第二十一章 30

「俺の能力って、防御とか移動とか拘束とか寄りだけど、来夢の能力と組み合わせれば、効果が増すみたいだな」


 克彦が呟く。一見、一人で中枢の兵士達を全て無力化したように見える克彦であるが、実は違う。黒手の力はそれほど強くない。例え不意を突いたとしても、亜空間の中に無理矢理引きずり込むのは、相手に抵抗されれば難しい。

 たった今、鮮やかに中枢の兵士全員を亜空間に引きずり込んだのは、来夢の能力が働いていたせいもある。黒手と亜空間の入り口の穴に重力を付与して、穴の中へと引きずり込む際、大きな手助けとして作用していた。もちろん不意打ちが上手くいったという要因も大きい。


(流石に終わったか……)


 力なく笑い、蔵は来夢を見る。切り札とも言えた中枢の援軍を全て無力化され、さらにもう一人厄介そうな敵が現れ、来夢は敵に回ったこの状況。最早絶望的だ。

 来夢も蔵を見て笑う。悪戯っぽい笑みが蔵に向けられている。


(違う……いや、それを表情に出すな)


 来夢の笑顔を見てはっとする蔵であるが、それを獅子妻に悟られないように、絶望の表情を維持する。


(来夢は裏切ってなどいない。そうだ。あの子が裏切るはずがない。裏切った振りをしているだけだ)


 根拠を理屈で説明はできないが、これまでの来夢と過ごした時間で、蔵は直感していた。

 獅子妻の顔が、怜奈へと向けられる。


 怜奈が身構えると同時に、獅子妻が怜奈めがけて飛びかかり――互いのアタックレンジに入る直前で、獅子妻の体が見えない何かに押し潰されるようにして、床にうつ伏せに押し付けられた。

 何が起こったかは明白だ。蔵はまた来夢を見ると、同じ笑みを浮かべていた。


「油断させるための演技だったということか」


 来夢を意識して、獅子妻が何の感慨も無い口振りで言う。


「それも予測はしていた。警戒もしていた。だが警戒していてなお食らうとは、間抜けだったな」


 重力によって押し潰されて無様な姿を晒しつつも、獅子妻なお余裕を伺わせた。それが蔵には不気味と思えた。


「よーし、とどめですっ! ハシビロ魔眼!」

 怜奈のヘルムが光る。


「いや……来夢の重力攻撃で動きを封じられているのに、さらに動きを封じる技をしてどうするんだ」

「あ、言われてみれば……」


 呆れて突っこむ蔵に、怜奈は口元に手を当てる。


「ドジではあるが、その選択は実は正しかったぞ」

 ゆっくりと身を起こしながら、獅子妻が告げた。


「俺の力よりも勝っている」

 それを見て、冷静に事実を述べる来夢。


 一方で克彦は穴の中へと入り、拘束した中枢の兵士達に、獅子妻を油断させるための演技であるということを報告している最中だった。


「もう少し長い時間、止めていたかったけど、無理みたい。克彦兄ちゃん、急いで」

「タイミングがズレるかもしれないけど、皆、一斉攻撃頼むっ!」


 克彦が叫ぶと、彼の足元の穴から弾かれるようにして中枢の精鋭が全員飛び出し、獅子妻めがけて銃弾を浴びせる。

 エンジェルもそれに合わせて銃を撃っているが、怜奈と蔵は能力の都合上、様子見をしている。


 獅子妻は両腕で頭部を覆ってガードしながら、体中に銃弾を食い込ませ、血まみれになっていた。そしてその状態でなお、ゆっくりとであるが、撃ちまくる兵士達に向かって歩き出す。


「もう駄目だ。気をつけて」


 来夢が静かに警告を発すると、来夢の重力から解き放たれた獅子妻が、その解放の反動をも利用して、一気に兵士達へと迫る。

 克彦が慌てて黒手を放ち、獅子妻の攻撃から兵士達を守ろうとする。


 疾風の如く獅子妻が駆け抜け、目にも止まらぬ速さで両腕を振るうと、兵士達の身代わりになった黒手が片っ端から両断される。そしてかばいきれなかった兵士が何人か、獅子妻の攻撃を食らってしまった。吹き飛ばされた者もいれば、その場で崩れ落ちた者もいる。明らかに致命傷を負った者の姿も見えた。


