第十七章 11

 明日香と育夫はプレイヤーとしてゲームに影響を与えることはできないが、ゲームをしているプレイヤーには干渉できる。それは霊としての性質で、人間の心に干渉できるからこそである。

 しかしただの霊ではなく電霊であるが故、それ以外のこともある程度は可能だ。例えばゲーム内の他のプレイヤーをサーチする機能くらいは利用できるし、ネットの閲覧もできる。生前に登録していたアカウントを利用して、メールを送る事もできる。だからこそ明日香は純子達をこの世界に呼び寄せる事が出来た。


 純子に依頼してから随分と日数が経ったが、どれほどの進展があったか、ようとして知れない。育夫の方はさらに下僕を増やしたというのに。


「新しい下僕が頑張っているぞ。しかも奴は電霊を使うだけではなく、ちゃんと生きているまともなプレイヤーを増やし始めたようだぞ」


 明日香の前で育夫が得意げに語る。電霊化という手段で無いのなら、それは全然構わないと明日香は思う。


「僕は……これを待っていたんだぞ。何か動けば、世界は変わるという可能性。電霊を量産するという行為で、直接オススメ11を救えるわけではなく、そこから派生する可能性だぞ。新たなめぐり合わせだぞ」

「だったら電霊を増やすのはもうやめてよ」


 懇願するような口調で訴える明日香であったが、育夫は無情に首を横に振る。


「それはできないぞ。累は電霊以外にもプレイヤーを増やせるけど、ニャントンとマキヒメは電霊でプレイヤー増やすしか方法が無いぞ。タツヨシはもうどうでもいいぞ」

「累!?」


 その名を明日香は知っていたので、驚きの声をあげる。純子の仲間であったはず。


「ああ、以前僕にたてついた奴だぞ。でも今は僕の考えに賛同して味方になってくれたぞ」


 にやりと笑う育夫。もしかしたら純子が裏切ったのではないかと勘繰り、確かめたい明日香であるが、最近育夫の監視が厳しいために動けない。


「そこまでしてゲームを持続させてどうするのよ」

 悲痛な響きの声を漏らす明日香。


「人がいなくなってるのは仕方無いし、そもそも私達はもう死んでいるんだし、そこまでしがみついてどうするのよ……」


 何度も何度も育夫に言った言葉であったが、返ってくる返事は大抵同じだ。


「この世界に留まりたい育夫の気持ちはわかるけど、そのためにこれ以上罪を重ねてほしくはない」

「嫌だぞ。僕はどんなに罪を重ねようと、この世界を維持させて、留まりたいぞ。僕にとってはもう、ここしかないんだから。あの世がどんな世界か知らないけど、ここよりいい世界とは思えないぞ」

「楽しかったのは生きていた時に、このゲームをプレイしていた時の話。思い出にすがっているだけじゃない」


 今までは口にしなかった台詞を口にする明日香。


「そうだぞ」

 その明日香の言葉を、育夫はあっさりと肯定した。


「それでもいいんだぞ。この世界をふわふわ漂いながら、プレイヤー達が遊んでいる様子を見ながら、過去を振り返るだけで、僕は幸せなんだぞ。僕のことが嫌いなお前でも、一緒にいると幸せなんだぞ」

「哀しすぎるよ……」


 育夫の本心を聞き、明日香は泣きそうな顔になりながらも、小さく微笑んだ。


「もう私は、私を殺した貴方を恨む気持ちも消えちゃった。無理矢理とはいえ、こうして一緒にいる時間が長すぎてさ」


 明日香の言葉に、今度は育夫が驚いた。


「そうだったのか……。ずっと憎まれているとばかり思っていたのにな」

「ちょっと意地悪してみた。でもその意地悪ももう疲れちゃった」


 自ら口にした台詞に対して、明日香はふと疑問に思う。


「そもそも幽霊って、もっと一つの気持ちだけで縛られて漂ってるものかと思ったら、あまり生きている時と変わりないし。電霊だから?」


 思考力もあり、感情の変化も有り、時として眠ることも有り、時間の経過と共に気持ちの変化もある。人のそれと全く変わっていない。


「幽霊にもきっといろいろとあると思うぞ。僕は昔一度だけ、僕やニャントン達が作ったわけでもない、ただの野良電霊ってのを見たことあるんだぞ。そいつは僕と同じように、ドリームバンドをかぶったまま、不慮の死を遂げて、このゲームに想いがたっぷりあって、それで電霊になったみたいなんだぞ。でも、会話がろくに成立しなかったぞ。思考能力が曖昧な、それこそ地縛霊っぽい感じだったぞ。人工的に作られた生霊の電霊達もそれに近いぞ」


 その電霊がどうして思考力を失ってしまったのか、自分達との違いは何か、明日香には不思議だった。そもそも育夫が他人に超常の力を付与できるようになったことからしても、謎であるが。

 純子がちゃんと育夫とその手下の暴走を止めてくれたら、自分達を実験台に使って、その謎も解き明かすのだろうかと、明日香は漠然と考えていた。


***


 日本からシンガポールを経由して、累は北京首都国際空港に降りた。

 ここに来るまでの間、電車での移動や、空港での待ち合わせは苦痛で仕方なかったが、空の旅は悪くなかった。


(三十年ぶりですね。大気汚染はどれくらい進んだでしょうか)


 そう思いつつも、マスクなどはもってきていない。通常の人間よりはずっと毒物に耐性があるので、あまり気にしないでいいだろうと見くびっていた。しかし空港の中ですでにマスクをかけている人間がかなり目につく。


