第十九章 10

 安楽市を訪れたバイパーは、ホテルに泊まることはせず、知り合いの家に滞在していた。


「デカイ体がこの狭い家の中にあると、どうにも落ち着かないね」


 2DKのアパートに寝転がる褐色長身のバイパーを見下ろし、部屋の借主がからかう。


「うなるほど金持ってるんだろう? 何でもっと広い家に住まねーんだ」


 自分とは全く対照的に、細身の体にヨレヨレのワイシャツを着たひ弱そうな外見の男に向かって、バイパーが尋ねた。


「広い家はもっと落ち着かない。執筆もいつもトイレでしてたしな。狭い場所は落ち着く。ていうかね、無駄に広い場所に住むってのが、何となく俺にはみっともなく感じられるんだ」


 現在断筆中の脳減賞作家犬飼一はそう答えた。


「わからねー価値観だな」

「贅沢をするのは俗物っていう先入観があるのかもな。金を得たから、いい服着て、旦那の経済力目当ての見てくれだけはいい娼婦属性の女と結婚して、デカい家買って、子供は塾付けにして小さい頃から私立に通わせて、大して味もわからないくせに高級レストランで毎晩外食する事がステータスになって……。そういう輩を見ると、うわーこいつパターン通りのつまんねー奴って思えちゃってね」

「その考え方自体、すっげーひねくれてねーか?」

「無いね。生活水準なんて、衣食住が最低限まかなえれば、後はどうでもいい。起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半てね。かといって、清貧を尊ぶわけじゃあない。金ってのはあくまで使うためにある。しかし金の使い方にセンスの無い奴にはなりたくない。どうせ使うなら、もっと面白いことに使うもんだ。例えば悪の組織を作るとかな」


 にやにやと笑いながら犬飼は言う。


(相変わらず変わった奴だ。だからこそみどりとも気が合ったんだろうが)


 犬飼一とは、バイパーが薄幸のメガロドン本部にみどりの護衛をしにいった際、知り合った人物だ。犬飼の方からやたら馴れ馴れしい態度でバイパーに話しかけてきたのだが、実年齢が近いこともあって、わりと簡単に打ち解けた。みどりが生まれた時からの知り合いという事も、バイパーが犬飼に気を許せる要因になった。

 やや電波の入ったおかしな発言をすることも多く、捉え所のない男という印象もある。裏通りに造詣が深いが、犬飼が裏通りにどういう形で絡んでいるのかまでは、バイパーも知らない。聞いたことはあったが、はぐらかされてしまった。


「雪岡純子の所で大騒ぎがあったようだなー。放射性物質撒いたとかで、裏通りじゃあ噂で持ちきりだ。表通りでは全く話題に挙がってないが」


 ディスプレイを見て興味深そうにニヤニヤ笑う犬飼。


「グリムペニスとやりあっているのか」

 それを聞いて、バイパーが反応する。


「お前さんと共通の敵じゃないか。協力してきたらどうだ?」

「はんっ、向こうが嫌がるだろうさ」

「つかさ、そもそも何でバイパーは海チワワ追ってるのよ?」


 犬飼の質問に、バイパーは上体を起こして話す。


「昔からだぜ。奴等は薬仏市で頻繁に活動するし、俺の御主人様がすげー敵視してる。海チワワは以前から、他国のマフィアとドンパチしているし、繋がりも持っている。で、安楽市にも来て、新たな繋がりを得ようとしている。マフィアに関しては、うちの御主人様がえらく嫌ってるからな。安楽市ではあまり見かけないが、薬仏市では奴等がのさばりまくってるし。で、以前チャイニーズマフィアと海チワワが安楽市で取引しようとしたが失敗したんだが、今回またその取引を目論んでいるんじゃないかって事で、俺もこっちへ来たってわけよ」


 みどりに説明して、犬飼にも説明して、もう説明はこれっきりにしてほしいと思うバイパー。


「確証は無いんだろ」


 そう言って犬飼がディスプレイを反転させ、端っこを押して、バイパーの方へと飛ばした。

 開かれているのは裏通りの情報サイトであった。二週間前にバイパーとやりあったキャサリン・クリスタル。その弟というロッド・クリスタル。さらには海チワワのボスの名と顔までもが、そこに映っている。


