第二十一章 17

 その日の夜。来夢の家族が全員在宅しているであろう時刻を見計らって、蔵と来夢は砂城家を訪れた。


「来夢!?」

「お兄ちゃん!? うおおおっ! お兄ちゃんだあああっ!」


 玄関先で腰を抜かして驚く母親と、絶叫しながら来夢に飛びつく妹の花。


「そちらの方は?」


 ただ一人平静を装う父が、来夢に尋ねた。来夢と共に現れたからには、来夢に害を成す人物ではないとして、さほど警戒はしていない。


「裏通りの始末屋組織の棟梁をしている蔵大輔というものだ。来夢は私の組織の一員として登録してある」


 己の素性を明かし、さらに来夢が自分の部下であると告げた蔵に、母親はただ驚いていたようだが、父親は険しい顔で来夢と蔵を交互に見た後、何か決心したような顔になった。


「来夢……それはお前が自分で決めたことなんだな?」


 父の問いに、来夢は父の視線をしっかりと受け止めて頷いた。


(この父親、頭の切り替えが早いな。来夢がいない間に考える時間があったからこそなんだろうが、それにしても流石に来夢の父親とでも言うべきか)


 来夢の父を見て、蔵は感心していた。


「すみません。あがってじっくりと話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」

「構わんぞ」


 下手に出る父親に向かって、横柄ともいえる応対をする蔵。


 居間へと通され、来夢の家族に向かって、蔵は大体の経緯を説明した。来夢が人を殺したことは伏せておく。

 蔵はあえて敬語は使わず、上から目線の横柄な人物という態度に出ようと試みた。裏通りの組織のボスであり、表通りの住人を見下している人物を演じた方が、話がスムーズにいくと思ったからだ。変に下手に出たり謙虚ぶったりすると、相手側がつけあがる。必要とあれば恫喝気味でいこうと、相手のパターンをいろいろ考えて、シミュレーションしていたのだが……


(いい家族じゃないか。家族にちゃんと愛されているようだし。それとも私がいる手前、いい顔をしているのか? いや、とてもそういう風にも見えないな)


 予想とは正反対に、来夢の家族は良い家族にしか見えない。意外であったが、蔵は安堵した。


 その一方で、正直ますます来夢のことがわからなくなってしまった蔵である。来夢自身も、家族に心配をかけているからこそという理由で戻っているが、そこからして疑問である。


「来夢、私からも聞きたいことがある。家族に何も言わずに出てきたのは何故だ? 心配かけて悪いという気持ちがあるのに、そんなことを思い切ったのは何故だ? 家族の前でこのようなことを言うのは失礼だが、私はてっきり君が、家で虐待されていて、それで家出してきたのかと思っていたよ。ああ、失礼。裏通りに堕ちる十代ではよくあるパターンでね」


 蔵が来夢に尋ねた後、来夢の両親の方を向いて軽く断りを入れる。


「父さんも母さんも花も、眩しいくらいに優しくて、いい人。善だ。でも……俺は悪だから」


 うつむき加減になり、言いにくそうに来夢は話す。


「皆には隠してたけど、俺はもう人を殺している。おじさんは知ってるだろうけど、あれだけじゃない。他にも殺している」


 せっかく蔵が黙っていたのに、来夢の方からそれを暴露してしまい、来夢の両親も妹も顔色を変える。

 あれが初めての殺人ではないことは、蔵の目から見てもわかった。それにしては何の躊躇も緊張も感じられなかった。


「そんな汚れた俺が、家の中にいたら駄目なんだって思ってた。それに……俺がぜんまいを巻くと、また悪いことをする。俺は悪として生まれたから。だからぜんまいを巻かず、空っぽの方がいいと思って、自分をできるだけ空っぽにしてた。でも……駄目だった。昔からよく遊んでくれた克彦兄ちゃんがさ、いじめられているのを知った。俺みたいな空っぽの……悪になるように生まれた人間でよければ、手を汚してでも助けてあげようって思った。で、雪岡研究所っていう所で改造してもらって、その力でいじめっ子達を殺しておいた。悪いことはしたけど、その悪で人が救えた。でも悪は悪。こんなこと、父さんも母さんも、花も、知れば悲しむ」

