第二十二章 19

 凜と晃は、ほころびレジスタンスの四人と共にエントランスへと移動した。


「純子、どうしてここに?」


 果たしてそこに純子の姿を認め、凜が声をかける。


「んー? 私は以前から刹那生物研究所とは懇意にしていたし、別に私がここにいても不思議じゃないよー」

「結界張られて外に出られない状態で、バトルクリーチャーが逃げたり、変な連中が暗躍していたりするこの状況だから、確かに不思議じゃないね」


 とぼける純子に、凜は皮肉っぽく言う。


「私達、ここで喧嘩売られまくりなんだけど。百合とかいう女や、殺し屋の葉山や、踊れバクテリアの首魁だった獅子妻、皆襲ってきたのよ? あとはタブーの睦月も」

「多分全部百合ちゃんの傘下に下ったんだと思う」


 凜の報告を聞いて、純子は思わず、正直に述べてしまった。


「ここに結界が張られて封鎖されたのも、百合って奴の仕業よね? 目的は何なの?」

「んー……何となく予想はつくけど、確証は無いかなあ」


 苦しい誤魔化し方だと凜や晃は思い、純子自身もそう思っていた。


「あの百合とかいう白い女、純子や相沢先輩を苦しませるためだけに、彼等の組織のボスを殺したって言ってたよ。純子はそれもわかっていたの?」


 晃がさらに突っこんで問う。純子は答えに迷い、んーんーと唸っている。


「わかっていたでしょうよ。だからここに来たんでしょ? 要請と言ってたしね」


 凜が来夢を見やる。翼こそ引っ込んだが、いまだに半裸の姿のままだ。人前でこんな格好で恥ずかしくないんだろうかと、凜と晃は疑問に思う。


「百合は純子を直接敵視するほどだから、純子と同格なんだよね?」

 来夢が純子に尋ねた。


「んー、オーバーライフではあるけど、何をもってして同格というのかなあ?」

「おばかかげん?」

「えっ!?」


 唐突すぎる来夢の言葉に、純子は固まる。


「今のは閃き。何となくそんな気がした」

「そ、そう……」


 澄ました顔で告げる来夢。純子は深く考えず、適当に相槌をうっておく。


「俺の亜空間トンネルじゃ、結界の中に入ることは出来ても、外に出られないから、その百合とかいうのをきっちりシメないと、俺ら、脱出できなさそう」


 克彦が言う。


「結界の支柱となっている部分をある程度破壊して、脱出するっていう手もあるよー。見つけるのが大変だけど」


 と、純子。


「ほころびレジスタンスの人達とも協力して、獅子妻や百合をやっつけられませんかねー」

「白衣の堕天使の助力も願いたいところだね」


 怜奈とエンジェルが純子を見る。


「もちろんそのつもりで来たからねえ。皆にも悪いことしちゃったしー」


 全く悪びれていない様子で、純子は微笑む。


「純子への嫌がらせのために、ボスも殺され、ほころびレジスタンスも狙われているんですよねー? 本人ではなく、周囲を殺していくとか、そんな危なくて陰険な奴がいるってんなら、もっと早くに対処してほしいですし、そのことも懇意にしているマウス全員に通達しておくべきでしょう?」


 怜奈が非難の眼差しと共にキツい口調で言った。


「んー……まあ、そうだねえ」


 決まり悪そうに認める純子だが、純子のキャラを考えると、そこまで気が回らないのではないかと凜は思う。すぐ目の前にいる人間には細々とした配慮のできる人間だが、一旦離れると頭から無くなる――そんな性格の持ち主と、凜は見なしていた。


「俺達は獅子妻や百合を探しに行こう」

 来夢がプルトニウム・ダンディーの面々に声をかけた。


「あ、僕も行くよ」

 晃が挙手する。


「私は少し休みたいからここに残る。晃、くれぐれも無理しないでね」

「わーってるって」


 注意する凜に向かって、晃は微笑みながら親指を立てた。


***


 百合はその異形を一目で危険と見なし、最初からかなり強力な術を用いた。


「出でよ、たかる者共」


 百合が義手を払うと、百合と睦月の前方が真っ黒に染まった。小さな黒い粒のようなものが室内一面を埋め尽くし、視界すら完全に遮っている。それらは全て耳障りな音をたてている。


「蝿?」

「イメージの蝿ですわ。実際に生きている蝿ではありませんことよ」


 百合が言うと、再び手を払い、夥しい量の蝿が魔法少女へと群がる。身体の隅々まで蝿で埋め尽くされた魔法少女は、原型すらわからない黒い塊へと姿を変える。


「痛い痛い痛い!」

 悲鳴をあげる魔法少女。


「この術食らったら、俺でもやばそうだねえ……」

 若干引き気味になって睦月が言った。


「ええ、人のお肉が大好きなうえに、食欲に限りの無い蝿ですからね」


 百合が自慢げに言った直後、全ての蝿が弾けとんだ。

 床が黒く埋め尽くされたが、イメージで出来たそれはやがて姿を消す。


 魔法少女は、体中血まみれになっていたが、杖を一振りすると、嘘のように血も傷も消えて無くなった。


(手応えはありましたわ。ダメージは与えているようですが……それにしてもさほど効いてはいませんわね)


