第二十一章 11

 安楽市絶好町の一角にある違法ドラッグ組織、『四葉の烏バー』。

 絶好町に乱立するドラッグ組織の中では、最大手と呼べるが、組織自体はさほど大規模のものではない。しかし同じ区画の他のドラッグ組織からも一目置かれている存在である。その理由は、弱小組織に惜しみなく支援する事や、ルール無用な組織を幾度となく退けた事にあるという。

 現在も、安楽市に侵入してきた海外マフィアらと真っ向から対立中にあるという事で、絶好町ではちょっとした話題になっていた。


(強者が弱者をかばうことで、治安と平和に繋がるということか)


 蔵から見ても理想的な構図に見えた。弱小組織によって、寝首をかかれる可能性を抑えられるという打算も、あるのかもしれないが。


 三人は四葉の烏バーの事務所で大島遼二という幹部に、仕事の依頼内容を改めて口頭で説明された。


「依頼内容にも書いてあった通り、最近安楽市に台頭してきたマフィア共が、この繁華街のドラッグ組織全てを敵に回して暴れている。うちら以外の組織は弱小だし、うちらも使える戦闘員が俺一人っていうワンマン組織だ。褥通りの売人が狙われているから、いつも俺が護衛に出てるんだが、俺も少し休息が欲しくてな。俺が休んでいる明日の時間帯だけでいいから、売人らの護衛を担当してほしい」


 大島遼二はまだ二十歳前後の青年だった。どことなく少年臭さを残しており、同時にワイルドさも備えた魅力的な容姿の持ち主であるが、目つきは鋭く、猛禽類のイメージがある。


(女の子連れで改造に来ていたような覚えがあるな)


 蔵は遼二に見覚えがあった。二ヶ月ほど前の雪岡研究所で、蔵がお茶を淹れに行った際、ツレの女の子が改造されるとあって、深刻そうな表情でいた事を覚えている。


(この男一人が休暇を取る間に、その穴を埋めるというからには、確かに本人の言うとおり、マフィアらとの抗争はこの男一人で担っていると言っても、過言ではないわけか。まあ接しているだけでも、相当腕が立つのはわかるが)


 遼二を見て、蔵は思う。


「マフィアの戦力は如何ほどのものかね?」

「数と火力があるから厄介だぜ。奴等、サブマシンガンの類もある。守りきれずにうちの売人を一人死なせちまった。つい昨日の話だ」


 蔵の問いに、忌々しげに遼二が吐き捨てる。


「こちらも精鋭といえども二人だが……」


 蔵は思案する。一番マシそうな仕事と思って引き受けたが、詳しく話を聞いてみると、難易度が高い気がしてならない。


「ちょっと相談させてほしい」

「どうぞ。無理にとは言わないぜ」


 二人を連れて事務所の外へと出る蔵。


「私も前線に出るとする。君達の力を知りたいという事もあるが、人手が欲しい。私の戦闘力などあてにはできんが、敵の誘導や牽制くらいはできるだろうからな。君達のどちらかが売人のガードに徹し、もう一人は積極的に襲撃者を斃しにかかるという形にしたい。もちろんガード役も隙を見て攻撃してくれ。二人でカバーできないと見たら、私が囮をして、少しでも敵の注意を惹く」

「ボス自ら前線に出るんですかー。うーん……前の組織の馬鹿ボスに聞かせてやりたいですねー。おっと、関係無い話ごめんなさい」


 蔵の提案を聞き、怜奈がネチっこい口調で言う。


「私のしている事の方が愚かだぞ。一番上の人間は、ちゃんと指揮役や指導役に徹するものだ。総大将が下っ端の兵士と一緒に戦うなど、一見格好のいい話に見えるが、実は全然そうではない。大将がとられたらそれでおしまいなのだからな。安全圏にふんぞり返っているなどという揶揄は、浅はかでくだらない反骨思想だよ。トップは安全圏にでんと座っていなくてはならんのだ。もちろんケースバイケースではある。今回も人手が欲しいであろうからやむなく……といったところだな」


