第十九章 8

 時は遡り、勝浦がヴァンダムに報告する数十分前、デモ隊がパニックを起こして一目散に逃げていった直後の雪岡研究所。


「一体何をやって追い払ったんだ? レッドトーメンターではないようだが」


 研究所の入り口前で倒れている十数人のデモ隊を見て、蔵が尋ねる。

 レッドトーメンターとは、純子が作ったユニークウイルスであり、デモや暴徒の鎮圧などに用いられる。感染すると体中に赤い湿疹ができ、激しいかゆみを伴い、ほぼ行動不能になるが、すぐに回復し、後遺症も出ないという代物だ。


「いやー、それだとまた来るだろうから、ちょっと放射性物質置いてみただけだよ」


 にこにこ笑いながら答える純子に、蔵とせつなとみどりが一斉に吹き、累もぽかんと口を開ける。


「いいのか……そんなことして……。というか、我々も危なくないか?」


 引きつった表情になる蔵。


「マウスは全員、放射線に強い耐性があるように改造してあるから大丈夫だよー。オーバーライフも核戦争対策に同じことしてるし、真君もこっそり改造済み。何しろこの研究所、頻繁に放射線漏れ事故起こすから」

「カンドービルにまで漏れたらどうするんだ?」


 真が呆れきった様子で問う。


「それは絶対大丈夫。この地下研究所は核戦争にも耐えられる設計で作られているし、外に漏れるってことはないよ。さて、研究所前に転がっている被爆者の子達は、蔵さん、青ニート君、二人で外に放り出すの、お願―い」


 リビングの入り口に待機していた、頭頂から双葉が生え、全身に血管が浮きあがり、青白いつるんとした肌の怪人が、純子の言葉に応じて、嬉しそうに体をくねくねと動かす。

 彼は元々ニートだったが、生きる気力を失くして自殺目当てで雪岡研究所に来たため、命令を受けて働くたびに、頭の中に快楽物質が出まくるように改造された男だ。以後、ずっと雪岡研究所で肉体労働をこなしている。


「おっと、入り口と被爆者の放射能除去もしないと。被爆者をビルの外に放り出すのはその後がいいね。被爆者からも放射線が出て、さらに被爆とかする可能性もあるし」


 言いつつ純子はリビングから出て、別の部屋にある放射線除去の能力を有した有機装置を取りに行く。


「僕も一応手伝う。あの人数を二人では大変だろう」

 真が蔵を見上げて名乗り出る。


「オッケイ、みどりもー……と言いたいけど、力仕事は向かないから、戻ってきたら皆の肩揉みでもするかねえ~」

「僕は……お茶の準備でもしています……」

「せつなはねぎらいの言葉をかける係だネっ!」


 続いて、みどり、累、せつながそれぞれ名乗りを上げた。


***


「仲間を置いてくるとかどういうつもりだよ!」


 善太が血相を変えて怒鳴る。


「じゃあお前が助けに行けばよかっただろ。毒ガス撒かれたんだぞ?」


 先頭グループにいた一人が尻餅をつき、忌々しげに善太を睨む。

 デモに参加していた多くの者は解散し、逃げるように帰宅していたが、主要メンバーだけは残り、近くにあった夜叉踊り神社という名の神社に集まり、暗澹たる面持ちでミーティングを行っていた。


