第十八章 10
事故によって記憶と両親を失った咲は、事故直後、ずっと不貞腐れていた。
不貞腐れていた原因は幾つかある。記憶喪失した事そのものもそうであるし、事故直後の叔母の扱いがひどかったこともあるし、同じ悲劇を味わったにも関わらず、姉と悲しみを共有できなかったという理由も大きい。
何より姉の存在そのものが、咲には鬱陶しく感じられた。
姉の華は優等生だった。当時の叔母の邪険な態度にも嫌な顔一つ見せず、礼を尽くし、明るい笑顔を絶やさなかった。咲の面倒も積極的にみようと心がけていた。それら全てが、咲には気に食わない。
そのため、咲は華の前でも叔母の前でも、いつも不貞腐れた態度を取っていた。そのことで叔母はますますキツくあたり、結果自分のせいで叔母が華に当たるようになっていたが、咲は知らん振りしていた。
だがある日その叔母が、咲を諭してきた。
「華が一番あなたのことを大事に想っているのに、あなたがそんな態度じゃ華が可哀想よ」
自分も華に辛く当たっているくせに何をぬかしているのかと思いつつも、普段意地の悪い叔母が真面目にそう諭してきた事は、強く咲の心に響いた。一笑に付して意識しないようにと思いつつも、できない。いつまでも叔母の言葉が咲の中でまとわりつく。
そしてある日とうとう、咲は爆発する。
「お姉ちゃんなんて嫌い! もう私に関わらないで! 話しかけないで!」
叫んでから、咲の頭の中は真っ白になった。激しい後悔と自責の念で、死にたくなった。
初めて見る、華の泣き崩れる場面。しかも号泣。
咲はショックのあまり体が震えていた。後々にまで忘れられない衝撃であった。同じような体験をした人でないと、この感覚はわからないだろうと思う。
「ごめん……。お姉ちゃん。ごめん……。泣かないでよ」
華に抱きつきながら、咲も泣いていた。
やがて華は笑顔を咲に向ける。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの笑顔であったにも関わらず、咲にはとても輝いて見えた。
「えへへへ、こっちこそ急に泣いてごめんね。父さんと母さんが死んで、咲まで私を覚えてなくて……。それで咲にまで嫌われてなんて……そんなの嫌だったからさ」
華にそう言われて、初めて咲は疑問に思う。記憶を失う前の自分と華は、どんな仲だったのだろうと。
「私とお姉ちゃん、事故の前はどんなんだったの?」
「超仲良かったよ。一緒にお風呂入って洗いっこは当たり前だったし、毎日ブロレスごっこしてたし、二回程やりすぎちゃって、咲が救急車で運ばれたことがあるけど」
華の話を聞き、記憶を失う前の自分は人格すら異なる代物だったのではないかと、引き気味になる咲。
しかしその時を境に、咲は華ともすっかり打ち解け、無意味に不貞腐れることもなくなり、姉に惹かれるようになっていった。
***
「んー、これはすごいのがきたねえ。ついこないだ言った、オリジナルにかなり近いコピーを宿しているよ。自我を持つアルラウネに寄生されているんだよ、この子は」
犬飼によって雪岡研究所に連れてこられた咲を診察し終えた純子は、心底驚いた。
「自我があるアルラウネを誰かに混ぜられたってことか?」
と、真が尋ねる。実験室にはみどりの姿もある。犬飼と咲も合わせて計五人だ。
「それはわからないなー。でも、自我のあるアルラウネが逃げ出したケースは結構あるんだよねえ。十年前の東京湾の大怪獣化したアルラウネもそうだけどさー」
「咲の話では、アルラウネと会話した後に、双方合意のうえで咲の体内に入ったらしい」
意識を失っている咲に代わって、犬飼が解説する。
「うん、自我のあるアルラウネは、必ず宿主と合意を得た上で寄生するからねえ。そうでないと拒絶反応が起こるんだ。アルラウネ自体が、メンタルな面で繊細な生き物らしいからね。不思議なのは、その合意を果たされて共生しているのに、どうして今になって拒絶反応を起こしているかって事なんだ。一つ、考えられるのは――」
「どちらかのメンタル面がぐらついて、悪影響が出てるのかな?」
純子の言葉を引き継ぐように、犬飼が口を挟む。
「つまり、お前さんの出番てわけだ」
そう言ってみどりを見下ろす犬飼。
(へえ……この人、私とほぼ同じ考えか)
推測も同じで、対処案も同じことを考えていた犬飼のことを、純子は少し興味を抱く。
「へーい、あたしがサイコダイヴするよりも、純姉の力でアルラウネをその子の体から取り除いた方が、確実なんじゃないのォ~?」
「いや、アルラウネの分離は不可能だよー」
みどりの言葉に、純子はかぶりを振る。
「寄生した生物に進化を促すため、ほぼ完全に同化するからねえ」
「それならそもそも言葉の使い方がおかしいんじゃないのか? 最初から寄生じゃなく同化と言うべきだろう」