「何つーパワーだ……」


 克彦が唸った。黒手自体にはそれほど力は無いが、防御に利用できるくらい頑丈ではある。にも関わらず、獅子妻はあっさりと全ての黒手を引き裂いてしまった。


「悪い、俺はもうしばらく役立たずだ」


 克彦が言う。能力の使い方を誤った気もするが、もし兵士達を守ることに黒手を用いなければ、彼等は全滅していたであろう。


「このーっ!」


 怜奈が獅子妻めがけて果敢に突っこんでいく。


 怜奈を補佐しようと、来夢が獅子妻に重力弾を放つ。獅子妻の上体が一瞬大きく後方にのけぞって、ブリッジするかのような形で地に着きそうになったが、今度は潰されることも無かった。


「うおおおっ!」


 気合いと共に一気に上体を押し上げ、来夢の重力弾をはねのける獅子妻。


 そのタイミングを狙って、エンジェルが獅子妻の頭部めがけて銃を撃つ。頭を撃ちぬかれ、獅子妻の動きが止まった。


 とどめをささんと、怜奈が獅子妻に迫る。


「ハシビロ突っつき!」


 バイザーが上がり、獅子妻めがけて頭部を突き出す怜奈。獅子妻の首を切断するのが狙いであった。


 その直後、目にも止まらぬ速さで獅子妻の右腕が振られ、怜奈の首から上が胴体を離れ、宙を舞った。


 蔵と来夢は、目を剥いた。三人による完璧なコンビネーションであると思っていたのに、獅子妻は純粋なバイタリティとパワーとスピードで、あっさりとそれを覆してしまった。

 胴からかなり離れた位置で、鈍い音と共に怜奈の首が床へと落ちる。蔵のすぐ側に怜奈の生首が転がっていた。


「ううう……どうやら私はこれまでみたいです……。頭がガンガンして目が回ってます……」

「は?」


 床に転がった怜奈の頭が喋りだし、一同啞然とする。


「実は……嫌な予感がしていたのです。だからここに来る前、イライラしてボスに当り散らして……ごめんなさい」

「いや、君は……再生能力持ちのマウスだろ?」


 しおらしく謝罪する怜奈に、蔵が半眼で突っこむ。首をはねられてなお生きているという事は、そういう結論しか有り得ない。そして再生能力持ちのマウスであれば、この程度は大したダメージとも言えない。


「えー、違いますよー。……って、私、首ちょんぱされてるーッ!?」


 今更自分の状態を確認して驚く怜奈。


「なのに何で生きてるんですかー!?」

「だから再生能力持ちだろ?」


 二度目の突っ込みをする蔵。

 空気を読んでいるというわけではないが、獅子妻の動きも止まっている。体内の銃弾を排出する作業の最中のようだ。


(獅子妻の方は、過度な再生能力は無いようではあるし、明らかに銃弾でダメージは与えている。しかし……底が見えないぞ。どれだけ攻撃しても、その命も力も、尽きる気配が見えない)


 下手な再生能力持ちよりもずっと脅威だと、蔵は感じた。再生能力を持つマウスは、無限に再生して回復するわけではない。再生に必要なエネルギーが尽きればそれまでだ。しかし獅子妻を見ていると、その生命を維持するエネルギーそのものが無尽蔵に沸いてくるような、そんなイメージを抱いてしまう。


「血が出てない……」

「ていうかよ、この女……人間か?」


 首と胴の切断面が見える方角にいる来夢と克彦が、怜奈を見て呻く。

 蔵が回りこんで確認し、目を見開いた。出血もなければ、切断面には血肉も骨も確認できなかった。いや、一応食道や、骨らしき芯のようなものは確認できたが、肌と同じ色のその切断面は無機質な光沢を放っている。


