第十九章 13

 その日の夕方、雪岡研究所の面々は再び異常事態の気配を感じ取る。


 報せをくれたのは、純子が懇意にしている情報組織『凍結の太陽』であった。グリムペニスの動向をチェックしてもらっていたが、デモ隊を組織していた学生達の主要メンバーが、一斉に動いて安楽市に集まったというのだ。


「で、今カンドービルの近くにいるらしいんだ」

「今度はデモってわけじゃあ無さそうだな」


 純子にその話を伝えられ、買い物から戻ってきたばかりの真が言った。絶好町繁華街は、いつもと変わらぬ様子だった。


「こないだも言ったけど、どうせ次は暴力でくるだろうからねえ」

 と、純子。


「ふえぇ~、表が駄目なら裏、グリムペニスのデモが駄目なら海チワワの暴力かー」

「こっちの得意分野に合わせてくれるのは、ありがたいじゃなーい」

「そうなれば容赦することもないな」


 みどり、純子、真がそれぞれ言う。今リビングにいるのはこの三名だ。すでに蔵は帰宅し、累は自室にいる。

 正直、暴力に訴えたわけでもないグリムペニスを、純子が暴力で追い散らした事に、真は快く思っていない。純子の中のルールでは、敵と見なした瞬間、排除するか実験台にするかの二つしか無いので、表通りも裏通りも暴力も非暴力も関係無いのだろうが。


「でも意外だな。海チワワを動かすだけではなく、表通りの連中も暴力に投入してくるなんて。催眠術か薬で操ってるのか?」

「グリムペニスの思想に狂信的にどっぷり漬かっているとか、仲間を傷つけられた御礼参り気分とか、そういう方向性じゃないかなあ? 薬で洗脳とかそういう乱暴なやり方は、グリムペニスが表の顔も持つ組織である以上、いろいろ都合が悪いと思うんだよ」


 真の疑惑を純子が否定する。


「狂信という形だったら、薬の必要も無く操れるってことか。僕には理解しがたいけど」


 薄幸のメガロドンもそうであったが、何人もの集団が一つの思想やカリスマにあっさりと心を委ねる現象が、真にはいまいちわからなかった。


「イェア、集団であるからこそ、操りやすいって面もあるんだよねぇ~」


 真の疑問を見抜き、かつて集団に崇められていた教祖様であるみどりが語る。


「自分一人では疑問を覚えたり動きにくかったりする事でも、集団の中に混じると周囲に照らし合わせて安心してしまう。同調も迎合もしやすいんだわさ。でもね~、みどりはそれを笑える資格のある人間て、あまりいねーと思うよォ~。一般社会で暮らしている連中だって、皆それと一緒。表通りの連中も皆、洗脳と調教が大体完了された状態で生きているんだぜィ?」


 みどりの話を聞き、真は学校に通っていた時のことを思い出す。


(皆当たり前のように机を並べて、意味の分からないお勉強をして、社会の枠組に収まろうとしていた。自分がその中にいる事にも、あの光景そのものにも、僕は疑問を覚えていたな。結局僕は、そこに収まる事もできなかったが……)


 あれを教育というよりも洗脳と呼ぶのであれば、理解できないこともない。


「この世の多くの人間は、普通という殻を被る事が――多数派に属する自分達こそが正しいと信じているからね。例え歪んだ通念や幼い価値観がはびこる社会であろうと、それが社会の本流なら、それに従うことが正しいと信じて、疑いもしないし、自分達が狂っているという自覚が無いし、その自覚を持とうともしない」


 今度は純子が語りだす。


「でも時が流れ、歴史を振り返れば、未来の人達からは愚かな時代だと笑われるよね。今でさえ、過去の価値観は所々、野蛮で未成熟と思っている。なのに今は正しいと信じて疑わず、そこからはみ出る者は疎まれ責められる。それが人間ていう不完全な生き物の、いつまで経っても進化しない、どうしょうもない部分かなあ。あと、今より過去の時代の方が正しいと思える事も多々だよ。進化どころか退化しちゃってる」


 千年以上人類の歩みを見てきた純子は、諦観しきっていた。


「結局世の中馬鹿ばかりという話か?」


 純子のその考え方もまた、極端のように真には思える。誰だって思考も判断もできる。意志がある。流されずに己が正しいと信じた意志を貫く事はできるはずだと。


「グリムペニスは騙されやすい人間を利用しているつもりだけど、参加している人間は騙されているわけではなく、それも自分の意志の決定だろ」


 薄幸のメガロドンに潜入した際、みどりの演説で盛り上っていた信者達を見て、ひどく不快な気分を覚えた事を真は思い出す。

 あれは集団心理にも乗ったうえでの逃避であるが、周囲に踊らされたわけではなく、そのろくでもない決定をしたのはあくまで自分の意志であると、真は見なしている。たとえみどりにたぶらかされたとしても、だ。


 グリムペニスの活動に参加しているメンバーとやらも、それと同じだと、真には感じられる。純子の考え方は、煽動されて操られているという代物だが、煽動に至るまでの間に、個人の意思決定が挟まれるだろうと。


