第二十一章 5

 翌日――蔵は安楽市内の山岳地帯山奥にある、かつての『破竹の憩い』の本拠地へと向かう。他にも幾つか施設があったものの、全て売り払って、生き残った構成員の退職金にあてたが、ここだけは売れずに残っていた。

 交通の便に難があるが、市内に手頃なアジト候補ができるまでは、ここを暫定的な本拠地にしようと蔵は考える。残っている設備を考えれば、不自由なく暮らすこともできるはずだ。


 久しぶりのアジトに戻ると、中にはまだ自家発電による電気も通っているし、空気清浄も隅々までされているので、埃まみれになっているようなこともなかった。冷凍庫には、数十人が何週間か暮らせる分の食糧も、備蓄されている。


(しかし無駄な物も大量に残っているな。市内にある土地や施設とその中にあったものは売却したが、こちらは手付かずだった)


 工場の中には大量のコンテナが並んでいる。一部は破損していた。真が天野弓男と戦闘した際の名残と思われる。


(これらも処分すれば、軍資金をプラスできそうだ)


 とはいえ、もとより懐具合は温かい。破竹の憩い時代の稼ぎがあるし、雪岡研究所での働きにおいても、十分すぎるほどの給与が支払われていた。


(純子の傀儡のような形になるのかな? まあ最初はそれでもいい。贅沢は言っていられんだろう。いろいろと便宜も図ってくれるだろうから、その分楽であるとも言えるな)


 一つの打算としてそう考えた蔵であったが、それがとんでもない思い違いであることをすぐに思い知る事になる。


(しかし始末屋組織の運営などどうすればいいかわからんし、そこから調べなくてはならないな。詰まったら美香に聞くとしよう。他に始末屋の知り合いもいないし。向こうは多忙だから本気で詰まった時に限るが)


 やる事も考える事もいろいろある。まずはコンテナの中にある武器を売り出すための、チェックと整理にかかる。

 しばらくの間それらの作業に忙殺されていると、純子からメッセージが届く。構成員候補を連れて、今着いたという報告だ。


 蔵が出迎えに行くと、組織の建物の前には、純子ともう一人、子供がいた。

 純子に連れて来られた子を見て、微かに眉根を寄せる蔵。格好そのものは少年のそれであるが、累と同じく、少女とも少年ともつかぬ美貌の持ち主。外見年齢も累やみどりと同じくらいであろう。だが累とは違い、こちらは黒髪で、顔立ちも日本人のそれだ。


「おっはよー、蔵さん。この子を構成員として、住み込みで働かせてほしいんだー」


 純子が快活な声で挨拶をする。傍らにいる子は、全くの無反応で、周囲の景色に目を向けている。


「子供だな……」

「裏通りじゃ珍しくないでしょー? 名前は砂城来夢君」

「始めまして。蔵大輔だ。これから新しく始める始末屋組織の長を務める予定だ」


 自己紹介するが、来夢は相変わらず無反応で、視線を合わせようとすらしない。


「人見知りが激しいのかな?」


 息を吐く蔵。しかし累とて怯えながらも挨拶くらいはするし、喋る時はできるだけ視線を合わせようと努力する。


(累は自分の対人恐怖症を克服しようとする意志があるから、それも当然と言えるが、しかしこの子は、完全に心を閉ざしてないか?)


 無表情で、視線もあらぬ方向に向けたままで、何を考えているかわからない少年を連れて来て、蔵の下で使えという純子の真意は何なのであろうかと勘繰る。


「うん、見ての通り、微妙に心を閉ざしちゃっているんだよねえ。だから蔵さんの最初の課題としては、来夢君の心を開かせることからかなー」

 純子が言う。


「心を開けば、始末屋の仕事が出来るのか?」

「能力自体は優れているし、本人だってその気があるからこそ、ここに来たんだよー。でもさ、来夢君も自分の居場所を探すためにここに来たわけであって、蔵さんが居場所となる場所をちゃんと提供できるかどうか、それだってまだわからないよね?」


 ここまで聞いた時点で、何とも厄介な話に聞こえる蔵であった。


「君にはできないことが、私にはできると思ったのか? 努力はしてみるが――」


 ここで突き放すのもどうかと思い、蔵はじっと来夢を見る。


「反応くらいはしてくれ。いや、反応しないならノーと見なす。君は今から私が作る組織の一員として働くためにここに来たわけだが、君自身にその意志はあるのか?」


 真摯な口調で語りかける蔵。ここで初めて来夢は蔵を見上げた。

 来夢の視線は、蔵への不信感がまざまざと感じられたが、累にある怯えのようなものは見受けられなかった。


(対人恐怖症ではないな。人間不信の類かな)


