第二十一章 4

「蔵さん、どうしたの?」


 部屋を出て、廊下で会った純子に、蔵は声をかけられる。


(出会い頭にどうしたのと言われるような、ひどい顔だったか……)


 そう思い、自虐の笑みを浮かべる。


 リビングに場所を移し、蔵は純子に武器密造密売組織の復帰が駄目だったことや、かつて連れ添った仲間達にも拒絶されたことを伝える。


「んー、そっかー、それはキツいよねー。でも丁度よかったよー」


 凄く適当な声のトーンで慰めの言葉を並べた後、純子はいつもの屈託無い笑顔で、自分の話を切り出す。


「私の口利きってことに抵抗なければ、頼みたいことがあるんだけどさー」


 純子の口利きと頼みという時点で、嫌な予感しかしない蔵。


「始末屋組織のボスやってみない?」

 純子の誘いは、意外な代物であった。


 始末屋組織やフリーの始末屋は、裏通りでは人手不足気味である。決して数が少ないわけでもなければ、裏通りの住人敬遠されている職というわけでもないが、単純に供給が需要に追いつかない。表通りからも依頼がかなり多いせいもある。


「実は私のヒーロー系マウスに何人か、早く活躍の場を欲しがっている子とか、ラットとかそういうんじゃないけど――別の意味で……メンタルな部分で問題ある子がいてねえ。そういった子達の面倒をみてほしいんだー」


 話を聞いているうちに、意外でも何でもないと蔵は思う。始末屋組織ならば、純子のマウスが活動するには適している。


「結局君のバックアップを受けることになるのか……」


 気乗りしない面持ちで蔵が言う。純子の力を借りれば、それは確かに相当な助力となるであろうが、それでは自分の力で成功したというより、純子の力添えがあったからこその成功というニュアンスが強くなるので、非常に抵抗がある。


「毅君だって私のこと利用しつくしたうえで、独り立ちしようとしているし、私はそれで構わないと思っているよ? 第一、今から蔵さんに持ちかける話は、私にとってもメリットがあるうえに、厄介な案件でもあるからねえ」

「うーむ……」


 厄介という所に引っかかる部分も感じ、ますます気乗りしない蔵であったが、この話を蹴ったとして、蔵には他に良いあてもない。


「わかった、話を聞こう」


 話を聞く姿勢を見せただけで、もう話に乗ったも同然だと、口の中で付け加える蔵。


「まずは問題児と、頼れる子、二人を預けるねー」

 と、純子。


「また極端だな……」

「頼れる子の方は始末屋の経験もあるから、いろいろ助言もしてくれると思うよー。この子はこの子で、性格に難があるけど。最初はその子に頼る形でいいね。で、始末屋として売り出して、始末屋の仕事をこなして慣れる一方で、もう一人のその問題児の方をどうにかしてほしいんだ」

「どうにかとは?」


 その問題児とやらが厄介な案件なのであろうかと、蔵は勘繰る。純子が厄介と口にするからには、相当厄介な気がしてならない。


「口で説明するのも難しい子なんだよねえ。面白い子ではあるんだけど。まあ、会えばわかるよー」

「君が説明するのも厄介ということか。楽しみにしているよ」


 皮肉まじりかつ溜息まじりに、蔵は言った。


***


 克彦が獅子妻に連れてこられたのは、ひどくボロボロになった廃工場であった。わりと広さはあるし、部屋も幾つもあるが、相当な年季の入った廃墟である。裏通りの者が見れば、いくら金のない小組織が根城にするにしても、これはかなりキツいと判断するであろう。

 しかしここが、獅子妻が運営するたった三人の組織『踊れバクテリア』のアジトであるという。


「君のしたことは実にくだらん。自分が死んでしまってはそれまでだろう」


 組織につくなり、獅子妻は克彦に向かって、冷たい声で告げた。


「何だと!」


 克彦が怒りに顔を歪めて叫ぶ。今にも獅子妻に飛びかかりそうな雰囲気だ。かつて気弱であった克彦であるが、雪岡研究所で人格改造されて以来、些細なきっかけですぐに沸騰するようになった。

 しかし獅子妻は能面のような顔で、そんな克彦を冷然と見下ろしている。そのあまりにも冷ややかな視線に、克彦は圧倒された。視線一つで、自分とは人間として格が違うことを、克彦は思い知らされた。


