第十七章 12

「それは一体どういう意味があるのですか?」


 中国秘密工作員部隊『煉瓦』の本拠地にて、煉瓦隊長の王秀蘭より告げられた指令に、隊員一同絶句する中、太っちょチビの隊員林宗一が絶句状態からいち早く立ち直って尋ねる。


「上の意図はわかりませんが、極めて重要な指令のようですよ」


 綺麗に整列して自分と向かい合った煉瓦の工作員達を前にして、秀蘭は話す。


「何しろ日本に潜む工作員全てに同じ指令が出されているのです。しかもその指令を出したのはあの梁魔王であるという話も、小耳に挟みました」


 梁魔王という呼び名を聞き、隊員達の何人かが息を呑む。今でこそさほど目立つ存在ではないが、かつて米中大戦時に首相を務めた、大物中の大物だ。立場こそ首相であったが、当時の国家主席を傀儡とし、実質的なトップであったという説も根強い。


「そんな大物が、日本に潜んでいる工作員全てに、ネトゲしろって指示出すって、マジイミフ」

 そう言って笑みをこぼしたのは張強であった。


「ま、ネトゲして遊んでいればそれでお仕事になるって、ある意味楽だよな」

「そのネトゲは、真面目に上を目指してプレイしろって事なんですかね?」


 張強が茶化す一方で、副隊長の李磊はいつになく真剣な面持ちで、秀蘭に尋ねた。


「上を目指すという意味がかわりませんが、毎日継続して行うようにとは言われています。そう言えば李磊はネットゲームに造詣が深かったですね。もし、このオススメ11というゲームも経験があるのでしたら、私も含め、皆に是非ゲームの詳しい内容を教えてください」


 秀蘭に言われ、李磊は何故か苦虫を噛み潰したような顔になる。


「真面目にやるんなら、遊びじゃすまない内容だったんだよね」


 秀蘭から視線を外し――、いや、露骨にそっぽを向き、言いづらそうに李磊。


「ていうか、俺もうこれやりたくないな。確かに昔はドップリとハマりこんだけど、いろいろあって愛想尽きて辞めたゲームだから」

「そうは言っても指令ですよ。何か深い意味があるに違いないですし、その辺は割り切りなさい。それに、私達全員やるのですし、嫌な思い出があったにせよ、少しは気が紛れませんか?」


 本気で嫌そうな顔の李磊を、やんわりと宥める。


「そうッスよ。同じゲームをまたやるんでも、最初から皆と一緒にやってるんなら、ある意味新鮮な形でまた楽しめるでしょ?」

「うん……。嫌な思い出を思い出さないよう努力できたら、そうかもね」


 張強が明るい声で尋ねるが、李磊は浮かない表情のまま、力なく笑った。


「好奇心で尋ねてもいいですか? そのゲームで何があったのです?」

 気孔壁の使い手である孫弼が尋ねる。


「いやあ……昔からいろいろ悪いことでいっぱいだったんだよ。開発の調整が下手糞で、ユーザーが心地好く楽しめないことばかりしてたしさ。それが何度も続けば、段々遊ぶ人間の心も離れていく。楽しくて好きでやってた奴も、次第に嫌になってくる。それでも俺はわりと辛抱強くしがみついていたんだけどね。ある時、途轍もなくひどいバージョンアップをやった。それに対して、ユーザーから当然の如く文句言われまくり、公式フォーラムっていう掲示板に、スレッドが立って、物凄い勢いで文句言われまくった。そうしたら運営がそのスレッドを削除して、理由が『スレッドの内容が、ネガティヴなものばかりだから』だってさ。アホかと。誰がネガティヴにしたんだと。それでもうこのゲームは駄目だと、徹底的に愛想尽きたのよ、俺は。まあ愛想尽きたのは俺だけじゃなくて、その時を境に、急激に人口減ったらしいけどね」


 さめざめと語る李磊であったが、語りながら、プレイヤーでもない人にいくら言った所で、この絶望と怒りは伝わらないだろうなーと、考えていた。


「客に対しての誠意が少しでもあれば、あんな真似はできんだろうしさ。文句をつけることそのものを許さないという殿様商売? いや、それにも劣るお子様商売だね、あれは。ユーザー側は真剣にゲームを憂いて、悪い部分を訴えていたってのに。ま、あんな態度見せられたら、流石にやる気なくなったよね。馬鹿にするのもいい加減にしろって感じでさ。そんなわけで、再びオススメ11やるなんて、俺は真っ平御免なんだよなあ。ま、仕事ならしゃーないけど、ゲームを楽しむなんて気持ちにはとてもなれないわ」

「李磊の気持ちと事情はよくわかりました。先程の言葉で気になった点がありますが、上を目指すとはどういう意味ですか?」


 秀蘭が問う。


「しっかりレベル上げして、装備も整えて、ストーリーも進めて、あれやれこれやして最高フプレイヤー目指すのかってこと。俺はもうやりたくないけど」


 嫌そうな顔のまま答える李磊。


「ゲーム内で何かあるとしたら、ゲーム自体も極める必要があるかもしれませんね」


 真面目に考えて秀蘭はそう判断する。彼女がそう言うことは、李磊も予想していた。


「張強とかはきっとノリノリで楽しむだろうよ。他の奴もな。でも俺だけ一人嫌な気分でプレイすると思う。ま、俺は以前のキャラ復活させればいいから、そんなにレベル上げとかしなくてもいいだろうが。全く……どんな呪縛だよ」