 そういう心の問題を抱えた十代が、裏通りへと堕ちるケースは多い。


「希望が欲しい。生きる希望。ぜんまいを動かしたい」


 蔵の目をじっと見つめ、抽象的な言葉を口にする来夢。


(相当追い込まれている子なのかな。いずれにしても、あまり厳しい言葉は口にしない方がいいか)


 子供の扱いなどいまいちわからない蔵であるが、さらに問題児となると、一層面倒な話となる。


「答えだけをストレートに求めても、その答えが手に入るわけではない」


 しかし言うべきことは言っておかねばならないと思い、蔵は思うところを告げる。


「知ってる。だからこの世界は優しくない。つまらなくてくだらない。価値があるように思えない」

「欲しいものが全て簡単に揃っても、同じことを思うぞ、きっと」


 厭世的な台詞を口にする来夢に、微笑みかけながら蔵は言う。


「欲しいものが簡単に手に入ったことはあるの?」

 来夢が問う。


「無いよ。しかし漠然とした望みはある。それを手に入れようとしているからこそ、私はこれから頑張るつもりでいるんだ。そして君がそれに乗るかどうかという、そういう話だ。私と一緒に働くことで、君も望みのものを得られるかもしれないし、得られないかもしれない。どうするかは君が決めろ」

「ああ、蔵さん。難しい言葉とか使っても全然大丈夫だよー。来夢君は歳のわりによく本を読んでいるから、下手な大人以上に言葉を知ってるよ」


 純子が口を挟む。よりによってこのタイミングで口を挟むか? と、蔵は苦笑いをこぼす。


「ぜんまいを動かしたい」


 先ほども述べた台詞をもう一度口にする来夢だが、今度は声に少し切実な響きが感じられた。


「何も無い。何があるのかもわからない。何を望んでいるのかも。目が開いていても、俺には何も見えない」


 うわ言のようにあれこれ口走った後に、少し間を置いてから、来夢はこう付け加えた。


「空っぽ。何も無い」


 この歳で自分を見失っているという事に、蔵は憐憫の念を覚える。


「本当に空っぽなら、ここに来ることも無かったろう。何かはわからなくても、何かが欲しいんじゃないか? 空っぽではいたくないという気持ちはあるのだろう?」

「空っぽにしなくちゃならない理由があった」


 蔵の問いに対し、少し寂しそうな表情になる来夢。


「理由とは?」

「俺は生まれついての悪だから。ぜんまいを動かすことは、悪を解き放つってこと。罪というとてもくだらない概念にまみれること。だからぜんまいをいじらなかった。空っぽにしておいた」


 小学五年生か六年生くらいの年齢で、自分を生まれついての悪だと言い切る事にも驚き呆れたが、何かしらあって、そのような結論に行き着いたということも伺えた。


「どう? 面倒みれそう? しんどいってんなら無理強いはしないけどー」

 純子が訊ねる。


「ここで私が、厄介だからお引取り願うとは言えんよ。言えない性格というか……。すでに顔を合わせているのに、私が拒んだとしたら、あの子には拒まれたという意識と記憶が一つ、刻まれてしまう。そして私にも同じ嫌な記憶が刻まれる。厄介そうな子をさっさと見放した冷たい自分という思い出がな」


 やれやれといった表情で蔵は言う。


「蔵さん、優しいんだねえ。厄介な人をさっさと切り捨てる人の方が多いし、責められもしないよ?」


 冗談めかして言う純子だが、表でも裏でも、厄介者が切り捨てられるのはこの社会の常であることは、多くの者が知っている事だ。しかし――


「優しいというか、歳をとって気持ちに余裕が出てきたからという事と、歳を取ったからこそ、自分より若い子が辛い目を見ているなら、守ってやりたい、助けてやりたいという本能が強く働くようになるのではないかと思う」


 蔵からすれば、その厄介者に手を差し伸べるくらいの度量を持ちたいと思う。組織の長をする者となれば余計に、その器が必要だと。


「それは本能というより意識じゃないかなー。私にもそういうのあるし」

「君は私の二十五倍以上年上だしな」

「蔵さんもそんな冗談言えるんだねー」

「冗談じゃなくて事実だろうが」


 小さく笑いあう純子と蔵。


「ついでに言うと、小学生の頃、心を開かない子の相手をさせられたことがある。その時は……結局失敗したがね」


 限りなくトラウマに近い嫌な思い出が、蔵の中で呼び覚まされる。


「この子の実験データも欲しいしねえ。ずっと動かしたかったストックだけど、来夢君本人の意志を尊重して、しばらく待っていたんだ。で、久しぶりに声をかけたら、本人も乗り気だったしさ。そんなわけでよろしくお願―い」

「結局それか」


 苦笑する一方で、純子なりに自分の実験台となった者への気遣いも忘れないのだなと、蔵は再認識した。

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