第二十二章 24

「獅子妻さん、いけそうですか? ダメージ残ってません?」


 獅子妻が未だ体調が良さそうではないことに加え、来夢達との会話で精神的にも気後れしているのを見てとり、白金太郎が声をかけた。


「鼻がまだいまいちだが……戦える」


 獅子妻にとっては戦闘の際、嗅覚も大事な要素の一つとなる。それが効かない分、かなりパワーダウンにはなる。


(この子は道化ているようで、わりと鋭いか?)


 自分がメンタルな部分で揺れていると白金太郎に見抜かれた事を、獅子妻も察していた。


「あの葉山って奴には特に気をつけて。ゴスロリの女の子はよくわからないけど、他の三人の中ではあいつが一番強かった」


 晃が葉山を指して、警告した。


「あんな細いのが、獅子妻より強いっていうの?」


 意外そうな顔で葉山を見る克彦。背は高いが細身なので、あまり強そうに見えない。

 その葉山の前へと進み出る男がいた。葉山同様に痩身の男、エンジェルである。体型は似ているが、エンジェルのこんもりリーゼントを入れても、背は葉山の方が高い。


「フッ、一目見てわかった。君は翼を失くした天使。翼を生やして再び天に飛ぶことを望んでいる。そうだろう?」


 親しげに微笑み、エンジェルが葉山に声をかける。


「違います。僕はただの蛆虫です。うねうね……。天使だなんてそんな大仰な……ただ蝿になって、ぶんぶん飛びまわりたいだけなんです」


 エンジェルの言葉に、葉山は驚いたような顔をしてみせた後、いつもの虚ろな面持ちへと戻って、暗い声音で喋る。


「否。言い方は違えど同じことだ。君は天使になれる。君が目指す所は、雲上の光に満ちた世界。光り輝く翼を広げ、天へと昇るのだ。もっと自分に誇りを持つといい。俺も君が大空を飛び立つ姿を見てみたい」


 エンジェルが葉山に向かって拳を突き出して握り締め、力強い声で鼓舞する。


「天使……。おお……つまり蝿とは天使のことだったのか。あちこちでブンブン飛んでいる蝿は、腐肉や糞にたかる蝿は、全て天使だったのですねっ」


 しかし葉山は独特の解釈をしたうえで、感動して顔を綻ばせた。


「フッ……かつての天使も地獄へと堕ちて、蝿の悪魔となった。君は悪魔に惑わされている。君は天使となることを目指せ。蝿では駄目だ」


 しかしエンジェルはあくまで自分のペースを崩さず、葉山に訴えかける。


「おおお……蛆虫の僕が、蝿を飛び越えて、天使にまでなっていいなんて……そんな……」

「ちょっと葉山さん、敵と異次元の会話するのはやめてくださいよ。ていうか、あれは敵ですからね。大丈夫ですか? 戦えますか?」


 喜悦に浸る葉山であったが、その肩を白金太郎が不安げに叩く。


「いいや、あんたはキモい蛆虫だよ。最底辺の生物だよ」


 唐突に来夢が、葉山に向かってきっぱりと告げた。


「天使になれるヴィジョンは全く見えない。蛆虫そのもののキモさだよ。俺が言うんだから間違いない」

「ああああ……こんな子供にはっきりと言われてしまった! 子供は正直! 子供は冷酷なまでに正直! やっぱり僕は蛆虫にすぎないんだあっ!」


 絶望と悲痛がミックスされた形相で頭を抱えて、葉山が喚く。


「来夢、希望を断つような真似は感心できないな。彼は絶望の闇で蠢く堕天使だったが、天使になれるという希望の光を照らすことで、正しい道に進めたかもしれないというのに」

