第二十二章 20

「せっかくコストの高い囮を用意してさしあげたのに、随分とお早いこと」


 あの死体龍を一体造るのには相当な労力を要した。呼び出して操るにもそれなりに力を消耗する。それを囮として用いたにも関わらず、あっさりと突破されたことに、百合は溜息をつきたくなる。


「出でよ、湧く者共」


 百合が立ち止まり、術を唱えると、魔法少女の体に無数の蛆が湧く。


「痛い! キモイ! 何よー、これ!」

「普通の蛆虫は腐った肉しか食べず、新鮮な肉は食しませんが、その子達は新鮮な肉も大好きですのよ」


 喋りながら、手応えを感じる百合。魔法少女が苦しんでいるのは見てわかるし、確かにダメージは与えている。


「あー、もうっ、こんなのーっ!」


 魔法少女がヒステリックに叫ぶと、イメージの肉食蛆が全て粉微塵になって消える。


「イメージの攻撃をイメージで破壊――」


 喋っている途中に、百合の体が不可視のエネルギーで吹き飛ばされた。


(速い……。攻撃の気配もほとんど感じませんでしたわ)


 10メートルほど吹き飛ばされて床に激しく打ち付けられながら、百合は戦慄する。


「ふふふ……人生、思わぬところに落とし穴がありますわ」


 凜との戦いでの激しい消耗に加え、ここにきて大がかりな術を幾つか使い、さらに大ダメージを負うこととなり、百合もいい加減限界に近づいていた。


(ついていない時は徹底してついていなものです。今日は厄日でしたかしら)


 ふらつきながら立ち上がり、魔法少女に殺意に満ちた視線をぶつける百合。まだ諦めてはいない。こんなわけのわからない相手に殺されるつもりは毛頭無い。


「逃げるのがそもそも悪手だったかもねえ。ここで徹底的に戦う方がいいかも」


 睦月が百合の前に進み出て、まるで百合をかばって立ち塞がるかのような格好になる。


「まだ何か奥の手はある?」

「当然ありましてよ。私を誰だと思ってますの?」


 睦月の問いに、百合が不敵な笑みを浮かべて嘯く。


「時間稼ぎが必要?」

「そうですわね。数秒もあればよろしくてよ。お願いしてよろしいかしら」

「あはぁ、ここで嫌だとは言わないだろぉ」


 笑いながら睦月が二匹の雀を放つ。


「おまんじゅう?」


 魔法少女が高速で襲いかかる雀を素手でキャッチし、もう一匹はピンクの光線で塩へと変えた。

 雀を口の中に放り込み、食べだす魔法少女。


「意思は無いけど美味しい。ありがとうございますっ」

「あはは、じゃあ、これも食べるといいよぉ」


 睦月が笑った直後、魔法少女の足元から針金虫が飛び出した。針金虫が魔法少女の股間へ突き刺さり、そのまま体内へと潜ると、顔面まで一気に貫いた。


 しかしその直後、針金虫の顔から突き出た部分が切断されて床に落ち、股間に突き刺さっている箇所も切られていた。


(食われたのか。俺とはすごく相性悪い相手みたいだねえ)


 攻撃は一瞬のうちに行わなければ、ファミリアー・フレッシュが吸収されてしまう。睦月の攻撃手段は全て睦月の身体から生み出した擬似生命なので、命を吸収するこの魔法少女とは、極めて相性が悪い。


 その睦月の背後の床から、無数の気配が沸いてくる。

 睦月の横をすり抜け、無数の何者かが魔法少女へと殺到していく。


(ゾンビ? ミイラ?)


 魔法少女へ駆けていくのは、ひからびた死体の数々だった。その数は二十以上はいるだろうか。


(取り込まれる? いや、取り込まれる前提で向かわせたのか? あの死体を取り込むことそのものがあれにとって不味いとか)


 訝る睦月であったが、百合の意図はすぐに判明した。走る死体が魔法少女に次々抱きついていくと、死体が膨れていき、その肌が瑞々しく張りが生じる。代わりに魔法少女の身体が、カサカサのミイラへと変わっていく。


「水分を吸い取ってるのかあ」

「一体か二体に抱きつかれただけでも、人一人を死に至らせるには十分ですのよ。これも私の奥義の一つなのですが……」


 これすら通じないとあれば、もう全力で逃げる以外、他に手は無い。最早逃走する余力しかない。


「なるほど……あくまで私を拒むのね」


 ミイラになった魔法少女が、百合と睦月の方に顔無き顔を向け、呟く。


「可哀想な子達。私を受け入れれば願いがかなうというのに、くだらない常識にとらわれて、怖がっている」


 魔法少女が杖を振るうと、水分を吸収した死体が再びカサカサの状態に戻り、そのうえ粉々になって崩れ落ちた。一方で魔法少女の身体は、元に戻っている。

 杖の一振りで、奪われた水分を取り戻したのは明白だった。


(まるで本当に魔法ですわね。超常の領域の力が働いているのは、見てわかりますが、それにしてもあまりに静かで、最小限の力。生まれたばかりだというのに、熟練したような力の使い方)


 百合は目の前の魔法少女の真の恐ろしさを垣間見た気がした。こちらが10の力で10の現象を引き起こすのに対して、魔法少女は1の力で10の現象を起こせる。


『人類はいくら術を行使しようと、超常の能力を覚醒しようと、それらの力の使い方に長けているとは言い難いかなあ。数千年の歴史を経てもなお、まだまだ未知の部分が多く、研究の余地は途方もなくあるんだよー。力の使い方にも無駄なロスが多いみたいだしねえ。私はその謎を解き明かすには、もっと根源から――』