「警察にも言ったし、病院にも連絡したし、警察らがきっと何とかしてくれるだろ」


 同じく先頭グループにいた一人が、やはり地べたに尻餅をつき、妙に赤い顔で気分悪そうに言った。


「大丈夫か? お前」

 善太が心配そうに声をかけた。


「ちょっと熱っぽいだけだ。ひょっとしたら毒ガス吸ったのかもしれないが」

 声をかけられたメンバーが答える。


「お前も病院行った方がいいぞ」

「しかしびっくりしたわね。善良な市民相手に平然と毒ガス撒くなんてさ」


 ぞっとしない気分で、桃子が言う。


「マッドサイエンティストも警察に逮捕されて、これでおしまいかな」


 常識的に考えてわかりそうなことだが、あえて確認するように口にする清次郎。


「そりゃそうだろう。心配なのは毒ガス吸った奴等だ」

「ここにいる奴等も何人か吸ってるしね」


 善太と清次郎が言い合っていると、突如神社の中に、物々しい一団が現れ、グリムペニスのメンバー達はぎょっとする。

 全身白いテラテラ反射している奇妙な材質の服に、すっぽりと身を包んでいる。手も手袋で覆われ、目の部分も厚いゴーグルで覆われ、露出した箇所が全く無い。完全防護服といった感じの集団だ。


「君達! グリムペニスの子達だね!?」

「数が少ないぞ! 他はどうしたんだ!?」


 白防護服集団が声をかけてきた。敵意は無さそうだが、その異様な格好と緊張した声音に、全員戸惑いを覚える。


「パニックを起こさず聞いて欲しい。君達は全員被爆している可能性がある。カンドービルの前に置かれた巨大な箱の中に詰められていた子達は、重度の放射線による被爆が確認された。君達も全員病院へ搬送し、検査する」


 リーダー格の防護服姿の人物の口から発せられた、放射線と被爆という言葉に、パニックこそ起こさなかったが、グリムペニスのメンバー達は、恐怖と衝撃を受けて硬直した。


(毒ガスじゃなくて、放射能を撒かれただって……?)


 自分も被爆しているのではないかという恐怖が、清次郎の中に沸き起こる。先頭グループにいて戻ってきた者に至っては、間違いなく被爆しているのではないかと思われる。


「嘘だろ……」


 気分が悪いと言ってしゃがみこんでいた男が、泣きそうな顔になっていた。何かの嘘だと、冗談だと思いたい気持ちは皆同じだが、彼は特に動揺し、混乱していた。先頭グループの一人として、地下にまで赴き、同志が側で何人も倒れるのを目の当たりにしている。自分が危険な状態にある事を彼は悟ると同時に、それを受け入れずにいた。

 神社の外に出ると、何十台という数の救急車が詰め掛けている。道路も半ば封鎖されているかのようだ。カンドービルも周囲を封鎖され、防護服の集団が集まり、ガイガーカウンターらしきもので周囲を計測している。


「嘘じゃない……のね……」


 呆然として呻く桃子。正義に酔いしれて、悪者退治の気分でやってきた集団は、一気に悪夢の奈落へと叩き落されていた。


***


「外は凄い騒ぎになってるぞ。これじゃ結局出られん。カンドービルも封鎖されてるし」

「デモの方がまだマシだったんじゃないか?」


 みどりの精神分裂体によって送られた映像を見ながら、蔵と真は呆れ果てていた。ビルの前では何十人もの物々しい防護服の集団が集まって、放射線の測定をしている。

 すでに研究所前の片付けは終わっている。被爆して倒れていた学生達及び周辺の放射線は、怪しい有機装置によって除去され、グリムペニスの学生達は箱詰めにして、ビルの外へと放りだされた。


 彼等の放射線によって破壊された、骨髄内の造血幹細胞、小腸内の幹細胞等を再生処置はしていない。そのまま非情に放り出してきた状態だ。彼等がその後どうなるかは、想像に難くない。

 骨髄内の白血球や血小板を作れなくなるが故、細菌への免疫はほぼ無くなる。小腸は吸収機能が低下し、止まらない下痢や細菌感染へと繋がる。さらに大量の放射線を浴びていたとすれば、神経細胞も破壊され、生存期間は劇的に縮まる。


