第二十一章 15

 夜、怜奈とエンジェルは帰宅し、山奥のアジトには蔵と来夢だけが残った。


 来夢の家庭事情はどうなっているのだろうかとどうしても考えてしまうが、それを聞き出していいものかどうかも迷う。

 最初に比べて大分喋るようにもなって、やや安心していたが、昼間の嬲り殺しや、踊れバクテリアのテロを見て楽しそうだと口にした来夢を見て、どうしても不安になってしまう。


 向かい合って無言で食事を取る二人。何か蔵の方から話題を振ろうかとも考えたが、来夢も何やら深刻そうな面持ちで考え込んでいるのがわかったので、声がかけづらかった。


「やっぱり、空っぽのままの方がいいみたい」


 食事を終えた所で、来夢がぽつりと呟く。


「どういう意味だ?」

「俺……俺、楽しいことしても、楽しそうなことを楽しいと言っても、俺、俺……俺のこと……皆して、汚いものを見るような目で見る。いつもそうだった。だから俺、外に出なくなった。俺は……自分を殺したまま、空っぽにした方が良いんだろうね。だから、空っぽになったの」


 来夢の話を聞き、蔵は累のことを思い出した。累も社会に対して壁を作って引きこもった。一般人は自分と同じ人間として認識できないと言っていたし、犯した罪の引け目があるとも言っていた。


「君のやりたいことは、殺戮や嬲り殺しなのか?」

 蔵が問う。


「本で読んだ。人間は善だけの生き物ではなくて、悪い部分もある生き物だって。人を傷つけたいという気持ち、何かを壊したいという気持ちも、人間という生き物にはセットで備わっている。それが大きい人もいる。俺が正にそうだよ。俺は壊すことが好き。苦しませるのが好き。俺はそういう所が人よりずっと強い」


 淡々と語る来夢。


 累はずっとそういうことを好んで実行してきたが、今は悔いている。しかし悔いる一方で、まだそれを求めているとも言っていた。やはり一脈通じるものが有ると蔵は考える。


(累と引き合わせてみてはどうだろうか。互いに良い刺激になりそうな気もする。純子に相談してみるか)


 いろんな意味で累と似ているが、累は来夢より数歩進んでいる部分もあり、数歩遅れている部分もある。累も破壊や殺戮や混沌への欲求が強いが、本人曰くそれはほぼコントロールできるようになったとのことだ。


「でもそんな俺は……悪。嫌われる存在。でも、大事な人からは嫌われたくはない。それに、苦しませるのは誰でもいいってわけじゃない。例えば、純子やおじさんを苦しませたいなんて思わない。こいつなら別にいいかと思える、俺と似たような悪い奴に限る」


 これくらいの年齢の子供が、自分の気持ちを正直にぶつけるという事は、いろんな意味で大変なことなんだろうなと、蔵は察する。会って間もない自分にそれをぶつけたということは、ずっと一人で溜め込んで苦しかったのではないかと。


「悪から目を逸らす社会。悪を悪と断じて嫌っておしまいの社会。綺麗事で外側だけ飾った社会。くだらない。つまらない。頭にくる。でも……俺という悪を消しておけば、空っぽにしておけば、それでいいとも思っていた。ぜんまいを巻いてしまうと、昼間みたいになる」


 そこで来夢は楽しそうに微笑んだ。マフィアを殺したことを思い出し、殺人の快い感触に浸っていた。


「私は君の全てを否定はしない。悪の部分も含めてだ。おそらく怜奈も完全に否定したのではない」

 蔵が静かに告げる。


「ぜんまいを巻きたいと君は言っていただろう。今はまだ見えない希望が欲しいのではなかったのか? 何かを探し、欲している君は、空っぽであることなど望んでいないのだから、例え悪になろうと、君はこの世界の中を歩んでいいと思う」


