第十九章 9

 街中で放射性物質が明確な殺意の元に使用され、十数人もの被爆者を出すという、恐るべき事態が起こったにも関わらず、マスコミは全く報道しない。

 ネットでは噂にあがっているが、すぐに火消しが現れ、一方的に笑いものにされている。


 ヴァンダムとしては、雪岡純子がデモ隊に危害を加えてくることは予想していた。それを織り込んだうえで、デモ隊を差し向けたのだ。

 無辜の市民が危害を加えられた事で(理想としては死人を出すことで)、危険なマッドサイエンティストの存在を表舞台にも明るみにしようと企んだ。そのための根回しも、予め行っておいた。テレビでも新聞でも雑誌でもネットでも、雪岡純子という悪を白日の下に晒し、社会的に追い込む構図を実現させるつもりだった。世論が沸き立てば、動かない警察も動かざるを得ない。日本という国の倫理と正義と法の鎖によって、始末しようと企んでいた。


 だが――街中で放射性物質をバラ撒くという、ヴァンダムの想像の斜め下すぎる恐ろしい行為を実行したにも関わらず、雪岡純子の存在は徹底的に隠匿されているうえに、グリムペニスのデモ隊が被爆するという事態さえも、一切報道されないという、不可思議な事態。


 予めヴァンダムが根回しをしていた各メディア関係者に問いただしても、口を揃えて、上からの圧力があったという反応。

 日本が臭いものに蓋をする文化なのはヴァンダムとて知っていたが、これはいくらなんでも度が過ぎている。不可解すぎる。デモの矛先を向けられたからといって、放射線を用いて殺害するような人物の存在を隠匿するなど、正気の沙汰ではない。そんな危険人物こそ、全力で排除すべきではないかと。


「この国は法治国家では無かったのですか? そこまでして雪岡純子を守る必要があるのですか?」


 納得のいかないヴァンダムは、電話でその疑問をある人物にぶつけていた。


『別に雪岡を守っているわけではありません。雪岡から国民を守るためです』


 防衛事務次官の朱堂春道は、電話の向こうで事務的な声でそう述べた。


『ミスター・ヴァンダム。貴方は過ぎたる命を持つ者が如何なる存在か、御存知ではないようですね』


 事務的な喋り方ではあるが、どことなくうんざりした響きも時折交えながら、朱堂は語りだす。


『彼等は少なくとも三桁の年月を生き続けている、我の塊のような者達です。保身のためなら、他人の命などどれだけ散っても構わないとする者達ですよ。国一つ滅ぼしかねない行為も、躊躇いなく行います。有史以来、過ぎたる命を持つ者が我を通した結果、国家や民族が消滅したケースも、多々あります』


 現実主義者のヴァンダムには受け入れがたい話であったが、朱堂は脅しをかけるわけでもなく、世界の歴史の裏側の事情を知る者として、大真面目に話しているのも理解できた。

 実の所、朱堂春道が人類の影の歴史に造詣が深くなったのは、ここ最近の話だ。宗教団体『薄幸のメガロドン』の集団多発テロに対し、この国を陰から守護する実力者達が全く動いてくれなかった事に釈然とせず、独力で調べあげたのである。


『今回貴方が触れてしまった雪岡純子ですが――デモ隊に向かって放射性物質を用いたのは、彼女なりに気遣った、お優しい警告だと、我々は受けとめています。仮に雪岡純子を表舞台に引きずり出し、民意の正義という刃を彼女に向けたとして、それにどう対応するか、彼女はあれで示したのですよ。今回は幸運にも、たかだか十数名の被爆者を出した程度に留まりました。彼女は警告のつもりで加減をしてくれました。しかしこれ以上刺激すればどうなりますかね? 今度の被爆者の数は桁違いになることが、容易に想像できます。民意が敵に回ったとなれば、彼女は民意――国民に対しても、迷うことなく牙を剥くでしょう。実際それは証明されましたよね?』

「なるほど……その警告……意思表示ですか」


 そこでようやくヴァンダムも理解した。マスコミが抑えられている理由は、あのマッドサイエンティストの名が知られる事で、国民の敵意が彼女へと向けられる事を避けるためだ。あの悪魔から国民を守るためだ。先程の言葉の意味も理解できた。


『雪岡純子とドンパチするのは勝手ですがね。もう少し上手にやってください。これ以上我々の手を煩わせないようにね。もし似たような事態が再び起こるのであれば、貴方が根回ししていた連中も、今度は貴方を潰す側に回りますよ?』


 そもそも根回しには誰も応じてくれなかったが、自分の思惑通りに事が進めば、掌を返して協力してくれるであろうと見なしていたヴァンダムである。そしてその思惑も外れた。


「一つ、興味本位で伺ってよろしいですかな?」

『どうぞ』

「雪岡が本気で日本でゴジラよろしく暴れたら、そのまま日本を破壊できますか?」

『……私個人の見識では、やり方次第であるとも思いますが、もしも彼女にその意志があると見て、我が国の国防の要たる者達が全力で阻止に向かえば、不可能であると思います。ただし、相当な犠牲を払うでしょう』


