第二十一章 12

 護衛の予定は明日なので、蔵と来夢と怜奈の三名は、一旦アジトへと戻った。


 一息ついてネットを開いた所で、つい先程、安楽市内でテロが行われたことをネットで知る。流石に警戒の厳しい絶好町繁華街ではなく、東部の駅前繁華街でだ。東京都の市町村を併合しまくった安楽市には、大きな繁華街が両手両足で数えられないほど沢山ある。

 テロ内容は、P931事件の再来のように毒ガスがまかれたものに加え、大柄な男がマシンガンを乱射して何人も殺害したとか。


 さらにテロを実行した者から、犯行声明も出た。『踊れバクテリア』の名前も、はっきりと記された。


「むう……純子が我々と戦わせようとしている組織の仕業か」

「こりゃ私達もさっさと動かないと不味いですねー。どんどん犠牲が出そうですよー」


 唸る蔵に、怜奈が緊張感の無い声で言う。


「しかし護衛の仕事を放り出すわけにもいかんしな。タイミング的に見て、純子が後ろで手引きしているという事は無かろうか……」


 純子がそういうことをよくやる人物であると、蔵は知っている。


 その純子から電話がかかってきた。


『ネット見たー? いや、テレビでも犯行声明の件やってるみたいだねえ』

「今見たよ。あれは君が仕掛けたわけではないだろうな?」

『まさかねえ。そんなことする意味が無いよー。蔵さん達が手始めに別の仕事をするって言っていた今のタイミングで、そんなことするとか、ほとんど嫌がらせレベルだしさあ』


 わりとまともな答えが返ってくる。


『中枢からもせっつかれている立場だからねー。踊れバクテリアの面々が私の作ったマウスだってことも、中枢にはバレちゃってるし。そんな状態で、いつもみたいに、あれこれ工作する余裕は無いよ』


 蔵のイメージだと、純子は中枢相手でも平然と自分の趣味を優先しそうであるし、この言葉もどこまで真に受けていいものかわからない。


『ああ、それと、私の方で腕利きのフリーの始末屋してる人に声かけておいたから、メンバーに加えてあげてね』

「その始末屋もマウスか?」

『まあね。マウスじゃなくてラットだったんだけどねえ。ラットにしては中々面白い子だから、声かけてあげてもいいかなあと思ってさ。で、フリーを辞めて組織に入ってもいいって返事あったし、今そっちに向かってると思うんだけど』

「問題児でなければいいんだがな」


 面白い子という時点で、何かありそうな気がしてならない蔵であった。


 純子からの電話が切れた所で、アジトの前に来訪者が現れたのを、モニターで確認する。


「実にタイムリーだ。そして……よりによってあの男か」


 実際に見たことこそないが、蔵はその人物を知っていた。

 頭をこんもりと大きくつきあげてリーゼントで固め、丸いサングラスに、縦縞柄の服という、やたら目立つ格好の痩身の男。


「エンジェルですねー」


 アジト前のモニターカメラに映る男を目にして、怜奈が言う。同じ始末屋であるし、相手はそれなりに有名な始末屋なので、怜奈も当然知っている。

 蔵が出迎えに向かう。怜奈もついてくる。来夢は部屋に残ったままだ。


「ふっ、天使も見落としそうな山奥のアジトか。だが俺が来たからには、天使も見落とすわけにはいくまい。そう、俺がエンジェルだ。今後ともよろしく」


 芝居がかった口調で意味不明な挨拶をのたまうエンジェルに、噂通りの男だと蔵は呆れた。


「純子から話は聞いているが、フリーの始末屋を辞めて、我々の組織で働く形でよいのかね?」

「納得したから来たのだ。天使が新たな道を指し示し、俺は導かれた。そして俺は『プルトニウム・ダンディー』の守護天使にもなるし、破壊天使にもなりうる」

「うん、わかった。よろしく頼む」


 面接のつもりでいろいろ確認しようと思ったが蔵だが、猛烈に面倒になって、早々に切り上げる。


「早速明日に護衛の仕事があるのだが、すぐに動けるかね? 高確率でドンパチになると思われる」


 アジトの中に入って、先程いた部屋に戻りながら、蔵がエンジェルに声をかける。


「天使の奏でる壮大なる死の協奏曲(コンチェルト)よってに、哀れな子羊達の断末魔のオペラはかき消され、慈悲と救いを請う絶叫も天使の耳に届くこともなく、淡々と命は刈り取られていくであろう」

「行けると、一言で言えないんですかー?」


 呆れきった声で言う怜奈。もっともだと蔵も思う。


(ずっとこの男はこんなノリなのか? そもそもこの前世紀のチンピラ風な格好をして天使がどーとか、どんなミスマッチだ……)