「支配する側は操ったつもりかもしれないが、実際には操られたわけでも騙されたわけでもない。結局決めたのは奴等だろう」

「いかにも真君らしい考え方だねえ。私はその本人の決定も含めて、そうするように操られたという見方だけどさあ」


 真の考え方を、持論を交えて否定する純子。


「実際、シスター達の下の下くらいにいる、『貪欲な支配者層』は、世の中の大勢の人達を人とは思っていないよ。家畜か何かだと思ってる。グリムペニスのトップも、この層だと思うし、そういう意識だろうね」

「その層とやらが、世の中の一番ろくでもない奴等ってわけか」


 真はそう結論づけることにした。思考放棄したわけではない。これまでの話を聞いた限り、理屈と感情の双方で、その結論で構わないと。


***


 カンバービル周辺で、グリムペニス学生メンバー二十名は、それぞれ五人ずつのグループ四つに分かれて、雪岡純子がビルの中から出てくるのを待っていた。

 人智を超えた力を手に入れた彼等は、暴力という手段で悪のマッドサイエンティストを討伐するために、この場に再び訪れた。


「またウランだかプルトニウムまかれたらどうするんだろう」

「密閉した空間でなければ……それに街中で人が歩いている場所では、流石にやらないんじゃないかってのが、勝浦さんの見方だ」

「確証無いのね。まあこっちも暴力という手段で臨むことを決めた以上、何人かの犠牲も覚悟しないと。放射線ですぐ死ぬわけでも無いし、動けなくなる前に一矢報いる程度の気持ちでいくわ」

「致死量の放射線てのもあるそうだよ」

「そもそも雪岡は、そんなの持ち歩いて平気なのかよ」

「平気じゃないから外に出た時を狙うんだろ。だから外出は使わないっていう」


 不安や恐怖を紛らわせるため、途切れずに会話が続いていく。

 かつて七十人以上いたグリムペニス学生主要メンバーは、もう彼等二十人しかいない。他は被曝して病院送りにされたか、怖くなってグリムペニスの会員から脱退した。


「ていうか、雪岡純子が出てくるまで、ずーっとここで張り込み続けるの?」


 とある場所で、メンバーの一人が痺れを切らし、当然の疑問を口にする。


「ずーっと待ってるんだろ? そんな程度で愚痴るような奴がよく、人間捨ててまでここにいるな」


 善太が苛立ちをこめて吐き捨てる。


「あ? 何だよ、その言い方。お前だって待ちぼうけでうんざりしてるんだろ?」

「お前と一緒にするなよ」

「ちょっと、仲間割れとかしている場合なの? これから本気で殺し合いをするのよ? 相手は裏通りの住人で、街の中で核物質ばらまくような奴で、しかもそれが報道もされない相手なのよ? その前につまらないことでいがみあいとか、そんな余裕あるの?」


 桃子にたしなめられ、善太ともう一人も渋々といった感じで落ち着く。


「勝浦さんからメールきた」

 桃子がディスプレイを投影する。


「海チワワの幹部――戦士が何人か助っ人にくるって。それで雪岡純子を一斉にふるぼっこにするって」

「グリムペニスって、やっぱり海チワワと繋がってたのか……」


 清次郎が唖然として呻く。バイオテロリスト集団の海チワワが、グリムペニスの下部組織ではないかという噂は立っていたが、グリムペニスは公的には繋がりは無いと言い張っていた。だがここであっさりと、それが嘘であり、実は繋がっている証明がされてしまった。


(まあ……俺達におかしなウイルス投与して、人間ではなくする時点で、ダーティーな側面もある組織だってわかったけどさ)


 声に出さず、清次郎は呟く。


***


 日が沈む。


 義久はカンドービル周辺を動き回り、グリムペニスがあちこちに五人単位で潜んでいるのを全てチェックし終えた。


「やっこさんら、純子が出るのを待っている状態だ。早く来たほうがいいかも」


 バイパーに電話してそれを報告する。


『すぐそっち行くわ。海チワワの奴等も来るかもれねーし、何か起こってからじゃ遅いしな。あんたはもうあがっていいぜ』

「いや、俺もここにいて見届けるよ。それに俺がこの場に入れば、何かサポートできることもあるかもしれないぞ。その辺も含めて、情報屋のお仕事のつもりだからね、俺は」

『はっ、頼もしいね。犬飼がおすすめしてくれただけはある』


 バイパーに称賛され、義久は嬉しくてにやにやと笑う。


「お、真がいる。ビルの中から出てきた」

『殺人人形と知り合いかよ……』


 義久の報告を聞いて、嫌そうな声を漏らすバイパー。


「そっちこそ知り合いなのか?」

『うーん……一応そうなるかね。あまり会いたくねー奴だ。苦手というか。あいつは俺のこと恨んでいるみたいだしな』

「恨んでいるみたいって、何かはっきりしない言い方だなあ。恨まれるようなことをしたのかしてないのかもわからない感じか?」

『結果的にそうなったっていうか……。まあそこに行く時点で、共闘することになるとは思っているし、会わないなんてこたーねーけどさ。じゃあ、後は頼む』


 バイパーが電話を切る。義久は真の後を追う。


 真はコンビニへと入り、何か買い物をしてまたカンドービルの中へと引っ込んだ。


(買い物兼ねての偵察って所か。しかし……真の存在をグリムペニスの学生らは知らないのかねえ。純子の情報しか無いのか? あるいは、純子が出てくるまでは一切手出ししない方針なのか?)


 いずれにしても、バイパーが到着するより先に戦闘が発生しないのは好都合だと、義久は思った。

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