第二十一章 6

 最初の課題は心を開かせることだと純子は言っていたが、来夢と少し会話をしただけでも、一筋縄ではいかないことが伺える。


(一応は反応してくれるだけマシと考えるか)


 前向きに解釈し、積極的に会話に臨むことにした。


「ここは……見ての通り山奥にあるし、いろいろ不便だから暫定的なアジトだ。しばらくしたらもっと良い所を見つけようと思うが、それまでに、ここにあるものをいろいろと整理したり始末屋の仕事について調べたりしなくてはならない。君にも手伝ってもらうぞ」

「どんな手伝い?」


 きょとんとした顔で蔵を見上げ、来夢が尋ねる。


「整理はこちらでいちいち指示を出すとして、調べるのは……私もこの仕事に初めて臨むから、一から勉強する形となる。君も一緒に勉強してくれると助かる」

「おじさん、どうして仕事を始めるの? それはおじさんが本当にしたい仕事?」


 物怖じせずに尋ねてくる来夢を見て、蔵は少しほっとした。やはり会話して交流してくれるだけでもマシだと、改めて思う。

 蔵は小学六年生の時に学級委員をした際、クラスの何も喋らない子の面倒を見るように教師に言いつけられた事があるが、あの時は本当にキツかった。何しろどんなに話しかけても口を開いてくれなかった。無反応の相手というのはとにかく辛い。そのうえその子は登校拒否になってしまい、それが蔵の責任だとされた。最悪の思い出だ。


「本当にしたい仕事かどうかは怪しいところだ。話せば長くなるが」

「やりたくないことをやるの? やらなくちゃいけない理由あるの?」

「いや……」

「くだらない。つまらない。やりたくないことでも、理由があってやらなくちゃいけない。やらなくちゃいけない理由は大抵つまらないしくだらない。世界の設計はおかしい。そんな世界に生きている人も皆おかしい。皆、何か罰でも受けてるの? 罪と罰――どちらも人間ていう馬鹿な生き物が決めたことだ。生き地獄。この世は行き地獄だ」


 やりたくないとかそういう問題ではないと言おうとした蔵だが、来夢が詩を吟ずるかのように喋り続ける。


「何もかも消えてしまえばいい。世界は何かあるように見えて、本当は空っぽだ。そして……そう思う俺は、この世にとって悪」


 まだ子供だというのに、ひどく厭世的な考え方をする来夢。幼いながらに、一体どれだけの目に合えば、こんな風になってしまうのかと、考えざるをえない。

 こんな思考回路になった来夢に接するには、自分も心を裸にするしかないと、蔵は考える。


「砂を嚙むような人生がつまらないというのは、私も君と同じ気持ちだよ」

「砂を嚙む?」


 来夢は本をよく読んでいるので、難しい言葉も理解できると言っていた純子だが、今の表現は通じなかったようだ。

 純子に言われたからというわけではなく、あえて子供にわかりそうにない比喩表現をぶつける蔵であった。相手がそれに突っこんでくるのも狙っている。興味を持つように。蔵も子供の頃、大人が用いる例えの数々に興味を抱き続けてきた。


(子供に対して、子供扱いしてわかりやすいようにするだけでは駄目だ。あえてぶつけていく。自分が子供だった時のことを思い出せ。何に惹かれたか。何が成長を促したか。どんな大人を見て、この人は大人だと感じたか)


 それがこの子にとっては正しい扱いかどうかはわからないが、自分が考える最善と思える接し方を試みる蔵であった。


「砂を嚙もうとしても嚙みごたえが無いし、味わうこともできないだろう?」

「ふーん」

「つまらない世界を面白くするかどうかは、自分次第だ。私も今まさに、面白くしたいと思っている所だ」

「つまり、おじさんも今まではつまらなかった?」

「そうだな。失敗ばかりして、つまらなかった。悔しくて、泥水をすするような人生だった」


 蔵が苦笑いをこぼす。


「砂とか泥とか……」


 ここで初めて来夢が笑ったが、蔵はその笑みを見てぞっとした。全く子供らしくない笑み。苦笑でも嘲笑でもない、何とも言えない虚ろな笑顔だった。


「何かおかしいかね? 例えとしては間違っていないと思うが」

「土系。おじさんによく似合っている。でも俺、泥臭いのは嫌だ。そんな世界も嫌だ。そんな風に生きないと何も手に入れられない世界も嫌だ」


 来夢の言葉を受け、蔵はしばし思案して言葉を選ぶ。


「楽して望みがかなう事の方がお望みかい? 苦労して手に入れるからこその、喜びというものもある」

「おじさんにはわからないよ。俺が空っぽでぜんまいを動かせなかった理由は教えたけど、世界が空っぽの理由と、世界のぜんまいが動かない理由は、言ってもわからない」

「わからないから教えてほしいな。君は……ここで私の部下として働くためにいるのだし、危険も伴う仕事なんだ。私は以前の仕事で、ちゃんと部下の見極めができなくて失敗した。部下のことがよくわからなかった。今度は知っておきたい」


 実績だけを見てナンバー2にまで取り上げた部下に、あっさりと裏切られて撃たれた嫌な記憶を蘇らせながら、蔵は真摯な口調で訴える。


「俺にもわからないけど、俺には世界が空っぽにしか見えない。ぜんまいが動くことも想像できない。いや、世界のぜんまいじゃなくて……ここで働いて、俺のぜんまいが動くのかどうかもわからない。何も望まなければ楽なのに、俺は……何かを望んでいる」