「海チワワの幹部二人に加え、ボスまでお出ましだ。マフィアと取引にしては、物々しくないか?」

「むー……」


 犬飼の指摘ももっともだと認め、バイパーは唸る。


「雪岡とドンパチするためと見た方が無難じゃないか? あるいは最初はマフィアと取引のつもりが、事情が変わったとかな」


 犬飼の言う可能性の方が高そうであり、それならば手を組んだ方がいいような気もするバイパーであったが、かつて真や純子と対立したことがあるので、どうにも気が重い。


***


 グリムペニス日本支部。いつもの会議室。


 デモ隊を組織する学生主要メンバー達は、一様に暗い面持ちだった。ずっとうなだれっぱなしの者もいる。そしてその数はかなり減っている。


「地下に置き去りにされた連中は、全員急性放射線症候群が発生したそうだ。そして地下に降りた人間は大なり小なり被爆していて、皆集中治療室送りだってよ」

「俺、面会に行ったけど断られた。患者の家族の様子見た感じ、ダメっぽい」

「白血球とかDNAが壊されちゃうんだっけ?」

「白血病や癌にかかったり老化が早まったり、いろいろ載ってる。ていうか自分で調べてみろよ」

「嫌よ、私知りたくない。死にたくもない。もうこんなの嫌……私……やめる」


 女性メンバーの一人が泣きながらふらふらとした足取りでビルの外へと向かう。止めようとする者は誰もいなかった。それどころか、それにつられるようにして、何人もがビルの外へと出ていった。

 さらに数の少なくなった会議室。そこでリーダーである桃子が目を光らす。


「残った人は、それでも活動を続けるって意志なのよね?」


 桃子が念押しするように言う。何人かは力強く頷くが、未だ逡巡している者も少なくないようである。

 わずかではあるが、闘志が潰えたどころか、逆に燃え上がっている者もいた。それを見て、桃子は安心すると同時に、嬉しさを感じ、さらに自らの闘志も燃やしていた。


「何がおかしいって、町のド真ん中で放射能撒いて、それがニュースにもならず新聞にも取り沙汰されないことだよ」


 無数のディスプレイを出した善太が言った。声には怒りと口惜しさが滲んでいる。


「大きな権力が働いて規制されてるってのはわかるけど、俺達が戦おうとしていた相手って、そんなに凄い奴だったのかよ」

「そういう権力を持っているってことか」


 メンバーの内の二名が、気後れした顔つきで言う。


「ネットに報告してもダメだ。罪ッターのアカウントは消されたし」


 と、清次郎。この事実を見ても、実際に大きな力とやらが働いているのは明らかだと感じた。


「匿名掲示板なら書き込んでも消されないぞ。その代わり、思いっきり馬鹿にされまくるけどな。報道されないから、誰も信じやしない」


 善太がうんざりした顔で言ったその時、ノックがした。


「どうぞ……!?」


 桃子他、扉が開いて現れた人物を見て、驚くこととなる。

 会議室に入ってきたのは二人。一人はよく知るフレデリック勝浦。もう一人の白人は、テレビやネットで顔を見たことがあるが、実物を見るのは初めてという者が多かった。


「ヴァンダムだ……。グリペニス会長の、コルネリス・ヴァンダム」


 突然の雲の上の人の登場に、善太が呻く。来日している事は知っていたし、近くに御目見えになるようなことを、勝浦もほのめかしていたが、このタイミングで現れるとは、誰も思っていなかった。


「はじめまして。コルネリス・ヴァンダムだ。まず君達に謝罪がしたい」


 流暢な日本語で切り出すと、ヴァンダムは若手メンバー達に向かって深々と頭を垂れる。


「私は敵の戦力も、戦略も、全て見誤っていた。この事態を招いたのは全て私の責任だ。本当に申し訳ないことをした。言い訳をさせてもらえれば、まさか善良な一般市民に平然と危害を成すような、そこまで邪悪な人物だとは思わなかった。また、それがまかり通ってしまうなど、夢にも思っていなかった」