 それだけ聞けば十分だと、ヴァンダムはほくそ笑む。


「長々と手間を取らせてしまい、申し訳ない。では」

 軽く礼を言い、一方的に電話を切る。


(額面通りに受けとめてはいけないな。ミスター朱堂は大袈裟に喋っている。そして私を動かせないようにしているだけだ)


 顎に手をあてて、ヴァンダムは考えを巡らす。


「ペンは剣に勝てず。やはり暴力には暴力しかないということか?」


 しばらくして虚空を見上げ、問いかけるヴァンダム。


「否(ノー)。それに、彼等が全く使えないというわけではない。まだ使い道はある」


 ヴァンダムの頭の中では、すでに次のプランが思い浮かんでいた。


***


 雪岡研究所のリビングルーム、純子、真、累、蔵、みどりといういつもの面々。せつなは別の部屋にいる。


「というわけで、国家を裏から操るすごく偉くて怖い人達が頑張って圧力かけまくってくれたおかげで、私は危機を免れた、と」


 少しほっとしたような顔で語る純子。先程までいろんな人物と電話をし、謝罪しっぱなしであった。


「その国家を裏から操る怖い連中は、君の暴走を怖がって必死に隠蔽してくれたわけだろう。君の方がずっと怖い存在と言えるな」


 皆の茶を入れ終えた蔵が、盆の上のティーカップをテーブルに並べながら言う。


「んー、でも裏通り中枢からも、日本を管理支配しているオーバーライフの人達からも、物凄く怒られまくっちゃったし、私も神経使いまくって謝りまくったから、ノーダメージってわけじゃないんだけどなあ、これでも。ていうかさ、あんなに怒らなくてもいいのにねえ……。ちょっと放射線撒いただけだってのにさあ。日本じゃよくあることなのに」


 ひどく不穏な発言をする純子に、みどりと蔵が揃って怖そうに苦笑いを浮かべる。


「やはり噂通り、国家の陰の支配者層は存在していたわけか。政治屋が国を動かしているわけではなく」


 蔵が唸る。武器製造密輸組織を運営している際、その噂は何度も耳にしていた。


「どんな噂?」

「民主主義国家は大抵、民主政治を隠れ蓑にして、陰で本当の支配者達が、国を自分達の都合のいいように、好き勝手に支配しているという話だ」


 真に尋ねられ、蔵が答えた。


「歴史ある大きな国には皆いると思うよー。一つの国に複数の支配者がいることもあれば、一人の支配者や一族が、複数の国を支配下に置いている事もあるけどねえ。でも蔵さんが聞いた噂は半分不正解かなあ」

 と、純子。


「陰の支配者って言い方すると、いかにも悪いイメージだけど、実際にはそんな悪い人達でもないよー。多くは国や民のことを真剣に考えている人達だし、政治家や官僚を完全に操り人形にしているわけでもなくて、ちゃんと仕事を任せているからね。戦争も含めて、失敗もさせたうえで、民を成長させようという目論見かなあ。ただ、真剣にどうしょうもない事態に直面したら、彼等は支配権を握って動き出すけどさあ」


 純子の話を聞き、シスターを思い出す真。あれも人類の歴史に跨って存在し続ける支配者層の一人だと聞いたが、確かに悪そうな支配者のイメージは全く感じられなかった。


「なるほど、普段はちゃんと民主政治が行われているわけか。支配者の掌の上で」

 やや皮肉気味に蔵が言う。


「そういうことだねー。でも、その状態がそれほど悪い事だとは、私は思わないな。歪な状態で真の自由は無いかもしれないけど、それで誰が困るわけでもないんだしさ。漫画やゲームなら、問答無用でラスボス級かその一つ手前の悪役に位置しそうな存在にされてるイメージだし、仮にフィクションで実は陰の支配者達はいい人とかいうオチだと、読者が納得しなくてしまらないかもだけど。何百年、何千年と、支配者やっている人達って、あまりに長いこと支配者し続けたせいで、人々を温かく見守る感覚になっちゃってるみたいだよ」

「君臨すれども統治せずか~」


 純子の長広舌の区切りを見計らい、みどりが発言する。


「それはそうと……グリムペニスは次に何をしてくるでしょうか?」


 累も区切りのタイミングを見計らって、話題を変える発言をする。


「会った事は無いけど、向こうのボスの性格を考えると、海チワワの力を用いて暴力に方向転換しつつ、せっかく火をつけたグリムペニス日本支部の子達も利用してくるって感じじゃないかなあ。私があっちのボスの立場でも、そうするだろうけど」


 純子にしてみれば、その予想が最も対処しやすいし、実験台も増えてくれるので、嬉しい展開でもある。


「諦めて撤退という選択は無いわけか」

「まだその選択は早い段階だと思うんだよねえ。向こうにも意地があるだろうしさあ」

「なるほど。でもコルネリス・ヴァンダムという男は徹底した合理主義者で、勝ち目の無い戦いはしない男だと聞いたから、未だ勝機があると踏んでいるのか」

「というより、暴力はぶつけてみないとわからない面が強いからねえ。やる前から戦力差がわかっていたら、やらないんじゃない?」


 真と純子が喋りあう一方、みどりはとあることを思い出していた。


(そう言えばバイパーが、海チワワの幹部を追って、安楽市に来てたってけかなァ~)


 うまくすればバイパーと雪岡研究所勢で共闘できるのではないかと、みどりは考える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る