 怜奈のことだから今口にしている提案に、難渋を示すのではないかと思った蔵であったが、その気配は無いようであった。


「王将を戦力として有効に活かす局面もありますしねえ。でも以前の組織のボスは、ケースバイケースもへったくれもなく、ただふんぞり返って口出しするだけの人でしたものでね。はっきり言うと無能でした」

「まあ君の前の組織は置いておくとして、今は余裕の無い状況だということだけ、わかってくれればいい」


 怜奈は余程以前の組織が嫌いなようだが、全く関係無い話にもかこつけて嫌味を口にする事に、蔵はげんなりしてきた。その辺が絡んだ怜奈の話は、適当に聞き流しはじめている。


「引き受けよう。しかし君は私達の力を信用できるのか?」


 事務所に戻って、蔵が遼二に尋ねる。


「ん? ここに来る前の連絡で、組織のメンバー全員、雪岡純子のマウスだという報告があったぞ。それなら大丈夫だと思ったし、信用させるためにわざわざ前もって言ったんだろ?」


 遼二の言葉を受け、蔵は怜奈をジト目で見る。


「ちゃんと気を回してくれたと褒めてやりたい所だが、先方に伝えた事を私には報告しないというのは、どうなってるんだ?」

「あはは……とんだ片手落ちでした」


 目を逸らして頬をかく怜奈。

 怜奈はそれなりに有能であるが、ドジっ子属性も持っているのではないかと、蔵は疑った。


***


 都心に近い安楽市東部、かつては調布と呼ばれた辺り。刑殴電鉄調布駅前の繁華街。

 さほど大きな街でもなく、人通りもそう多いわけではない。


 獅子妻がこの場所を選んだ事に、深い理由は無い。強いて言うなら、安楽警察署から離れている場所ならどこでもよかった。絶好町で暴れようものなら、たちまち安楽警察署の猛者達が駆けつける。


 克彦、木田、ロドリゲスの三名が、繁華街の一角で待機している。街中にある監視カメラの死角になる場所を選んで。

 ロドリゲスと克彦はマスクをつけて顔を隠している。しかし木田だけは、そのひん曲がった顔を露わにしていた。マスクをつけるように言っても、何故か拒んだ。


 獅子妻は現地にはいない。指揮役であるが故、安全圏で待機の構えだ。ロドリゲスにカメラを持たせ、彼が撮影した映像をリアルタイムでチェックしながら、指示を出すつもりでいる。


『やれ』


 耳たぶに装着した指先サイズの携帯電話より、獅子妻の指示があった。


 ロドリゲスは胸ポケットに入れたカメラで撮影している事を意識しつつ、マシンガンを構えて通りへと躍り出た。通行人達がそれを見てギョッとするが、まさか本物だとは思わなかった。撮影か何かであろうと。


 銃声が立て続けに響き、血しぶきと共に、手近にいた中年女性と老婆が倒れた。それを見た塾へ向かう途中の小学生は硬直し、初老の宅配員は腰を抜かし、化粧の濃い太った女性は金切り声をあげて逃げ出した。

 逃げた女性を真っ先に狙い、後ろから撃つ。次に小学生、最後に初老の宅配員の頭を撃ち抜く。


 そのロドリゲスの脇を抜け、木田がデパートの中へと入っていく。それを見てロドリゲスは、銃を撃つのをやめて、撮影のために木田の後を追う。


「こぉおぉーっ!」


 奇怪な叫び声と共に、木田が怪人へと変身する。体色が青黒く変色し、肌の下に無数の細く短い棒のようなものが、体の表面に沿ってびっしりと浮かび上がる。棒の大きさは大小様々だ。いずれも体内にあるが、どのような意味を成す器官なのかは、木田本人も知らない。

