第十九章 11

 グリムペニス日本支部ビルのとある一室。


 一人の中年の白人男性が室内に入ってきた瞬間、先に部屋の中にいたキャサリンとロッドの姉弟は、軽く一瞥だけして、その男に反応した。

 髭面で癖っ毛だらけの茶髪のその男は、ひどく人相が悪く、鼻が潰れて口元は歪んでいて、お世辞にも美男子と呼べない容姿の持ち主であった。その外面の悪さは、内面の悪さと相まっている事を、彼を知る者なら誰でも知っている。


 男の名はポール・ワーナー。エコロジカル・テロリスト集団、海チワワの頭目である。


 部下二人の一瞥を見て、ワーナーは軽く鼻を鳴らす。


「そろそろ我々の出番かもしれないな」


 グリムペニスのデモ隊が被爆したという話を聞き及んだうえで、ワーナーはそう判断し、クリスタル姉弟に声をかける。


「ヴァンダムの悪知恵が空回りする形で、俺達の出番になるとは痛快だ」


 反応が無い二人の前で、ワーナーは一人で話を続け、一人で笑う。


 グリムペニスは海チワワの暴力を必要とし、海チワワはグリムペニスの財力と権力をあてにと、組織としては互いに寄り添っている間柄であるが、ワーナーとヴァンダムは仲のよろしい関係ではない。トップ同士で互いに疎んでいる。

 ヴァンダムはワーナーのことを、単純で粗暴で卑小な男と見下している。海チワワが汚れ仕事役としては使える一方で、ワーナーの指示の元に、一般人を巻き添えにしたテロ行為を行われるため、日頃から激しい不快感を抱いている。

 ワーナーはヴァンダムを頭でっかちのホワイトカラーと見なして疎んでいる。グリムペニスからは潤沢な資金を得られるうえに、テロによって幹部がしょっぴかれないよう、権力にも手を回してくれるので、切ることはできないが、何かする度にいちいち指図や文句が飛んでくるのがたまらない。


 しかしそんないがみ合いなど、海チワワの幹部達の多くはどうでもよく思っている。彼等は荒事の場に立てれば、それでよいとしている。あるいはヴァンダム同様に、ワーナーのテロ活動に反感を抱いている者もいる。


「歯応えのある奴がいればいいがな」

 ロッドが初めて口を開き、嘯く。


「幹部は三人いても、兵士の数が少ない。その少ない兵士はここの警護にあてる。幹部三人がオフェンス。兵士共はディフェンスだ」


 ワーナーが告げる。日本国内にいる海チワワの兵隊の大半は、薬仏市にいながら、対立するマフィアに睨みを利かせている。


「場合によっては薬仏市の兵も動かすことになるのかしら?」

「そんな状況を作りたくは無いが、そうなるな」


 キャサリンの問いに、ワーナーはつまらなさそうに答えた。


「よろしくない采配ね。兵士もこちらに集中させた方がよかったんじゃないの?」

「文句を言うのは勝手だが、聞き入れる気は無い」

「あらそう。文句じゃなくて意見を言ったつもりだったけど、それも聞き入れる気は無いし、聞き入れた試しも無かったわね。明らかに下の意見が正しかったのに、聞かずに失敗したケース、何回くらいあったか覚えてる?」


 あまり人前で毒を吐くことは無いキャサリンであるが、ワーナーが相手では話が別だ。彼の采配ミスで、大勢の部下を失った事もある。


「忘れたに決まっているだろう。俺も人間だからミスはするさ。それとも、俺に神様になれとでも言うのか? ボスのミスで命を落とすのも、部下の仕事と割り切れないなら、こんな仕事は最初からするなという話だ」


 意地悪い口調で言い放つワーナー。


「無能だと判断したら、そうさせてもらう。今の所、そこまでに至ってはいないがな」


 ロッドが言った。この言葉は本心だ。ワーナーは部下の言葉に耳を貸さないが、無能というほどではない。理不尽な命令を下すことも無い。しかし有能とも言えないし、理不尽に怒って喚き散らすことはある。

