第二十一章 1

 安生克彦は今年で十五歳になる。

 一年前家出して、彼は日本中を彷徨い歩き続けた。


 食うための金は全て強盗に入ってまかなった。

 強盗に入った家の人間と遭遇する度に、強い殺意が沸き起こったが、もうこれ以上殺人などしたくないという気持ちも同時にあったので、懸命にその衝動を理性で抑えた。

 それを一年間続けて、日本中歩いていた。


 克彦のような逃亡潜伏型の連続強盗犯は、実は今の日本では珍しくない。そして珍しくないが故、警察も克彦一人に人員を割けない。

 しかも克彦は雪岡研究所で身につけた能力をもっている。そう簡単には捕まらない。


 とはいえ警察とて無能ではない。巨大裏社会である裏通りを抑えるだけの力がある。そのうえ逃げ続ける年月がかさむほど、マークが激しくなっていく。

 もう逃げ切るのも限界だと悟った克彦は、ある目的のために生まれ育った安楽市へと戻ってきた。


 そこであっさりと警察に見つかり、逃走する展開となる。

 ファミレスの中へと逃げこんだ克彦は、口の中の飴玉をせわしなく転がしながら、店内を見下ろす。返り血を浴びて鬼気迫る形相の少年を見て、客も店員も息を呑む。そして鳴り響くパトカーのサイレン。

 一番近くにいた親子連れの、十歳にも満たぬような女の子に目をつけた克彦は、その子を抱えあげる。


「何をすっ!?」


 抗議とも悲鳴ともつかぬ叫びをあげかけた母親であったが、克彦の手にある銃を見て、叫びは途中で止まる。

 克彦は銃などほとんど撃ったことはない。少なくとも人は撃った事は無い。主に威嚇効果のために使う。


(子供なんて人質にとっても、時間稼ぎにしかならないのにな……)


 自分でも無様なことをしているとわかっている。逃げるためのプランを立てるための時間稼ぎである。

 恐怖に震える女の子を見て、罪悪感で胸が痛む。


 克彦が能力を発動させる。克彦の足元に黒い穴が広がっていく。

 亜空間トンネルの入り口であったが、途中で急にトンネルが閉じた。別の力で打ち消されたのだ。


「糞っ、やっぱりあいつがいるっ」


 ファミレスの外を見て忌々しげに叫ぶ。背広姿に頭にはターバンを巻き、座禅を組んで空に浮いているのが目に留まった。安楽市警察署少年課に属する、シャンカラ佐藤という名の魔術師だ。彼の術によって、克彦の能力は幾度となく打ち消され、逃亡を困難にされていた。


 窓ガラスが割れる。狙撃されたのだ。

 銃弾は克彦に当たることは無い。一瞬ではあるが亜空間への入り口が開き、中から無数出てきた、先端に黒く長くうねうねと動く手が、銃弾から克彦を守っていた。亜空間の入り口はすぐに閉じ、黒い手も消える。


 背後に気配を感じ、克彦は振り返る。

 誰もいない。しかし確かに気配を感じた。一年の逃亡生活を経て、克彦の感覚は鋭敏になっている。


「ぐふっ!?」


 股間に衝撃を受けて、克彦はもんどりうって倒れた。

 ファミレスの床をすり抜けて、一人の男が現れるのが見えた。床の下から現れると同時に克彦に金的攻撃をかましたのだ。そして人質の女の子を素早く保護し、また床の中へと女の子ごとすり抜けて沈む。

 あらゆる物体をすり抜ける能力を持つ、安楽警察署戦闘力ランキング六位の実力者、河西法継であった。


「くっそおっ……俺は伴大吉みたいに格好よくは死ねないか……」


 尊敬するテロリストの英雄の名を口にする克彦。

 その呟きを誰かに聞かれているなど、克彦は思いもしなかった。小声で呟いたのだ。


 全国指名手配されつつも、一年ぶりに戻ってきた安楽市。ある目的があってこの町へ戻ってきたが、それもかなえられそうにない。

 武装した警官隊がファミレスへとなだれ込んでくる。


(来夢……会いたかったな……。いや、一目でもいいから見たかった)


 最早これまでと、全てを諦めたその時、運命は彼を救うことを決定した。いや、克彦の何気ない呟きが、克彦を救うことに繋がった。


「があああああっ!」


 咆哮と共に、警官隊の後ろから、ファミレス内に異形の存在が突進してきて、警官達をなぎ払った。

 一言で言うなら、それは狼男であった。上半身はフサフサの毛に覆われ、頭部は完全に狼のそれだ。手か鋭い爪が伸びているが、人のそれである。ただし、手のサイズそのものが人の何倍もありそうだ。毛に覆われていてなお、その身体は膨れ上がった筋肉の鎧で覆われていることがわかる。


 狼男が何とか目に追える程度の高速で駆け抜け、巨大な両手を振り回す。裏通りの猛者達からも恐れられる精鋭たる、安楽警察署の警察官達が、まるでザコモブのようになぎ払われていく。


 瞬く間に克彦の前までやってきた狼男は、克彦の身体を抱え上げると、猛スピードでファミレスの外へと飛び出す。

 ファミレスを出た所で、狼男の足が止まる。何も無い地面を睨み、唸る。


「ほう。気がついたか」


 感心したような声と共に、アスファルトをすり抜けて河西が現れる。


「ふっ、白昼堂々狼男が出るとは、安楽市も物騒になったもんだ」


 気取った口調で言うと、臨戦態勢を取る河西。


「あいつはヤバいぞ。あいつの認識した攻撃は全てすり抜けちまうんだ」

 狼男の耳元で克彦が告げる。


「ならば認識させて能力を発動させる間も与えなければいい。あるいは、発動させてやればいい」


 狼男が答える。その獰猛な外見とは似つかわしくない、静かで落ち着いた声であった。


 狼男が真正面から河西へと突っこんだ。

 河西の細い目が驚きに見開く。正面から突っこんできて、そのままぶちかましを行おうとするのがわかったからだ。能力を発動して攻撃をすりぬけさせたとあれば、狼男はそのまま逃げていく。しかし能力を用いなければこちらがやられる。