 これから会う人間に、すでに連絡は入れてある。空港に迎えに行くと聞いてあったが、どこで待てばよいのかと、あたりを見回す。

 人の多さにあてられ、激しく気分が悪くなりそうになる累だが、何とか気合いで堪える。大気汚染などより、こちらの方がずっと、累にとっては有害だ。


 すると軍服姿の兵士達が何人も密集した状態の塊で現れ、累の方へとやってきた。明らかに自分を見ている。人々の注目が集まる。

 累の前にやってきた所で、兵士の塊が割れ、中から累の見知った顔が現れた。


「雫野老師、お久しぶりでございます」

 スーツ姿の皺くちゃの顔の老人が、満面に笑顔をたたえて流暢な日本語で告げる。


「梁(リャン)、健在で何よりです」

 累も自然と笑みがこぼれる。


「すっかり老けましたね。皺の数があの頃とまるで違うし、細くなってしまった……」

「二度ほど大きな手術をしましたが、まだどうにか現役ですよ」


 累と親しげに話すこの老人は、梁成杰(リャンチォンジェ)という。かつて累と交流があった時代は、首相を務めていた程の人物だ。


「今でも政治家ですか。導師の後継者は見つかりましたか?」

「弟子を育成し、すでに継承しました」

「梁魔王に匹敵する程の才覚はありますか?」

「その呼び名は恥ずかしいからやめてください。久しぶりに聞きましたよ。今はもう誰もその名で私を呼ぶ者はいません。少なくとも私の前で直接はね」


 累と梁は軍人達に前後左右をがっちとりと固められて、談笑を交わしながら歩く。

 空港の外に出て、防弾仕様のリムジンに乗り、向かい合って座る二人。


「電話でお願いしてもよかったのですが、どうせならと思い、久しぶりに梁の顔を見たいと思い立ちましてね」

「わざわざ御足労いただき、光栄です」


 累の言葉を受け、梁は座ったままでありながらも、精一杯の敬意と喜びを込めて、恭しく頭を下げる。


「三十年ぶりですか。まさか雫野老師が、仇敵の雪岡小姐と打ち解け、結ばれようとは……」

「誤解があるようですが、僕は別に純子と男女の仲になったわけではありませんよ」

「これは失礼。共に住んでいるとお聞きしたもので、てっきり御結婚なされたのかと」


 とんでもない誤解だと、苦笑をこぼす累。


「僕は傷心のまま純子に保護されていたようなものです。恥ずかしながら、三十年間ずっと痛みを引きずり、引きこもっていました。今の今までね」

「ほう……」


 梁が真顔になる。


「その三十年も引きこもっていた雫野老師が、何かしらの理由で世に出た直後、この私めを頼るということは、それは余程のことなのでしょうな。しかし今の私は、政府内でも半ば隠遁しているような立場です。大した力にはなれませぬ。導師としての力は、さほど衰えてないという自負がありますが」

「いえ……実はそれほど大した頼みごとというわけではありません。わりと些細な頼みなので、拍子抜けするかもしれません。しかし僕があてにできる人物も限られていまして、後はもう梁くらいしかいないんです」


 大仰な口調で言う梁に、累は少し照れたような顔になる。


「再び米中大戦を仕掛けるような、スケールの大きな話ではありませんか。まあ、そのような話を今の私に持ちかけられても、困りますが」

「残念ながらもっと小さなスケールの頼みごとですよ。電話でも済むような話です」

「電話で済むような話でも、わざわざ会いに来てくださったとは、嬉しいですな。時間の許す限りおもてなしさせていただきたい。いや、私の時間はありあまっていますがね」

「そちらのお仕事はよいのですか?」


 累の問いに、梁の表情が陰る。


「正直もうどうでもよいですよ。この国はいつまで経っても変わらない。ハリボテ作りに必死です。体面だけが全てです。党は国民にもすっかり馬鹿にされていますが、それにも気付かずに体面を繕い続け、その様をまた嘲笑われています。建国時から思考停止したままですよ。政府に限った話ではない。御存知の通り、繁栄そのものもハリボテです。大気汚染、水質汚染の酷さはますます悪化していますし、各地で暴動も起きています。他国では有りえぬような事故も多いです。当たり前です。建造物からして文字通りのハリボテで、手抜き工事をしていますからね。そしてそれらの悪い情報は検閲して、ひた隠しです」


 そこまで一気にまくしたててから、はっと顔色を変える梁。


「すみません、つい調子に乗って愚痴ってしまって。ここまで気兼ねなく愚痴れる相手もいないもので」

 気恥ずかしそうに梁が頭をかく。


「それでも梁は国を良くしようと頑張っているからこそ、政治家の立場にしがみついているのでしょう? 本心はどうでもよいわけではないのでしょう?」

「いやあ……それは、いやあ……」


 笑顔で言う累に、梁はますます恥ずかしそうに頭を振る。


「ところで雫野老師の頼みごととは何ですかな?」

「実は……」


 車の中で、累はオススメ11のプレイヤーを増やしたいという話をした。


「むう……それは……簡単なようでいて難しい話ですよ」

 顎に手をあてて、梁が唸る。


「この国でサービスされているわけでもないネットゲームに、集団で日本にアクセスは難しいでしょう。そもそも我が国ではドリームバンドの類は禁止されていますしね。しかし打つ手が無いわけでもありません」

「どんな手があります?」

「日本に潜伏している工作員全員に、そのネットゲームを遊ぶよう命じることはできます。御期待の人数に沿えるかどうかは疑問ですが」


 梁の言葉に、累は満足げに微笑む。


「ではそれでお願いします。工作員なら、経験者による説明はしなくてもよいでしょうか」

「ゲームの予習はきっちりとするでしょう。いえ、やらせますよ」


 累の確認に、梁は肩をすくめて笑いながらそう答えた。

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