第二十一章 14
マフィアを退けた後も、売人の護衛もしっかり務めあげ、午後五時、売人二名と共に四葉の烏バー事務所へと向かう。
「派手にやってしまったが、抗争を悪化させることにはならないだろうか?」
依頼者の大島遼二にマフィアを撃退した顛末を詳しく伝え、心配げに蔵が問う。
「いや、よくやってくれたよ。むしろ最高の結果だ」
相手の組織の立場で蔵は懸念したのだが、遼二は本当に満足そうだった。
「もしよければまたよろしく」
「ああ、頼む。懇意にしている違法ドラッグ組織の連中にも、おすすめしておくよ」
遼二が嬉しい言葉をかけてくれたので、蔵はほっとした。
「初心に戻った感じで懐かしい。表通りで最初に起業した解きや、失敗して裏通りに堕ちて武器密造密売組織を作った時を思い出すよ」
四葉の烏バーを出た所で、蔵が上機嫌に言った。
「前の組織は結局潰してしまったが、この組織ではもう失敗したくはないな」
以前と違い、少数精鋭組織であるが、できることなら人員も増やしていきたいし、蔵には蔵で将来のヴィジョンがいろいろとある。
「天使の顔も三度目の正直と言う。今度はうまくいくだろう」
「ああ、今度はしくじりたくない」
エンジェルの言葉に、蔵は気を引き締める。エンジェルの言葉は都合よく解釈し、突っこむ気はなかった。
「来夢のことを放っておくんですか?」
不意に怜奈が、不服を通り越して、挑みかかるような口調で声をあげる。驚いて蔵と来夢が怜奈を見る。
「ねえ来夢、さっきのあれは何です?」
怜奈が来夢を見下ろして問う。
「あれって?」
何のことかわからないといった風に、小首をかしげる来夢。
「マフィアとの戦いですよっ」
「命を終わらせた。それが何?」
来夢は怜奈の顔を見上げ、平然と言い返す。
「殺したことを責めているのではありませんっ。殺しを楽しむような振る舞いをしていたことが、問題なんですっ。単純に趣味が悪いというか、感情的に受け付けないという部分もありますが、それ以前に、ああいうことをしているといつか必ず落とし穴に落ちますよ?」
「落とし穴?」
来夢はわからず、再度小首をかしげて問い返す。
「具体的に言いましょう。戦闘の際にいちいち殺しを楽しむような心構えでいくと、その殺人の快楽そのものが目的になります。そうすると自然と気が抜けます。油断に繋がります。相手に隙を与え、自分が殺されるか、あるいは仲間を殺されるという事態も招きかねませんっ。言ってることわかりますか? 伝わってますか?」
真剣な眼差しで説教をする怜奈に、来夢の顔つきが次第に変わっていく。怜奈の言葉を理解し、受け入れたようで、申し訳無さそうな顔になる。来夢が初めて見せる表情だ。
「随分と生々しいな。君も覚えがあるのか?」
「ぐぬっ」
思わずそう突っこんでしまう蔵に、怜奈は言葉を詰まらす。
「殺すことは楽しんでいませんが、ドンパチの楽しみに熱を入れすぎて、周りが見えなくなって、私のせいで無用な犠牲を出したことはあるんです……。しかも私をいつも気にかけて世話をやいてくれた人を……。私が殺したも同然ですっ。一生……忘れません」
己の辛い過去を思い出し、言いにくそうに語る怜奈。
「わかった。気をつける。ごめん」
素直に怜奈の警告を受け入れ、謝罪もした来夢を見て、蔵は胸を撫で下ろした。ここで来夢がへそを曲げるような性格の子であったら、正直厄介だ。
(怜奈の口にしたことも大事だが、肝心なのは、来夢が何で人殺しを楽しむような性質に至ったかだな。それに日頃の発言もたまに物騒なものがある)
今の態度を見ても、そして接している限りでも、来夢は性根からねじくれているわけでもないし、サイコとも思えない。いや、多少サイコな一面も見受けられるが、染まりきってはいない。
(裏通りに堕ちる十代の定番だが、家庭環境に難があったのかな? その辺も知りたい所ではある。家出してきた時点でそれっぽいが……)
知りたいと思っても、そんなことを脈絡無く直接聞くのも躊躇われる。
***
午後六時半。四人はエンジェルが行き着けだという定食屋で、夕食をとることになった。
「天使も羽根を休める飯屋とはここのことだ。俺は昔から贔屓にしている」
店に入り、サングラスを指で押し上げながら、エンジェルが言う。
「あらあら、いらっしゃーい。天使ちゃんが友達連れてくるなんて珍しいじゃない。天使ちゃんにも友達いたのねえ」
エプロン姿の小太りの店員のおばちゃんが、愛想のいい笑顔で出迎える。
「友達いなかったの?」
「天使ちゃんて呼ばれてるんですかー? 私もその呼び名で呼んでいいです?」
来夢と怜奈がエンジェルに尋ねる。
「そのどちらもが、天使も思わず言葉を失くすような、非常に答えにくい質問だ」