 クサい台詞だと、喋りながら自分でも思う蔵であったが、ここは大真面目に徹さなくてはならない場面だ。真摯な態度で、相手に伝えないといけない。


「もちろん、できる限りは道を踏み外さず、自分を制御した方がいい。君は自らを悪と断ずる反面、そうなりたくないという気持ちがあるからこそ、空っぽのままの方が良いなどと言うのだろう?」

「うん、言った。嫌われたくないんだ。でも虫のいい話」

「人間は一面性だけではない。君も今言ったばかりだろう。人は善も悪もある生き物だと。片方だけに極端に偏ることは不自然だ。君は自分を悪だと断じているが、そんな風に諦めて、そちらに偏らないように注意した方がいい。いや――すでに注意してるよな? だから悩んでいるんだろう」


 蔵の指摘に、来夢はうつむいて押し黙る。


「うん……そうだね」


 十数秒ほど経ってから、ようやく来夢は頷いた。ちゃんと考えて自分を見つめなおしたうえでの答えだった。


(この子は基本的に素直なんだな。純粋ともいうか)


 それは好感を抱けるところであるし、惹かれる要素であり、厄介な性質でもある。


「おじさんは何で裏通りに?」

 来夢が顔を上げて尋ねる。


「それはな……」


 蔵は裏通りに堕ちた経緯も、その後のことも、今どうしようとしているのかも、全て包み隠さず話した。


「こんな歳になってもな、負けると悔しいんだ。苦しいし、苦いし、痛いんだ。物凄くね。そしてこう思う。まだ負けてなるものかと。まだ私は生きている。四十年積み重ねてきたものがある。それをぶつけて私は私の納得しうるものを築きたい。純子の援助を受けるような形であるが、新たに組織を築くからには、良い組織にしたい。大きな組織にしたい。誇れる場所にしたい。心の拠り所になればなおいい。私は今度こそそういうものを作りたいと強く願っている。組織に属する者全てにとってな。できれば君にも怜奈やエンジェルにも、同じ志を抱いて欲しい……なんて思うのは我侭かな」


 真顔で語っていた蔵であるが、最後の方でつい照れくさそうな笑みを意図せずこぼしてしまった。


「友達が死んだという話、すごく悲しいね」

 来夢がぽつりと言った。


「おじさん、友達の仇を取りたいの?」

 じっと見つめられてそう尋ねられ、蔵はどきっとする。


「よくわかるな。ではどう仇を取りたいのかまで、わかるかね?」

「友達は死んでいない。おじさんの心の中で生き続けてる。生かし続けたいと思っている。そういうことかな? つまり……」

「そうだ。証明したいんだ。死んだ友人のやり方でも成功するってな。必死な銭稼ぎやら他者との競争だけが全てというやり方ではなく、仁義や温情を重んじたやり方でも、人も組織も大きくなれるということを、あいつに代わって成し遂げたい。私が死ななければ、私があいつと同じ志で成功すれば、それで仇はとれる。証明できる」

「そっか」


 来夢がにっこりと笑ってみせる。何か満足したような、そんな清々しく朗らかな笑みであった。


「俺もおじさんと同じ道にいる」


 最後にぽつりとそう呟くと、来夢は立ち上がり、自室へと戻っていく。

 最後の何気ない台詞に、蔵は熱いものを覚える。


(もう少し話したいことがあったんだがな。まあ……次でいいか)


 何より尋ねたかった家庭環境のことが聞き出せなかった。裏通りの住人の多く――特に十代で裏通りに堕ちる者は、あまり良い家庭環境に無い者が多い。蔵は普通の家庭に生まれ育った身なので、不幸な家庭環境で育った者に同情の念は抱いても、共感するのは難しいが、それでも来夢のルーツを知っておきたい。それを知ることが重要だと考える。


***


 同じ頃、踊れバクテリアのアジト。


 克彦は木田とゲームやアニメの話などで盛り上がり、時間を潰していた。獅子妻やロドリゲスには未だいまいち心が開けなかった克彦だが、まるで自分を弟分のようにかまってくれる気さくな木田とは、あっさりと打ち解けた。