 かつて純子と共に行動していた際に、彼女が語っていたことを百合は思い出す。そして、力の使い方に無駄が無いとは、こういうことなのではないかと、目の前の魔法少女を見て実感した。


 乾燥ゾンビ達の動きは止まっていた。百合はこの下僕達を動かすことさえ失念し、震えていた。自分の目の前にいる異形が、明らかに突き抜けた存在であり、人類より上位にある存在だと認識し、恐怖していた。


(百合が震えているとか……)


 間近で百合が恐怖している様を見て、睦月は驚愕する。


「純子……」


 震えているだけではなく、まるで縋るかのような響きの声で、その名を口から発する百合。


「貴女の息の根を止めるまでは、死ねませんわ……」


 微笑がこぼれ、百合の振るえが止まる。


(どうしましょう。あれをここで出すという手も……いや……あれは本当にぎりぎりまで取っておきましょう)


 とっておきの切り札が百合にはあったが、ここでは出さないことにする。


 百合が睦月の方に向き直る。


「逃げられるだけ逃げましょう。これはとてもかないませんわ。私達は今――人をはるかに超える上位生命体と遭遇してしまい、その脅威に晒されている真っ最中でしてよ」

「う、うん……」


 百合に促されて、睦月が頷く。そして頷いた直後、目を剥く。


 魔法少女が幾度も杖を振るう。その度に、乾燥ゾンビが一体ずつ、大きく膨らんでいく。先程魔法少女から水分を吸い取ったように膨らみ、肌のツヤも瑞々しいそれに変わる。やがて二十体以上いる全ての乾燥ゾンビが、水ぶくれダルマと化して床に転がった。


「水分を与えてるのかな」

 逃走しながら、睦月が呟く。


「そうですわね。大気中の水分を急速に集めて与えているか、アポートで水そのものをどこからか呼んでい――」


 百合の言葉と足が同時に止まった。


 後方から水ぶくれしたゾンビの一体が、百合めがけて猛スピードで飛んできたのである。

 気配を感じて回避した百合ではあるが、残った水ぶくれゾンビも全て弾丸と化し、狭い通路を次々と飛来してくる。


「がふっ」

 かわしきれず、睦月がそのうちの一つの直撃を受けて倒れる。


「そこの階段へ避難しましょう」


 身を起こす睦月に、百合が言った。百合としては白金太郎や亜希子達がいる休憩室へと戻り、彼等にも逃げることを促したいところであったが、最早その余裕も無い。


 飛来する水ぶくれゾンビに気をつけながら、百合がすぐ横にある階段へと駆け出したその時、横に転がっていた水ぶくれゾンビの身体が大きく弾けた。

 爆発した水ぶくれゾンビの中から飛び散ったのは、水ではなかった。強酸だ。酸になったから爆発したのか、爆発と共に変化したのかは不明であるが、爆発する前までは水であったのであろう。それがあの魔法少女の力で変化させられたのは間違いない。


「ぐっ……」


 酸は百合の脚と顔の一部に少しかかっただけで、大したダメージは無かった。

 他に転がっている水ぶくれゾンビがまた全て自分達へと投げつけられ、その間に酸爆発を起こしたとすれば、厄介だと百合は判断する。


 睦月と百合が階段へと逃げ込む。


 水ぶくれゾンビが投げつけられることは無かったが、代わりに魔法少女自身が、テレポートしてきて、二人のすぐ前に立った。


「何でもありみたいだねえ。本当に魔法使いって感じ」

 睦月が力なく笑う。半ば諦めかけている。


「逃げることさえままならぬとは……もし――」

 何か言いかけて、百合はその言葉を飲み込んだ。


(もし純子なら、どうやってこの相手と戦いますかしら)


 その台詞を睦月の前で口にするのは、さすがに憚られる。


「今は怖いかもしれない。でもね、私の中に入れば、怖がって抗っていた事も馬鹿馬鹿しくなるくらい、幸せになるからね~」


 弾んだ声をかける魔法少女に、百合は嘲笑を投げかける。


「例えそうであっても、お断りですわ。私の個は、私の意志によって制御されるものですの。貴女に委ねて私という個が失われるのは御免でしてよ」

「そっか。でもその気持ちも、考えも、私の中に入れば変わるから」


 魔法少女が百合に向かって、文字通り手を伸ばす。伸びた手だけが高速で迫るが、その手を義手で叩きつけて払う。


「痛いなー、もう」


 手を縮めて元に戻し、不機嫌そうな声を発する魔法少女。


「あらあら、御免あそばせ。見苦しいのは好みませんが、最後まで諦められない性分でもありましてね」


 百合が笑う。


(純子と戦うまで取っておきたかった所ですが、あれを使うしかありませんわね)


 魔法少女を見据え、ここにきて百合は、切り札を使うことを決めた。


「悪い子は先にお仕置きしておいた方がいいかなあ」


 魔法少女が杖を振るう。ピンクの光線が至近距離から放たれ――あらぬ方向へと飛んでいった。

 階段の下からの二発の銃撃が、魔法少女の胸と腕を穿ち、光線は天井に当たった。


「お前の言うとおりだ。人の獲物を横取りしようとする悪い子には、お仕置きが必要だな」


 聞き覚えのある声を耳にする睦月と百合。


 階段の下では、銃を構えた真と、漆黒の刀を構えた累が並び、魔法少女を見上げていた。

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