 まさかこんな形で、二度とやるまいと思っていた大嫌いなネトゲに、強制的に復帰させられるとは、夢にも思わなかった李磊である。


***


「どうしたの? ネナベオージ」


 中心都市の酒場にて、いつもと比べてあからさまに口数の少ないネナベオージを怪訝に思い、マキヒメは尋ねた。先程から自分ばかり喋って、ネナベオージは相槌をうってばかりである。


「元気無いみたいね。こんなネナベオージ初めてみるわ」

「ああ……すまない。フッ、僕としたことが……」

「元気の無い理由、もしよかったら聞くよ? ここの所いつも私の愚痴、ネナベオージに聞かせているしね」


 そう言った所で、ネナベオージは自分のスタイルを崩しはしないだろうと、マキヒメはわかっている。自分の前で愚痴や弱音など一切吐かないだろうと。わかっていながら、半ば社交辞令で口にした言葉であったが――


「ちょっと僕もリアルでショックなことがあってね。そもそもの原因は僕なんだが」


 ところがネナベオージが素直に語りだしたので、マキヒメは驚いた。


「愚かな行いをして、親しい人を深く傷つけてしまった」

 親しい人と聞いて、マキヒメの胸がズキズキとうずく。


「恋人?」

「片想い……かな。いや、両想いかもしれないが、もう実ることは無い――やり直すことがかなわぬ関係さ」


 気取った口ぶりではあるが、ひどく物哀しそうな表情を見せるネナベオージ。マキヒメがネナベオージのこんな表情を見るのも初めてだ。


「マキヒメは、女が男に泣かされるのと、女が男を泣かすのは、どっちが罪深いと思う?」


 唐突な質問。しかしマキヒメが答えるより前に、ネナベオージは話を進める。


「僕はね、女が男を泣かす方が罪深いと思う。だって、男は女よりずっと泣かない生き物だろう? 少なくとも女の前でそうほいほいと泣くようなものではない。強く見せなくてはいけない生き物だ。ましてやあの子は人一倍プライドが高く、精神的にも強いと思っていたのに……。涙を流してこそいなかったが、あの子は明らかに泣いていた。僕が……純粋な彼を……深く傷つけたんだ。だからいつになく落ち込んでいる」


 そんな話をされても、自分にはわからないし答えようがないと、苛立ち混じりにマキヒメは思う。何故なら自分は今まで生きてきて、まともに恋愛などしたことがないのだから――と。

 そう、今までは、恋愛感情そのものが理解できなかった。今の今までは。


「すまないな。くだらない話を聞かせてしまって。しかし愚痴ってすっきりしたよ」

(私はすっきりしない……)


 いつもの爽やかな笑顔を見せるネナベオージに、作り笑いを必死に維持しながらマキヒメは思う。


(ああ、やっぱりそうだ。この胸の痛みは……きっとそういうことなんだろうね。初めてだけど、確信できる。私、ネナベオージのことが好きなんだ)


 ネット恋愛自体は珍しいケースでもない。ネトゲで知り合って、そこから結婚にまで発展する事例さえある。逆にネトゲが離婚の原因になるケースも多いのだが。

 しかし中の人は女の子だという話だし、自分はレズではないし、いくらゲームのプレイヤーキャラに恋心を抱いても、虚しい結果にしかならない事は、重々承知だ。


(そもそもネナベオージが完璧に女性の理想像の男性を描いているのは、中身が女性であるが故だとも思うしね。でも……理屈ではわかっているのに……)


 感情はもう一線を越えてしまっている。自覚して認めることで、マキヒメの中でそれはさらに大きく膨らんでしまった。


(だって目の前にいるのは、どう見たって、どう考えたって男の人だしさ……。本人の口で、中の人が女と言ってるだけなんだし……)


 実はそれが嘘で、本当は中の人も男だったという話になってほしいとすら考えたマキヒメであったが、もしそうだとしたら、それはそれでキモい話だとも思う。


「珍しいね。完璧超人だと思っていたネナベオージが、ここまで愚痴るなんて」


 内心の動揺を誤魔化すように、からかうマキヒメ。


「おいおい、君が愚痴っていいと言ったから甘えたんじゃないか。でも聞いてくれてありがとう。大分楽になった」


 すっかりいつものネナベオージに戻って、礼を述べる。


(私は苦しくなったけどね)


 マキヒメが言葉に出さずに皮肉った。自分にこんな歪な感情を与えたネナベオージの事が、恨めしくもあった。他に好きな人もいるくせに、同じ女の子のくせに、同性愛者でも無いのに同性にこんな気持ちを与えて、何てことをしてくれたのだと、泣きながら抗議して抱きつきたい衝動に駆られていた。

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