「思い出した。その喋り方、声、ドジっ子属性、何よりも相手の動きを止める術、顔も何となく似ている。黒崎奈々か」


 唐突に獅子妻の口から、オーマイレイブの最高幹部の名を出され、蔵と怜奈当人が驚いた。


「以前一度仕事で関わった事がある。顔は違うし、声も喋り方も似ているというだけで、微妙に違う。臭いも違う。しかし微妙に全てが共通している。そのうえ人間ではないときた。何者だ?」

「私が知りたいですよっ。私は記憶喪失ですしっ」


 獅子妻に向かって叫ぶ怜奈。


 再び銃声が幾つも響く。体勢を立て直した中枢の精鋭達によるものだった。エンジェルもそれに加わる。


「おのれ……」


 獅子妻は顔を歪めて呻く。効いてはいるようだ。

 効いてはいるが、一体どれだけダメージを与えれば死ぬのか? この場にいる全員が抱く疑問と恐怖。


 獅子妻が駆ける。依然として動きは衰えていない。狙いは中枢の兵士達だ。

 来夢も克彦も、能力を続けざまに使いすぎて、インターバルが必要な状態だった。中枢の兵士達を守ることはできない。


 兵士達に襲い掛かる獅子妻。最初に狙われた兵士が、アサルトライフルで何とか獅子妻の攻撃を受け止める。ライフルが一発でひしゃげたが、兵士はそれで何とか攻撃を凌いだ。


 倒れた兵士に、獅子妻がとどめを刺そうとしたその時――


「今、新必殺技を開眼しましたっ!」


 突然怜奈が叫ぶと、首の無い怜奈の体がいつの間にか起き上がり、転がる怜奈の頭部の側まで来ていた。


「ハシビロ・ドライブシュゥゥゥゥトッ!」


 転がった怜奈の頭部が叫ぶなり、首無しの体が、サッカーボールよろしく自分の頭を獅子妻めがけて蹴り上げる。

 蹴り上げられた怜奈の生首は、少々高く上がりすぎていて、獅子妻の頭上を飛んでいく――と思った矢先、獅子妻の直前でその軌道が斜め下に落ち、端が刃になっているバイザーが獅子妻の頭部を切り裂いた。


「ゴオオオォォォォル!」


 もんどりうって倒れる獅子妻。床に転がって勝利の雄叫びをあげる怜奈の頭。首から上の無い怜奈の体はというと、両手を広げてガッツポーズを取ったかと思うと、ステップを踏み出して変な踊りを踊って、全身で喜びを表現している。


 切り裂かれた顔面から流れる出血の量は、相当な深手に見える。今の攻撃は流石に致命傷ではないかと思われた。いや、その場にいる誰もがそう思いたかった。


「があああああっ!」


 しかしそれでもなお獅子妻は果てる事無く、咆哮と共に跳ね起きた。


「どんだけやれば死ぬんだよ……」

 最早呆れる克彦。


「再生能力こそ乏しいようだが、信じられぬ頑丈さだな」

 蔵が呟く。


 中枢の兵士達はこの隙を突き、獅子妻と距離を取り、物陰へと隠れていた。

 獅子妻の顔が、克彦と来夢の二人へと向けられる。


(まずい……)


 蔵が獅子妻の方へと向かう。今、あの二人はどう見ても無力だ。


「来夢、逃げろ。俺も黒手を全部ちぎられちまって、しばらくは使えない」


 克彦が来夢をかばうようにして、その前に立ち塞がって言うが、来夢はその克彦を押しのけた。


「俺は少し回復した。少しだけど」

 言いながら、来夢は蔵に目配せをする。


(来夢は私が高熱ブレスを吐ける事など知らない。しかし……それでもなお、私がどうにかしてくれると、信じているのか)