「お兄ちゃん……悪なんかじゃないよっ!」


 突然、花が涙声で叫ぶ。


「それで人助けしたなら、それに私達に知られたくないって思う気持ちがあれば、悪じゃないっ」

「いいや、悪だよ。いいことをしても悪は悪。俺は悪として生まれたし、悪をしたいって気持ちをずっと抑えて、それで空っぽになって生きてたの」

「違う違う!」


 泣きじゃくる花に、来夢はおもむろに近づき、抱きしめる。


「うちの子は、そちらの組織でちゃんと役に立っていますか?」


 父親が蔵を見て穏やかな口調で尋ねる。年齢は蔵と同じくらいに見える。真っ直ぐ背を伸ばし、落ち着き払った紳士だ。


「大事な構成員の一人であるからこそ、こうして一緒にここに訪れた。この先もうちで働いてほしいと思う」

 思う所を正直に伝える蔵。


「当然危険な目にも合うのでしょう? そしてまた人を傷つけるのですよね?」


 母親が尋ねた。責める風でもなく嘆く風でもなく諦めた風でもなく、覚悟を決めた上で確認しているように蔵には見受けられた。


「他人を傷つけるなという命令はできない。それは来夢に死ねと言うに等しい」

「やはりそうですね。わかります。仕方ありませんね。兵士に銃を撃つなと言うようなものですし。馬鹿なことを聞いて申し訳ありません」

「いえ……」


 母親がわずかな時間で覚悟を決めたのを見て、そしの台詞回しを聞いて蔵は、強く優しく聡明な人という印象を受けた。


「世の中、いろんな人間が生まれるように出来ている。立派な人、怠ける人、不幸な人、遅咲きの人、人の心がわからない人、罪を犯してしまう人」


 来夢を見下ろし、父親が静かな口調で語る。


「お前は男でも女でもないという、そんな運命に生まれついてしまった。そして学校にも行けなくなってしまった。その理由は知らない。来夢自身にもわからないのでは、私達が知りようもない。そのうえ人を殺し、裏通りで生きるという。そういう人間になってしまった。しかしな、私はそれを恥じ入ることなどしない。どうしてこんなになってしまったと、嘆くこともない。それがお前の決めた道なのだから。世間の人達が何を言おうと、世間を敵に回そうと、私は応援するし、見守る。それが家族というものだからだ。辛くなってきたらいつでも帰ってきていい。私達はいつでも受け入れる」


 父の愛情に満ちた力強い言葉の数々に対し、来夢は何の反応も示そうとしなかった。


「お兄ちゃん、また出ていっちゃうの?」

 泣きそうな顔になる花。


「花、お兄ちゃんはな、他の子より少し早く社会に出るんだ」

 父が花を諭す。


「まだお兄ちゃん十二だよ? 早すぎない?」

「お兄ちゃんくらいの歳でもう大人扱いだった時代もあるんだ。お兄ちゃんは特別に、一足早く大人になるということなんだよ」

(社会は社会でも裏社会だが……)


 口の中で呟く蔵。


「ずっと戻ってこないわけじゃない。同じ安楽市だし。遠いけど」

 来夢が花の方を向いて言う。


「すまん……今は遠くて不便だが、なるべく早いうちに引っ越す」


 蔵が申し訳無さそうに口を挟む。安楽市そのものが非常に広大な面積であるし、来夢の家も安楽市の中では端っこにあるので、蔵が漠然と予定していた引っ越し先アジトは、やはり遠いままだ。


(まあ来夢のことを考えて、多少は近い場所に事務所を借りるか)


 少数精鋭でやっていく組織なので、構成員の面倒はしっかりと考えて見ないといけない。逆に言えばそれが少数組織の良い所だろうなと、初めて少規模組織を運営する蔵は考える。


(できれば来夢が自宅勤務という形が、家族にとっては望ましいのだろうが、来夢自身は今、家庭から離れたがっている心境のようだから、それも無理強いはできんしな)


 現時点では難しいが、いずれは来夢も心変わりするかもしれないし、そういう形にもっていけるかもしれない。


「来夢、あなたがどんなに罪に汚れようと、家にいちゃいけないなんてことはないのよ。家族だからこそ、どんなに罪を犯しても受け入れる。共に苦難の道を歩む覚悟でいるから、遠慮しないで。遠慮して、私達から心を離すことの方が、私達と心の中で壁を作る方が、あなたが罪を犯すよりも余程辛い。それを心に刻んでおいて」

「……うん」


 力強く語る母に、来夢は少し躊躇ってから頷いた。


「母さんの言うとおりだ。お前は私達の家族だ。どこへ行こうと、何をしようと、ずっと砂城家の一員だ。お前が戻ってくれば喜んで受け入れる」


 笑顔で告げる父に、来夢もつられるようにして微笑む。


「お兄ちゃん、土日はちゃんと帰ってきてよ」

「努力する」


 抱きついたまま要求する花に、明らかに気乗りしない様子で、曖昧な答えを返す来夢だった。


***


「家族から大事にされているようで安心した。同時にプレッシャーでもあるがね」


 タクシーでアジトへと戻る途中、蔵が話しかける。後部座席に来夢と並んで座っている。


「俺、全部バラして、余計に父さん達を辛い気持ちにさせた」

「黙って出てきて心配させるよりはずっとマシだ。会ってちゃんと話して正解だったんだ」


 憂いたっぷりに言う来夢に、きっぱりと断言する蔵。


「一番の正解は普通にふるまって、安心させること。俺にはできないけど」

 すねたようにそっぽを向く来夢。


「それが無理であるということも、君の家族は承知したうえで受け入れようとしている。君という存在ときちんと向き合おうとしている。君はとてもいい家族に恵まれているんだぞ」

「それが嫌だっていう気持ち、おじさんにはわからないかな?」

「正直理解しがたいかな。引け目を覚えているということか?」

「引け目?」


 質問返し合戦になってるなと思い、蔵は苦笑する。


「自分が悪いこと、同年代の子供と違っておかしいと意識していることだ」

「善人ばかりのとてもよい家族の中に、どうして俺みたいな悪が生まれたの? そう考えると、嫌になるの当たり前」

「壁を作るなと言われてきただろう」


 蔵が母親の言葉を引き合いに出した事に対し、来夢はさらに不機嫌な面持ちになった。


「俺が悪になりきれないのは、家のせいだ。あんな善人ばかりだと、どうしても俺は影響受ける」

「なりきらなくていい。偏るなと言っただろう。完全に悪に染まりきった人間など、私の組織にはお断りだよ」


 悪ぶる来夢に、蔵は笑いながら、しかし確かな本音でそう告げた。

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