「あの伴大吉のような形で命に幕を閉じるなら、それでも構わない。彼はテロの結果自らも命を落としたが、彼の死は決して無駄ではない。彼のおかげで多くの人間が目を覚ました。あのテレビジャック事件以来、彼に影響されて、内に秘めた犯罪衝動を解き放った者は非常に多い。彼は偉業を成した。彼のように偉業を成したうえでの犠牲であれば、死という形での終焉にも大いに意味がある。いや、あれほど名誉ある死に方ができる者など、そうそういない。彼は確実に歴史に名を刻んだ。何より、多くの人の心にその偉業を焼きつけた」

「お、俺もあの番組見てたよっ」


 伴大吉の名を出されて、克彦は顔色を変えた。尊敬する人物の行いを偉業と称えられたことが嬉しくもあったし、獅子妻を見る目も変わった。


「私はあのファミレスでの君の呟きが聞こえた。耳がいいからな。それを聞いて助けたのだ。伴大吉みたいに格好よくは死ねないか、と」


 助けられた理由が判明した一方、どれだけ耳がいいんだと驚く克彦。


「衝動的にあんなことをしたのか? いや、違うな。衝動的な行為ではないな。ただのやけくそだろう?」


 獅子妻の指摘は見当違いだった。克彦は追い詰められてやむなくああしただけだ。

 いつ、どんなタイミングでバレたのかはわからないが、自分の存在が警察に知られた。警察の裏通り課には、超常の能力を行使する自分でもかなわぬ猛者が何人もいる。そのおかげで克彦は逃走に逃走を重ね、捕まる前に生まれ育った安楽市へと戻ってきた。克彦には一つだけ未練があった。


(捕まる前に、あいつの――来夢の顔を一目見ておきたかった)


 そう思って自宅へと向かう途中、あっさりと警察に包囲されてしまったのである。


「私もかつて一度だけ、衝動的に人を殺したいと思ったことがある。その時から私は常々こう思っている。衝動的な殺人は全て無罪にすべきだと。殺意を与える方が大抵悪い。殺意を催すほどに絶望や怒りや憎しみを与える者など、ろくなものではないし、私の倫理観ではどう考えても、殺した者より殺された者が悪いとなる。しかし今の社会の価値観は狂って歪んでいるが故、私のこの考えの方がおかしいとされる」


 淡々と持論を述べる獅子妻であったが、正直克彦からすればどうでもいい話だったので、適当に聞き流す。


「この世界に悪を振りまくためには、まず生き延びねばならん」


 獅子妻のこれらの言葉には、実は嘘が混ざっている。だが克彦を説得するために、あえて嘘をつく。

 生き延びることなどできないと、獅子妻は考えている。積極的にこの世に悪を振りまいたら――この日本という国でテロ活動を行ったら、長生きなどできないと。自分が死んでしまったらそれまでとは口にしたが、獅子妻のやろうとしていることは、その死に向かって一直線だと覚悟している。


「その悪も、このくだらない世界の側から見ての悪でしかないがな。この世界を肯定し、認め、恩恵にあやかって生きている者こそ、私から見れば悪だ。それらを共に壊していこう」

「それもいいか……。わかった」


 克彦が不敵に笑い、ポケットの中にあったチョコレートを取り出し、紙を剥く。半ばやけっぱちな気分で、克彦は獅子妻の話に乗ることにした。


***


 蔵が自宅に帰った後、夜の雪岡研究所にその少年は訪れた。


「来夢君、久しぶりだねえ」

「やっぱり赤い目、いいな」


 純子と再会した来夢は、挨拶はせず、まず思ったことをストレートに口にする。


「欲しい?」

「俺には似合わない。純子だから似合う。すごく綺麗」

「あ、ありがと」


 面と向かってストレートに褒められて、純子は照れる。


「で、純子は俺に何をさせる? ぜんまいを巻いてくれるんだろ? 俺の中の悪を解放してくれるんだろ?」


 純子を見つめる来夢の視線は、期待に満ち溢れていた。


「どうかなあ。私は機会を与えるけど、望みをかなえられるかどうかは、君次第だと思うよ?」


 差し当たり無い答えを返す純子に、来夢は落胆したような溜息をつく。


「ずっと空っぽだった。本当の俺を出せなくていた。皆を哀しませたくなくて。でも……しんどかった。何度も『魔』がやってきて、自殺しようとした」


 来夢の言う皆というのは家族のことだろうと、純子は察する。


「家族を捨ててきたことに、未練は無い?」

「すごくあるよ。でも、決めたんだ」


 純子のことをじっと見上げたまま、覚悟を決めた面持ちで、来夢はきっぱりと告げた。


(未練と覚悟は相反しないんだよね。未練あってこその覚悟だしさあ)


 来夢の中に同居する二つの気持ちを感じ取り、純子は好ましく思う。

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