第十九章 1

 二十一世紀半ばに世界を席巻した、過度の環境保護思想。日本にも当然影響があったが、他国と比べると明らかにその影響と勢力は小さい。一応は他国の顔色を伺い、各方面に規制が設けられはしたものの、その思想自体はほとんど根付いていない。


 そんな日本において 最近ようやく遅まきながらに、環境保護の思想そのものに目が向きつつある。

 もちろん国民の大多数は興味を示さないか、冷めた反応だった。一ヶ月前にグリムペニスによる組織的な誘拐事件があった事も判明し、悪感情を抱く者も少なくない。

 その一方で、週末になると毎週デモが行われているし、書店に行けば環境保護と科学文明否定本が並んでいるし、企業や為政者達の中にもグリムペニスの思想に賛同する者が多い。自然保護党という政党まで発足した程だ。


 主に学生を主体としたメンバーによる動物愛護運動とデモ行進。その火をつけたグリムペニス日本支部支部長フレデリック・勝浦は、自分の仕事を最大限にきちんと果たしたにも関わらず、浮かなかった。


 先ほど、日本支部のビルのエントランスに、学生達の中の主要メンバーが集まってミーティングが行われていた。『環境保護は人類の平和にも繋がる』等と書かれた横断幕をこさえていたのを見て、勝浦は心底げんなりして大きな溜息をついたものだ。何でも混ぜればいいわけではなかろうに、と。


「全員が電気を使わないことで文明から遠ざかり、文明から遠ざかることで環境保護へ繋がるから、電気使うのやめてもいいと思う」


 学生メンバーの一人が、勝浦の前で得意満面にそんな台詞を口にして、周りの学生が拍手をしていたのを目の当たりにして、勝浦は唖然としたものだ。


 彼等はまだ子供だ。体だけは大人だが、頭の中は同年代の青年達と比べても明らかに幼い。純粋であるとも言えるが、その純粋さはタチが悪い。

 最も騙されやすい層を集めてしまった。彼等は自分達の行いを善と信じて疑わず、貴重な青春を怪しい運動に費やしている。そう仕向けた事に、勝浦は胸を痛めていた。


「休日を潰してまでデモを行って、我々の懐を潤してくれる彼等には感謝せねばな」


 勝浦の隣にいる男が、テレビに映るデモの様子を見て、侮蔑と嘲笑を露わにして言い放つ。


「彼等はおそらく子供の頃、よく親の前で駄々をこねる子供だったろう。体だけ成長した今でも、同じようなことをしているのは、愉快だな。いい大人が何万人と揃って、人前で一斉に駄々をこねる。それが万国共通、デモ行進の正体だ。いや、全部がそうとは言わないが」


 流暢な日本語で喋っているのは、スーツ姿の年配の白人であった。肌のたるみや刻まれた皺からすると、歳は五十代過ぎと思われるが、その瞳の輝きと全身から放たれるオーラは、非常にエネルギッシュで明るく若々しい。


「例外は何ですか?」


 勝浦が尋ねる。どんな酷い答えが返ってくるか、興味があった。


「明確に弱者が苦しむような事態になっているケースだな。その場合、私はデモどころかクーデターを起こしてもいいと思うぞ。この世の多数を占める底辺弱者に、苦痛を与えてはいけない。彼等は我々の大事な食い扶持だ。家畜にわざわざ苦痛を与えるなど、正気の沙汰ではない。家畜は愛情を込めて大事に扱うものだ」


 前半部分はまともに思えたが、後半は勝浦の期待に沿った、酷い内容であった。そして同時に納得した。組織内の噂通りの人物であると。


 勝浦の隣にいる男の名は、コルネリス・ヴァンダム。グリムペニスの二代目会長その人である。

 環境保護活動をビジネスにしているだけの冷徹な人間であると、組織内では悪名高い人物であったが、それは会長のヴァンダムに限った話ではなく、組織本部の大幹部は皆そうらしい。

 これまであまり注目されていなかった日本支部の支部長でしかない勝浦は、組織の中枢の事情は噂程度にしか知らなかったが、ヴァンダムと対面し、ほんの少し会話を交わしただけで、噂は真実であったと心より実感できた。


