第十九章 7
グリムペニス日本支部ビル。
グリムペニス会長コルネリス・ヴァンダムと、グリムペニス日本支部支部長のフレデリック勝浦の両名も、安楽市絶好町繁華街のビルの様子を、グリムペニスの社用人工衛星の中継映像で観覧していた。
「ふむ、向こうは真っ最中だな。間に合ったか」
「間に合った?」
ヴァンダムの言葉を訝る勝浦。
「根回しが忙しかったが、準備は整った」
「根回し?」
ヴァンダムの言葉をさらに訝る勝浦。
「世界中の、雪岡純子を敵視する勢力に片っ端から声をかけた。彼女を滅ぼす絶好の機会を作るから、よかったら協力しろと」
そう言ってヴァンダムは大きく方をすくめて、手を広げてみせる。
「色よい返事は一つも返ってこなかったがな。当然だ。例えグリムペニスという巨大組織であろうと、そう簡単には彼女を滅ぼせるとは思えないのであろう。だが、プランは伝えてあるし、彼等も様子見し、うまくいきそうなら話に乗ってくるだろう。世界を操るフィクサーと言っても、そういう現金な連中だよ。まあ、私も人のことは言えんがね」
「何のことだかさっぱり……」
「言っただろう。表の世界に引きずり出して、社会的制裁を与えると」
この男は一から十まで全て語らなくては、こちらの考えている事が通じないのかと、勝浦に対して呆れるヴァンダム。
「彼女が例え何もしなくても、引きずりだす。まあ、何もしないという事は、彼女の性格を考えれば有りえんがね」
(やはり……何か危険なことが起こると予期しているのか? それをわかったうえで、彼等を差し向けたのか?)
ヴァンダムに鈍いと思われた勝浦でも、そのくらいは察しがつく。
(例えば雪岡純子が暴力的手段に訴えて、それをあげつらって非難し、社会的制裁措置を取ると……。それではまるで彼等は生贄だ!)
勝浦はヴァンダムに対し、強烈な反感を抱く。
(しかし今ここで彼等に連絡して、すぐ辞めさせる事もできんだろう。しかも隣にヴァンダムがいる状況で……。下手をすれば、私の立場どころか、命も危うい)
己の命と天秤にかけることで、勝浦の正義感も怒りも急速にしぼむ。
***
カンドービル内外共に、デモ隊の動きはほぼ止まっていた。
変わった事と言えば、地下に有る雪岡研究所の前まで行った先頭集団が、シュプレヒコールを始めた事くらいだが、ビル一階で詰まっている者達も、外でカンドービルを取り囲んでいるだけの者達も、それがわからない。
「おいおい、どうなってるんだ?」
「何か事故でもあったの?」
「何で止まったまま動かないの? いつになったら俺達、マッドサイエンティストの研究所まで行けるのさ」
「もしかして、そんなもの無かったんじゃない? だからグリムペニスの正規メンバーが焦っているとか」
全く動きが無いのに不審や不満を抱いたデモ隊が、口々に喋りだす。
『先頭は何をしているのかしら?』
桃子からメールが回ってくる。
『叫んでますよ。でも中からマッドサイエンティストとやらが出てくる様子は無し』
先頭集団の中にいる主要メンバーから、メールが回る。
『入り口が狭いから、集団をもてあます結果になってないかな? ビルの中で詰まってる連中は引き上げさせて、外を行進にした方がいいと思う』
善太がそうメールを送る。
『だからさっさと引き上げさせてよ!』
桃子が送った怒りのメールを見て、善太もカッとなる。
『そんなこと出来るならとっくにやってる! こいつら動きやしねーんだよ!』
『わかった……。後ろからビルの外に出るよう促すから、引き続き出るように努力して。出ないと警察に逮捕されるとか脅してもいいから』
善太の怒りのメールを見て、桃子も冷静になって指示を送る。
「逮捕されちゃうよ――とも、すでに言ってるんだよね」
と、清次郎。
「これだけ人数いるから、自分が逮捕されるとも思ってないんじゃないか?」
肩を落とす善太。どこか口調が投げやりだ。
「この状況、誰にどうできるってんだよ。どうにもできないよ」
「皆―っ。バックしてー。警察来てるから逮捕されちゃうよーっ」
どこかではなく、完全に投げやりになる善太を横目に、清次郎はなおも訴え続ける。
***
「マッドサイエティストは非人道的な研究をやめろー!」
『やめろー!』
「地球環境は絶対に私達が守るぞーっ!」
『守るぞー!』
一方、先頭集団はひたすらシュプレヒコールをあげていた。
「何だ?」
研究所の自動ドアの向こうに何者かが現れたのを、入り口手前にいる数人が目撃する。
「何だ? あいつ……」
音頭を取っていた主要メンバーが、叫ぶのをやめる。
研究所内部の通路を歩いてくる、頭から葉っぱの生えた全裸かつ青白い肌の怪人。しかも顔がない。夜に一人で会ったら恐怖そのものであるが、この人数だからその恐怖も無い。しかし異様ではある。その両手には鈍い銀色の円盤状の物体を持っている。
強化ガラスの自動ドアが開き、青白い怪人がデモ隊の前に露わになる。全身に血管が浮いており、とても作り物とは思えない。
(もしかしてマッドサイエンティストに改造された人か?)
