第二十一章 3
砂城家のリビングルーム。父、母、兄、妹の一家四人が集まって団欒タイム。
長男である砂城来夢は、一糸纏わぬ姿で歌っていた。
家の中では常に裸でいる来夢だが、見慣れた風景になってしまい、両親も妹の花も咎める事は無い。来夢が風邪をひかぬようにと、部屋の中は温めにする。そのため来夢に合わせて、砂城家では秋や春も家族は皆薄着になる。夏も冷房は控える有様だ。
「罪なんて無い 魂が認めない 泥の中で蠢く天使 輝いている
空なんて無い 約束は守らない 泥の中に堕とした天使 泣きじゃくってる
可愛い姿 いつまでも見ていたいから 帰さない
悲しい叫び いつまでも聞いていたいから 離さない
悪い心が踊る 悪い心が歌う 悪い心と一緒に飛んでいく
罰なんていらない 魂は裁けない 泥の中で悶える天使 艶めいている
空なんていらない いつまでも飛ばさない 泥の中で犯した天使 微笑んでいる」
来夢の歌は、いつも同じだった。声変わりをしていない高く澄んだ美声で、儚げに歌う。
その歌は来夢が作詞作曲した、ただ一つの歌であった。歌そのものも非常に上手い。しかし歌詞といい曲といい、決して明るく楽しい気持ちになる代物ではない。かといって気分が暗くもならない。残酷で儚げでありつつも、神秘的な響きもあるからだ。
来夢は男にも女にも見える、非常に中性的で整った容貌の持ち主であった。そしてその股間を見ると、男女どちらの性器もついていない。
戸籍の登録上は男であり、そのメンタリティや喋り方も男のそれであるが、中性とでも言おうか――来夢には性別が無かった。
来夢の歌に合わせて、妹の花がピアノを弾いている。花は幼い頃からピアノを習っていて、コンクールに何度も出ている。その筋では天才と呼ばれているほどであったし、来夢としても誇らしい反面、妬ましいという気持ちも同時にある。
今年小学五年生になる一つ下の妹の砂城花は、正確には従姉妹である。彼女の両親が事故で命を失ったので、砂城家で引き取り、家族として平等に扱って育てられている。
兄妹仲は良い。花は来夢が普通でないことを意識して気遣いながらも、それをおくびにも出さず慕っていた。しかし来夢もそれを見抜いている。
小学二年生に上がる前に、来夢は不登校になり、十二歳になる今まで学校へは通っていない。 親を少しでも安心させたいと思い、母親の勧めた不登校児用の通信教育だけはちゃんとやっているので、学力的には問題無いが。
「今度の休みはピクニックに行こうか」
来夢の歌と花の演奏が終わるタイミングを見計らって、父親が声をかける。
「わーい、行く行くー。お兄ちゃんも行くよね」
「行く」
正直外には出たくない来夢であるが、妹は喜んでいるし、家族にこれ以上おかしな気遣いはさせたくないと思い、合わせてやる。
家の中では一糸纏わぬ姿の来夢であるが、外出する際は流石に服を着るし、ずっと家の中に引きこもりっぱなしというわけでもない。一年前までは、近所に住む年上の中学生とも遊んでいた。しかしその中学生は一年前から行方が知れない。
人とは違う行いの全てが、家族を不安にさせる。だからせめて自分の実行可能な領分だけでも、家族を安心させたいと思い、来夢は努力してきた。
だがそれももう、最近は煩わしくなってきた。家族のことは好きだ。しかし本心は、家族に合わせたくない。必要以上に気遣わせているという意識も苦しい。
(自分を空っぽにしているのが苦しい)
今の自分は本当の自分とは言いがたい。本当の自分を解き放ちたいと、来夢は切に願うが、それはかなえてはいけない願いであると、自分を抑えつける。自分を失くす。それが――来夢を苦しめてもいる。
(空っぽにしないといけない)
昔のことを思い出す。母親に殴られた事を。
今の来夢には、あれ以上の欲求がある。家族の目を盗んでこっそり実行した事すらある。それも対象はヒヨコなどではない。自分と同じ姿をした生物だ。
(その事実を知れば、父さん、母さん、花、どれだけ哀しむかな。俺のこと、きっと化け物みたいに見る。もう家族ではなくなるかも)
そう考えると怖くなる。家族を煩わしいと思う反面、家族を愛してもいる。
(克彦兄ちゃんはどうだろう……。克彦兄ちゃんは俺の本性を知ってる。でも俺の本性を知られた後、消えた。俺に失望したのかな……? そんなこと無いと思いたいけど)
一年前に失踪した近所の中学生の事を思う。来夢は彼のことが大好きだった。ある意味、家族よりもずっと心が開ける相手であった。いなくなってからも、彼のことを考えなかった日はない。
(俺は悪だ。その悪の俺が、いい人である父さんと母さんと花と一緒に暮らしてる。馬鹿げた話)
来夢の中に常にある意識。疎外感。来夢の中で造られた壁。
「来夢、いつも同じ歌ばかり歌っているが、他の歌は歌わないのか? もっと明るい歌もいいんじゃないのか?」
父親が声をかけてくる。
余計なお世話だと思う来夢だったが、そう思ったこと自体に、罪悪感を抱く。善意で声をかけてきた父に対し、反射的に醜い気持ちが働いたことに。
(俺は悪だから仕方無いけど、でも父さんがそれを知ったら哀しむし、一切知られたくない。空っぽの方がマシ)
そう思いつつ、来夢は己の矛盾に気がついていない。
「そのうち……気が向いたら」
愛想笑いを返し、愛想笑いをした自分に対して自己嫌悪を抱き、自己嫌悪を抱いたことに対して自己嫌悪を抱く。
「一曲作るだけだって大変なのよ。それを子供の身で作って歌ってるだけでも、凄いことじゃない?」
母が父に向かって言う。来夢へのフォローのつもりなのだろう。
「まあ確かにな」
父が微苦笑をこぼす。
「そのうち、花のピアノと来夢の歌で一緒にコンサートとかできたらいいのにねえ」
「うん、私もお兄ちゃんと一緒にコンサート出たい」
母親と花がそんなことを口走る。冗談じゃないと来夢は思うが、それを口にして二人に嫌な気分を味合わせたくもない。しかし口にしなくても、頭の中で拒絶している自分に、さらなる自己嫌悪を抱く。
父も母も妹もいつもこうだ。自分のことを気遣ってくれて、自分に新たな道を指してくれる。自分を外に出そうとする。光の中へと導こうとする。しかし無理強いもしない。笑顔で温かく見守ってくれる。
それがたまらなく煩わしい。そして煩わしいと感じる自分に、醜さを覚える。そしてさらに嫌な気分になってしまう。
(俺は悪だ)
何度も心の中で繰り返した、確信の台詞。
(本当の俺を知らない。俺は悪なのに。何で俺みたいな悪が、こんな善人の家族の中に生まれたの?)