「しかしこの勢いなら日本も変わりそうですね。政治家達の中にも、この波に乗ろうとして、環境保護党を作りましたし」


 世間話程度の気持ちで勝浦が言ったが、ヴァンダムはその言葉を聞いて表情を変える。


「デモ如きで国政が変わるなど、民主主義国家として、あってはならん事だぞ」


 不快な面持ちになってヴァンダムが言う。


「たかだか数万人如きのデモで、ころころと方針を変える政府など、国の内外から一切の信用を失くしてしまうぞ。どれだけ頭の中がお花畑なのだ。その政治屋共は」

「私は国の方針そのものが変わるかと見ていますが」


 吐き捨てるヴァンダムに、勝浦もいささかムキになって言う。


「この国の政府は頼りない部分もあるし、政治屋達の多くは信用に値せぬが、彼等を支えている官僚達や、あるいは表には出ぬ裏の権力者達は比較的まともなようであるから、そのような愚考や愚断はしないだろうよ」


 ぴしゃりと切り捨てるヴァンダムであるが、勝浦は彼の言い分に矛盾を覚える。


「では何で彼等に、デモや該当演説をするよう仕向けているのですか?」


 かつてグリムペニスには、日本政府に圧力をかけられるほどの力があった。


 環境保護ブームが日本にも押し寄せてきて、環境保護運動に熱中する毎週末万単位の人数でデモを行う昨今、票を取るのに環境保護や動物保護を口にしない手はない。そのためにはグリペニスに従うか、従わずとも懇意にしておくのが有効と判断したのである。

 グリムペニスは各国でロビー活動を盛んに行い、各国政府への影響力を強めていった結果、どこの国も、政治家達が環境保護をお題目に票取りをしている。

 他国より遅れてではあるが、日本でも同じ事を始めて、瞬く間にグリムペニスの影響力は強まった。


 しかしアンジェリーナ・ハリスのホエールウォッチツアーにおいて、多数の日本人が誘拐拘束されていた事が明るみになって、政府への干渉は難しくなった。腐っても民主主義国家である。国民の反感を買ってなお、政治家達がグリムペニスと繋がるのは難しい。

 事件は行方不明のアンジェリーナ・ハリス一人に責任を押し付け、彼女が異常性癖の持ち主だったというだけで、グリムペニスは一切関係無いとして逃げきることができたが、組織のイメージダウンはあったし、何より懇意にしていた政治家や政府高官達の大半が一斉にそっぽを向き、日本国政府との関係性が極めて薄まってしまった。


 そのドリームポーパス号の事件で、一度は失いかけた国家中枢への影響力をまた取り戻そうとしているのに、他ならぬヴァンダムがそれを否定しているのは、意味がわからない。


「ただの宣伝活動に決まっている。賛同者は少しでも多くいた方がいい。君の言うとおり、政治屋の中に利用者が増えるのも都合がいい。もっとはっきり言えば、一から出直しという奴だ。一度信用を失ってしまったが故、一からどころかマイナスからの再出発とも言えるがな。政策に影響を及ぼす段階へと移行するのは、グリムペニスが日本国民の信用を取り戻した後だ」


 どこまで本気かかわらないヴァンダムであったが、彼の主張することは一応勝浦にも伝わった。デモ活動はあくまで最初のステップに過ぎず、本命はその後のロビー活動にあると。


「それとな、彼等グリムペニスの若き闘士達に、一体感や充足感を与えるためだ。こう見えて、私とて会員の気を遣っているのだよ」


 こう見えてという言葉に、勝浦は吹き出しそうになった。どうやらヴァンダム自身、組織内での己の悪評は知っているらしい。日本支部には浸透していないが、それも時間の問題ではないかと思える。


「彼等は時間を割いてデモに参加するだけでなく、多額の寄付金も落としてくれていますからね」


 若干皮肉を込めた口調で、勝浦が言う。その皮肉は、学生メンバー達に向けて放たれたものではない。ヴァンダムに向けたものだ。


「正義の運動とは、産業なのだ。大人ならそれをちゃんと見抜いてしかるべきだぞ」


 ヴァンダムが笑みを張り付かせたまま、冷めた口調で断言する。


「その運動を真面目に行っている者達は大人ではないと?」


 苛立ちを覚え、勝浦が反感を露わにして問う。勝浦自身、彼等を大人と見なすことはできなかったが、それをわかっていて利用している事に心を痛めている。しかしヴァンダムは痛痒にも感じていなさそうだ。