 来夢の喋り方は相変わらず抽象的ではあったが、その声には痛切な響きが宿っていた。


「君がここに来たのは、その望みをかなえるためでいいんだな?」

 確認するように問う蔵。


「純子に改造されたのもそうだったのに、結局俺は何も変わらなかった。純子とメールで話して、そして今日、ここに来た」

「なるほど。しかし君の望みがかなう保障は、私にもできんよ。私の望みがかなう保障も無いようにな。頑張るのが嫌でも、頑張るしかない」

「頑張るのが嫌なんて言ってない」


 少し怒ったような響きの声をあげる来夢。


「泥臭いのは嫌いだと言ってたろ?」

「頑張るって全て泥臭いことなの?」

「汗にまみれ、泥にまみれることは多々あるぞ。だからこそ、欲しいものを得ることに価値が生ずる。過程を飛ばして結果だけを得られたとしたら、それはもっとつまらないと思うぞ」

「……」


 蔵の言葉に、来夢は無言であったが無反応ではなく、思案しているかのように見えた。


(今の会話で少しは進展があったか? まあ、この子自身が変化を渇望しているのだけはわかった。そうでなければここにも来ないし、絶望と希望を口にしたりもしないだろう)


 厄介な子供かとも思ったが、この調子でいけば次第に心も開いてくれそうではないかと、楽観的に思い始める。


「とりあえず今日はもう楽にしていい。仕事は明日からにしよう。先程も言ったが、仕事といっても、まずここの整理と、仕事そのものの学習くらいだがね」

「わかった」


 頷き、服を脱ぎ始める来夢にぎょっとする蔵。そのまますっぽんぽんになる。


「な、何をしている」

「楽にしている。俺、家の中ではいつも生まれたままの姿。服って嫌い」

「そ、そうか……」


 目を逸らす蔵。その股間を一瞬だが見てしまった。男性器は無かった。


(しかしそれにしても体の隆起も……このくらいの歳なら、少しは胸が膨らんできても……)


 そう思いつつもう一度来夢を見て、蔵は驚いた。来夢は堂々と股をひろげてリラックスして腰かけていたので、その股間をしっかり見てしまった。

 股間には男性器も無かったが、女性器も存在しなかった。


「君……性別は……」

「無い。男でも女でもない。種も撒けず、畑にもなれず」


 平然とした顔で来夢はそう答える。


「世界は変わったモノをつまみだす。はねつける。だからこの世界はくだらない」

 淡々とした声で述べる来夢。


 来夢の苦しみは来夢にしかわからない。しかしそれでも蔵は、来夢には世界を否定する権利があるかのように、一瞬思えてしまった。


***


 夜。蔵も来夢も、この暫定アジトに泊まることになった。

 蔵は新たな仕事に集中するためにも、自宅に戻るよりも泊り込みにした方がよいと考えた。来夢は家出同然でここに来たので、泊まる場所が他に無いとのこと。


 眠れずにあれこれ考えていると、倉庫の方から微かに物音が聞こえた。


(来夢か? 何かしているのか?)


 気になって起き上がり、倉庫へと向かう。灯りがついている。

 倉庫に入って蔵が見たのは、全裸でコンテナにもたれかかって座り、どこで拾ったのであろうか、大きなガラスの破片を自分の喉元に突き刺さんとした格好の、来夢の姿であった。


(自殺しようとしているのか? これは……止めるのはもちろんだが、下手な止め方をしても不味い)


 蔵は息を吸い、静かに声をかけようと試みる。


「来夢」


 声をかけると、来夢はおもむろに蔵の方へ顔を向けた。


「死んだ者にはもう何もできない」


 蔵のその台詞は、ほとんど自然に口をついて出た。先日の他界した友人の事を思い出しながら。


(有能で有望なあいつは死んでしまったが、無能な私はまだ生きている。無能なりにも、生きていれば、できる事はいくらでもある)


 変わり者で、重いものをいろいろと抱える来夢とて、それは変わりないと蔵は信じる。


「気持ちが分からないことはない。私も命を絶とうとした。止められたがな」


 病院での、純子と謎の関西人のやりとりを思い出し、照れ笑いをこぼす蔵。


「生きていれば辛いことの連続なのは皆同じだ。中々思うようにはならない。しかしそれでも自分の望みをかなえるために、頑張り続けている。そして……私のような不器用な輩は何度も何度も失敗して、悔しい思いをして……」


 喋りながら、その屈辱の記憶の数々が蘇る。


「それでも負けたくないと思って、無様に足掻いている。自分が負けたと思わなければ負けではないと、そう信じてな」

「あのさ……おじさん。そんな説教意味無い」


 来夢が微笑み、ガラスの破片を放り投げた。


「俺もわかってる。頭では、自殺なんてよくないってわかってるし、死にたくもない。死ぬのも怖い」


 微笑みながら、同時に泣き出しそうな顔で来夢は話す。


「おじさん、魔が差すって言葉知ってる?」

「ああ」

「あの言葉の意味がこれなのかな? 突然俺の中に何か悪いものがやってくる。『魔』――そういうものが。それが俺を勝手に動かして、おかしなことをさせる。自殺させようとする。今までも、何度もやった。自分でもわからない。俺……わかってる。俺はきっと、頭が故障してる」


 話を聞きながら、来夢の中にある闇は相当なものだと、蔵は思ったが――


「おじさん……。今から言うのは、俺の本当の気持ち」


 微笑を絶やす事無く告げた来夢の言葉で、蔵は希望を垣間見ることとなる。


「ここに来て、おじさんにとっても新しい仕事をこれから始める所だって言われて、おじさんにもわからないようなことを、一緒にやり始めるとか言われて、それで俺……」


 来夢の微笑が、満面の笑みへと変わる。


「凄くわくわくしてた」


 その言葉を聞き、蔵は来夢を抱きしめてやりたい衝動に駆られたが、そこまで思いきったこともできなかった。

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