「いなかったってことね」
「いいってことですかね」
両手を広げるエンジェルに、来夢と怜奈が顔を見合わせて勝手に解釈する。
『次のニュースです。安楽市刑殴線調布駅前繁華街にて起こったテロの続報です。テロを実行した『踊れバクテリア』と名乗る集団が、新たな犯行声明をあげました』
店内に映っていたテレビで、また昨日のテロのニュースが流れていた。
『我々はこの社会を悪しきものであると断ずる。我々はこの悪しき社会より生じた歪(ひずみ)である。我々がもたらす破壊は全て、因果応報、悪因悪果と心得よ。我々は伴大吉の精神を受け継ぎし者である。我々の精神もまた、何者かに継承すると信ずる。我々はこの世界を憎む。我々はこの世界を敵と断ずる』
アナウンサーによって読み上げられる。センスの欠片も無い声明に、蔵は嫌悪と唾棄の念がこみ上げる。
「破壊の天使達とも言えぬ、堕天使達。それが、俺達が地獄に落とさねばならぬ相手」
詩を吟ずるかのような口調でエンジェル。
『スタジオには、犯罪心理学専門の丸井沢丸太郎教授に来ていただいています』
「ん?」
アナウンサーに紹介された、丸眼鏡をかけた痩せた中年男のコメンテーターに、蔵は見覚えがあった。
『この件について言わせていただきますとねえ、伴大吉に影響受けてしまう人がいるいうのはねえ、彼等が言うように、社会が本当に悪いからですわ。社会のせいにするな自分のせいやと自己責任論のしょーもない説教垂れ流すアホおるでしょ。それ、ちゃいますよ。ほんまに社会が悪いから、こういうテロリストも出てきますねん。そりゃどんな国の社会でも不満を持つモンも多少は出てきまっしゃろ。せやけど、心にゆとりの無いモンばかりの窮屈な社会になっていくとね、そういうモンがもっと出てくるもんです』
標準語に正す努力をほとんどせずに、関西弁訛りそのままで、コメンテーターの教授はべらべらと早口で喋る。その声にも蔵は聞き覚えがあった。しかしどこで聞いたか、どこで見たか、思い出せない。
『家族でも社会でもね、もっと思いやり持って人と接する。これだけでええんですわ。なのに親は子を虐げ、上司は部下を虐げ、教師はいじめを無視し、市役所の役人の婆は横柄な態度丸出しで……こらーっ、ワイの住んでる市の市役所の態度の悪い糞婆っ、お前のこと言うとんのやで? お前がテロで真っ先に殺されたらよかったんやっ』
『ま、丸井沢先生、生放送ですから……』
カメラに向かってドスの効いた声で私怨をぶちまける犯罪心理学教授に、アナウンサーが慌ててなだめる。もうこの人はこの番組に呼ばれないなと、蔵は思った。
『ワイの言ってることおかしいですか? 正しいでっしゃろ? つまりそういうことですねん。優しい社会を作りなさい。まず周囲に優しくありなさい。それこそが無差別テロを防ぐ予防策ですよ?』
「犯罪者の心理状態や、どうしてこういうテロが起こったかを求めて呼ばれたのに、説教や啓蒙まで始めちゃいましたよ、この教授……」
テレビを見ながら呆れ顔で怜奈が言う。しかしこの関西弁の教授の口にすることはもっともだと、蔵には思えてならない。実行可能かどうかはさておき、正論ではあると。
「テロ楽しそうなのに、世間ではひたすらテロ悪いって言う。おかしい」
「おいおい……」
テロに同調する来夢の発言は、流石に聞き捨てならなかった。
「街中で暴れて、罪もない人達を無差別に殺すことが、面白そうなのか?」
「うん。凄く楽しそう。俺はやらないけど、やってみたい気持ちはある。やってる人達の気持ちもわかる。やったらきっと面白い。でもやらないから安心して」
そう言って小さく微笑む来夢だが、蔵は全然安心できない。
「それにさ、テレビ見てる人達は、他人事のテロ、楽しいと思ってるよ。楽しいからニュース見てるんだ。皆他人の不幸を楽しんでいるだけの無自覚の悪。俺は自覚してるだけ」
見下してせせら笑うでもなく、淡々と事実を伝えるような言いぶりで語る来夢。
「ここまで派手なことをしたら、私達が動くより前に、警察や中枢が先にやっつけると思うんですけどねー。こんな世間ですっかり有名になった集団を、ここにいる四人でこれからやっつけるとか、ちょっと現実味ないですー」
怜奈がおかしそうに言う。
「ああ、私もそう思うな……。純子は私達と彼等を嚙み合わせたいようだが、本来ならこのような世に大きな影響を及ぼした存在など、新規の始末屋組織が出る幕ではないだろうに」
とはいえ純子のことだから、例えどんなに騒ぎが大きくなろうと無理矢理にでも、自分達と噛み合わせるように手をうつに違いないと、蔵は見越していた。
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