 ワーナーは目の前の部下二人が自分を快く思って無い事も、ちゃんと自覚している。それどころか、自分を慕う部下など誰もいない事も知っている。むしろ嫌われている事も。


 子供の頃から、ワーナーは誰からも嫌われていた。すぐに癇癪を起こしてカッとなり、暴言やや暴力に訴える粗暴さをもち、他人を上から目線で嘲る事で自分を守る。

 自分が嫌な奴だという自覚も有る。自分のような人間は誰からも好かれず、愛されないと自覚する度に落ち込む。かといって自分を変えるのも癪に障る。

 どうにもならない自分。自分が異常者だと自覚し、悲嘆に暮れるだけの人生。世の中の正常な人間達が、幸せそうに見えて、羨ましくて仕方が無い。


 ワーナーはある時悟った。憎まれる側につくため、なるべく殺してまわることにしてやるために――自分にそういう役目を与えるために、神様は自分をこんな人間にしたのだと。そう悟った。言い方を変えれば、開き直った。

 しかし殺人にも神様に許してもらえるような大義名分が欲しいと思い、海チワワなる組織を作った。環境保護という大義名分で、邪悪な人間達を地獄へと落とす。これで少なくとも神様にだけは、申し開きが立つ。


「俺達三人で頑張れば、戦闘力の低い下っ端共が血を流さず済むんだ」


 気遣いしたわけではなく、事実としてワーナーは告げた。この言葉は、真理の一面でもあったので、キャサリンもロッドもそれ以上は何も言わなかった。


 海チワワの幹部は全て、超人的な戦闘力を持つ戦士である。そしてそれは頭目のポール・ワーナーとて変わらない。自ら戦場へ赴き、血を流し、血を浴びる。

 海チワワの下っ端の兵士達の中には、その辺をワーナーの美点であると思う者もいるが、とんでもない話だとロッドは思う。むしろワーナーは現場に出ず、ふんぞり返っていてくれる方がいいとさえ考える。

 ロッドはワーナーを激しく毛嫌いしている。その理由は、癇癪を起こすだとか、人の意見を聞かないとか、そんな理由ではない。今は亡きジェフリー・アレン同様、堅気の人間も平然と手をかけるからだ。


(だからこそこいつは、ジェフリーみてーな異常者も飼っていたんだろうがな)

 ロッドはそう理解する。


 ノック無しに扉が開く。現れたのはコルネリス・ヴァンダムだ。


「出番だ」


 ヴァンダムが三人を見渡し、端的に告げる。己の失態の末に出番だということを、恥じている様子は微塵も無い。苦々しく思っている雰囲気も見せない。いつも通りのヴァンダムだ。


「今回は海チワワだけに血を流してもらうのではない。優秀な兵士達をこの国で見つけたのでね。彼等と連携して戦ってくれ」

「冗談じゃねーよ。そんな話は御免だ。俺達は俺達だけで戦う」


 ヴァンダムの指示をあっさりと拒絶するワーナー。


「君ではなく、テレンスの方に来てもらいたかったね」


 ワーナーに視線を向け、ヴァンダムが嫌味を口にする。

 ヴァンダムが口にしたテレンスとは、海チワワの副頭目にあたる人物だ。こちらはリーダーとして極めて優秀で、部下や幹部達からの人望も厚い。戦闘力の高さも、疑いようがなく海チワワ最強であり、海チワワを牽引している人物であることも疑いようが無い。


「拒否するなら連携は諦めるが、間違っても彼等を傷つけるような真似はよしたまえよ。それから民間人を傷つける事もだ」


 ワーナーを睨みつけ、ヴァンダムは念押しする。ワーナーは露骨にそっぽを向いて、鼻を鳴らす。


 今までにワーナーは幾度も堅気の人間を殺傷している。テロリストであるから当然ではあるが、ワーナーのこの行いがあるからこそ、グリムペニスは海チワワとの関係を表立っては否定せざるをえない。


(テレンスがボスになってくれればな。海チワワをテロリストという鎖から解放してくれるだろうに)


 幾度となく、ヴァンダムはそう思う。この場にはいない副頭目に、ヴァンダムは期待していた。

 ヴァンダムからすればこの問題は、ワーナー以外がボスを務めてくれれば解決する話であり、例え自分以外がグリムペニスのトップになったとしても、ポール・ワーナーという問題児が海チワワのボスでいる限りは、ぎくしゃくは続くと見なしている。


***


 グリムペニス日本支部の学生メンバー二十名は、グリムペニス日本支部のビルの中の、地下広間へと集められていた。初めて入った場所だ。彼等の前には、ヴァンダムと勝浦の二人がいる。

 彼等は全員緊張の面持ちだった。これからどうなるか、その運命もすでに告げられている。


(どんどんおかしな世界へと入っていく気がする)


 清次郎は思う。本当は逃げ出したい。グリムペニスの思想なんてどうでもいい。何となくつられて入ったようなものだ。死にたく無いし、戦いなんて御免だ。


 しかしどうしてもここで逃げてはいけない気がする。


 何人も殺された。ただデモをしただけで、相手を虫けらのように躊躇無く殺すような奴がこの世にいる。そんな悪党が、おぞましい人体実験を今後も続けていく。人を殺しまくる。それを警察は止めてもくれない。それを放っておいていいのか?

