第二十一章 2

 蔵と真とみどりが雪岡研究所に帰った頃には、夕方近くになっていた。


 応接間の前を通った際、中から話し声が聞こえて、蔵はふと足を止める。

 中から聞こえる声は、赤城毅のものだ。先日、とうとう植木鉢生首から解放され、念願の五体満足ボディになってからというもの、雪岡研究所における交渉役を買って出た。


 研究所の研究資金や生活費の捻出は、主に武器密造密売組織との取引で成り立っている。ユキオカブランドと名づけられた極めて優秀な武器や兵器の数々が、これらの組織にとって垂涎の商品であった事は、かつて武器密造密売組織の長であった蔵もよく知る所である。

 取引相手は他にもいるし、武器だけを販売しているわけでもない。臓器密売組織や違法ドラッグ組織のお得意さんも多い。発明品の販売では無いが、純子と専属契約を結びたがる組織も多々存在する。雪岡純子と専属契約というだけで、裏通りの組織としてはハクがつくからだ。


「ええ、雪岡としても、できるかぎり手を広げていくつもりではいるようです。しかしこの研究所で働く研究員の数に限りがありますし、雪岡は少数精鋭を旨としていますから、その辺を考慮していただけないでしょうか。資金だけの問題ではないということですね。そこから時間の問題も関わってきますし、わざとレアな価値をつけたいがために、勿体ぶっているわけではないのです。質を極めようとする姿勢があるからこそ、取引も限られてくるわけで――」


 おそらくは雪岡研究所に取引しにきた新顔の相手に、毅が雪岡研究所の実情をわかりやすく解説している。


(雄弁な彼にはうってつけのポジションだな)


 扉の隙間から、はきはきとした表情で喋る毅を見て、蔵が微笑をこぼす。


「毅君、最近すごく頑張ってるねー」


 そこに純子がやってきて、中には聞こえない小声で言った。


「あいつのあれは、雪岡研究所という裏通りでもメジャーな看板を利用して、自分の顔をいろんな所に売り込もうとしているんだろ?」

 と、真。


「なるほど、転んでもただでは起きないわけだ」


 蔵が感心する。純子の玩具にされ、何ヶ月かをこの研究所で無為に過ごしていたかと思いきや、毅はこの雪岡研究所の仕組みと、純子の性格や行いを観察し、把握していたのである。だからこそ交渉役もできるし、それによって自分の売り込みも兼ねることができる。いずれこの研究所を出ていった際に活かすために。


「そうだろうけど、それって別に悪いことじゃないよ?」

 純子が真の方を向いて言う。


「別に僕も悪いとは言ってない」


 純子の言葉を受け、誤解させる言い方だったと真は思った。毅がここで働く一方で、いずれ独立した際の自分の売り込むためという打算を持つことが、悪いわけがない。


「私は頑張る子は好きだからねえ。私の環境を利用して仕事して大きくなろうとしているのなら、それは応援したいと思うよー」


 扉の隙間から応接間の中の様子を伺い、純子は屈託のない笑みを浮かべて言った。かつての遺恨も水に流し、言葉通り本当に毅を応援しているかのように、蔵の目には映った。


(毅は毅で、一旗上げるために先を見据えて動いている)


 自分の年齢の半分程度の、まだ若い毅が眩しく映る。そして、いろいろと考えさせられる。

 昨日の葬式を思い出す。優秀な経営者だった親友の死。自分よりずっと有能な成功者であったのに、死んでしまった。対して自分は、無能でありながら生き永らえている。


(生きていれば、まだ何かできる……か?)


 蔵の中でくすぶっているものに、火がつきそうな、そんな感触が確かにあった。


***


「ちょっといいか?」


 雪岡研究所を訪れた取引相手候補が帰ったところを見計らって、蔵は毅に声をかけた。


「どうしました? 蔵さん」

「うん、少し君と話がしたくてね。よかったらでいいんだが」

「全然構いませんよ」


 蔵の誘いに、にっこりと笑って了承する毅。営業用スマイルではあるが、悪い気はしない。

 先ほどの応接室に入って、向かい合う蔵と毅。


「ここの交渉係を申し出たのは、独立するための布石か?」

「ええ、もちろんですよ」


 ストレートに尋ねる蔵に、毅は笑顔を崩すことなく、あっさりと認める。


「俺がかつてボスを勤めていた日戯威も、所詮は親から譲り受けた代物でしたしね。今度は本当の意味で裸一貫からの独立ですよ。変な肩の荷も下りました」

「変な肩の荷とは?」

「親の跡継ぎとして大組織の長となった事に、本当はすごく抵抗を感じていたので……」


 照れくさそうな笑みをこぼして、毅は打ち明ける。


「親のおかげでトップについたボンクラみたいに思われるのが、凄く嫌だったんです。親のすねかじりになるような感じで。でも、俺があの組織をでかくすれば、それは恩返しに変わると信じて、がむしゃらに頑張りましたよ。ダメでしたけど」


 毅の照れくさそうな笑みが、自虐の笑みへと変わる。


「でも不思議と悔しくなかった。自分の力の限りやって失敗したんだから、それはそれで仕方ないかと。その失敗も糧にして、本当に自分の満足できる何かを作り上げればいいと、その希望にすがって、生首状態でここにいました」