 ロドリゲスは克彦に対してよそよそしく、視線が合うと露骨にそっぽを向く。声をかけてもぶっきらぼうな態度が多かったので、恐らく自分の何かが気に入らないのだろうと、克彦は判断している。


 木田はその自分の歪んだ顔に、激しいコンプレックスを抱いている。この顔のせいで木田は赤子の頃に捨てられ、子供の頃はいじめられ続け、就活でも顔のことに触れられてきっぱりと拒否された程だ。そのことも克彦の前で話した。

 克彦も全てではないが、多少の身の上話をした。木田は同情してくれた。


(この人、根は悪い人じゃないんだ。世間に冷たくされて、それでこうなった。だからこの人は、世の中に牙を剥く権利がある)


 克彦は木田に同情すると同時に、やるせない怒りを覚えていた。


「本当に醜いのは、木田さんの顔じゃない。この世界の方だ」


 菓子パンを食う手を止め、怒りを滲ませてそう口走る克彦に、木田は照れ笑いをこぼす。


「いいこと言うな。少し見直した」


 そこに仏頂面のロドリゲスがやってきて、声をかける。


「だが正確には、醜いのはこの国と、この国の民族だがな。移民という名の奴隷を呼び込んでおきながら、自分達とは違うものを排除する。臭いものには蓋。底無しの醜さだぜ」


 ロドリゲスは移民の子として生まれたが、国籍も得られず移民扱いのまま育った。移民扱いの方が移民特権という最低限の恩恵が得られるという、親の判断によって。

 しかしその結果、普通の日本人扱いされず、失うものが多いことをロドリゲスは嫌と言うほど思い知りながら育った。親がチンケな欲をかいて、はした金を得ようとしたために、惨めな人生が決定づけられてしまった。


 成人してからは移民就労局の言いつけで、老人ホームへと回された。

 そこでロドリゲスは散々な目に合った。歳をとって心がねじくれた――あるいはボケて頭のおかしくなった老人達から、移民扱いされて蔑まれる毎日。そして蔑まれ見下され罵られながら、彼等の介護をしていた。夜中に何度もブザーで呼び出されて罵倒され、オムツの中身をぶちまけられた事もあった。


 その結果ロドリゲスは、この国に、この国の国民性に、日本人そのものに、並々ならぬ恨みを抱くようになったのである。


 裏通りに堕ち、フリーの殺し屋として、自分の手に負えそうな仕事を選んで活動していたロドリゲスだが、仕事でしくじって腕を切断され、腕を元に戻すために雪岡研究所を訪れてマウスとなった。

 その後、獅子妻とネット上で出会い、獅子妻と意気投合してテロリストとなる事を決意し、今ここにいる。


「俺や木田さんらのことは憎くないのか? 俺らだって日本人だ」


 克彦が尋ねる。ロドリゲスは木田にはともかく、自分のことはどこか見下したかのような目で見ていた。


「虐げられた者という立場で、お前達は同じだから、憎しみを抱けない。それ以前に、日本人という不特定多数のくくりでなら憎めるが、直に接して知ってしまった個人の間柄では、憎しみなんて抱けないもんさ。お前達は俺を罵りもしないし、スリッパで殴りもしないし、入れ歯を投げてもこないし、小便をかけるような真似もしていないからな」


 ロドリゲスの話を聞いて、克彦は彼にも同情の念が沸く。ロドリゲスも散々な目にあったからこそ、世界への底知れぬ憎しみを抱くに至ったのだ。


「ロドリゲスはさ、最初、俺相手にもツンツンしてたんだ。初対面の相手にすぐに打ち解けられない性分なだけだから、気にするな」

「あのな……」


 木田の言葉に苦虫を噛み潰したような顔になるロドリゲスを見て、自然と克彦も笑みがこぼれた。今までロドリゲスと自分の間にあった壁が、壊れて消えた気がして、克彦は嬉しかった。

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