デモ隊の何人かが直感で正解へと辿り着く。
怪人はデモ隊の前に手にした円盤状の物を置くと、また研究所の中へと帰ろうとする。
「おい、ちょっと待ってっ」
主要メンバーが声をかけたが、怪人はそのまま研究所の中に戻り、デモ隊に背を向けて奥へと引っ込んだ。
「何だったんだ……。今のは……」
呆然とするデモ隊。
「おい、どうしたの? 叫ぶの止めちゃってるけど」
「いや、誰か出てきたらしいよ」
状況が確認できない後方の集団がざわめく。
「うっ……!?」
「何だ……気分が……」
さらに異変が起こった。最も先頭にいた数名が、突然顔色を変えてばたばたと倒れだしたのである。
「ど、どうしたんだ? あれ……俺も気持ち悪い……」
「熱が……それに吐き気も……」
次々と倒れていくデモ隊メンバー達を見て、まだ無事なメンバーが青ざめる。
「これ、毒ガスか!?」
「そうだよっ! ここにいるとヤバい!」
「逃げろ! 速く皆逃げろ!」
「道開けろォっ! マッドサイエンティストが毒ガスまいたぞーっ!」
「俺を逃げさせろーっ! どけどけどけーっ!」
「倒れた人を運ばないと……」
「そんなの間に合わないよ! 俺らも危ない!」
「逃げろ! つーかどけよ! 邪魔だ! 死ぬだろ!」
「いいから道を開けろ! つーか全員逃げろ! マッドサイエンティストが毒ガスまいたってばよーっ!」
大混乱、大恐慌に陥り、我先にと逃げ出さんとするデモ隊であるが、後方に行くほど状況が把握できておらず、毒ガスだと聞いて状況が理解できても、理解できて人ゴミをかきわけて一斉に逃げようとするので、人ゴミがさらにつっかえる形になる。何人も一斉に転倒するドミノ倒しも起こっている。
***
清次郎と善太は相変わらず後退するよう呼びかけていたが、彼等は動こうとしなかった。
逮捕されると言われても、自分のことではないと思われている。それより周囲が動こうとしないのだから、自分もそれに合わせて、動かない方がいいと、全員判断していた。
この膠着状態は、全く予期せぬ形で破られる事になる。
「道開けろってー!」
「逃げろーっ!」
「下の奴等が出てきてるぞっ」
「お前等どけーっ! 進めないだろーっ!」
無数の叫び声が前方から聞こえてくる。さらには、前方集団が逆流するかのようにこちらへと押し寄せてくる。
「何で皆血相変えて出てくるんだ?」
「痛っ! 何だよ!?」
「ちょっと……どういうことだ?」
「毒ガスだ! マッドサイエンティストが毒ガス撒いて、何人も倒れた!」
「毒ガスらしい! 何人も倒れた!」
「えええー!?」
「うっそー!?」
「本当―っ!?」
「かわ……いや、いいから、早く皆外へ! お前等が止まっていると下の奴等が逃げられない!」
毒ガスという言葉を聞き、そして先頭集団がこちらに殺到してくるのを見て、清次郎と善太ではどうしても動かせなかった集団が、血相を変えて一斉に動き出した。
***
カンドービルでデモ隊のパニックがあってから数十分後。
衛星中継でしばらくはデモ隊の様子を見ていたヴァンダムであったが、カンドービル周辺に集まったデモ隊に特に目立った動きが見受けられないので、さっさと別の仕事を始めていた。やる事は山ほど有る身だ。
「大変です! ヴァンダムさん!」
そこに勝浦がノックもせずにドアを開け、必死の形相で部屋に飛び込んでくる。
それを見てヴァンダムはほくそ笑んだ。自分の予想通りの事が起こったのであろうと確信した。
「どうしたのかね?」
わかっていながらもあえて聞いてみる。
「デモ隊のうち十数名が病院へ運ばれました」
勝浦の報告を聞き、ヴァンダムは再度ほくそ笑む。
(やはりこうなったか。計算通りうまくいってくれた)
雪岡純子がその性格上、暴力的手段で対処するであろうことも、ヴァンダムは見越していた。いや、彼女にそれを行わせるためのデモだった。
例え表通りの住人であろうと、彼女は敵と認識した者には容赦はしないであろうと。しかしそれこそがヴァンダムの狙いだ。これこそヴァンダムの望んだ状況である。
(これで彼女を表舞台に引きずり出し、社会的制裁によって葬ることができよう。善良な市民を大量虐殺したとあれば、警察とて無視できまい。マスコミもきっと報道する。口止めするにも限度というものがある。そのためにあれだけ目立つデモを起こさせたのだ。非協力的だった支配者層も、私に力を貸すはず)
「で、雪岡は何をしたのだ? 毒ガスか? それとも爆発物か?」
思い描いたシナリオ通り順調に進んでいることに満足し、ヴァンダムは勝浦に向かって尋ねる。
「それが……運ばれた者は全員……重度の放射線に被爆しているとのことです」
勝浦の報告を聞き、ヴァンダムは一瞬固まった。
「はあっ!?」
ヴァンダムが上ずった声をあげ、口をあんぐりと開けて唖然とする。
常に冷徹で泰然としているヴァンダムの、こんな間抜けな顔を、勝浦は初めて見た。
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