「私達は本当に平気なのか?」


 蔵が怖そうに尋ねる。青ニートは堂々と放射性物質の塊を持ってきたし、蔵と真も大量の放射線を間近で浴びたはずだ。


「一万グレイでも余裕で耐えられるように、改造してあるって言ってたな。普通の人間は10グレイでまず死ぬらしい」


 真が答えるが、そのグレイという単位が蔵にはそもそもわからない。どの程度の単位が、研究所前では発生していたのかも。

 純子なら詳しく教えてくれるかもしれないが、当の純子は先ほどから、引っ切り無しに電話をしていたので、蔵はネットを開き、自分で検索して調べることにした。


「3グレイから5グレイあたりが半致死線量って言って、骨髄に深刻なダメージを受けて、一ヶ月から二ヶ月で、半分くらいの確率で死ぬ感じだよー。致死線量は7グレイから10グレイくらいだね。あの子達は多分10グレイ以上浴びてるから、消化器官にもダメージ受けて、死に至るのは十日から二十日って所。無菌室で延命治療をすればもっと長生きできるけど、無駄に苦しませて延命するって形になるよ、きっと」


 電話を押さえて、純子がごくいつもの喋り方で蔵に教えた。


「即死するには何グレイなのー?」

 せつなが好奇心いっぱいに尋ねる。


「数百から1000グレイかなあ」

 せつなに答えてから、電話に戻る純子。


「すまんこ。だからすまんこ。本当にすまんこ。ついノリでやっちゃってすまんこ。大きな貸し一つってことでうまいこと後始末お願―い。うん、すまんこ」


 電話でしきりに謝り続けている純子だが、そこに誠意は欠片も見当たらない。


「誰から電話?」

「『中枢』の最高幹部――『悦楽の十三階段』の人だよー」


 電話を切った後、みどりに問われ、純子は答える。


「グリペニスのデモ隊をさあ、あんな方法で何人も病院送りにしたこと、すっごく怒られちゃった。あははは」


 無邪気に笑う純子。


「笑い事ではすまないだろう。裏通りのサイトではすでに噂でもちきりだ。不思議とテレビで報道はされていないようだが」


 蔵は顔の前に複数のディスプレイを出して言う


「そりゃあねえ、町のど真ん中で人為的な被爆があったと知られれば、下手すると国中パニックになりかねないから、必死でマスコミ抑えてくれているらしいよー。それでも報道しようとした人のいる新聞社や出版社は、見せしめに役員半分の家族まとめて皆殺しとかするだろうし、裏通りがNG出した事に、報道機関が盾突くとか、まずないでしょー」


 純子はこの時少し嘘をついた。マスコミを抑えている本当の理由は、パニックを防ぐためではない。

 そもそも放射線漏れや被爆の事故程度で、この国の国民が深刻なパニックになどなるはずがない。その程度なら報道しても何の問題も無い。実際過去にその手の事件はあったし、報道もされているし、パニックなど起きていない。その本当の理由が何であるか、純子は知っている。


「確かグリムペニスの人達、原子力の使用にも反対してたよねえ。それなのに、放射線被爆者ってことで治療されると同時に、貴重な研究データとして科学の礎に命を差し出すことになるなんて、皮肉だよねえ。可哀想に」


 言葉とは裏腹に全く同情の欠片も無い様子で、機嫌良さそうににこにこと笑っている純子である。


「とはいえ、ちょっと予定が狂っちゃったなー。あっちを徹底的に悪者にするためのプランがあったのにさあ」


 純子はグリムペニスとのケリをつけるプランを、漠然とではあるが思い描いていた。単にボスや幹部殺しておしまいではなく、グリムペニスの悪行を世界中に知らしめて、二度と立ち直れないようにしたい。科学の発展イコール悪という価値観が間違ったものであり、その思想を世界中に流布させたのは、単にグリムペニスの権益のためだけだったと、証拠をあげたうえで知らしめたい。

 そこに至るまでのシナリオはまだぼんやりとしか考えていないが、勢いだけで今の手を使ったことで、こちらの手の内の一つをさらけ出してしまった事は確かだ。


(裏通りの何たるか――オーバーライフの性質が如何なるものであるか、知られない方がやりやすかったんだけどねえ)


 だが敵のボスは、これで重要な知識を得る事になる。それを純子は見越していた。

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