第二十一章 16

 朝。目を覚ますと自宅とは異なる風景に、未だ違和感がある。

 自宅以外で寝泊りしたことなど、来夢はこれまでに無い。両親と妹の花が親戚の家に行く際も、来夢だけは嫌がった。それ故に来夢のお守りのために、父か母のどちらかは家に残った。


 煩わしいと思っていた家族が、早くも懐かしくなっている。いや、それどころか会いたいという気持ちになっている。

 何も言わずに出てきてしまったことも気に病んでいる。きっと心配しているだろう。哀しんでいるだろう。罪悪感が胸を締め付ける。


 この罪悪感というものが、何より来夢は嫌だった。罪も罰も無形であり、人間が心の中で勝手にこさえた愚かしいものだと断じている来夢であるが、来夢もその無形の愚かな観念から逃れられずにいる。

 全て欲望の赴くままにできたら素晴らしいことだが、それはどうしてもできない。楔が打ち込まれてしまっている。しかし来夢はその楔から逃れたいとも思っていない。煩わしく、忌々しく思いながらも、上手く付き合っていくしかないと諦めていた。


「無様」


 己に向けて吐き捨てる。突然、激しいホームシックに陥った自分。裏通りでやっていくと決意して数日足らずでこの有様なのが、あまりにも無様で滑稽で、来夢は自分を殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られる。


 同時に自殺衝動も沸くが、それをまた実行しようとしたら、恥の上塗りになってしまいそうなので抑える。

 しばらく来夢は思案する。この欲求を抑えておくことはできそうにない。どんなに無様であっても目を背けず、この惰弱な自分を受け入れ、認めなければならない。そうしないと余計に歪になると、来夢にはわかっているからだ。


(おじさんに相談しないとね)


 蔵のことを思い浮かべる。


 今や来夢はすっかり、蔵を信頼し、慕っている。裏通りの住人とは思えぬほど良識がある人物であり、自分のような子供とも真剣に向かい合ってくれる。人間としても、年長者としても、ボスとしても、一目置いている。認めている。自分の属する組織のボスが蔵であったという事に、来夢は感謝していた。


 蔵だけにこっそり言うのではなく、怜奈やエンジェルの前でもしっかりと恥を晒しておこうと、来夢は心に決めた。ホームシックにかかって家族に会いたくなったと、ちゃんと言おうと。仲間なのだから、無様な自分の丸裸を見てもらうことが大事だと信じていた。


***


 初仕事の翌日は休日にしたが、怜奈もエンジェルもアジトへと訪れた。


「休みといってもどうせやることがないのだ。新たな仲間と親睦を深める時間に費やした方が良いのではないかと、お父ちゃんなら言うだろうと思ってな」


 微笑をたたえながらエンジェルが言った。


「お、お父ちゃん?」


 この気取った男には似つかわしくない台詞が口から出たので、怜奈は思わず聞き返してしまう。


「気にするな。俺はいつもお父ちゃんに、心の中で話しかけているというだけの話だ」


 顎に手をあてて、気取ったポーズで答えるエンジェル。


「ずっとフリーでやってきたが、新しい組織を発足するから、それに加わってみてはどうかと、純子にもちかけられた時、俺は正直迷っていた。ずっと一匹天使だった俺だが、新たな世界を覗いてみるのも悪くないと思い、話にのった」


 煙草をふかしながら、エンジェルが語る。


「仲間への接し方としては、ぎこちない部分もあるかもしれないな。大目に見てくれとは言わん。おかしい所があったら遠慮なく言ってくれ。天使イヤーは素直に聞き入れる」


 気取った口調で謙虚な言葉を口にするエンジェルに、おかしい所だらけだろうと心の中で突っこむ蔵であった。だがそれを改めろとも思わない。彼はこういうキャラのままでいいとする。


「エンジェルといい怜奈といい、経験豊富な始末屋が最初から加わってくれている事は、実に心強い」

 笑顔で蔵が言った。


「俺もちゃんと経験積むから」


 不満げな顔をしてアピールする来夢を見て、エンジェルと怜奈は顔を綻ばせる。一方蔵は、来夢のその主張が意外であった。こんな子供らしい面もあったのかと。


「顔合わせがてら、互いの力を見るための初仕事ではあったが、昨日はまあまあうまくいったな。純子が本題としている、我々をぶつけようとしているテロリスト集団の方が問題だ」


 今やテレビでも騒がれまくり、すっかり話題となった踊れバクテリア。その殲滅をこれから行わなければならない。


「純子は踊れバクテリアの構成員が、全員マウスだと言ってましたねー」

 と、怜奈。


「ああ、あんなことをしでかすような危険な奴等に、力を与えるとはね……」


 純子にその辺の見境を期待しても仕方無いとは思うが、それでもうんざりしてしまう。


「警察という名の国家守護天使に任せておくべきことだろう。お父ちゃんもきっとそう言う」

「それは昨日から私もボスも言ってたじゃないですか」


 エンジェルが口にした言葉に、怜奈が突っこんだ。


(ん……? 来夢はどうしたんだ?)