 神妙な顔つきで、誠意のこもった流暢な日本語で、ヴァンダムは謝罪と釈明を口にする。


「言い訳って言うけど、そんなの誰も予想できませんよ……」

「そうそう、ヴァンダムさんだけの責任じゃない」


 学生メンバー達がフォローするが、ヴァンダムは首を横に振る。


「いや、私の責任であることは事実だ。だからこそ私は、何としてでもあの悪魔を倒す。あの女の恐ろしさの一端を垣間見た君達になら、理解できるだろう。あれが恐るべき人類の敵であり、倒さねばならない存在であることを。そして君達がここに集っているという事を聞き、再確認をしたくて、私は来た」


 力のこもった視線で、ヴァンダムは学生達を見回す。それを見て、学生達は息を呑む。


「あの恐るべき悪魔と、命がけで戦う意志はあるかね?」


 静かに問うヴァンダムであったが、すぐに答える者はいない。

 見かねて桃子が名乗りをあげようとする。そうすることで何人かが賛同し、釣られてさらに名乗りを上げることを期待したが、その前にヴァンダムが話を続けた。


「今の私の心情は複雑だ。学生でしかない君達に、いきなり命がけで戦えなどという話をもちかけている。この時点で異常であることもわかっている。デモをしていたら、放射線で攻撃され、仲間が何人も倒れるという事態にも、普通ならついてこられないだろう。私には、助けが欲しいという気持ちと同時に、君達には私と共に戦うという選択をしてほしくないという気持ちが、同時にある。社会の裏に潜む邪悪など、気付かず、知らぬ振りをして生きていれば、それで安全な生活に戻れるのだ。もちろんその安全も、知らぬ内に、マッドサイエンティストに脅かされる事になるやもしれぬが」


 最早沈鬱な面持ちになって、しかし口調と視線だけは力強いまま語り続けるヴァンダムに、学生メンバー達はすっかり真剣な面持ちで聞き入っている。


「善良な人々を守るため、地球環境を守るため、地球上の全ての生物が人間の振りをした悪魔によって脅かされないため、私は戦い続ける。私と共に戦う者は、命の保障もできないし、まともな暮らしも、普通の幸福も手に入れられないかもしれない。そんな領域へ誘いをかけている。断って欲しい。しかし仲間も欲しい。実に複雑だ。だが選択権は君達にある。もちろん今決めなくてもいい」

「俺はやる。ここで怖いからやめますと引き下がったんじゃあ、今病院で苦しんでいる仲間達に申し訳が立たないし、あまりにも無念じゃないか」


 タイミングを見計らって、善太が名乗りをあげる。


「ここにいる人は、もうその覚悟ってことよね? そうでなければ、今すぐ出ていってほしい」


 桃子が会議室を見渡してそう告げたが、出て行く者はいなかった。皆覚悟を決めた表情で、桃子を見返した。


(丁度二十人か……。減ったな。いや、見方によっては結構残ったとも言えるのかな)


 清次郎は思う。そして自分もその中に残ったのは不思議だった。


(死んでも逃げたくないって気持ちが、確かにある。うまくヴァンダムにのせられたのかな? でも、のせられたとしても、この気持ちがあることだけは事実だ)


 事実だという一言で締めくくり、清次郎は思考放棄し、感情だけに委ねた。


「で、私達は何をすればいいの?」

 桃子が問う。


「ペンでは勝てない。ならば剣を持つしかない。平和的には済ますことは出来ない」


 ここでヴァンダムは、嘘をついた。


「君達には、人であることすら捨ててもらう。悪魔を討つには、自らも悪魔に魂を売るしかない」


 その言葉が発せられた時、ヴァンダムの傍らにて無言で控えていた勝浦は、一瞬、ヴァンダムの体から角と尻尾と羽根が生えたかのような錯覚を覚えた。

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