第二十一章 おじさんと一緒に遊ぼう

第二十一章 四つのプロローグ

 雨の日。タクシーから降りた蔵大輔は、喪服姿だった。

 ついこの間も親族の不幸があったが、そちらは年齢も年齢であったし、大往生と呼べる最期であったので、さほど悲しい代物でもない。そもそも蔵とはあまり親しい間柄ですらない。


 しかし今度の葬式は、蔵にとって非常に悲しいものである。

 訃報があったのは、蔵の高校時代からの親友だったからだ。

 彼は蔵よりずっと成功していた経営者であった。そもそも蔵が起業したことも、彼の影響を受けたからだ。彼に負けまいとして対抗した。蔵が起業して間もなくして、ある程度軌道に乗った時、彼は我が事のように喜び、祝福してくれた。持ち株も買って援助してくれた。


 その後、経営する工場が経営不振に陥った蔵に、彼は「トップは冷酷でないといけない」と説いた。

 だがその言葉とは裏腹に彼は、自らはそうならずに、品行方正でホワイトな企業を築いて成功し、社員からも尊敬されていた。最近では雑誌にもよく顔を出すほど有名になっていた。


「何であいつが死ななくちゃならない……。何であいつなんだ」


 声に出して呟き、蔵は雨空を仰ぐ。哀しさもあるが、それよりもやるせなさの方が強い。


(あいつには俺なんかよりずっと才覚があった。俺よりずっと強い信念があった。俺はあいつが眩しくて羨ましかったが、憧れていたし、友人として誇らしかった)


 自分と同年齢――僅か四十歳での急逝。


(生きていればもっと大きくなったろうし、ひょっとしたらさらに飛躍して、歴史に名を残す偉人となれたかもしれない。そのあいつが死んで、私のような何をやっても失敗ばかりの落伍者が生き残っている)


 誰かが言った、死は平等という言葉を思い出す。

 命の喪失は等しく誰にでも訪れる。不老化した者達とて、寿命だけは延ばして生き永らえようと、それでも死ぬ時は死ぬと累が言っていた。


『お前だって、俺を超える可能性が、無いとは言い切れないぜ。俺のためにメソメソしてくれるんなら、俺の分も頑張ってみてくれよ。お前さんにまだやる気があるならな』


 親友がそう言ってせせら笑う声が聞こえた気がした。


(あいつなら言いそうなことだ)


 香典の支払いをしながらそう思い、ついにやりと笑う。それを見て受付の人がぎょっとしているのを見て、しまったと思う蔵であった。


 それが昨日の話。


***


 子供の頃、獅子妻茄郎(ししづまなろう)がサイコパスという言葉を知った時、これは自分のことではないかと疑った。

 自分の失敗で他人に迷惑をかけても、罪悪感が無い。他人の痛みというものが理解できない。本を読んでも映画を見ても、他の人間が感動的だと思うシーンには感情移入できない。逆にキャラクターが苦境に喘いでいるシーンや、バッドエンドの作品を見ると心をときめかせる。


 そのうち獅子妻は犯罪に心惹かれるようになった。ネットで凶悪犯罪を記したサイトばかり閲覧し、時には小遣いをはたいて、こっそりとスナッフ映像を見もした。


 獅子妻は普通に友達を作って、普通に勉学に励み、普通に学業を終え、普通に就職したが、無味乾燥な人生を送るのに嫌気がさし、裏通りに足を踏み入れた。

 フリーの情報屋となった獅子妻であるが、あまり積極的に仕事をしようとはしなかった。裏通りに堕ちれば、自分の心を奮わせる刺激もあるかと思ったが、そんなことはない。稼いだ金で『ホルマリン漬け大統領』の興行に足を運ぶことだけを楽しみにする、ゆるんだ日々だ。彼の組織の残酷ショーだけが、獅子妻のささやかな楽しみであった。