 言われてみると毅は、生首状態になっても全く悲観していなかった。いつも元気で、空気の読めない発言を繰り返していた。よくよく考えてみると凄いことだと、蔵は思う。あんな状態でも絶望せず、希望を抱き続けていたのだから。


「よく生きる望みを捨てなかったものだ。いや、皮肉でなくそう思うよ」

「死ななければ、負けじゃない。そうでしょ?」


 自虐の笑みを不敵な笑みに変えて口にした毅の言葉に、蔵の心臓が高鳴る。


「今、俺は必死にコネ作ろうとしている。ここで働いている目的の一つはそれです。コネだって立派な武器でしょう? 自分で築いたものに限りますけどね。親のコネ使って浮かれている奴は、恥知らずの阿呆ですけど」

「確かにな」

「それに加えて、純子に寄生するような形だけど、それでも独立した後に、雪岡研究所であの雪岡純子に交渉役を任せられていた男っていうステータスも、武器になりますしね。純子にその話もしたら、どうぞ利用してとも言われましたし」


 嬉しそうに喋る毅。生気と覇気に満ちているが、正直蔵の目から見て危うさも感じる。


(柿沼に似た危うさが、毅にはある。まあ、あれとは比べ物にならんほど優秀で、フットワークも軽いけどな)


 かつての組織で、自分を裏切ったナンバー2のことを思い出し、毅と重ねる蔵であった。


「俺の脳の異常も純子に治してもらいたましたし、もう失敗はしませんよ」

「脳の異常?」


 毅の言葉に、怪訝な声をあげる蔵。


「精神の方ですかね? 俺にはやたらカッとなりやすい所と、弱い者いじめを好むサディスティックな性質がありましたが、自分でも自分のそうした部分が嫌でしたから。人に知られれば軽蔑されるだけですし。それで純子に頼んで、物理的に脳をいじくって性格の矯正をしてもらおうと思ったんです。そうしたら精神障害者用のドリームバンド渡されて、それでかなり治療できました」


 そう言えば、毅が女子供や老婆を殴打していたと、蔵は累から聞いた覚えがある。


「完全に治ったわけでもないですし、ずっと治療は続ける必要がありますけどね。それに俺がやったことも、許されるわけじゃないですし」

「過去の罪などどうでもいいな」


 慰めではなく、蔵は言った。


「もちろん被害者にしてみればどうでもよいことではないが、それ以外の者にしてみればどうでもよい事だよ。私は罪と罰という概念が、あまり好きではないんだ」


 本来なら蔵とて罰を受けねばならない身だ。自分が運営する組織の者を大勢死なせたのは、己の無能という名の罪である。その罰といったらせいぜい、純子にお茶淹れ怪人として改造された程度だ。

 純子は死刑賛成論者だが、気に入っている知り合いなら許してオッケーという、手前勝手な基準を持ち、蔵もこれと同じだ。見ず知らずの他人になら、いくらでも残酷になり、罰や責任を求められる。しかし顔見知りの知り合いならいくらでも許容していい。そんな勝手な線引きでも、何も恥じ入ることでは無い。それでこそ正常だ。


「悔いる気持ちがあれば、君が心の中で悔い続ければよい。しかし周囲には関係の無い話だ」

「何でかな……。そう言ってもらえると、何か……少し救われる気もします」


 また照れくさそうな笑みを浮かべて、頭をかく毅。ここら辺は営業用スマイルではない。元来彼はシャイなのだが、無理しているのではなかろうかと蔵は思う。


(よし、決めた)


 友人の死と毅の影響もあってのことだが、蔵は決意した。


(いつまでもここでお茶淹れ怪人をしていても仕方ない。まだ人生は長いのだし、自分が今まで積み上げてきた蓄積も活かし、私も彼を見習って一念発起するぞ)


 自分の可能性に賭け、もう一度新組織を作ってみる事にした。


***


 狼男が変身を解いた人間の容姿は、克彦が想像していたものとはかなり異なる代物だった。

 年齢は三十代前後。目つきの悪い三白眼に、起伏の乏しい能面のようなのっぺり顔、オールバック。第一印象の良い顔では無い。人相的にも近寄りがたいイメージがある。


「私の名は獅子妻茄郎という。『踊れバクテリア』という組織の長をしている。もっとも組織と言っても、三人しかいないが」


 男が自己紹介するのを、克彦はチョコレートを食いながら黙って聞く。助けられた礼は一応もう言ってある。


「君も雪岡研究所で改造されたのか?」


 獅子妻の問いに、克彦は納得しながら小さく頷いた。この男も雪岡研究所で改造されて、あのような狼男にされたのだろうと。


「私の組織の者は皆そうだ。私達はこれからテロ活動を行うつもりでいる」


 獅子妻の台詞に、克彦は興味をそそられた。

 数ヶ月前の宗教テロ以来、テロという言葉そのものが、克彦の中では輝かしく響く単語となっている。放送ジャックした伴大吉のあの映像は、克彦の脳裏に鮮明に焼きついている。


「君もうちの組織に来ないか? 一緒にこのくだらない世界を滅茶苦茶にしてやろう」


(凄い誘いだな……。面白そうではあるけど、でも……)


 獅子妻のその誘いを魅力的なものと感じる克彦であったが、一方で、本当にそんなことをしていいのかという迷いも抱いていた。

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