 座ったまま、露骨に体を揺らしてそわそわしている来夢を見て、蔵が訝る。その顔はどことなく不安げに見える。日頃からあまり口数の多くない子だが、今日はいつにも増して無口なのも気になる。

 蔵が来夢に声をかけようとした直前に、電話が鳴った。知らない番号だ。


『はじめまして。私は安楽市市長を務める毒田桐子というものです。御存知の通り、中枢の上部組織『悦楽の十三階段』に席を置く者でもあります』


 電話をかけてきた相手に蔵は驚きつつも、その用件が何であるか大体察した。


『現在話題になっているテロ集団『踊れバクテリア』が、全て雪岡純子のマウスであることを、純子自身から聞きました。純子には彼等の居場所がわかるそうです。純子に責任をとってもらう形として、純子にまず動いてもらうことに決定しました。中枢や警察に、余計な犠牲を出さないためという本音もあります』


 柔らかな口調で喋る毒田。


(相手はテロリストだぞ。警察か軍隊が動くべきものだろうに。それをまずは裏通りの組織に任せるなど、表通りの者が聞いたらぶったまげるぞ)


 呆れる蔵であるが、中枢からするとこの決定は完全に本気なのだ。損得勘定やパワーバランスの計算で、純子のマウス同士でまず殺し合わせようという、いい加減な目論見だ。


「そして純子一味であると見なされた、私達に白羽の矢ということか。その本音の部分のために、マウス同士で殺し合わせて、手柄はそちらということかな」


 無感情な抑揚に欠けた声で、皮肉を口にする蔵。


『元々純子もその予定だったのでしょう? 新しく発足した組織である貴方達の名を売り出すという目的も含めて』


 どうやら毒田桐子は純子と知己であるうえに、純子の考えも見抜いている様子であった。


『中枢提携もした貴方達ですから、できうる限りのバックアップはするつもりでいます』


 そのバックアップの保障のために、純子は自分に中枢提携を勧めたのかと、蔵は理解する。例え自分達を矢面に立てるとしても、中枢提携という形という契約を結んでいるからには、中枢も自分達をないがしろにできないという算段だ。


(ここは純子を流石と褒める所か。本当によく頭が回る)


 見習いたいが、あの抜け目の無さは果たして見習って身につくものなのか、疑問である。


「雪岡純子の指示待ちという形になるかな」

『それでは困りますね。こちらの要請で動いていただかないと。純子はデータ収集目的に、自分の目に届く都合のいいタイミングで、貴方達に出動を要請するでしょうから』


 よく純子のことを知っているなと、蔵は苦笑する。


「中枢提携はしたが、そちらの配下になったわけでもないしな。この組織にいる者は全て純子のマウスだ。純子にへつらう間柄という程ではないが、恩義はあるし、完全に無視するのも辛い。そもそも位置の特定は純子にしかできないのだろう? ならば純子の意向に従うしかあるまいよ」


 蔵の言葉に、毒田はしばし沈黙する。


『わかりました。しかし彼等を放置しておくと、それだけまた多くの犠牲が出るということをお忘れなく』

「そんな事は我々とて重々承知している。貴女が純子にそれを言いたまえ。我々に言うことではない」


 あえて横柄とも言える口調と言葉遣いでぴしゃりと言うと、蔵は電話を切った。

 相手の言動に腹が立ったわけではない。使いにくい相手と思わせておこうという、蔵の計算である。中枢提携したとはいえ、あまり中枢と懇意にはなりたくないという気持ちもある。中枢は裏通りの管理者を気取りながら、できるだけ己の血を流さずに、裏通りの住人を使ってトラブルの解決を図ろうとする組織だからだ。


「あの……おじさん、相談と頼みが……」


 電話を切った直後、来夢がおずおずと言いづらそうに声をかけてきた。

 今日はずっと来夢の様子がおかしかったが、明らかに思いつめたような顔で声をかけてきた来夢に、蔵は不審に思う。


「一旦……家に帰りたい。家族に黙って出てきたから。きっと心配してる」


 来夢の告白に、蔵は呆れると同時に興味を覚える。

 来夢の家庭環境は一体どうなっているのだろうと、考えてはいた。ろくでもないものであるから、この歳で平然とアジトに泊り込みでいるのだろうと頭から決めてかかっていたが、まさか来夢の口からこんな台詞が出るとは思わなかった。


「俺一人だと……うまく説明できない。おじさん、一緒に来て欲しい……」

「そういうのは自分一人でちゃんと責任とってケリをつけるものだぞ。ま、いいけどな」


 来夢の懇願に、わざともったいぶってため息をついてみせて、了承する蔵。


「ふ、ボスも甘いな。うちのお父ちゃんなら、天使が泡吹くほど叱りつけている所だ」


 冗談めかして言うエンジェル。


「人には得手不得手というものがある。筋を通すならば、自分一人でしっかりとやらなくてはならないことも、その個人の苦手なことであれば、誰かがサポートしてやる形でも構わん。一人で何でもこなせなくてはならないという考えは、それそのものが思考停止だ」


 フォローする蔵。しかも来夢はまだ子供なうえに、人一倍不器用な子でもある。誰の力も借りずに生きるというのは、いろんな意味で困難だ。突き放すだけ、厳しさだけという偏った教育や思想は、蔵の好む所ではないし、そもそも間違っていると見なしている。


「一緒に行ってどうするんですー?」


 怜奈が尋ねる。呆れと不服と疑念が混ざったような、何とも言えない表情をしている。


「口添えが欲しい部分は私が口添えしてやるさ。来夢がどういう家庭環境にあるかを知る、良い機会でもある。来夢のことをよく知るためにもな」


 怜奈が自分の決定に露骨に不満を露わにしているのを見て、蔵はなだめるニュアンスを込めて、己の思う所を隠すことなく口にしたが、怜奈はますます呆れたかのように、視線を逸らしていた。

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