 仕方なく河西は狼男の身体をすり抜けさせた。だがすり抜けた直後に振り返り、狼男めがけて手刀を振るう。

 河西のこのすり抜け能力は、使い方によって恐るべき殺傷力を発揮する。例えば相手を殴る際にすり抜けを行いつつ、相手の体内に自分の体を透過した状態で、部分的に透過を解除し、相手の体内に自分の体の一部を出現させて、内部から破壊するという事ができる。その際、自分は一切ダメージを負わない。


 だが狼男の反応と動きの方が早かった。河西の攻撃を読んでいたかのように狼男も足を止めて振り返り、河西が能力を発動するより早く――攻撃を認識させるより前に腕を振るっていた。


「なっ!? がぁっ!」


 吹き飛ぶ河西。攻撃を食らった瞬間に、すり抜けを発動させたため、致命傷は負わずに済んだが、胸を爪でえぐられて血を撒き散らしている。


「あ、あの河西が不覚を……」


 その光景を見て、シャンカラ佐藤は呆然とする。

 克彦を抱えた狼男はそのまま走り去っていく。


「追うな! 今ここにいる戦力では犠牲が増える!」

 その後を追おうとした警官達を佐藤が制した。


「止まれっ。ここならもう俺の能力が使えるっ」


 克彦の声に応じて、狼男は立ち止まる。

 克彦の足元に黒い穴のようなものが広がる。亜空間トンネルの入り口だ。


「中にいるのは何だ?」

 亜空間の中で蠢く存在を察知し、狼男が問う。


「頼もしい味方さ」


 克彦がにやりと笑うと、中から何本もの黒く長い手が飛び出し、克彦の体に巻きついて、中へと引きずり込む。同様に狼男の身体にも巻きつき、その巨体を黒い穴の中へと引きずり込んだ。


***


 絶好町繁華街へ買い物に出た真、みどり、蔵の三人は、帰り道に談笑しながら公園に寄り道していた。

 鉄棒で大車輪を披露する真、みどりも逆上がりして倒立したまま停止している。


「蔵さんもやりなよぉ~」


 みどりが逆さ倒立して長い髪を垂らした状態で、蔵に声をかける。


「逆上がりね」

「何っ」


 鉄棒を掴んだ蔵に、みどりが念押しし、にかっと歯を見せて笑う。蔵は思わず上ずった声をあげてしまう。


(で、できるよな……一応私は運動には自信がある)


 自分に言い聞かせ、軽く助走をつけて思いっきり下半身を鉄棒の下へと突き出した。


 腰から下が、鉄棒の下で滑るようにして伸びただけ。身体全体がのけぞった格好になっただけ。上がる気配は欠片もない。

 愕然として、再度挑戦する蔵。しかし結果は同じだった。


(さ、逆上がりもできなくなっているのかっ。歳のせいで……)


 かなりのショックを受け、それを隠す事もできない蔵。


「懸垂ならできるんだがな……筋力は衰えてないはずだが」


 みどりと真の方を見て、決まり悪そうに言う。かつてラガーマンであり、運動能力にはそれなりに自信のあった蔵なので、この現実は堪える。


「普段使ってない筋肉ってのがあるからな。そういうのはどんどん衰えていく」


 真がフォローするかのように言ったが、自分の半分も生きていない少年のそのフォローは、ますます情けなさを増幅させる。


「ああ、わかっているよ。しかし……歳はとりたくないもんだ」


 そして自分がこの台詞を口にしている現実が、たまらなく嫌だった。


「へーい、蔵さん、歳のせいにして逃げちゃ駄目だぜィ」

「うん、プロレスラーなんて、四十でもバリバリ現役当たり前の世界だからな。まあ歳とったレスラーは、あまり派手な飛び技とかしなくなるのもいるけど」


 真もみどりの言葉に同意する。


「手厳しいガキンチョ共め」

 乾いた笑みと共に、蔵は大きな溜息をつく。


「ガキンチョっつってもあたしゃ見た目だけで、蔵さんより年上なんだわさ。それに蔵さん、純姉に改造されてるってこたあ、不老処理もしているから、文字通り永遠の四十歳なんだし、歳に逃げてる場合じゃないよ」

「な、何だと……」


 みどりより戦慄の事実を伝えられたその時、何台ものパトカーがけたたましくサイレンを鳴らしながら、公園の横を走っていた。

 安楽市で事件があることなど珍しくも無いが、パトカーの台数が随分と多いので、異様に思えた。相当な大事件なのかもしれない。


「ちょっと野次馬に行ってみるか」

「イェア、賛成~」


 真の提案に、みどりが歯を見せて笑って片手を上げる。

 三人が早足でパトカーが向かった先へと向かう。歩きながらネットを開き、情報のチェックも行う。


「ファミレスで人質事件らしい。超常の力を有した有名な連続強盗犯がいたそうだ」


 蔵が真っ先に真相へと辿り着いた。


「狼男が乱入してその犯人を救出しただと? しかも河西を退けて逃亡」

「あの河西を?」


 真が驚いて蔵を見た。安楽警察署でも両手で指折りの実力者の一人である。


 三人が現地に着いた時には、すでに事態は沈静化していた。パトカーの多くは撤退し、わずかに残った警察官が、ファミレスの中で聞きこみを行っていた。

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