 百合が小さく息を吐く。


「口惜しいですが、一次撤退した方がよろしくてよ」


 術を一発使っただけで、百合があっさりと撤退判断したことに、睦月もこの異形の存在の危険さが伺えた。


「あ、待って。痛くしないから大人しく吸収されてっ。そうすれば幸せになれるんだよっ。怖がらないでっ」


 部屋を出ようとする百合と睦月に、魔法少女が優しい声をかけながら杖を振るう。

 室内を業火の嵐が吹き荒れたが、炎は一瞬でかき消された。百合が真空状態を生み出して、消し去ったのだ。


「怨霊による攻撃も危険かしら。精神エネルギーを取り込むことで強化するとしたら、餌を与えるようなものですわね」


 自分の主力とも言える攻撃手段が使えない事に、歯がゆさを抱く百合。単純な攻撃力だけで言えば、先程も凜に使用した、凝縮された居大怨霊塊を放つあの怨霊群砲が百合の最大級の攻撃であるが、この相手には逆効果になってしまいかねない。


「睦月、先にお逃げなさいな」

「わかった……」


 百合らしくない言葉だと思いつつも、おそらくは広範囲に及ぶ危険な超常の能力を用いると察し、睦月は指示に従い、部屋を出ようとする。


「逃げないでっててばー。えいっ」


 睦月めがけて目玉ステッキを振るう魔法少女。目玉の部分からピンクの光線が放たれ、睦月の左脚をかすめた。


「ええっ?」


 左脚の膝から下の感覚が喪失するのを感じながら、睦月は声をあげつつ転倒する。


「石? いや……塩か?」


 光線をかすめた足が、塩の塊と化していた。


「切断して早くお逃げなさいっ」


 かがんで床に右手をついた状態の百合が、睦月を一瞥して叫ぶ。いつの間にか数十枚に及ぶ呪符が、床に百合を中心として放射状に並べられている。


「え? こっちのおねーさんは何してるの?」


 睦月に気を取られているうちに、部屋の床の半分近くが呪符で埋め尽くされていたのを見て、魔法少女は戸惑いの声をあげる。

 魔法少女の注意が離れた隙に、睦月は蜘蛛の脚だけを体内から出して、塩と化した左脚を切断し、切断面から脚を生やして、部屋の外へとダッシュする。


「もう、待ってってばっ」


 さらにピンクの光線を目玉杖から睦月に向けて放つが、今度は外れた。


「貴女のお相手はこちらでしてよ」


 術が完成し、百合が不敵に笑う。

 床に放射状に並ぶ全ての呪符から一斉に光が放たれる。呪符が消失したかと思うと、室内に巨大な物体が姿を現した。


 室内を埋め尽くすほどの巨体は、一見すると大蛇のようでもあったが、頭部は龍のそれである。その体は、老若男女の人間の身体が、何十人と繋ぎあわせて作られていた。胴一回りにつき、大体四人から五人の人間の身体が、紐で縫い付けられている。

 腐敗することのない死体人形数十体をつなぎ合わせて作った死体龍。百合の奥の手の一つであった。


「わーお、面白いオモチャねえ。でもせっかくのオモチャだけど、邪魔するなら壊しちゃうからねー?」


 魔法少女が告げた直後、死体龍の方から先に動いた。長い身体を高速でくねらせながら、魔法少女の周囲を回転し、魔法少女に巻きつかんとする。


 魔法少女が死体龍と戦っている間に、部屋の外へと逃れる二人。


「何とか撒いた後で、この魔法少女より先に、マッドサイエンティストが集まっているエントランスに行く必要がありましてよ。そしてエントランスにいるマッドサイエンティスト達を、皆殺しにしなくてはなりません」


 廊下を駆けつつ、百合が言う。


「マッドサイエンティスト達を吸収されたら、さらに強くなるかもしれないってことだよねえ」

「御名答ですわ。願望を糧にするというのなら、怪しい願望パワーが人一倍強いマッドサイエンティストは、魔法少女の良質な餌となるでしょうし、それらを吸収すればさらに厄介な存在になるでしょう」


 あの魔法少女が、そうやって誕生したのであろうことは明白だ。もしあれがこの研究所を出て、多くの人間を吸収していったらと考えると、流石の百合もぞっとしなかった。


 背後から轟音が響く。


 睦月と百合が振り返ると、壁が粉砕し、無数の死体が吹き飛ばされ、死体龍をあっさりと撃退した魔法少女が、部屋の外へと飛び出した所であった。

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