速さで銃を抜いて撃ち、オーチンの肘を撃ちぬいた。
「いきなり殺しちゃうと、手が硬直して、そのポケットの中にある何かを押しちゃうかもしれないしな」
不敵な笑みを浮かべて、樋口麗魅はオーチンに銃口を向けたまま告げる。確かに撃たれたはずみで、ポケットから手を出してしまっている。己の失敗を悔いるオーチン。
オーチンのそれ以上のリアクションも待たず、声をかけることもなく、麗魅は彼の頭を撃ち抜く。
「さて、このままにしておいたら不味いんだよな。血の跡も丁寧に処理しないと」
倒れたオーチンを見下ろしながら、麗魅は電話をかける。依頼の注文内容によれば、死体も別の場所に移動しておかないといけない。
麗魅が窓を開け、外に合図を送ると、近くに生えた木の中からロープのついたフックが射出され、麗魅のすぐ横を抜けて、室内へと撃ちこまれた。
外の木から部屋まで延びたロープには、透明迷彩が成されているので、よほど目を凝らさないとわからない。
(このロープで死体を外に運ぶってわけね。流石は後始末専門の始末屋組織『恐怖の大王後援会』だ。こいつらに任せてれば安心かなあ)
麗魅がほくそ笑むと、携帯電話に美香からメールが届く。
メールには恐怖の大王後援会の者が、この部屋に後始末に来るという旨が書かれていたが、連絡が無くても、その組織が来ることを見抜いていた麗魅であった。
***
「昨日、テレンスと護衛対象が襲撃されたと聞いたんだけど」
正午になってグリムペニス日本支部ビルに姿を現したキャサリンが、ヴァンダムの前に顔を見せて、最初に口にしたのはその話題だった。
「高田が襲撃されないようにと、テレンスをつけたのだがな。グリムペニスの下部組織である海チワワのボスが、直接ガードしているのだ。それだけで、愚かな味方への牽制になると踏んだのだが、それすらも通じない、底無しの愚物だったようだ」
机に手をついて顔を乗せ、ヴァンダムは呆れきった顔で喋る。
「違うわ。テレンスと交戦したのは、あの上野原梅子だそうよ。高田義久が黒幕だと思い込んで、孫を守るために立ち上がったんだって」
「む? 上野原梅子であるということは知っていたが、ルシフェリン・ダストに依頼された刺客ではないのか?」
キャサリンの言葉を聞き、ヴァンダムは意外そうな顔になる。
「こっちで本人に電話もして確認したわ。ただの勘違いだって」
「どうしてそういう考えに至ったか謎だが、確か百歳を越えているんだったな。迷惑な婆さんだ」
思わず微笑をこぼすヴァンダム。
「百十五よ。テレンスが結構苦戦したっていうから、百十五歳でも常人より遥かに優れた肉体のはずよ。頭の方はどうだか……」
「頭がどうかしてなければ、ミスター高田を狙いにいく発想は出てこないだろう」
「確かにねえ。でもちゃんと誤解は解けたっていうし、まるで喜劇よ。テレンスはアバラ折られて災難だったけど。ところで明日のことだけど……」
それまで談笑モードであったが、キャサリンが表情を引き締める。
「私、月那美香や高田義久が明日までにもう一度襲撃される可能性、高いと見てるんだけど」
「討論自体を潰そうというわけか。確かにどちらも一度襲撃されているが、現在の状況でそれは無理がないか?」
「勝負なんかしないで、敵が消えてくれることが一番いいでしょ? 当たり前のことよ?」
「これだけ盛り上げておいて、世間を黙らせることができるかね? 逆効果ではないか?」
ヴァンダムはキャサリンの危惧に対し、懐疑的であった。数日前と今では状況が全く違う。
「今はハッキリと剣よりペンが物を言う状況だ。そうなるように、ミスター高田が舞台を作り上げた。それを引っくり返すほど、彼等は愚かだろうか?」
上野原梅子がルシフェリン・ダストかアメリカ大使館の刺客だと疑っていた時は、まさしくそこまで愚かだったかと呆れていたが、そうではないと知り、安堵していたヴァンダムである。
「一応……彼等に釘を刺しておくか。何をしでかすかわからんからな」
「その方がいいわ。それでもなお、馬鹿をするかもしれないけどね」
ふと、ヴァンダムはつい今しがたのやりとりを思い出す。
(頭がどうかしてなければ……か。私にまで刺客を放った時点で、期待はできんな)
侮蔑混じりの笑みをこぼし、ヴァンダムは甲府に電話をかけ、極めて端的かつ事務的に用件を告げた。
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