 来夢の仕草一つで、蔵は来夢と意思が通じ合った。

 今実行できる最大出力の重力で押し潰そうとする来夢であるが、獅子妻のパワーの方が上だった。動きは大きく鈍っているが、それでも確実に来夢へと向かっている。


「逃がさん……。全員皆殺しだ」


 今まさに来夢に飛びかからんとした獅子妻の背後に、蔵が接近していた。

 喉元に手をあて、顔を突き出すと、高温の吐息を獅子妻めがけて噴出して浴びせる蔵。


「ぎゃあぁぁぁあぁぁぁっ!」


 全身に熱気を浴び、体中が焼き焦げるその痛みに、獅子妻は悲鳴をあげてのたうちまわった。しかしそののたうちまわる動きも、来夢の重力によって固定されて、できなくなった。

 蓄積し続けたダメージは、確実に獅子妻の生命力を削りとっていたようで、蔵の高温ブレスによる攻撃がダメ押しとなり、獅子妻は体中から煙を出しながらうつ伏せに倒れ、完全に動きが止まった。


「終わったか?」

「まだ」


 訝る蔵に来夢が確信をもって告げると、来夢は持てる力を振り絞り、獅子妻の体を高く浮き上げる。

 天井まで上げた所で、渾身の重力でもって、獅子妻の体を床へと叩きつける。

 いつぞやのマフィアと同様に、獅子妻の体がぺちゃんこになって床にへばりついていた。


「わかりきっていたことだけど、やっぱり俺、悪みたいだよ」


 全身から汗を流して、疲労を濃く漂わせた顔で、ぽつりと呟く来夢。


「今、この人の命を奪ったこの瞬間、物凄くエクスタシーを感じた」


 憔悴しながらも、来夢は心地良さそうに笑ってみせ、床へと降りると、その場で尻餅をついてへたりこむ。


「とんでもない化け物だったな」


 中枢の兵士の一人が、生きた心地のしない顔で呟く。蔵も全く同感だった。


「しぶとい人でしたねー……。しかし、ナンバー4でこの強さってことは、他のナンバー2やナンバー1のマウスって、どれだけ強いんだって話ですー」


 首だけ状態の怜奈が、潰れた獅子妻を見て、しみじみと言った。

 獅子妻曰く、純子の預かり知らぬ所で、マウスの強さは変動している可能性があるというのだから、実際の強さの順位などわからないという話ではあるが、上位マウスは皆これくらいの化け物と見ていいだろう。


***


 中枢の精鋭部隊は獅子妻の猛攻により、死者を二人ほど出したが、残りは重軽傷で生存していた。


 エンジェルは無理したために傷口が開き、再び病院送りになった。


 怜奈はというと、切断された首を合わせると、すぐに元通りになった。それはそれで良かったが、自分の体が人ならざる物である事に多少のショックを受けているようで、口数少なく一人でぼーっと虚空を見上げている。


「さっきのは演技だよ」

 服を着た来夢が、蔵を見上げて言う。


「それはわかっている。来夢のアイディアか?」

「違う。ここにいた犬飼って言う名前の小説家の案だ。獅子妻と仲良かったみたいなのに、俺らに逃げろとか裏切れとか促してたんだ」


 克彦が話す。


(小説家の犬飼……脳減賞作家の犬飼一のことか?)


 面識は無いが、薄幸のメガロドン時代のみどりの知り合いだと聞いた。自分がいない時に、雪岡研究所に遊びがてらに来たこともあったという。


(そして踊れバクテリアのアジトにも出入りし、獅子妻とも馴染みだというのか。それが何故突然掌を返したのか……)


 得体が知れないが、裏通りに片足を突っこんでいる人物であることは確かなようだ。


「あのさ、おじさん。頼みがあるんだけど」

 来夢がおずおずと言う。


「克彦兄ちゃんも、プルトニウム・ダンディーに入れてよ。俺の……すごく大事なツレで、この先もずっと一緒にいたいんだ」


 来夢の申し出を聞き、克彦の心臓は大きく跳ね上がり、蔵は神妙な面持ちへと変わった。

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