「別に導いてやる必要は無い。必要性も感じられない。やろうとしても、どうせ無理」


 容赦ない言葉を浴びせる来夢に、エンジェルがやんわりと諌める。しかし来夢は斟酌してやるつもりは無いようであった。


「ていうかさあ、天使だとか蛆虫だとか、一体何の話してるの? 僕にはさっぱりついていけないんだけどー」

「ついていける方がどうかしてるだろ……」

「そっかー。でも来夢はついていけるみたいだよ?」

「来夢もわりとどうかしてるけど、来夢はそれも含めて来夢だからいいの」

「そっかー」


 一方で、晃と克彦が互いに呆れ顔で喋っている。


「俺の手でおじさんの仇、討ちたい」

 獅子妻に視線を向け、来夢が静かに宣言する。


「俺は彼を導いてやるとするか。自分を蝿だの蛆だのと卑下する呪縛にかかっているようだ。目を覚ましてやるのも天使の務め。いや……彼の目から鱗を落とさせてやるのだ」


 葉山に顔を向け、エンジェルが不敵な笑みと共に告げる。


「俺は能力的に、サポート役だからな」

「じゃあ僕も適当にサポートする」


 克彦と晃が控えめに言った。晃から見ると、エンジェルが葉山と一対一で戦うのは無理があるように思えたので、なるべくエンジェルの支援に回るつもりでいる。


「えーと、じゃあ私はー、えっと、そっちで肉弾戦できそうな人―?」

「はーいはいはーい」

「はい」


 怜奈の呼びかけに、白金太郎と亜希子が挙手と共に返事をする。


「では、そこのいがぐり頭君、やりましょうっ」

「お、俺に指名きたーっ。お手柔らかにお願いしますねー」


 白金太郎が嬉しそうに怜奈の前へと進み出る。


「じゃあ私は補欠かな。一応これ、殺し合いするのよね。随分とノリ軽いけど」


 亜希子が少し離れて、おかしそうに呟いた。


***


「行っくぞーっ」


 最初に始まったのは、白金太郎と怜奈の戦いであった。白金太郎が意気揚々と怜奈に突っこんでいく。


「ハシビロ魔眼!」


 怜奈のヘルメットの目の部分が光ると、それを見た白金太郎の動きが停止する。


「ハシビロ突っつき!」


 怜奈のバイザーが上がり、頭突きを食らわすように頭を振り、白金太郎の喉にバイザーの刃を突き刺す。


「ぎゃあぁがはごぼぼばばばぼ!」


 悲鳴は喉の中にあふれた血の泡によって遮られた。


「ばばばぼぼぼっ!」


 最初に終わったのも、白金太郎と怜奈の戦いであった。白金太郎は怜奈に堂々と背を向けて逃走し、亜希子の元へと向かう。


「あばばばがばごぼこぼ!」

「ちょっとやめてよ。血がかかるでしょ。自分で治してよ」


 噴水のように血が噴き出る自分の喉を指で指してアピールし、何かを訴える白金太郎だが、亜希子は露骨に避けた後、服の中から小太刀を抜き、怜奈の方へと近づいていく。


「そんなわけで代打ね。あ、野球は興味ないけど」

「いがぐり頭さんと違って、できそうですね」


 亜希子を見据え、ヘルメットの中で笑う怜奈。


「白金太郎だって弱いわけじゃないんだけどね~。勝負は時の運て言うし」


 嘆息しつつも、一応フォローしておく亜希子。あっさり負けたとはいえ、たまたま敵の手の内にかかってうまくハマったからだと、亜希子は見ている。実力が拮抗していようと、あるいは実力差があっても、そういうことはあると百合に教わったが、これがそうなのだろうと、亜希子は思った。


***


 エンジェルと葉山はほぼ同時に動き、撃ちあった。


「む……」


 エンジェルの弾は外れたにも関わらず、葉山の弾は喉の下に当たり、エンジェルは大きくのけぞる。防弾繊維が運良く防いでくれたものの、衝撃と痛みまでは防げない。


 ひるんだ所に、さらに葉山が銃を撃とうとしているのを見て、エンジェルは勘頼みでタイミングを合わせて、かわそうとする。銃口からの弾道予測は、視覚的なものだけではなく、第六感頼みでもある。今は目でよく見て確かめるのが間に合わないほど、エンジェルは体勢を崩していた。

 エンジェルはこの第六感が非常に優れている。エンジェル曰く天使の導きという事だが、これが純子によって改造されて得た能力だ。


 銃弾が左腕をかすめる。かなり際どい所で回避した後、エンジェルはすぐに体勢を立て直す。その時には、さらに葉山が銃を撃っていたため、また回避となる。


 今度は回避直後にエンジェルも反撃した。苦しまぎれの牽制のための一発だ。これで敵にも回避行動をさせて時間を稼ぎたい――そういう目論見であったが、葉山は悠然とその場に佇み、動かなかった。エンジェルの目論見も、弾道も、完全に見切っていた。自分に当たらないことをわかって、動こうとしなかった。