「当然違う。さっきも言ったろう? 体だけは大きくなって、頭の中は子供のままだ。その大きな子供達を、真の意味で社会に役立てようとしているのが、我々のしている事だ。我々支配者階級の糧とする形でな」


 傲然と言い切るヴァンダムに、勝浦は怒りを通り越して寒気のようなものを感じていた。


「だが我々はただ一方的に彼等を食い物にしているわけでもないぞ」


 勝浦がデモに興じている会員寄りの心情なのを見抜いて、フォローも入れるヴァンダム。一方で、こんなことをわざわざ説明しないとわからない時点で、この男は無能だと判断していた。


「彼等を支持する政治屋達は、票を取れる。彼等の味方面している、評論家思想家運動家といった肩書きを持つライター達は、本が売れる。彼等を取り上げるテレビ局は、ニュースのネタにもできる。彼等を取り上げる新聞社は彼等に新聞が売れるし、広告で収入も入る。彼等の一部は、経費という形で支援金をちょろまかせる。何より彼等は運動しているという満足感や達成感を得られる。彼等の中に異性目当てに運動に参加する者は、運良く運命の伴侶を見つけられるかもしれない。どうだ? 大勢の人間が幸せになれるだろう?」


 ヴァンダムはこれで大真面目にフォローのつもりであったが、勝浦からすれば余計に呆れるばかりだ。


「また、彼等の中からも著名人が生まれるかもしれない。そうなれば、その者は勝ち組と言えよう。他の何者にもなれなかった者も、自分達の中から生まれた少数の勝ち組を英雄と崇め、称え、喜んで食い物にされるはずだ」

「正直、彼等に運動をやめさせたい気分です」


 やりきれない気分になり、勝浦は思わず本音を口にしてしまう。


「どうやって? 利用されているだけだと、説得でもするのか? もう彼等はすでに正義の闘士になっているのだぞ? 頭の出来はよろしくないが、プライドだけは人一倍高い無能に、何を諭しても認めはしないよ。自分達の考え以外は全て間違いだと断じて、そこで思考停止。彼等はきっと一生あのままだ。そして喜んで我々に生き血を捧げる人生だ。それで彼等は幸せなんだ。私は彼らに対して引け目など一切感じないぞ。正直、侮蔑の念は多少あるがな。それ以上にありがたいと思うし、それ以上に可愛い子羊達だ」


 追い討ちをかけるようにヴァンダムが告げる。いや、実際勝浦からすれば、追い討ち以外の何物でもなかった。


「しかし、だ。侮蔑の念を抱いていても、軽んじて扱うことはなかれ。大衆は支配者層が思っているほど、愚かでも間抜けでもない。見下してかかると、痛い目にあう。ある程度は尊重して扱わねばならない。だが最早彼等は、大衆より自分達が賢く優秀だと思い込んでいるのは間違い無い。自分達も大衆の中の一粒に過ぎないにも関わらず、それを認めようともしないだろう。君はそれをちゃんと心得たうえで、うまく彼等を操縦したまえよ」


 ヴァンダムの忠告は意外だった。また、侮蔑していても軽んじるなという言葉は、目から鱗であった。


(流石にただの冷徹な金の亡者というわけではないか)

 勝浦はヴァンダムへの評価を改める。


「それと、彼等学生メンバーには、是非とも働いてもらいたいことがある。君経由でそれを告げて欲しい。もったいぶる演出だが、うまくいったら私が直々に彼等と会って称賛しよう」

「何をですか?」


 嫌な予感がする勝浦。


「我がグリムペニスには敵がいる。それと戦って欲しい。彼等の力で、彼等のやり方でな」

「敵とは……」


 敵なら大量にいるグリムペニスである。いくらでも勝浦には思い浮かぶ。しかしヴァンダムの挙げた敵の名は、勝浦が思い浮かばなかった名であった。


「雪岡純子というマッドサイエンティストだ。その存在を彼等に知らしめてくれ」

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