 変人だという評判も知っていたし、純子が面白がっている時点で悪い予感もしていたが、想像以上だった。


「ボスもボスですよ。そこは『行けるか?』なんて確認せず、『来い』と命令する所でしょう?」

「そうだった……」


 怜奈に指摘され、苦虫を噛み潰したような顔になる蔵。長いこと社長として、ボスとして人の上に立っていたにも関わらず、ちょっとお茶淹れ怪人していたら、この体たらくだ。


「おおおおっ!?」


 素っ裸の来夢を見てのけぞり、声をあげて驚くエンジェル。


「今度は何だね?」

 面倒だが一応は突っこんでおく蔵。


「こ、この少年? いや、少女はまさに天使か? 雫野累のような堕天使ではなくっ」


 どうやらエンジェルは、来夢を天使に見立てているらしい。


「俺にはわかる。天使は……いたんだっ。くっ、目の前にいるっ」

「天使?」


 きょとんとした顔でエンジェルを見上げる来夢。


「俺の名はエンジェル。俺も天使だ。そして君も天使だ」


 エンジェルの奇天烈な日本語に、蔵は乾いた笑みをこぼす。


「コメディアンの人?」


 来夢の問いに、怜奈が思わず吹きそうになって口元を押さえる。


「天使の冗談は人の身では理解に苦しむ。いや、理解をしない方が幸福なのだと、俺の本能に別の天使が囁いている」


 めげることなく天使にかこつけて話し続けるエンジェル。

 お前の方が余程理解に苦しむと、口に出さずに呟く蔵。


「純子の改造が失敗して、頭に悪影響が出たのかな?」


 さらに来夢が、容赦なく思ったことを口にする。蔵もわりと真剣にその可能性を疑ってしまった。


「ふっ、悪影響かどうかはともかく、俺は純子の改造手術を受け、天使の声が聴こえ、天使の姿が視えるようになったのは確かだな。そのために、フリーの始末屋としてそれなりに名を馳せることもできた。この組織の力にもなるであろう」


 エンジェルのその発言に、蔵は真顔で耳を傾けた。抽象的な表現に過ぎないのか、それとも本当に彼だけに天使を五感で察知できるのか、いまいちわからないが。


「その天使とやらは、予知能力か何かか?」


 蔵の問いに、エンジェルがにやりと笑う。


「無粋な言い方だ。俺にだけ見える天使が、未来の正解に繋がる答えを教えてくれる。起こりうる未来の予知と呼ぶには、少し違う気もするが、そうだと言っても嘘にはならない」

「結構凄い力じゃない?」


 エンジェルの話を聞いて、来夢が言った。蔵も同感だった。たとえ漠然とした代物であっても、未来の悪い結果を回避して良い結果へと進めるのであれば、それは強力な能力に違いない。


***


 踊れバクテリアの面々はアジトに戻り、今日の成果の祝杯をあげていた。

 木田とロドリゲスが上機嫌にビールを飲み、獅子妻もまんざらでもない様子で雑談に興じている中、克彦だけは冷めた様子でケーキを貪っている。


 克彦は微妙に心変わりしつつある。木田とロドリゲスが嬉々として人を殺していたのが、とても醜く見えてしまったせいだ。

 伴大吉はあれだけ輝いて見えたのに、木田とロドリゲスにはその輝きが欠片ほども感じない。むしろ逆のイメージだ。この違いは何なのであろうかと、克彦は真剣に考える。


(この人達は俺と同じだ。同じはずだ。同じだと思っていた。いや、実際同じだ。世界を憎んでいる。敵だと思っている)


 それは間違いない。確かな事実。彼等の気持ちも共感できる。しかし――


(だからこそ醜い。だからこそおぞましい)


 克彦は世界を呪っていた。壊れてしまえと思っていた。世界の破壊を一部だけでも実行した伴が英雄に見えた。

 しかしいざ世界の破壊を行う集団に混じり、自分とよく似た世界呪う者達を見ることで、自分を客観的に見たような感覚に陥り、克彦の心は激しく揺らいでいた。

 彼等と自分が重なるからこそ、醜悪に映るのだ。


 この世界は醜く、この醜い世界で生きる者も醜いと断じ、全てを自分の敵であると認識しているが、それでも自分の手で殺すことには抵抗が有り、逃亡生活のきっかけとなった親殺し以降は、徹底して殺人を避けている。


(来夢が今の俺のことを知ったら、どう思うだろう……)


 克彦はこの世で唯一人、心を開いている存在がいる。家出をする一年前、隣に住んでいた年下の子。克彦とよく遊んでいた子。

 安楽市に戻ったのも、その子と会うためだった。しかしそれがきっかけで、今はこんなおかしな組織にいて、望み通りに世界を壊しまくることとなった。


 学校ではひどいいじめにあい、家庭では両親の仲が悪くいつも喧嘩ばかりで一人息子の自分にほとんど気もかけない。幼稚園児の時点ですでに、親とあまり会話した記憶も無い。

 小さな頃からずっと、道ですれ違う幸せそうな親子連れが、妬ましくて仕方なかった克彦である。

 克彦は家を出て日本中を歩き回り、散々強盗に押し入り、特に親子のいる家では激しい殺意が催したものだ。

 雪岡研究所で力を得るだけではなく、人格まで変えた克彦は、かつての気弱さは消えて常に怒りに満ち溢れていたが、どんなに殺意を沸き起こっても、殺人だけはしないよう心がけていた。


(今更自分のやったことに後悔してる? いや……罪の意識は無い。無いはずだ)


 親を殺した事には、後悔も罪悪感も無い。だが今も含めてその後の自分に、後ろめたい気持ちはある。何より後ろめたいのは、仲のよかった近所の年下の子に、何も言わずに消えたことであるが。

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