 そんなある日、獅子妻の魂を揺るがす、驚天動地の出来事が起こった。


 武装宗教団体『薄幸のメガロドン』による同時多発テロ。

 その中でも特に獅子妻の心を奮わせたのは、お茶の間へ殺戮ショーを流したうえにテロを煽動した、教団幹部伴大吉によるテレビジャックである。

 あのテレビジャックを見ながら、かつてないほど心が激しく高揚していた。見終わった後も興奮は冷めず、獅子妻は決意する。自分も伴大吉のようになると。


 そのために彼は力を求め、雪岡研究所へ向かい、雪岡純子に向かって告げた。長生きできなくてもいいから、強力な力が欲しいと。そう簡単には負けない強大な戦闘力が欲しいと。

 それが数ヶ月前の話。


***


 安生克彦には学校に一人も友人がいない。

 小学二年生までは普通に友人もいたし、遊んでいた。しかし三年になってクラス変えをしてからイジメを受けるようになり、学校には友人がいなくなった。


 だが学校ではない場所には、友人と呼べる存在がいる。

 友人というよりも弟分といった方がいいかもしれないが、隣の家にいる三つ年下の子と、克彦は昔からいつも遊んでいた。

 克彦がいじめを受けるようになった頃、その子はまだ幼稚園児であったが、克彦のことを慕い、いつも一緒だった。克彦がいじめを受けるようになってから、克彦はその子と過ごす時間に救いを見出していた。


 克彦はその後ずっといじめられ続けた。中学生にあがってもなおいじめられ続けたが、十四歳の頃のある事件をきっかけに、気弱な自分を変えたいと思うに至ったのである。


「こんな性格を何とかしたい。悪人になりたい。凶暴になりたい。世界を呪って破壊する悪になりたい。その力も欲しい」


 雪岡研究所という場所に赴いて、赤い目の少女に告げた自分の望みは、それだった。


「体だけではなく、心まで変えたい、かあ……。そういうのはあまり好みではないけど、まあ一応やってみるよ」


 彼女は若干気乗りしない様子で、克彦を改造した。


 そうして克彦は変わった。今までの辛い気持ちが、悲しい過去が、全て恨みと怒りに変わり、破壊願望へと転化し、ある一つ以外の全てが呪わしく、壊してやりたいと願うようになる。


 その一つとは、克彦が唯一の救いとしていた近所の子。

 かろうじて残っていた良心により、変わってしまった自分を見せたくなくて、克彦はその子に何も告げずに黙って別れる道を選び、生まれ育った安楽市を去る道を選ぶ。


 それが一年前の話。


***


 砂城来夢さじょうらいむが自分の体が他人と違うことを意識したのは、小学一年生になってからだ。


 それと同時に、自分は他人とは違うという意識が育まれていき、他者との間に壁を覚える。

 ほんのわずかなきっかけ。わずかな思考のズレ。それは本当にごくごくわずかなズレから始まり、気がついたら他人とは全く別の道を歩いていた。

 気がついた時には決定的に狂っていた。誰が悪いわけではない。自分自身が全て悪いと悟り、齢七歳にして来夢は達観していた。いや、諦観していた。


 年月と共に、来夢の歪みは大きくなっていく。

 そのうち来夢に様々な奇行が目立ち、家族を悩ませた。

 親に買ってもらった玩具は全てばらばらに分解して遊んだ。ゲーム機も分解した。バラして中がどうなっているのかを見ることが好きだった。


 伯父夫婦がくれたヒヨコを割いて中を見た時、来夢は初めて親に殴られた。


「可哀想だと思わないの!?」


 母親が泣きながら叱り、来夢も声を出さずに泣いた。叱られたことや、殴られたことが悲しいのではない。親を泣かせたという事実が悲しかった。

 自分の奇行によって家族が悩んでいることには胸を痛めたが、来夢にはどうにもできない。もう修正がきかない。修正しようという意志も無い。


 ある日、テレビを見て、子供向けのアニメで、悪役が暴れているのを見てウキウキする。だがその悪役が主人公に倒された時、悔しくて悲しくて涙が出た。

 来夢はその時、一つの確信を抱いた。


「俺は悪だ」


 来夢はその後ずっと、そう信じ続けることになる。


 それが六年前の話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る