犬飼が微苦笑と共に突っこむ。
「そうかもねえ。互いの意識と命がある時点で、私は寄生の方が適していると思うけど。まあそんなわけで、みどりちゃんお願い」
「イェア、やってみるよォ~」
純子に促され、みどりは精神分裂体を二体投射して、寝台の上に寝かされている咲と咲の中にいるアルラウネの双方同時に、潜り込ませる。
「原因判明っと」
「早いな」
報告するみどりに、再び微苦笑をこぼす犬飼。
「で、原因は何だったんだ?」
真が尋ねる。
「やっぱりそのアルラウネとやらの暴走なのか? それとも別の病気か?」
さらに質問をぶつけたのは、咲だった。みどりの精神干渉によって意識を取り戻した。みどりの精神分裂体によって、夢の中である程度の情報は送られたが、全てを知らされる前に意識が覚醒して、みどりの精神干渉も解かれたので、原因は知らされていない。
「アルラウネというより、咲さんの問題かな。咲さんの中で、復讐心とそれを拒む心の両方がある。アルラウネは咲さんの中にある復讐したいっていう気持ちだけに反応して、さらなる進化をもたらそうとしているのに、咲さんが同時にそれを拒んでいるから、ややこしいことになってるんだと思うわ。アルラウネの方にもそれは確認してきたよぉ~」
みどりに状況を報告され、複雑な面持ちになる咲。
「で、どう対処すればいいんだ?」
みどりと純子を交互に見て、犬飼が尋ねた。
「アルラウネの意識はみどりが抑えておいたけど、暫定的なものだから、咲さんがちゃんと気持ちの整理をしておかないと、またおかしくなるかもだわさ」
「復讐の気持ちを消した方がいいな」
真がその単語に反応して、口を出す。
「ちなみにこの子は身内を八つ裂き魔に殺された。前に来た時言った知り合いってのが、この子だよ」
ここがいいタイミングだと思い、犬飼はその事を明かした。
「で、八つ裂き魔と御対面したんだが、復讐はしなかったらしい。睦月という子だ」
そこまで言って犬飼は、百合のことを話すかどうか迷っていた。自分が話さなくても、咲が話すかも知れないと思うが。
(あの百合とかいう女は、雪岡純子も利用している。利用されていることを知った雪岡が、果たしてどう出るか……。あるいは、利用されている事も本人は知っているのか?)
百合という女が悪意のシナリオを描き、さらには舞台監督の如く劇の進行も行っているのは明白だが、犬飼はその存在を雪岡サイドには秘匿しておいた方が面白いのではないかと考える。
「睦月は僕らとも知り合いだ」
真が言う。
「んー、睦月ちゃんは自分の殺人を悔いているみたいだけどさあ、咲ちゃんは睦月ちゃんにどうして欲しいの? 一生悔いながら、幸福を掴む事無く、暗い気持ちを引きずって詫びながら生きろとでも言うの?」
「……」
純子に言われ、咲は押し黙る。
睦月が悔いていることは、咲ももう知っている。だが第三者からこんな言われ方される謂われは無いと、咲はむっとして純子を睨む。
「私は多分、睦月ちゃんの数千倍か数万倍以上の人を殺してきたけど、何の罪悪感も無いよー。だって、私に殺されたのは、私より弱い人達なんだもん。平和な社会で生きるようになって、今の人達はその意識も無いけど、この世界は基本的に弱肉強食が絶対法則なんだよ? 人間が勝手に作ったあやふやな法で縛られた社会でも、それは変わらない。法の網をすり抜ける力、あるいは法の網を引きちぎる力があれば、他人の命も自由に蹂躙できる。私がまさにそれ。私が罪悪感を覚えるとしたら、殺す気がなかった人を手違いや過失で死なせた時くらいかなあ」
「殺された人が悪いのだから怨むのも筋違いだと? それとも外道な貴女と比べて、悔いているだけ睦月はましなんだから許すように心がけろとでも言いたいの?」
表通りの常識から遊離しまくったことを口にする純子に、咲は呆れると同時に気持ちが落ち着いた。
「私も睦月と接して、あの子が泣いてるのを見て、恨む気持ちがかなり消えてしまった。全部消えたわけではないけど。いっそのこと姉さんを殺した奴が、もっと極悪人だったらよかったのにな」
姉の華が号泣していた姿と睦月が、重なったという部分もある。
「姉さんがあの子を見たら、例え自分を殺した相手だろうと、心配するだろうなとか、そんなこと考えちゃってね。姉さんはそれくらい優しい人だったし」
「真君の言うとおり、復讐心や恨みは押し殺しておいた方がいいかもねえ。その方がアルラウネの抑制にもなると思う」
咲の話を聞いて、純子はそう判断する。真はもちろん、みどりも同じ気持ちだった。
(でも研究素材としては、逆の方向に行ってくれた方が面白いんだけどなあ)
しかし腹の底では逆のことを考えている純子であった。
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