 木田の変身シーンを目の当たりにしたデパートの客達が、足を止めて息を呑む。しかしその時点では悲鳴をあげる者はいなかった。


「こおぉぉぉぉっ!」


 再び叫ぶと、木田は自分の喉元を押さえて顔だけ前方へと突き出し、口から肌の色と同じ煙を凄い勢いで噴射した。

 煙に触れた客や店員達は、苦悶の形相で崩れ落ちる。P931事件で猛威を振るった即効性の猛毒ガスである。


「あはははは、ひでえツラだっ! 俺より不細工だ!」


 一番近くで倒れて苦しんでいる主婦を見下ろし、小気味良さそうに叫ぶ木田。


 そこでようやく悲鳴があがるが、その悲鳴はロドリゲスのマシンガンの銃声によって打ち消された。

 逃げ回る早退サボリ女子高生も、躊躇なく後ろから撃つ。赤子を連れて逃げようとした母親が、足を撃たれて転倒する。


「こ、この子だけは殺させない!」


 丸まって赤子をかばう母親を見ても、ロドリゲスは何の感慨も無しに頭を吹き飛ばし、わざわざ丸まった体を広げて泣き喚く赤子を取り出すと、無表情のままその口に乱暴に銃口を突っこむ。息を詰まらせて泣き声が止んだ所で、引き金を引く。


(表情は無くてもわかる。こいつは殺人を心底楽しんでる)


 克彦が横目でロドリゲスを見て思う。


(木田もロドリゲスも、世界が憎らしくて仕方ないんだな。だからその憎らしい世界を一部でも壊せれば、楽しくて仕方ないんだな)


 克彦にもその気持ちはわかるが、他人がそうやって暴れているのを目の当たりにして、自分は何か違うという気持ちにもなっていた。しかし何故そう思うのか、自分でもわからない。


(一年前、俺も人を殺したのに……何でだろう。他の奴が同じ事をしてるのを見て、物凄く抵抗を感じてる。勝手なもんだよ)


 飴を二つ同時に口に含んで舐めながら、克彦は特に暴れもせずにぼんやりと木田とロドリゲスを眺めていた。


『よし、今日はもういい。撤退だ。克彦は監視カメラの無い場所まで移動したら、亜空間トンネルを開け』


 デパート一階を死体で溢れさせた時点で、獅子妻から撤退指令が下った。


「もうかよ? 大して楽しんでないぞ」

『いつまでも留まっていると、御用にされる危険性が高まる』


 不服を告げる木田をたしなめる獅子妻。


 非常用階段へと移動する三人。そこで克彦が足元に亜空間トンネルの入り口を開く。

 トンネルをくぐって、デパートの外へと出る三人。


「短いな。もう少し距離を伸ばせないのか?」

「うるさいね。できればやってるって事くらい、わからないのかよ」


 ロドリゲスの言葉に苛立ちを覚え、克彦は反射的に毒づいていた。


 連続で亜空間トンネルは使えないため、そこからしばらくは足で逃げる。

 監視カメラの無い狭い通りへと抜け、個人経営の店舗の中へと踏み込み、店内にいる客と店員を殺害しながら店の奥を抜ける。途中の部屋にいた六歳くらいの子供も、行きがけの駄賃とばかりに、ロドリゲスが銃で頭を撃ち抜き、建物の裏へと抜ける。


 止まっていた救急車へと乗り込み、サイレンと共に走り出す。


「これでうまく逃げおおせるのか?」


 ロドリゲスが救急車の運転をしながら、獅子妻に向かって問う。


『途中で一人ずつ別の乗り物へと変える。予め用意してあるからな。そしてばらばらに逃げる。逃走経路を確保し、さらには集団で犯罪に臨めば、逃げおおせるのは容易だ』


 一つ懸念材料があるとしたら、ロドリゲスだ。例え顔を隠していても、彼はその体格からして目立つ。しかし獅子妻はそれを口にはしないでおく。


(いずれはバレるのだ。考えても仕方が無い)


 獅子妻はネット上に犯行声明をあげた。踊れバクテリアの名もしっかりと沿え、P931事件も自分達が起こしたとも書いた。

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