(これは明らかに俺よりヒエラルキーの高い天使のようだ)


 交戦を始めて十秒ほどで、相手との技量の差が明白に現れている事を実感するエンジェル。


 エンジェルが次のアクションを行う前に銃声が響き、葉山がその場から一歩横へと動いた。晃による銃撃だ。


(一対一では俺が勝てないと踏んで、天界より加勢が遣わされたか)


 晃に文句を言うでもなく、受け入れる。サシの勝負にこだわりたいという気持ちはあるが、相手の方が明らかに強く、一対一では勝てないのがわかってしまったので、背に腹は変えられない。勝負にこだわれば殺されるだけだ。


***


 マッチョな狼男と、異様な形状の翼を生やして宙に浮く半裸の美少年という、奇妙な組み合わせが、向かい合っている。


「一対一ができる構図になって嬉しい」


 来夢が微笑む。


「数日前は数人がかりでやっと私を負かしたのに、一対一で勝てる気か?」

「この数日の間に純子の指導で、効率よく力を仕える術を学んだから、持続力も応用力も増している。この間の俺とは格段に違うから、油断しないで全力できてね」


 煽り気味に問う獅子妻に、来夢は微笑んだまま答える。


「復讐しておじさんを殺して気持ちよかった?」


 すぐに戦いに移行しようとはせず、さらに話しかける来夢。


「気持ちよいとか、そういう問題ではない。けじめだ。私の仲間も君らに殺されている。せめて一矢報いるために、償わせるために、そちらのボスの命を頂いた。君も言ったろう? スマートに、作業的に落とし前をつけたと。君もそうすると言ったろう?」

「わかってる。それでも一応確認してみた。でもさ、その復讐をしたせいで、こちらも復讐し返すことになって、自分も死ぬことになるんだよ? それは考えなかったの?」

「考えていないな。だが復讐の連鎖は、私が死ねばそこで終了だな。私の仇を討つ者などいない。まあ、私は殺されるつもりなどないし、君等もこの件が終わった後に、カタをつけるつもりだったが」


 そう告げてから、獅子妻の狼顔が、物憂げな面持ちへと変わる。

 先程もそうだった。それを考えて、気持ちが沈んだ。


(私が死ねばそれで全て終わりだ。残るものはない。私が踊れバクテリアで暴れて奪った命と、私が復讐で奪った蔵大輔の命。残ったのはその結果だけか)


 何故か獅子妻は急に喪失感と虚無感を同時に抱いていた。それらと同時に、ある確信に近い予感を抱いてもいた。


(多分……私はここで死ぬのだろう。そう……この子に殺されるのだ)


 獅子妻の中で、そんな予感があった。


「おじさんはきっと悔しかったと思う。俺にはわかる。でも――」


 獅子妻が発するダークな気は来夢も感じ取り、それを訝る一方で、さらに語りかける。


「おじさんは死んでない。おじさんの友達も死んでない。二人共生きている。俺が生きている限りは死なない。俺が――おじさん達が目指したものを諦めない限り、死なない。おじさんは俺に光を与えた。その光が俺の中に宿っている限り、死んでない。おじさんがしてきたこと全て、俺が生きている限りは絶対に無駄にしない」


 静かだが毅然と宣言する来夢に、獅子妻は目を細める。


(死んだとしても、誰かにそう思われることが羨ましい。私には……誰もいない)


 どうして今になって、こんなことを思うのか。


(死を予感して怖くなり、寂しくなったからなのか?)


 獅子妻には自分の心境の変化が、いまいちわからなかった。


「惜しいな。君はここで死ななければ、大物になったかもしれない。君には凡百には無い、何か大きな光を感じる」


 あえて煽ってみせる獅子妻だが、それは煽りだけではない。来夢が只者では無いのは、誰の目から見ても明らかだろうと、獅子妻は思う。最初に会った時から、そう思わせるものがあった。


「死なないし、言われなくても大物になる予定だし、惜しむことはない」


 微笑みながら言い返すと、来夢は殺気と共に重力弾を放った。

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