 単純で純粋な正義感の方が、清次郎の恐怖や日常へ回帰したいと願う心より勝っていた。ただそれだけの話だ。

 ここにいる皆もまた、同じ気持ちなのだろう。確かに存在する悪を放ってはおけないとして、戦おうとしている。仇を討つため、悪を見逃さないため、桃子も善太も戦おうとしている。それなのに自分だけ逃げるなどできない。


(ああ、皆そう思っているのだ。全員な。そう、これは一種の集団心理だ)


 ヴァンダムはここに残っている学生メンバー達の心情をよく理解していた。見抜いていた。


(金を儲けるのも、支持者を得るのも、簡単な方法がある。憎むべき、争うべき敵を作ることだ。対立構造を作る事だ。二極化、陣営化の構図にもっていくことだ。対立を煽り、人を操り、利用するための基本。宗教、イデオロギー、国家――これらは対立のためにあると言ってよい。人類の歴史では、大昔からずっと行われていることだが、人の姿をした羊達はいつまで経っても理解しない。進化しない。容易く乗せられて踊らされる。そのうえで、自分達が踊らされている事実にさえ気が付かない。自分の意志で行っているものと思い込み、酔いしれる。満足する。うむ。これでいい)


 そうやって彼等を争わせる事により、常に得をしている者が存在する。それは政治家であったり物書きであったりマスコミであったりする。彼等が商売や票集めをするためには、なるべくイデオロギーの二極化や陣営の振り分けをした方が、都合が良い。


(しかし実際には世の中そんなに単純にできていないし、普通の人間はどちらかに属して染まりきるということもないし、思考停止して盲目的に信奉する事も無い。全力で踊らされているのは実は一部の最底辺の人間だ)


 そうヴァンダムは結論づける。


(偏った思想にかぶれて、陣営に与する事で、ごく一部の人間を潤すために都合よく利用されていようと、本人は気付かずに満足しているから、それでいいのだ。それで世の中はきちんと成り立っているのだ)


 グリムペニスが環境保護を訴えつつ、人類の科学文明の発展を停滞させた事も、一部の国の食料自給率を下げようとしていることも、正にそうだ。環境保護、動物保護という善意をかき集め、その実組織の上層部が行っていることは金儲けと権力の保持である。


(善意とは、他者を攻撃しても心が痛まない矛であり、所持者の信念を疑念から守る盾である。何の取り得も無い、能も無い、善意だけは腐るほどある社会の底辺階級の者達でも、数さえ集まればれっきとしたパワーになる。天使になれる。あふれんばかりの善意を持ち合わせ、猿の一歩手前程度の脳みそしか持ち合わせていない彼等に、しかるべき使命と充足感を与えるのが、羊飼いたるこの私の役割なのだ)


 彼等は大昔からずっと操られ続けてきた。飼われ続けて来た。羊飼いと、人の姿をした羊達。永遠に変わる事の無い構図。


「君達はこれから人間ではなくなる。だがそれは体だけだ」


 元から人間だとは思わずに、羊と見なしていたヴァンダムなので、この台詞はおかしいと、喋っていながら自分で思った。


「案ずるな。臆するな。例え体が人のそれではなくなっても、魂が高潔なる人のそれを保てば、それは人である。君達が例え悪魔の力を手に入れたと人々が罵ろうとも、私は君達が正義の使途であることは疑いようがないと信じる」


 鼓舞しながら、ヴァンダムは勝浦に目配せする。勝浦は青ざめた顔で、手にしていたアタッシュケースを開いた。


 勝浦がケースの中から、蓋のされた試験管を取り出す。

 清次郎も善太も桃子も他のメンバーも、試験管の中に入っている液体を見て、緊張の度合いが増した。あの中にある物が、もうすぐ自分達の体内へと入れられる。そして、自分達は人では無くなる。

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