約六年間、何度も来夢の中で繰り返された、解けない疑問。
ネットを閲覧する来夢。メールボックスに数少ない知り合いから、自分宛てにメールが届いていることを確認する。
差出人の名は雪岡純子。一年前、来夢はこの人物の世話になった。
メールの内容を見て、来夢の中である感情が燃え上がった。
「ぜんまいをまいていいの?」
「ん?」
来夢の意味不明な呟きに、花が怪訝な声をあげる。
(せっかく声をかけられたんだし、俺の気持ちも……それを望んでいる)
来夢はほとんど迷う事無く、あっさりと決定した。
「出かけてくる」
「あら、珍しい」
母がほっとしたような顔になる。滅多に自分から外出する来夢ではないが、それでもたまに外に出る。そして母は、来夢が自発的に外に出ることを良い兆候として受けとっているようだ。
「どこへ行くんだ?」
「ネットで知り合った友達に会いに」
尋ねる父に、来夢は正直に答えた。嘘ではない。最初はネットを通じてその存在を知ったのだ。
(さようならになるのかな……)
服を着て玄関で靴を履きながら、家族を意識しつつ、来夢は思った。
***
雪岡研究所――蔵に与えられた部屋にて、蔵は独立のための第一歩を踏み出そうとしていた。
新たな道を進むことを決めた蔵であるが、何も持たない状態からのスタートというわけではない。知識も経験も有るし、何よりコネがある。
新しい組織の発足のための人員集め。それは容易だと思っていた。
取りあえず蔵は、表通りの頃から連れ添いであり、裏通りに堕ちてから、武器密造密売組織『破竹の憩い』時代も共に過ごしていた、信頼できる部下の一人に電話をかける。
「久しぶりだな、岡崎」
『何の用ですか。しかも呼び捨てで……。もうあんたの部下ではありませんよ?』
蔵の明るい声に対し、相手の声には露骨な険があった。
この時点で蔵は冷水を浴びせられた気分になったが、めげずに話をもちかける。
「実は新しい組織を発足しようと思っているんだが、一緒にやらないか?」
『はあ? 御冗談を。もうあんたと付きあうのはこりごりです。あんたは人の上に立つ器ではないし、もう余計なことしない方がいいですよ』
けんもほろろに突っぱねられ、電話を切られた。あまりの拒絶っぷりに、蔵は呆然として、しばらく固まっていた。
(まさか……他も同じような反応じゃ……)
嫌な予感を覚えつつ、別の元部下にも電話をかける。
『もう表通りで真っ当な職に就きましたから。戻る気はありません。家族もできましたしね』
最初の一人ほどひどくはなかったが、それでも断られた。
『新しい組織作りました。俺がボスでね。蔵さんを見習っていますが、蔵さんには全然かないません。小さな小さな組織ですよ。それでも今の境遇に満足しています。蔵さんは運が悪かっただけですし、また頑張ってください。何かありましたら声かけてくださいね』
三人目は好意的であったが結局断られた。しかし新しい組織を作ったというし、懇意にしておくのもいいかもしれないとも思う。
(そもそも、具体的にどんな組織を作るかも考えないとな。やはり以前と同じく武器密造密売組織がいいだろう)
最初に考えるべきことを、途中で決める蔵。
(工場はそのままだし、同じ場所を使えばいいな。しばらくほったらかしだから、整備は必要であろうが。あとは人員募集と。取引相手の確保か。ゼロからのスタートというわけではないのは強みだな。設備もあるし、かつての実績もコネもある)
そのコネの方で撃沈しまくったが、蔵はまだめげてはいなかった。
『は? あんたがまたこの商売するって? 冗談だろ?』
知り合いの死の商人に連絡すると、相手の嘲笑混じりの対応が、蔵の心をとうとうへし折った。
『よりによって雪岡純子に喧嘩売って無様に壊滅して、その時の取引も滞って被害被った業者がどれだけいるかも、考えてないのか? いや、考えられないのか? とんだクルクルパーの無能だな。あんたはもうこの業界じゃブラックリスト入りされているし、誰も相手はしてくれんぞ』
電話が切られた後、蔵は完全に凍り付いていた。しばらく次のことができず、電話を持ったまま虚空を見上げていた。
(悔しいな……悔しくて仕方がない。いい歳して泣きそうだ。情けなくて、惨めで、滑稽極まりない……)
ガラス戸を向くと、正に苦虫を噛み潰したかのような自分の顔が映り、そのあまりの酷さに、笑ってしまう蔵であった。
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